扉の先は地下とは思えない程に広い空間が広がっていた。
円形に造られた部屋の中央には巨大な魔法陣が描かれており、その周囲には法則性が一切見当たらない大小様々な物が散りばめられている。
流理は牢屋を出る際、両手首に魔力の流れを阻害する鉄枷を嵌められていた為、いつも通りに探査の魔術を使えずにいた。
鼻を塞がれた犬のように流理がむず痒そうに
「ここは私の工房も同然だ。自由になったからといって不審な真似をすればただでは済まさん。いいな?」
「分かりましたから早く外してくださいよー。箸より重たい物を持ったことがない小生の白魚のような手が鬱血して醜くなるじゃないですか!」
「貴様・・・・・・やはり一度痛めつけておくべきだったか」
「おやおや、そういう性癖の持ち主でしたか。生憎ですが小生にはその
怒りで頭が沸騰しそうになるのを冴木は懸命に堪えた。どうにか無表情をキープながら、軽口には皮肉で応酬してみせる。
「・・・・・・どうやら、貴様は恥じらうと口数が多くなる
「はっはっは、貴方こそ動揺すると不自然に顔が強張るのでバレバレですよ。賭け事をしたらいっつもカモられる質でしょう?」
冴木は無表情を取り繕ったまま、流理は笑顔の仮面を貼り着けたまま拳で語り合おうと身構えるが、枷を嵌めたままであったことに思い至る。
二人とも睨み合ったまま無言で歩み寄ると、互いに手を差し伸ばして錠を外した。
流理は枷が外れた瞬間に一発お見舞いしてやろうかと脳内で作戦を練っていたが、魔力の流れが回復した途端に感じ取った異様な気配の数々に思わず息を飲んだ。
「これはまさか・・・・・・ここに散りばめられている物全てが聖遺物なのか!?」
「ご名答。我が部隊が半年近くかけ、日本中を駆けずり回って蒐集してきた国宝級の品々だ。貴様には、これらを用いて英霊召喚をして貰う」
流理の中でどこか空想めいていた英霊という存在が、俄かに現実味を帯びて目の前に現れたかのようにさえ錯覚させられた。
流理は意識を切り替えて「場」を観察する。すると、聖遺物のみならず魔法陣からも通常では有り得ない規模の魔力が通っているのが視て取れた。
「この魔法陣は龍脈と直結しているのか!?いや、そんな真似をすればとっくに暴発していてもおかしい規模の力が満ちている・・・・・・。これは一体どうやって陣を維持しているんだ?」
「これも聖杯の力の一端という訳らしい。英霊を一国につき七騎も召喚しようというのだ。この程度の魔力供給なくしてそんなことは不可能だろう」
人並み外れた魔力量を誇る流理ですら気圧される程の濃密な魔力。
神の奇跡を一切信じない無神論者ですら、これだけの力を目の当たりにすれば宗旨替えをしてしまうであろう神秘がそこには満ちていた。
不意に流理の鼓動が激しく高鳴り始める。
流理は熱に浮かされたような覚束ない足取りで魔法陣に迫ろうとする――が、背後から肩を掴まれて正気に戻った。
「我々からの贈り物をいたく気に入ってくれたところ申し訳ないが、召喚するにも手順というものがある。まずは魔術協会から提供された英霊召喚の手引書を読め」
「いやー、小生としたことがつい先走ってしまうところでしたね。これはこれは素敵な贈り物の数々をどうも有難う御座います」
流理は照れ隠しなのか、わざと慇懃に礼を述べて手引書を受け取った。
そして好奇心に目を輝かせながら次々と
流理は薄くとも内容の濃い書物を四半時も経過する頃には読み終え、非常に満足そうな顔をして冴木に返却した。
「西洋の魔術というのも実に興味深い。機会があればじっくりと学んでみたいものです」
「お気に召してくれたようで何よりだ。それで、肝心の手順と呪文は頭に入っているのか?」
「勿論ですとも。
「そうか。可能な限り多く英霊を使役する訓練も積ませておきたい。覚えられたのなら早く準備をしろ」
準備をしろ――と言われ、流理はまず始めに身嗜みを整えることにする。
いつもの癖で懐を漁るが、そこには何も入っていなかった。
「あのう、小生の式札はどうしましたか?」
「それなら貴様を気絶させた後に私が没収していた。これだろう」
冴木は懐に入れていた紙の束を取り出した。
流理の感覚でも中にあったことを捉えられなかった辺り、軍服もそれなりの魔術礼装なのだろう。
「ええ、それです。ご丁寧に保管頂いたようで恐悦至極、感謝感激雨霰」
流理は適当に礼を述べながら手を伸ばして式札を受け取ろうとするが、彼よりも背の高い冴木が頭上高くに掲げることで受け渡しを拒否する。
イラついた流理が殴って体をくの字に曲げてやろうか、と画策すると同時に冴木が口を開いた。
「返すのは構わん。だが、特に必要とするような状況でもないと思うが、一体どうするつもりだ?」
「そんなの、身支度をする為に決まってるじゃあないですか。それぐらいの魔術は使っても構わないですよね?」
「・・・・・・貴様、この式札を一枚作るのにどれ程の労力をかけているんだ?」
「こんなの墨と筆があれば幾らでも書けますよ。強いて言えば、事前に魔力を込めておくのがちょっと面倒なぐらいですかね」
想定外の返答に冴木は目眩を覚える。
人それぞれ得手不得手はあるものの、もしも冴木であれば十枚も用意するだけで丸一日はかかるであろう代物をちり紙同然に使い捨てようとする流理の神経が信じられなかった。
冴木は脱力して腕を下げると、投げやりな感じで式札を流理へと返却する。
「これがなくても魔術は使えますけど、やっぱりこの方が楽ですから」
流理は式札を一枚だけ残して懐に仕舞うと、流暢かつ高速に呪文を唱えて即座に術式を完成させる。
「
すると、流理の全身を水蒸気が包み込み、体や衣服に染み付いた汚れや匂いを洗い流していった。
圧倒的な魔力の無駄遣いに、冴木は内心空いた口が塞がらない。
「おや、そんなに珍しい術式でしたか?単に水で全身の皮脂を浮かせて洗い落としただけなんですが」
「・・・・・・どうやら、私の目の前に居るのは日本一の大馬鹿者だったらしい」
紙幣を燃やして灯にする金持ちを目撃した貧乏人の気持ちがよく分かる今日この頃である。
何処か遠い目をして会話の噛み合わない冴木の様子に、流理はキョトンと小首を傾げた。
ひと呼吸置き、互いに落ち着いたタイミングを見計らうと、冴木の方から声を掛けた。
「気は済んだか?」
「ええ、やはり人に会う時は身嗜み整えるのが礼儀ですから。特に、相手が英霊ともなれば尚更でしょう」
「・・・・・・・・・・・・そうか、そういうものなのかもしれないな」
浮世離れした流理の言動に頭を抱えたくなる冴木だったが、必死に平静を取り繕わんと努力する。
正直な話、無駄な足掻きに過ぎなかったが、気休め程度にはなっていた。
キリキリし始めた胃を宥めつつ、冴木は儀式に万が一でも不備のないよう最終確認を行う。
「呪文は諳んじられるな?」
「ええ」
「体調と魔力は万全だな?」
「ええ」
「何か心残りはないな?」
「ええ。・・・・・・それにしても、貴方ってなんだか母親みたいですね」
「大事な儀式の前に巫山戯るのも大概にせんか貴様あああああ!!」
とうとう冴木も我慢の限界に達した。
普段の冴木を知る者ならば天地がひっくり返ったような衝撃を受けるであろう怒号を前にしても、流理はどこ吹く風で受け流す。
「大事の前だからこそ緊張を解そうという、小生からの僅かばかりの心遣いだったんですがねぇ」
「私の緊張を解してどうする!?それと貴様は端っから緊張などしていなかっただろうが!」
「こう見えても小生、実はとーっても繊細なんですよ?」
「自分のことなのに語尾を疑問符にするな腹が立つ!!」
急激な血圧の上昇に脳の血管が悲鳴を挙げるが、怒り心頭な冴木は気にも留めず心に溜め込んでいた膿を吐き出していった。
溜まっていたものを出し尽くし、グッタリとしながらも何処か憑き物の落ちたような表情をした冴木と、飄々としながらも何処かウンザリとしたような表情の流理が向かい合って石畳の上に胡座を掻いていた。
「もう少し堪え性のある方だと思っていたのですが、案外我慢が利かないんですね」
「・・・・・・もう貴様の口車には乗らん。いい加減、召喚の儀に取り掛かるぞ」
賢者のような落ち着きを取り戻した冴木の態度に、これ以上弄っても面白味がないと判断した流理は真面目に仕切り直しをすべく腰を上げた。
釣られて冴木も腰を上げ、今度こそ認識の共有を図る。
「英霊はこの部屋にある触媒の中から自動的に召喚者と相性の良い者が選定される。そのクラスは必ず七騎それぞれに別れる仕組みだ」
「さっきの手引書にも召喚の法則が書いてありましたよ」
通常の聖杯戦争であれば一人の魔術師につき一人の英霊がタッグとなるので、用意する触媒も一つで十分だが、今回は一人につき七騎分も用意しなければならない為、幾つかの救済措置が用意されている。
一つは、触媒が足りない場合、土着の英霊が無作為に選出されること。
もう一つは、逆に多くの触媒を集めた際、その中から聖杯が召喚者と相性の良い英霊を優先的に選出すること。
他にも大小様々な条件が提示されているが、今回は後者の条件が当て嵌まっていた。
流理が召喚の方法について理解の色を宿していることを確認し、冴木は英霊召喚の始まりを声高に告げる。
「日時に関しても申し分ないな。それではこれより、英霊召喚の儀を執り行う!」
冴木の宣言に一瞬の遅れもなく反応し、流理は全身全霊を込めて詠唱を開始する。
「素に銀と鉄。礎に石と契約の大公。降り立つ風には壁を。四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ。
――告げる。汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ。
誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者。
汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ――!」
魔法陣を満たしていた莫大な魔力が、流理の魔力という指向性を得て宙に渦巻き、やがて七つの影を産み落とす。
すると、人の形をしながらも人智を超越した個の力を宿す何者かが形成された。
英霊――それは人類史にその名を刻む神々や、それに匹敵するだけの力、もしくは功績を世に残した偉人達の総称である。
本来であれば人の身で従えるなど一騎足りとも不可能である筈の存在が、今まさに実体を伴って出現しようとしている。
自らを上回る存在の顕現に畏怖の念を覚えると同時に、流理は果てしない高揚感にも包まれていた。
それは決して強者を隷属させられるなどという低俗な気持ちからではない。
自身よりも遥かに優れた相手と相見えることができる僥倖に流理は歓喜しているのだった。
魔力による局地的な嵐の奔流が止むと、そこには七人の超越者が現界していた。
「お初目にお目にかかります、我らが
真っ先に声を挙げたのは、七騎の先頭中央に位置する美丈夫の青年だった。
藍色を帯びた漆のような髪は肩口で切り揃えられ、整った相貌からは涼しげな目元が覗いている。
セイバーはこちらを一瞥した後、顔を伏せて片膝立ちに頭を垂れながら口上を述べていた。
それが終わると、続いて流理から見てセイバーの斜め左後ろに位置する男が快活に名乗りを挙げた。
「拙者はアーチャーの
一風変わった挨拶に流理は面を食らう。
次はセイバーを中心として反対隣に位置する厳つい顔の大男が口を開いた。
「某はランサーの
朴訥としているが、一本筋の通った芯の強さを感じさせる声だった。
引き続き、今度は後列の左端にいた最年長と思しき禿頭の男が口を開く。
「儂はライダーの
ライダーは姿勢を崩して号外不遜に言い放つ。
呆気に取られる流理を余所に、次はその隣の美しい黒髪を腰まで伸ばした妙齢の女性が動きを見せる。
「わたくしはキャスターの
彼女は十二単を身に纏いながらも、楚々とした所作で両手を着いて綺麗にお辞儀をした。
続いて挨拶回りは隣の黒装束へと引き継がれる。
「拙者はアサシンの
何だか胡散臭い日本語を話す正体不明の輩だった。
そうして漸く一巡し、最後の一人の番がやってくる。
「・・・・・・バー、サー、カー・・・・・・ヤマ、ト・・・・・・タケ、ル」
バーサーカーは薄手で少々地味な色合いの着物を一枚だけ身に着け、肩甲骨よりもやや下に位置する髪の先端を一つ結びにした見目麗しい少女だった。
言いたいことは山程あったが、中々上手く言葉が纏まらない。
取り敢えず、流理はサーヴァントを真似して自分も自己紹介をすることにした。
「えーっと、皆さんのマスターになりました周防宮流理です。聖杯戦争は初体験となりますが、優勝目指して一緒に頑張りましょう、おー!」
『・・・・・・・・・・・・おー!?』
完全にダダ滑りだった。
武士の情けか前列の三人とアサシンが二拍程遅れて困惑気味に返事をしてくれたが、中途半端な結果が余計に流理の心を深く抉る。
穴があったら今すぐ入りたい気持ちで一杯になるが、そもそもここが地下であったのを流理は現実逃避気味に思い出した。
居た堪れない空気が全身に突き刺さり、方向転換をすべく流理は冴木へと話を振った。
「冴木さん、こんな辛気臭い所では弾む話も弾まなくなりますので、何処か別の場所に移動しましょう」
「今のは場所の所為ではなく完全に貴様の落ち度だが・・・・・・まあ良いだろう。地上へ出る前に一応忠告しておくが、不用意な真似をすればマスターの意思とは関係なく龍脈からの魔力供給を遮断する。各自そのつもりで行動しろ」
流理のみならず英霊にまで釘を刺す冴木の徹底振りに、流理は苦笑いを浮かべて感心する。
自分も少しぐらいは見習おうと心に誓い、流理は霊体化したサーヴァントらを引き連れ冴木の後に続くのだった。