涸轍鮒魚
「超大型の台風10号はその勢力を衰えさせずに進み。一週間後には日本領土に上陸すると思われています」
「台風は夏の貴重な風物詩でありますなぁ」
朝、あきつ丸は麦茶を飲みながら新聞を読む。つけっぱなしのテレビでは最新の台風状況が流れ、アナウンサーの声が食堂に響き渡る。
「台風でも琵琶湖でも良いから走りたいぜ。艦娘としてのカンが鈍るからよぉ」
タンクトップに半ズボンとトレーニングウェアの天龍は汗を拭きながらジョッキに注いだ麦茶を飲み干す。
「はい、姉貴」
「おう、すまねぇな」
一息ついた天龍に摩耶は彼女の愛用のタバコを差し出し火をつける。一服する天龍はあきつ丸の使っていた灰皿を少しだけこちら側に寄せると灰を落とす。
「臭いっぽい…」
「わりぃ、わりぃ」
机に突っ伏し惰眠をむさぼる夕立はタバコの臭いを察知して体を顔を横にして嫌な顔をする。天龍は謝りながら回っていた扇風機を調整して風向きを調整。臭いが向かわないようにする。
「そうすればこちらが暑いのですが…」
そう悪態をつく不知火だが彼女の目の前には卓上扇風機がそのサイズでありながらも奮戦中であり言ってるわりには快適そうだ。
「ぽいぃ…」
一人だけ真夏の暑さに耐えかね彼女自身、溶けてるような錯覚を感じさせる夕立。
「夕立を虐めるな…」
「まぁ、扇風機だとたかが知れてるけどね」
手のひらサイズの氷枕を夕立の首に着けて冷やす川内、そして笑顔で姿を表した提督もみんなが集まるテーブルに座り、用意された麦茶を飲む。
「ところで、提督殿。悪いニュースと悪いニュースどっちが聞きたいでありますか?」
「一択じゃないか。それで、なにがあった?」
「陸軍から流れてきた情報でありますが。アメリカで開発されていた巨大フロート施設が深海棲艦に強奪されたそうであります。追撃に出たニューヨークの第一艦隊が追撃に出たそうでありますが失敗。手痛い損傷を得て撤退したそうであります」
「よくそんな情報が回ってきたな」
「摩耶殿。向こうもこちら側の混乱は避けたいのであります。軍は軍同士で仲が良い、どの国も陸軍と海軍は仲が良い訳ではないであります」
摩耶の言葉にあきつ丸は悠々と答える。
言ってみればこれは米軍の不祥事にあたる出来事。本来ならこの様なことを自らバラす訳はないのだが、日本は深海棲艦との戦闘における最前線。深海棲艦相手に対して日本という囮をアメリカは失うわけにはいかないという思いもある。奴等の思考は未知の領域、いつ矛先が向くか分からない。
ーー
「全長5000mの巨大な移動要塞。これはかなりやっかいですね」
米軍から流れてきた情報を耳にした横須賀鎮守府提督。川崎提督は線のような目で困り顔を作る。
「深海棲艦たちが他国より日本の侵攻に重点を置いてるのは明白。このメガフロートが来るのも時間の問題でしょうね」
「九州戦線に投入されれば佐世保は持たないでしょう。厄介なものを奪われたものです」
秘書官である陸奥を横目に川崎はため息を噛み殺す。自分はここの長である、それが弱気など見せてはならない。
「地理的にうちが担当することになりそうね」
「外部からの破壊は無理でしょう。仮にも要塞です、それに大きすぎる」
黒縁の眼鏡を掛けなおすが彼の表情は浮かばれない。
「最適な方法は…」
「内部から壊すしか方法がないか。少なくとも敵の巣窟に潜らなきゃならない、嫌な仕事ですね」
「生還は絶望的ね」
言わずも分かっているが、決死隊になる。こんな編成を考えなきゃならない時が来て欲しくはないが、こういうものに限ってしっかりとやって来るものだ。運命というのは本当に嫌な方に転がる。
「稲嶺はどんな気持ちなんだったんでしょうね」
「省吾…」
表情には出ていないが言葉の端に悲しみが隠っていたのを聞いた陸奥は彼の手に優しく添える。
「ごめん、少し昔のことを思い出しただけです」
「もしもの時は私が…」
「君はうちの切り札だよ。残念だが君を行かせるわけにはいかない」
陸奥にとっては残酷なことを言っているのは川崎も分かっている。生還率が絶望的な作戦に仲間を送らなければならないのは本当に辛い。
彼はどのような気分だったのだろうと彼はため息を噛み殺すのだった。
ーー
「そんなことが…」
「とにかくだ。明石、お前は元大本営所属の開発部にいたお前に頼みたい。ツテはあるだろう?」
研究室に籠っていた明石を呼び出した提督。その言葉に明石は表情を変えて察する。
「まさか、艤装を?」
「こっちもこっちで回してみるけどやっぱり現場の納得なしにはどうもいかないからね」
窓を全開にして団扇を扇ぐ自分の上司の表情をうかがいながら明石は少し考えると頷く。
「分かりました。聞くだけ聞いてみます」
「ありがとうね」
明石がその場を後にする。それを手を降りながら見送る提督は埃の被った電話をかけるのだった。
ーー
「鉄底海峡が落ちたじゃと!」
「確定情報ではないですが。E-5「サーモン海域最深部」の深海部隊が突如攻勢に転じ、E-4「アイアンボトムサウンド」の榛名、霧島を主力とする守備隊との通信が…」
千代音は咥えていたタバコを握り潰して灰皿に捨てる。それを見ていた大和はもったいないと言わんばわかりの表情を作る。
「ショートランド泊地とブイン基地の部隊が救出と調査に向かったようです」
「ほんで他に連絡は?」
「大本営から通達が…。アメリカが試作していた大型メガフロートが深海棲艦に奪われたと」
「囮か?」
太平洋のど真ん中は完全に深海棲艦の勢力範囲。こちらに来るとしてもそこを通らなければならない。だが出来るだけ向こうは位置を知られたくないはず。鉄底海峡の急激な攻勢はそのための囮なのか。
「呉からはいつでも第一、第二艦隊が増援に回ると言ってきています」
「若造が、増援などいらん。呉は呉で防備を固めさせろ、こちらに来たら向こうも目と鼻の先じゃ!横須賀と大湊はどないになっとる?」
「駆逐、潜水を含む部隊が大湊指揮のもと部隊を展開しています。単冠湾泊地なども索的艦隊を展開。各基地は厳戒体制に移行しています。陸軍も沿岸部の街に展開しもしもの時に備えていますね」
大和が纏めた資料を読みながら黙っていた千代音は上がってきたボルテージを納めて大きく呼吸をする。
「来ると思うか?」
「正直、分かりません。今回の敵は明らかに思考を持っています。もし敵が5年前の主犯なら」
「リベンジ戦ってわけか。よほど日本に執着してると見る」
千代音は確信を持っているかのように外に目を向けるのだった。
ーー
「うん、そうよ」
呉鎮守府の古株伊勢は鎮守府内に設置された数少ない電話を片手に誰かと話をしていた。
「じゃあ、逐一報告よろしくね。悪いわね、スパイみたいな事させて…」
周囲に気を配りながら話す伊勢の姿は隙を見せないといった様子であった。
「うん、それじゃ」
「軍用の公共回線じゃないですね」
「…大鳳」
物陰から姿を表したのは大鳳、彼女はなんとも言えぬ表情で伊勢を見つめる。
「伊勢、残念ながら私たちでは日向には勝てません。全てにおいて」
「いえ、私はあの子の姉。無様なプライドだけど、あの子には負けたくないの」
「日向が死んだ時点でもうあの頃には戻れませんよ」
「私は今のこの鎮守府でも満足している。鎮守府としてではなく、私個人の願望で自己満足よ」
一切、表情を変えない伊勢を見た大鳳は黙り込み少しだけあきらめの表情を見せる。
「変われとは言わないけど私は今のままでは行けないと私は思います」
「…分かってるわよ」