彼女たちをしっかりと描写できていればいいのですが……。
下心、というのは誰しも持ち合わせているものだと思う。
例えば、バイトをするのはお金が欲しいから。あるいは、経験を積むため。もしくは、その職場に気になるあの子がいるから、なんてことも有り得る。
自分は今、バイト中だ。機材の搬入であったり、セッティング、小物の有無のチェックまで。一年ほどの経験は、傍観者から準レギュラーになれる程度には活かされている。指示待ち人間から、主体的人間に成長した。
仕事をいち早く終わらせたという錯覚にはもう慣れた。待ち望んでいたのは、仕事が終わったという解放感ではなく、その後の出来事。自分が、アルバイトをしている理由(下心)にある。
鞄の中のスケジュール帳と腕時計を確認する。
時刻は午後3時手前。シアター組のレッスンがもう少しで一段落するところだ。
(確か、レッスンルームには折りたたみ式の机がまだあったはず。雪歩さんは……外で収録中か。お茶セット、借りるってメッセージ送っとこうかな)
――お茶セットお借りします。
事務所に足を運び、いつもの戸棚からお茶セットを取り出す。茶葉の袋を開けてみれば、ちょうどあと一杯分の量しか入っていない。
(買い足しておかないと)
お茶を入れた後、持参したウイロウと共にお盆の上に乗せて、事務所からレッスンルームへと向かう。
「お疲れ様です。今大丈夫ですか?」
「あら、連太郎くん。お疲れ様です。ちょうど一段落ついたところなの」
翡翠の瞳が彼、連太郎を捉えると、その顔に梅の花のような気品溢れる笑顔が咲いた。それを見て思わず彼も笑みを浮かべて「歌織さんを見てると、心が落ち着きますね」と返した。この言葉に彼に笑顔を向けた淑女、桜守歌織は「そ、そうかしら」と戸惑いながら部屋に居る他二人に目を配る。
「そうねぇ。歌織ちゃんは包容力があるから、年下の子にウケが良さそうだもの」
言いながら、立ち上がってその場から動いたのは、プロポーション抜群の美人女性、百瀬莉緒だ。彼女は部屋の端に収めてあった折りたたみ式の机を引っ張り出し、「中央でいいかしら?」と連太郎に訊いた。彼は「お願いします」とお盆を持ちながら器用に一礼する。
「連太郎くんも、まだまだ子供ってことね。お姉さんに甘えたい年頃? でも、それなら私でもいいはずだから……もしかして、歌織ちゃんにメロメロ、とか!?」
「えっ!」
難問の答えを見つけ出したように、勢いよく顔を上げて輝く瞳で彼を見つめる者が一人。元来の童顔も合わさって少女に見える彼女は、その実は24歳と、シアター組最年長、みんなのお姉さんだ。緩い三つ編みを期待に揺らしながら「どうなの、どうなの?」と訊いてくる様子はおマセな子供に見えるが、シアター組最年長である。
最年長者の発言に、淑女の瞳が驚きに揺れ動く。レッスン後の熱も引いてきたというのに、その頬だけは仄かに赤みが残っている。
「このみさん、冗談でもそれ笑えません」
桜守歌織。父親が自衛隊に所属しており、その階級は不明。噂では謎の組織に密かに守られているとか何とかいわれているが、それは真実であると彼は知っている。現に連太郎も一度、その謎の組織の方々に「お話」をされたことがある。あの緊張感はもう二度とゴメンだと、最年長者こと馬場このみの発言には苦笑もできなかった。
「あと、メロメロなら恋文の一つでも書いてますから」
昔から男女の付き合い方はそこから始まりますから、と締めくくると、今度は机を運んできた莉緒が口を挟む。
「連太郎くんは奥手ねぇ。最近話題の草食系男子、ってやつかしら?」
「ただいま絶食中です」
「でも、メロメロ! ってことはないにしても、歌織ちゃんのこと、気になったりしないのかしら?」
「も、もう! 莉緒ちゃんったら。そんなに聞いても、連太郎くんが困ってしまうだけよ」
淑女はそう言いながら、「椅子をとってきます」と言って机と同じく部屋の隅にあるパイプ椅子取りに立ち上がる。
「……それで、歌織ちゃんのこと、どう思っているのかしら? お姉さん口が堅いから。ほらほら、言ってみなさい」
本人が少し離れたことをいいことに、最年長者は瞳を輝かせて連太郎に詰め寄った。傍から見れば、兄に欲しい物を強請って期待のまなざしを向ける妹にしか見えない。助け舟を求めて視線を泳がせるが、目が合ったのは「早く話しちゃいなさい♪」と訴えてくる美人だった。
幾つになっても、女性というのは恋バナが大好きなのだということを、まざまざと思い知らされる。
ただ、この話を膨らませるのも後々実に面白そうだと彼の直感が言っている。なら、本心をそのままゲロってしまおうと、その口元に笑みを浮かべて口を開く。
「第一印象で言えば、美しい、という言葉がピタリと当てはまりますね」
おおっ、と二人から声が上がる。初めて得られた情報に、女性陣は「それで、それで?」と先を促してくる。
「例えば……ほら、つい先日にも星梨花ちゃん、育ちゃん、桃子先輩、環に音楽教室開いていたことがあったんですけど」
盗み見していたわけじゃありませんよ、と前置きをしてから、彼は言葉を続ける。
「鍵盤に指を走らせる時、奏者って普通は凛々しい、格好良い、って印象を与えますよね。でも、柔らかく微笑みながら鍵盤を走らせる姿を見たときに、自分は美しいと感じました。それも、人を寄せ付けないようなものじゃなくて、柔らかく包み込むような美しさ、というのは歌織さんにしか出せない魅力だと思います。子供組が歌織さんに教えを求めるのも、その魅力に安心を感じるからだと思います」
歌織さんならではの人徳ですね、と彼は言葉を紡ぎ終える。共感を得られて話が進むかな、とふたりの様子を見てみれば、目を縦横無尽に泳がせて驚いている年長者の姿と、目を見開いて瞳を輝かせる美人の姿が目の前にある。「あれ、アプローチの仕方間違えたかな」とのんきに首をかしげながら、自身の行いを省みる。しかし、やはり原因がわからなかったので、彼は二人に問いかける。
「共感できませんでしたか?」
その言葉に、最年長者は「共感はできるんだけど……」と言葉を濁す。共感できるのならどうして話が弾まないのだろう、と彼はますます現状が分からなくなり首をかしげる。
「ウフフ、もうっ、連太郎くんったら。歌織ちゃんにベタ惚れじゃない!」
「ベタ惚れ……? いや、あくまで自分の正直な歌織さんに対する印象なんだけど」
「それがベタ惚れだって言っているのよ! 女の子に囲まれている環境で全然そういう話を聞かないから、てっきり男色なのかと思っていたけど、安心したわ。ちゃんと男の子してるじゃない!」
しなを作って体を左右に動かす美人の姿は、美人の枕詞に「残念」という文字が浮かばせるような行動だ。
これには彼も「えぇ……」と困惑を隠せず目を瞬かせた。それは彼女の残念さに対するものではなく、男色などと意味不明なことを言っていることもそうだが、今の発言がどうして恋愛に移行されるのか、彼にとっては疑問が増すばかりだからだ。
(……これが乙女思考ってやつかな)
だとすれば、もうまともな反応が今の残念美人から返ってこないと肩を落とす。最後の希望である最年長者に「何か言ってあげてください」と目で訴えると、彼女は気まずそうに目をそらした。その反応から仲介は期待できないと悟り、彼は真剣な顔で残念美人に言葉をかける。
「莉緒姉。印象が良いと愛しているは別物だから。『ミロのヴィーナス』を見て美しいとは思っても恋はしないのと同じだから」
「いや、それもどうなのかしら……。遠まわしに歌織ちゃんのことを、芸術品のように美しい、と言っているのと同じで……新手の褒め殺し?」
時折彼方に視線を配りながら、最年長者は呆れたような視線を彼に向ける。彼はその視線を受けながらも、堂々と答える。
「確かにそうですけど。まぁ、本人に聞かれていなければ褒め殺しもなにも……」
最年長者は今度こそ呆れ果てた様子で半目になり、彼の後ろを指差した。未だにトリップしている残念美人は何も反応していない。しかし、今発言を止めるように後ろを指差す行動の意味するところは、一つしか思い浮かばない。まさか、と思い彼が振り返ると。
「今は……その、見ないで、ください」
両手で顔を隠し、耳まで真っ赤にして俯いて悶えている、恥じらう淑女の姿があった。衣擦れの音のように小さな声が、確かに彼の耳に届く。思わず天を仰ぎ、他の二人には聞こえないほどの声量で問いかける。
「その、いつから?」
「……音楽教室の、話から、です」
彼はもはや言葉を継げなかった。褒め殺しどころか、羞恥によるオーバーキルを決めてしまっていたことに気づき、いたたまれない気持ちで胸が張り裂けそうになる。
長く息を吸い、小さく吐く。気持ちを一度落ち着けた後、彼は持っていたお盆を机の上に置く。椅子は恥じらう淑女がセッティングしていたので、後はティータイムの配膳をするだけ。手早く日本茶を席に配り、持参した漆塗りの小皿の上にウイロウを乗せて配膳を終えると。
「……すみません。それでは、ごゆっくり」
ちょっと待て、という視線が最年長者から送られるが、彼は現実逃避気味に足早にレッスンルームから去っていった。残されたのは、恥じらう淑女と、トリップした残念美人、この場を冷静に把握して死んだ魚のような目をする年長者の三人。
「カオスね」
ふっ、と諦めの境地に至った笑いが最年長者の口からこぼれるが、それを拾う者は誰ひとりとしていなかった。
「……梅の酸味が憎たらしいわ」
事態を収拾した馬場このみは、間違いなく最年長者であり、みんなのお姉さんであった。糖質控えめ、程よい酸味のウイロウに舌鼓を打ちながら、日本茶を一口、そして息を吐くように愚痴をこぼした。
「んーっ! 青春の味ね!」
終始イケイケ、後半はトリップしていた百瀬莉緒は、間違いなくこの場一番の幸せ者だ。彼女の頭の中では恋バナの後に甘酸っぱい青春の味を味わえる。理想的展開とはまさに彼女の認識する現状のことであり、満面の笑みを浮かべティータイムを楽しんだ。
「次から、どのような顔をして会えば……」
今も熱の引かない顔で、半ば放心状態の淑女こと桜守歌織は、間違いなく今回一番の被害者である。褒め殺しに遭った上に、お世辞ではなく本心だと堂々と宣言していたことが、より大きく彼女の羞恥心を引き上げる。からかいはなく、悪意もない褒め言葉のために怒ることもできはしない。感情の矛先は目標を見失い、彼女の中で沈殿する。
「……あら、おいしい」
仄かにきいた梅の酸味と、控えめな甘さが口の中でやさしく波紋する。日本茶を口に含めば心は波一つ立てないほど穏やかになり、ほっと一息が溢れる。
「そうでしょ? これ、連太郎くんの手作りみたいなのよ。最近の男の子はほんとに器用なんだから」
「……っ!」
彼の名前が出た途端、淑女の顔が一気に沸騰する。正気に戻っていたというのに、また頭を悩ませてしまう。
その様子を見た最年長者が説明していなかったことに気づき、残念美人に先ほど起こったことを耳打ちすると、残念美人は慌てた様子で淑女に謝罪とフォローを入れる。そのフォローがどうにもフォローになっておらず、結局最年長の彼女がその場を収拾することになるのであった。
オレンジ色がコンクリートを照らす頃。帰路の途中にあるビル街を歩いていた連太郎の前に突然、筋骨隆々とした黒服サングラスが姿を現した。
「久しぶりだな、少年」
見て、声をかけられた瞬間、彼の顔が引きつった。愛想笑いを浮かべながら「お久しぶりです」と答えると、黒服は満足そうに頷いて口を開いた。
「ところで、少年に一つ聞きたいことがあるのだ。何、時間は取らない。素直に話してもらえれば、日が沈む前には家に送り届けよう」
黒服はビルとビルの隙間の裏道に親指を向けてそう言った。サングラスの奥にある瞳は視線だけで人が殺せるほど鋭く、拒否権はない、と言葉もなく伝えている。背後少し見てみれば、同じような黒服がもう二人ほど。右は裏道、左は道路。
「来てくれるな?」
「……はい」
一人の少年が、ビルとビルの間、闇の中に消えていった。
オリ主は闇の中にドナドナされていきました。
めでたし、めでたし()
※ちなみにオリ主は日が沈む前にちゃんと家に帰してもらえました。
感想、コメント、ご指摘など、心よりお待ちしております。
……歌織さんを可愛く描きたかっただけなんや。届け、この想い!