戸塚彩加は隠していた。   作:蒼井夕日

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第9話 前進。

「ごめん、なさい...」

 

ヒッキーが部室を出るとすぐに、いろはちゃんは泣いた。

 

声を出して泣いた。

 

私も泣きそうだった。理由はたぶん、わかってる。

 

「ううん。私もね、いろはちゃんの気持ちわかるから」

 

ゆきのんはあんな状況でも、冷静にアドバイスをした。やっぱすごいなぁ。

 

でも、いつもの真っ直ぐで力強い目は今は少しだけ弱々しく見える。

 

たぶんゆきのんも、私と同じことを思ってるんじゃないかな。

 

「羨ましいなって思うもん。私もずっと、ヒッキーのこと好きだったから。それに今も」

 

「...結衣先輩」

 

こんなに顔をぐしゃぐしゃにして、ヒッキーの前だと絶対に見せないのに。

 

思わず可愛いなぁなんて思っちゃったよ。

 

ここはちょっとだけ、先輩っぽくしなきゃね。

 

「最初に彩ちゃんが自分は女の子だって告白した時にね、もう気づいてたんだ。ヒッキーは彩ちゃんのことが好きなんだって、なんとなくだけどね」

 

「...」

 

「だから私も少しだけずるいことしようかなって思った。でも、それでヒッキーが振り向いてくれるのは違うの。私が、私たちが好きになったヒッキーはそうじゃないから」

 

「でも、それで諦めるのは、すごい、辛いです...」

 

途切れ途切れに出される可愛らしい声。なんだか私も胸が苦しくなってきた気がする。

 

「ヒッキーはきっと、ずっと彩ちゃんのことが好き。だから私たちはたぶんそこの隙間には入っていけないと思うんだ」

 

言っていて、胸の奥が段々圧迫されるような感覚に襲われる。目頭が熱い。

 

視界に映るゆきのんの肩は少しだけ、震えている気がした。

 

「ヒッキーは自分で選んだ。いままでヘタレてばっかだったくせに、今度はちゃんと自分の意志で決めたの」

 

「でも...!でも...」

 

私は今、泣いていた。涙はなんとか堪えた。それでも泣いていた。

 

「私ね」

 

置いて行かれた鞄を見た途端、涙が溢れ出した。

 

 

戸塚の表情が見えにくいのは空が暗いという事もあるが、そもそもこの公園に明かりが少ない。

 

加えて周辺一帯は人が少なく、この公園は広い割に遊具が少ないのでやけに過疎って見える。

 

しかし目の前の女の子からは確かな熱を感じる。

 

赤くした目頭、そこから溢れ出す涙、荒くなった呼吸。

 

その女の子にもう一度、伝えたい言葉を伝える。

 

「好き、なんだ」

 

その言葉を聞いた瞬間、戸塚は俯いていた顔を勢いよく上げ、そのまま俺に抱きついたと思い難いほど強く体当たりをした。

 

「うあああぁぁぁあああぁあああ...ばかああああぁぁああぁぁ...」

 

バカ、なんて言葉も使うんだなと、またしても場違いなことを思った。

 

戸塚は声を出して叫ぶように泣いた。その叫んだ際の吐息と涙のおかげで胸が温かい。

 

震える体。しがみつくように背中に回す小さな手。

 

そこから伝わる熱は、言葉をも超えるほどの戸塚の心が伝わった気がした。

 

『ごめんなさい、ごめんなさい。愛してます』と。

 

だから俺も伝えた。『本当にすまなかった。愛してる』

 

するとその途端、戸塚はぐしゃぐしゃになった顔を上げ、

 

「っん...」

 

長くて深い、キスをした。

 

 

「あの、そろそろちょっと苦しいかなぁ、なんて...」

 

「...」

 

戸塚と長いキスを交わし、しばらく抱きしめあっていた。

 

そう、文字通りしばらくだ。

 

おかげで腰が痛い。

 

「戸塚さん?」

 

「...まえ」

 

ぼそり、と戸塚が胸の中で呟いたが、その言葉は俺のブレザーにかき消される。

 

「なまえで、呼んで」

 

「えと、戸塚?」

 

「違う!下の!」

 

急だなと思ったが、戸塚が頑固なのは知っているし、今回の件でお互いの距離が一層縮んだのはお互いがよくわかっている。

 

その”証”というやつなのだろうか。

 

「...さい、か」

 

女子を名前で呼ぶなど小町とどこかのロリにしかしていなかったせいで、むず痒さを覚えた。

 

「...うん」

 

どこか戸塚の口調も変わった気がする。これも前進、という解釈でいいのだろうか。

 

「それで、彩加さん。腰痛いんですけど」

 

「八幡、浮気するから」

 

「...わかった」

 

ここで否定をしなかったのは、俺の意志を伝えるためだ。

 

二度としないという意志を。

 

そのためなら腰の一つや二つ、心臓の三つや四つはくれてやる。

 

にしても、ここまで拗ねている戸塚は初めて見た。

 

...悪くない。大変()い。花丸あげちゃう。

 

「わかってはいるんだが、このままだとまたお互い風邪引くぞ」

 

「それも、そうだね。僕はそれでも...」

 

「ん?」

 

「な、なんでもない!とにかく、次はないからね、八幡!」

 

やっと俺から半歩離れ、ピンと人差し指を立てる。

 

「あぁ、誓う」

 

これが、俺と戸塚の初めての喧嘩。そして、初めての仲直り。

 

喧嘩、というのも少し違う気がするが、その辺は気にしない。

 

すると、ブレザーのポケットの中でスマホが音を出さず震える。

 

『☆★YUI★☆

ヒッキー、明日終業式が終わったら部室来て!絶対ね!』

 

俺は簡潔に『わかった』とだけ返信する。おそらく、今日の一色のことだろう。

 

スマホをブレザーにしまうと、戸塚の後ろのベンチにあるテニスラケットの入っているバッグが視界に入る。

 

「とつ...彩加、部活は?」

 

「今日は部活は休みでサークルがあるんだけど、今日はいいや」

 

「...そうか」

 

 

公園を出、すっかり暗くなった空を見上げながら彩加と帰路につく。

 

気温は例年の12月末よりもやや低く、鞄だけでなくコートも学校に忘れた俺にとってかなり寒い。

 

しかし、自然と繋がれた手は、それを吹き飛ばしてくれるほどの熱があった。

 

やがて駅前まで来たが、その手が解かれることはない。

 

「今日は、ごめんね」

 

「いや、お前が謝るのは違う。悪いのは俺だ」

 

「ううん、僕も何も言わないで逃げたから」

 

「彩加は悪くない、すまなかった」

 

すると彩加は頬をぷくっと膨らませ、むーっとこちらを睨む。可愛くて上目遣いになってるけど。

 

「僕が悪いの!!」

 

「いやいや、どう考えても俺だから。浮気だからほとんど」

 

「そうだね、八幡が悪い」

 

「いやなんでだよ...」

 

ふふっと、彩加は見せたことのない小悪魔な微笑を浮かべる。

 

その仕草に、不覚にもドキっとしてしまった。

 

「ま、まぁなに。また明日な」

 

「うん、明日!」

 

駅前の喧騒に負けない声で別れを告げた彩加は、左手を振る。右手は、胸のあたりで握りしめていた。

 

俺は左手をポケットに突っ込んで、相変わらず騒がしい人波をかき分けて改札を抜けた。

 

 

「ところでお兄ちゃん、彩加先輩誘った?」

 

「...あ」

 

「まったく。わかってる?イブ明後日だからね?」

 

「いや、聞いてくれ。24と25で悩んでだな...」

 

そう、24(にし)っと笑うか25(にこ)っと笑うかの二択。この選択次第じゃ全然にっこにっこに―!出来ないから。

 

「小町的に25日はお兄ちゃんと過ごしたいかなーテレテレ。お兄ちゃんとサーターアンダギー食べたいかなーテレテレ」

 

「可愛いなお前」

 

「...」

 

ちょっと、そんなどぶの中のゴキブリを見るような目で見ないでください。

 

「お兄ちゃん、それ浮気だよ?」

 

「...そうなのか。すまん。全然可愛くなかった」

 

浮気、ダメ絶対。

 

「それはポイント大暴落だから。妹ならセーフだよ、ほら褒めて褒めて」

 

「どっちだよ...」

 

わしゃわしゃと小町の頭を撫でながら今日の事を振り返る。

 

何故一色はあんなことをしたのか。

 

一色が俺のことを好きだなんて考え難い。あいつは葉山が好きなのだ。

 

あの後の一色の落ち込み方を見る限り、何か理由があるのだろうか。

 

「お兄ちゃんなら大丈夫、根拠はない!」

 

何も言っていないのに、俺が何か悩んでることをこの超出来すぎる妹は察してしまうのだ。

 

「そうだな、お兄ちゃんだからな」

 

一色のことは結局わからず、俺はいつもより数時間早く布団へ潜った。

 

 

「あ、先輩。どうもです」

 

「遅いよヒッキー」

 

校長のナイル川並みに長い話を乗り越え、HRを乗り越え、浮かれる生徒の大群を乗り越え部室に来ると、二人の女の子がいつもの席に座っていた。

 

雪ノ下はいない。

 

「んで、話ってなんだ」

 

特に意識してはいなかったが、自然一色の方へ目線が走ってしまう。

 

それもそうだろう、ほぼ浮気相手なのだから。

 

それに、昨日あんなことをした意図も聞きたい。

 

「先輩ってほんとにぶちんですね」

 

「...は?」

 

入って早々何故か(けな)された俺は自分でも驚くほど阿保っぽい声が出た。




芳香剤を変えました。戸塚愛してる。
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