滋賀県、琵琶湖。その外縁部にひっそりと存在する海軍の基地。琵琶基地。海軍所属の基地にしてかなり特異な立ち位置に立たされているこの基地は非常に静かであった。
整備されていないグラウンドには草が生い茂り、壁にはつたが張り付いている。空襲用に設置された対空機銃には野鳥たちが羽を休めている。
「すう…」
整備されていない土地に対して真新しい桟橋にて釣糸を垂らしている人物。真っ黒の軍服を着崩した女性はその暑さに堪えながら水面を見つめる。
木で出来た外灯に長釘を刺して上着を引っ掛け真っ白なシャツを見せ腕を捲り、短いスカートを気にせず大股で座る。足元に置いてある手のひらサイズのバケツには吸い終わったタバコが突っ込まれ中に貯まった水を変色させる。
「あぁ…。これだから夏は嫌いでありますなぁ」
タバコを加えながら呟いていたのはあきつ丸。彼女は釣り上げたブラックバスを綺麗なバケツに突っ込むと咥えていたタバコを吸う。ブラックバスは害獣というイメージが強いが存外、食べられないものではなく案外と美味しい魚なのだ。
「捗ってる?」
「まぁまぁでありますな。やっぱりポイントを変えないとダメでありますかな?」
「二匹か、あと二匹だし。日が暮れるまで頑張ろうか、時間はまだあるし」
「そうでありますな」
バケツと釣り竿を持参して現れたのは、彼女とは正反対である白の軍服を着た男性。見た目、二十代の男性は彼女に背を向けるようにして座り、竿を振るう。
「適当に食べてね」
「ありがたく頂戴いたします。提督殿」
自身の後ろに置かれていた弁当を手にしたあきつ丸は引っ掛けた上着のポケットから懐中時計を取り出して時間を確認する。時刻は12時回って20分。
「お、唐揚げ…」
弁当の中身は色とりどりの野菜と鶏肉の唐揚げ、そして適量のご飯。これは提督が作った物だろう。他のやつらにこのような弁当は作れまい。もちろん自分も。
「平和だね」
「そうでありますな」
背後にいる上官の言葉に賛同した彼女は真っ青な空を見つめるのだった。
ーー
「あいつ逃げやがったな」
「……」
琵琶基地は元中学校を改装して作られた施設。その中に設置された提督の執務室はもぬけの殻であった。
窓際に置いてあった釣竿などの一式がないということは桟橋だろうがこのくそ暑い中、外にはあまり出たくはなかった。
「一週間に一日ぐらいは真面目にやってほしいぜ」
そう嘆いた天龍は当然のように提督の机に座ってアイスティーを入れたコップを机上に置く。
「まぁ、私たちがやれないところは全て終わらせているようですし。無理に呼ぶ必要はありませんね」
「たくっ。真面目なのか中途半端なのかわからねえぜ」
「少なくとも真面目ではないでしょう」
「ちげえねぇ」
机に向き合った天龍と不知火は自分用のマグカップを片手に書類作業を行う。
一応地下には専用の発電所が設けてあるが元々、中学校であったために空調設備はしっかりしていない。壁に張り付けてある扇風機が暑さに対して必死に抵抗しているがあまり効果はなかった。
ーー
「明日の分の物資はこんぐらいか。ぼちぼちだな」
琵琶基地の主な業務に戦闘訓練は含まれない。その主な業務は政府や軍の手が届かない区域への物資管理。滋賀県を含む愛知、三重、岐阜は日本の土地的中心、つまり陸上輸送の要の地域。
そこを管理、警備しているのがこの琵琶基地なのだ。
「今日も大変っぽい!」
「まぁ、ほとんど九州行きの物資だけどな」
中学校の体育館を元に改造された物資集積所では大量の物資が小分けされている。
「九州戦線は今日も血の雨と…」
仮置きされたパイプ椅子の上で足を組ながら新聞を広げている摩耶はビーフジャーキーを齧りながら呟く。
「懐かしいっぽい」
「あぁ、お前は元佐世保だったか。どうだよ、最前線ってのは」
「忙しいっぽい」
「まぁ、そらそうだろう」
積み上げられた段ボールで出来たスペースでゴロゴロとしている夕立は新聞で顔が見えない摩耶を見つめる。
連日一面を飾るのは九州戦線の不穏な戦況のことばかり。まぁ、それも仕方がないといえばそうなのだが。
「物資も兵も艦娘もたりない。鹿児島辺りは焼け野原。ここに比べたら雲泥の差でしょうね」
「姉っさん」
真っ黒なサングラスに使い古し、汚れきった白の作業用ツナギを身に付けた明石は吸いきったタバコを首にぶら下げてある携帯灰皿に突っ込むと机に置いてあった水を口にする。
「こんな外れ基地が忙しかったら日本の末だよ」
「確かに…」
九州絶対防衛戦線。文字通り九州を防衛するための戦線、現在の日本は深海悽艦の驚異が喉元にまで届いていた。
それでも20年前の深海悽艦の本土上陸よりかはマシであるだろうが、それでも日本の危機には代わりなかった。
「まだ深海悽艦がそう呼ばれてなかった頃。私たち艦娘が産まれていなかった頃の惨劇。総人口の二割が被害に遭い、帰らぬ人となった」
「駆逐級しか居なかったのが不幸中の幸いっぽい」
「そんなものが目と鼻の先にいれば怖がるのも無理はないか…」
明石と夕立の言葉にたいし摩耶は新聞を読みながら呟く。
一度は取り戻した海域も今では深海側に取り戻されてしまった。沖縄に至っては完全に状況不明。深海悽艦たちに飲み込まれてしまいどうなっているのか想像もつかない。
5年前、北方海域に深海悽艦の艦隊を確認。各基地、鎮守府の戦力が北方海域に集結したと同時にその艦隊を上回る大艦隊が沖縄の警戒網にて確認された。
「二十年前の災悪と五年前の悪夢か…」
当時の戦場には夕立もいた。主力艦隊がいない状況下で佐世保、呉の鎮守府は本土を護るために徹底抗戦。当時の保有戦力の大半を失いながらも守りきった。
「日向さんは忘れられないっぽい」
「あぁ、無双伝説の日向か。見てみたかったなぁ」
何事にも伝説、あるいはそれに類する逸話が発生するのはよくあることだ。それは絶望にうちひしがれた者たちが心の支えとして語り継がれることがある。それは虚言や誇張が積み重なって出来るものが多いが日向の話は実際にあった話だ。
「当時は長門も大和もいなかったからね」
長年整備に携わってきた明石だが長門などのビッグネームが出現したのは三年ほど前。それまで最高戦力は伊勢、日向などの航空戦艦たちが頭を張っていたのだ。
「敵主力艦隊をたった一人で壊滅させた呉の日向。まさに戦場の英雄譚にふさわしい人物だったなぁ。今は話は聞かねぇがどうしてるのやら」
「死んだわよ。あの日向は」
「山城…」
「彼女は呉一航戦の部隊に見送られてね。救援は間に合わなかった、彼女は全てを成し遂げて逝った。長門型や大和型に負けない戦果を残して」
「珍しいわね。外に出てくるなんて」
「部屋にはクーラーはないから」
「なるほどっぽい」
部屋から出てくることもこれほど饒舌になることもなかった山城だが今回だけは違ったようだ。彼女も同じ航空戦艦、思うところもあるだろう。
「おや、珍しいでありますな。今日は金曜日であったでありましたかな」
「貴方には一番、会いたくなかったわ」
「おや、つれないでありますな。ブラックバスは沢山釣れたでありますが」
そんな所にバケツと竿を持って現れたのはあきつ丸と提督。二人は目的通り4匹のブラックバスを釣り上げて桟橋から帰還してきたのだ。二人とも、上着を肩に掛け腕をまくっているのを見ると湖はさぞ蒸し暑かったのだろう。
「暑かったから出てきたのよ、悪い?」
「いやぁ、自分は嬉しいでありますよ。これからは部屋を暑くすれば出てくるっていうのが分かったでありますからな、試させて貰うでありますよ」
「やったら殺すわ」
「いやぁ。相変わらず怖いでありますなぁ」
ニヒルな笑みを崩さないあきつ丸は釣りざおを降りながらその場を後に去る。
「相変わらずだね」
「提督」
微笑みが似合う優顔の提督。そんな彼が声をかけると山城は先程の怒りを瞬時に納めて顔を向ける。
「いい傾向だね。そうやって自分から外に出るのはいい、自分のペースでね」
「はい、感謝しています」
「じゃあ、天龍と不知火に怒られる前に執務室に帰るよ」
小さく手を振りながら去っていく。それに対して山城も小さく手を振り返すのだった。
「「「ふーん」」」
「な、なによ…」
その様子を見ていた摩耶、夕立、明石が意味ありげに笑みを漏らすのを山城が気味悪そうに引くのだった。
ーー
「やぁ、天龍。ただいま…」
「てめぇ、どこで油売ってやがったぁ!」
ボゴォ!
その後、サボりから帰還した提督は当然のごとく天龍の拳を顔面に受けたのだった。