神様失格   作:トクサン

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逢魔と私

 一度囲炉裏の傍に腰を下ろした私はヨミさんの淹れた白湯を啜りながら大凡の過去、それとこれからどうするかを話しました。無論私が二度も女性と『そういう関係』を築きながら逃げ出した事は隠して。

 

 我ながら何という屑と思いはしますが自己嫌悪と現在の感情は別です。私は胡坐を掻きながら居心地悪そうに肩を揺らしました。

 結局彼女に話した事を要約すると「前の職場の雇い主の様な人で、私が人間関係に疲れて一方的に出て来た」と。こう己のして来た事を嘘を交えてとは言え口にすると凡そ大人のやる事ではないという気持ちになりました。やはり私に華族としての振る舞いは出来そうにありません。私を放逐した父の判断は正しかったのです。

 

「何で重虎のことを探しているの? 態々こんな場所まで」

「それは、その……私が人間関係に疲れた理由が、えっと……」

「……あんまり言いたくない?」

「………はい」

 

 すみませんと身を竦め私は口を噤みます。ヨミさんの表情は良く分かりませんでした。複雑そうな顔と言っても伝わらないでしょう、まるで苦い青菜を噛み締めた様な顔です。私はじっと彼女の前に座り息を潜めます。

 既に語るべきことは語っていました、もうこれ以上私から何か言える事はありません。ここを離れるという発言についても「ほとぼりが冷めるまで」と説明していました。数日――最悪数週間――この家から離れるという言葉にヨミさんんはとても嫌そうな表情をしましたが、私のアレコレを聞いた後では多少譲歩の姿勢を見せています。

 

 私が家に帰宅してから一時間程が経過していました。

 今は早くて麓の村か、もしかしたら麓の村に辿り着く為に歩いているか。そう考えるとやはり焦りが勝り私は耐え切れず「そろそろ行かないと」と口にします。すると彼女はもう少しと私の腕を取り、そのまま再び腰を下ろさせます。

 

「っ、ヨミさん」

「大丈夫、私は重虎が逢いたくない、逃げるって言うなら……止めないよ」

「……ありがとうございます」

 

 私を止めるヨミさんに何か反駁を口にしようとして、しかし彼女の口から飛び出た肯定の言葉に押し込まれ、一拍置いて礼を口にしました。

 

「だから私も行く」

「は?」

 

 彼女は真っ直ぐ私を見てそう言い切りました。そしてダン! と立ち上がると、そのまま必要な物品をゴソゴソと漁り始めます。どうやら旅支度を始める様です、私は彼女の背に慌てて縋ると「何もヨミさんまで、こんな逃避行に付き合う必要は!」と口にしました。

 しかし彼女は風呂敷を広げ、その上に日用品を綺麗に並べながら「私、重虎が居ないと寝れないもん」と口を尖らせます。

 

「重虎が行くなら私も行く、何なら他の場所に住んでも良い、私は何処でも構わない」

「いえ、でも、私はある程度日を潰したら戻ってきますし……」

「何日で戻って来るの、三日? 四日? 一週間? それとも一ヵ月? それまで私ずっと眠らないでいないといけないの、無理」

 

 荷づくりの手を止めずに彼女は矢継ぎ早に言葉を浴びせて来ます。普段の彼女から想像も出来ない饒舌っぷりでした。そして風呂敷をきゅっと締め、箪笥から茶色の麻袋と木箱を取り出した彼女は外套を着込み、壁に掛った村田銃を担ぎます。専用の木箱に収納された弾丸を外套の内側に縫い付けられた帯に詰め込むと、彼女は私の方を振り返って言いました。

 

「良いよ、私ついてく、重虎の行くところ全部――狩りはどこでも出来るから」

「………ヨミさん」

「一人は寂しいよ?」

 

 私は彼女に何と言えば良いのか分からず口を噤みました。

 断る事は容易だったでしょう、何よりこんな馬鹿げた逃避に彼女を巻き込む事を私は心の中で嫌っていました。けれど彼女の好意もまた嬉しく思い、断るには余りにも歓喜が勝ったのです。一人は寂しい、その通りです、私はその寂しさを彼女と出会う一ヵ月前の時間で骨身に染みて理解していました。

 彼女は私に笑いかけ、あくまで前向きに語って聞かせました。

 

「もし戻って来るなら、これはちょっとした旅行だと思えば良い、いつも隣町とかばっかりだったから偶には遠出も楽しいよ、そろそろ春だし」

「ははは……そうですね、小旅行ですか」

 

 心底楽しそうにそう口にするヨミさんを見て私は彼女を連れて行く決心をします。私に彼女を突き放す事は出来ませんでした。深く踏み込むまいとする優しさ、それでいて寄り添うだけの寛容さ。それが意図してなのか、それとも素で行っているのか、私にとってはもうどうでも良い事でした。彼女が本当に私がいなければ寝れないかどうかでさえ重要では無いのです。

 彼女と逃げよう、逃げて、また此処に戻って来よう。

 そう心に決めて、「一緒に来てください」――そう口に出そうとした瞬間。

 

 

 

 

「すみません、どなたかいらっしゃいませんか?」

 

 

 

 

 家の前から、由紀子さんの声が響いてきました。

 

「―――」

 

 もう来たのか? 

 いくら何でも早過ぎる。

 

 私は思わず絶句し、身を竦ませました。彼女と隣街で鉢合わせてから一体どれだけの時間が過ぎたのか。まだ二刻――多く見積もっても三時間は経過していないでしょう。それだけの時間で麓の村に居るという情報を掴み、山小屋の存在を知り、その場所を探り、実際に来たというのでしょうか。

 

 私は頭の中が真っ白になってしまいました、どうすれば良いのか分からなかったのです。まさかこんなに早く由紀子さんが来るとは少しも想定していなかったのですから。

 彼女と顔を合わせたらなんと言えば良いのでしょうか? 逃げて御免なさい? 仕事を放りだしてすみません? そもそも謝罪をしたところで彼女は受け入れるのか――否でしょう。私は恐らく彼女によって『檻に囲われる』、その未来が容易に想像出来ました。そしてそれは比喩でも何でも無く、物理的に私は彼女に囚われるのです。

 

「重虎……っ」

 

 私がそんな未来を想像し呆然と突っ立っていると、私よりも早く意識を取り戻したヨミさんが私の腕を取り近くの押し入れへと突き飛ばしました。いつも布団やら何やらを入れている場所です。私は御仕入れの下段に転がり込み、呆然とヨミさんを見上げました。

 

「私が何とかする、隠れていて」

「す……すみません」

 

 私は声を震わせて頷きます。自分でも情けないと理解していながら動く事は出来ませんでした。ただそっと押し入れの扉を閉め壁に背をあてて息を潜める、それだけしか出来ません。僅かに開いた隙間からヨミさんの姿が見えます。

 彼女が担いでいた村田銃をそっと下ろすと内側の帯から数発の弾丸を取り出し――その内の一発を銃に押し込みました。ジャコン、という金属音。彼女がレバーを押し込むと弾が装填され、引き金を引けば弾が飛び出す状態になりました。

 

 何をする気なんだ。

 

 私はそう思いましたが声を出す事は出来ません。ヨミさんは弾込めを行った村田銃を後ろ手に持って体で隠し、風呂敷やら外套やらを壁際に押しやります。そしてゆっくりとした足取りで扉の前までやって来ると、少しだけ扉を開けて外を見ました。

 此処からでは由紀子さんの姿は見えません、ただ外を覗き込むヨミさんの背中だけが見えました。

 

「あぁ、良かった、人が居て」

「……何?」

「突然すみません、少しお伺いしたい事がありまして」

 

 ヨミさんの声色は普段よりずっと低く、まるで氷の様に冷たい印象を相手に与えました。まるで相手を威嚇しているようです。対して由紀子さんの声色はどこか弾んでおり、私の足取りを掴んだせいかどうかは分かりませんが喜色が滲んでいます。

 由紀子さんは幾つか呼吸の間を置くとハッキリとした口調で告げました。

 

「此処に藤堂重虎という男性はいらっしゃいませんか?」

「いない」

 

 取り付く島もない。

 そう表現して良い程にばっさりと斬り捨てたヨミさんは無言で扉を閉めようとしました。しかし直前で由紀子さんが手を掛け、ガコン! と扉が音を立て途中で止まります。がたがたと音を立てて拮抗する二人の力、至近距離で顔を突き合わせる二人の表情は此処からでは分かりませんでした。

 

「……すみません、まだ少しお聞きしたい事があるのですけれど」

「私にはない、さっさと帰って」

「お時間は取らせません、それに麓の村で聞いたのですがこの家には『重虎』と呼ばれていた男性が住んでいると――いない筈、ないですよね?」

 

 まるで絡みつく様な言い方でした。私の脳裏にその言葉を口にする由紀子さんの表情が浮かび上がります。いつか私を押し倒した、あの薄暗い表情で言い放ったのでしょう。押し入れの扉に触れていた私の指先は微かに震えておりました。

 未だがたがた揺れる扉、双方一歩も譲らず顔を突き合わせたまま徐々に声を大きくしていきます。

 

「知らない、邪魔、しつこい奴は嫌い」

「そんなに邪険に扱わなくても……仮に彼が居ないのなら、行き先はご存知ありませんか? 何処に行ったとか、どの方角に歩いて行ったとか」

「そもそも重虎なんて男、知らない」

「………おかしいですねぇ、そうなると麓の村の方々が嘘を吐いていた事になるのですが――少し家の中を見せて頂けませんか?」

 

 ドキリと心臓が跳ねました。まるで彼女の手が私の肩を掴んだ様な錯覚、私が焦りながらヨミさんの背中を見ると彼女は警戒心を露わにしながら「何、盗人?」と言いました。二人のやり取りが段々と熱を帯びていきます。

 

「まさか、勿論監視して頂いて構いません、少しだけ見せて頂ければ直ぐ帰りますので」

「散らかっているから無理」

「気にしませんよ」

「……そもそも、怪しい奴を家の中に入れる趣味は無い」

「なら玄関からで構いません、家の中を見せて頂けませんか?」

「嫌」

「――本当は知っているのでしょう、くせっ毛の線の細い、美しい顔立ちの男性です、嘘は良くありませんよ?」

「いい加減――しつこいッ!」

 

 どこか煽る様な由紀子さんの言葉にヨミさんの堪忍袋の緒が切れました。彼女はパッと手を扉から離すと突然緩んだ扉の力に思わず蹈鞴を踏んだ由紀子さんに向けて村田銃を突き付けました。

 

 無論、弾込めを行っていた銃です。その引き金に指を掛けたまま、ぎょっと目を剥く由紀子さんをヨミさんは蹴飛ばしました。腰の辺りを強かに蹴り飛ばされた由紀子さんは尻餅をつき、ヨミさんは上から見下ろす様に村田銃を構えながら肩を怒らせ叫びます。

 

「重虎なんて男は此処に居ない、さっさと去れ!」

「……まさか、そんなモノを持ち出してくるなんて」

「私は猟師だ、生き物の殺し方なら誰よりも知ってる……!」

「………」

 

 銃を目の前に突きつけられ由紀子さんは沈黙します。流石の彼女も銃口を前にして強気に出れる程の勇気は無かった様です。私もまさかヨミさんがここまでやるとは思っておらず、危うく飛び出し掛けました。しかし同時に「彼女が人を殺す筈が無い」という信頼があり何とか踏みとどまりました。事実彼女は怒り、引き金に指を掛けながら肩回りの力は驚く程抜けていたのです。私はそれを元々撃つ気が無いのだと判断しました。

 

 由紀子さんは尻餅をついたまま暫く口を噤み、ヨミさんは中途半端に開いた扉を遮る様に立って銃を構え続けます。

 

「……最後にもう一度聞きますけれど、【藤堂重虎】、この名前に覚えはないんですね?」

「知らない」

「なら、貴方は独りで暮らしているのですか」

「そう」

「――へぇ」

 

 由紀子さんの表情がぐにゃりと歪んだのが声色から分かりました。明らかに疑っている、あるいは挑発とも言える行動。あっ、と私が息を呑んだのと同時にバキン! と金属の弾ける音が周囲に鳴り響きます。

 

 それが銃声だったのだと理解出来たのは余りにも音が大きかったからです。銃口から擦れた煙が立ち上り由紀子さんのずっと背後にある一本の樹に弾痕が生まれます。ヨミさんは手早くレバーを引き空薬莢を排出すると、手慣れた動作で次弾を装填し再びレバーを押し込みました。

 

 その背後から確かな殺意とも呼べる感情――黒い何かが滲み出ているのが私には分かりました。それ程に彼女の圧は凄まじく、背後で怯える事しか出来なかった私でも思わず恐怖してしまう程のものでした。正面からそんな圧を叩きつけられた由紀子さんは――しかしそれでも尚、何ら怯える素振りすら見せません。

 

 彼女が由紀子さんを撃たなくて良かったという安堵は存在しませんでした、次の瞬間には本当に撃ち殺してしまうのではないかという不安が勝ったのです。

 

「次は当てる、容赦はしない」

「……………ハァ、分かりました」

 

 ヨミさんの言葉に次は威嚇射撃だけでは済まないと感じ取ったのでしょう、由紀子さんは溜息を一つ吐き出すと立ち上がり土の付いた着物を叩きました。そして真っ直ぐ立ってヨミさんを見つめると「今日は帰ります」と口にしたのです。

 するとヨミさんは銃を持つ手に力を籠め吐き捨てます。

 

「今日【は】じゃない、もう一生来なくて良い」

「それはどうにも、私は疑り深いので」

「疑わしきは罰せず」

「私としては『疑わしきは罰す』派なんです」

「じゃあ疑われたら殺す、だから疑わない方が良い」

「……物騒ですね」

 

 正に暴論の嵐と言って良いでしょう。由紀子さんは尚も何かを口にしようとして、しかしヨミさんが銃口を再度突き付けた為、渋々肩を竦めてその場を立ち去りました。最後までヨミさんの方を振り返り――いえ、彼女越しにまるで私を見ている様な。

 

 由紀子さんの姿が完全に見えなくなるまでヨミさんは銃口を彼女の背に定め、漸く茂みや木々の向こう側に彼女の姿が消えたと見るや否や素早く家の扉を閉めました。そして振り向き叫びます。

 

「重虎、もう大丈夫」

 

 彼女は扉に木板を立て掛けると持っていた村田銃のレバーを引いて弾丸を排出させます。そして銃を壁に立て掛けると駆け足で押し入れの扉を開け放ちました。私は座り込んだままヨミさんを見上げ、情けなくも震えたまま「す、すみません」と口にします。

 普段の生活のまま、それこそ実家に居た時の様な環境で由紀子さんを見たのなら此処まで恐怖はしなかったでしょう。私は自分の幸福だと定義するこの環境を壊し得る由紀子さんの存在と、そして『私の平穏が再び奪われるかもしれない』という事実を恐れていたのです。

 彼女は震える私の手を取ると、まるで暖める様に摩り「大丈夫、大丈夫」と繰り返しました。

 

「もうあの女は来ない、来ても追い返す、重虎は何の心配もしなくて良い」

 

 私の手を擦りながら彼女はそう口にします。そう言う彼女の表情はどこまでも柔らかく、私を安心させようという心遣いが感じられました。私は頷くと必死に笑みを浮かべます、私なりに彼女を安心させようとしたのです。果たして上手く笑えたかは分かりませんでした、もしかしたら引き攣った空笑いだったのかもしれません。

 けれど由紀子さんが去った事で私が安堵したのは確かでした。

 

 




 今回の主人公は押し入れで「ガタガタガガタ」してるだけでした。
 でも大丈夫、きっと主人公は変身を二回くらい残してるから。
 嘘です。

 前回の投稿から感想欄に「ヤンデレウッホホイ」と書く気ぐる―――読者が多発しましたが、こんな事ならもっとマシな文言考えておけば良かったと思いました(小並感)
 
 私は同志が増えてとてもホッコリしています(満面の笑み)

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