IS インフィニット・ストラトス ~クロガネを宿し者~   作:Granteed

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第三十三話 ~変化と感謝~

(あー……気持ちよかった)

 

統夜は“男”と書かれた暖簾を潜りながら、深呼吸する。時刻は午後八時。既に夕食も済ませ、各自自由時間が与えられていた。

 

(まだ部屋に皆いるから、帰らない方がいいよな)

 

統夜と一夏も夕食を終えて自室でのんびりしていたのだが、途中から千冬や箒達が部屋に侵入してきた結果、呆気なく追い出されてしまったのである。結果、暇を持て余した統夜は宿にあった温泉で体を休めていた。

 

(一夏はもう戻っているかな……)

 

手近にあったマッサージチェアに座り込み、周囲を見渡してみるが人の気配は全く無い。大きく息を吐きながら椅子に体を預けた所で、浴衣に包まれた体の節々が悲鳴を上げた。

 

(痛っ……まだ治らないのかよ)

 

思わず右肩を左手でさする。体が悲鳴を上げている原因は、昼間のビーチバレーの大会だった。

 

(織斑先生、本当に人間かよ……?)

 

統夜がそう思うのも無理は無い。普通の状態ならともかく、僅かとは言えファクターとしての身体能力まで使っていた状態の統夜の動きに生身でついてきたのだ。普通の人間なら肉離れが起きてもおかしく無いレベルの動きをしても、千冬は軽々と追従してきた。正直あの動きには尊敬を通り越して僅かばかりの恐怖を覚えてしまった。

 

(まあ……姉さんもあの位出来るし、やっぱり鍛えている人は違うって事なんだろうな)

 

「あー、とーやんだー」

 

「のほほんさんか」

 

“女”と書かれた暖簾をくぐり抜けてきたのは、頬を赤く染めた本音だった。本音は顔を弛緩させたまま、まるで夢遊病者の様にふらふらと歩いて統夜の隣の椅子に座り込む。

 

「何か調子悪そうだけど、大丈夫か?」

 

「温泉でちょっとのぼせちゃったー」

 

手をパタパタと動かしながら、顔に風を送る本音。統夜も手近なサイドテーブルの上にあった団扇を持って、本音の顔を扇いだ。

 

「ありがと、とーやん」

 

「のほほんさん一人で温泉に入ってたの?」

 

「ううん、かんちゃんも一緒だよ。まだ入ってるけど」

 

本音は顔を少しだけ動かして視線で暖簾の奥を指し示す。

 

「ふーん。簪がね……」

 

思わず暖簾の奥の光景を想像してしまう。月明かりに照らされて幻想的な光を放つ温泉の中に、一人だけ少女が浸かっている。特徴的なスカイブルーの髪は湯に濡れて艶めかしく光を放っている。そして空に浮かぶ満月を見上げているのは一糸纏わぬ一人の少女──

 

(……って何考えてんだよ!!)

 

浮かんできた妄想を、頭を勢い良く振る事で掻き消す。しかしそんな考えを見抜かれたのか、本音は統夜に半ばしなだれかかる様に顔を覗き込んできた。

 

「……とーやん、今何考えてたの?」

 

「な、何でも無い!何も考えてないから!!」

 

「へー、私はてっきりかんちゃんの事を考えてると思ったけど、違うんだー」

 

「ぐっ……」

 

「私、えっちなのはいけないと思うなー」

 

本音が見上げている統夜の顔は、真っ赤に染まっていた。それは決して、つい先ほどまで温泉に浸かっていたせいだけではないだろう。にやにやと笑いながら統夜に乗りかかっていた本音は唐突に隣の椅子へと移動した。

 

「まーでも、私はとーやんとかんちゃんだったらいいと思うなー」

 

「な、何がいいんだ?」

 

「だってかんちゃんがあんなに笑ってるの、久しぶりだもん」

 

のぼせているせいか、それともわざと聞いていないのか、本音は統夜の言葉に耳を貸さず自分一人で話を進める。統夜は若干自分の言葉が無視された事に憤りを感じたが、それよりも本音の言葉の中のある単語が気になった。

 

「簪が笑ってるって?」

 

「うん」

 

「それぐらい普通だろ?」

 

「普通じゃないの。かんちゃんがあんな風に笑ってるの、私は久しぶりに見たよ」

 

「久しぶり?」

 

「うん。こっから、ちょっと長い話になっちゃうけど、いい?」

 

言葉の後に続いてこくり、と頷いて肯定の意思を示す統夜を見た後、本音はゆっくりと語り始めた。

 

「私、かんちゃんとはむかーしからのお付き合いなんだ」

 

「幼馴染みみたいな?」

 

「そうそう。それでね、昔はかんちゃんも良く笑ってたんだ。それこそ、今よりずっと」

 

椅子に体を預けたままの本音は昔を懐かしんでいるのか、目を閉じて頬を緩ませていた。

 

「でもね、たっちゃんさんがロシアの国家代表になった頃からかなぁ。周りの人がかんちゃんとたっちゃんさんを比べ始めたんだ」

 

「たっちゃんさんって、楯無さんの事?」

 

「うん。あ、勿論かんちゃんが日本の代表候補生なのは、かんちゃんが頑張ったからだよ」

 

「ああ、それはわかるよ」

 

一時期とはいえ統夜は簪の横で作業の傍ら、彼女の事をずっと見てきた。自分の仕事に没頭する集中力、型に捕らわれない柔軟な発想力、高い情報処理能力、そして彼女自身の持つ目標を達成しようとする強い意思。いずれも普通の人間が持ち得る物では無かった。それらを持ち得る簪が如何にして日本の代表候補生となったかは、想像に難くない。

 

「でもね、周りの大人達はそれだけじゃ納得しなかった。かんちゃんの頑張りを認めても、そこで満足しなかった。“あんな優秀な女性の妹なんだから──”“君はもっと出来る。何故ならロシアの国家代表の妹だから”……そんな言葉ばかりがかんちゃんに浴びせられたの」

 

「……分かるよ。俺も昔はそうだったから」

 

引き取られてから過ごしてきた時の中で言われ続けた言葉の数々は、賞賛よりも過度な期待や失望ばかりだった。血の繋がりなどお構いなしに降りかかってくる罵詈雑言に統夜が耐え切れたのは、ひとえに姉の存在のおかげであった。

 

「それで、かんちゃんは耐え切れなかったの。ほら、元々かんちゃんってそんなに自分の事言わないでしょ?どんどん自分の中に溜め込んじゃって、段々笑わなくなっちゃったんだ。とーやんと会うまで笑顔なんて全然見ないくらいに」

 

「でも、今は笑ってる。そうだろ?」

 

「うん。だから私、とーやんにとってもとっても感謝してるんだ」

 

本音は椅子から立ち上がると、統夜の正面に立つ。そして細い目で統夜を見つめた後、二つに結んだ髪の毛が垂れ下がった。

 

「ありがとう、とーやん。かんちゃんの支えになってくれて」

 

本音は統夜に頭を下げていた。それは統夜が止める暇もないほど素早く、そして綺麗なお辞儀だった。

 

「……俺は何もしてないよ。寧ろ俺が簪に助けられてばっかりだ」

 

本音は頭を上げて再び椅子に座る。その表情はいつも彼女が浮かべている、緩みきった笑顔だった。

 

「またまたー、最近かんちゃんからずっと聞かされてるよ。とーやんの事」

 

「簪って俺の事なんて言ってるんだ?」

 

「むふふー、それは言えません。友達は裏切っちゃダメだからね」

 

本音は余らせた浴衣の袖から指先だけを出して”×”印を作った。息を吐きながら椅子に深く腰掛ける統夜の横で本音は何を思いついたのか、懐をごそごそと探る。

 

「何か探してるのか?」

 

「うん……あ、あった!」

 

本音が何処からともなく取り出したのは、彼女の携帯電話だった。話が見えないといった表情をする統夜の横で、本音は取り出した携帯電話を両手で操る。

 

「とーやん、さっき私言ったよね。“かんちゃんも昔は笑ってた”って」

 

「ああ。それがどうかしたのか?」

 

「ふっふっふー、じゃじゃーん!!」

 

可愛らしい掛け声と共に、統夜の眼前に突き出される携帯電話の液晶画面には、数十枚の写真が映っていた。全く意味が分からない統夜は再び疑問の声を上げる。

 

「……それ、何?」

 

「見たい?」

 

「はい?」

 

「見たいか見たくないか、さあどっち?」

 

「じゃあ……見たい」

 

「これはね、かんちゃんの昔の写真だよ」

 

「簪の昔の写真?」

 

オウム返しに言葉を発する統夜の向かい側では、本音が再び指を動かして携帯電話を操作していた。そして写真を画面一杯に表示すると、統夜に差し出してくる。

 

「ほら、これが──」

 

「統夜?」

 

その時、統夜の背中越しに聞こえてきたのは小さくとも澄んだ声だった。毛の深い絨毯を踏みしめる音と共にその人物はゆっくりと統夜達に近づく。そして椅子に座っている統夜の脇に立ったのは、バスタオルで髪の毛を拭っている浴衣姿の簪だった。

 

「本音、何やってるの……?」

 

「あ、かんちゃん。これこれ」

 

統夜に差し出しかけていた手を方向転換させて、簪に向ける。簪は怪訝な顔をしながら本音から携帯電話を受け取った。

 

「……」

 

「今ね、かんちゃんの昔の写真をとーやんに見せてあげようとしてたんだー」

 

「……」

 

「懐かしいでしょー。私とかんちゃんで撮ったやつも、まだ残ってるんだよ」

 

「のほほんさん。簪、聞いてないよ」

 

「あれ?かんちゃん、どうしたの?かんちゃーん」

 

携帯電話と簪の顔の間に掌を差し込み、数度上下させる。簪は本音の携帯電話の液晶に映っている物を見た瞬間、見事に固まってしまっていた。

 

「……」

 

液晶画面を食い入る様に見つめている簪の顔色は青と赤を繰り返している。不思議に思った統夜が簪の持っている携帯電話を覗き込もうとしたその瞬間、簪が動いた。

 

「っ!!」

 

いつもの彼女からは考えられない速度で後ずさると、携帯電話と統夜の顔を交互に見つめる。そして何を考えたのやら、本音の携帯電話を両手で握り締めた。

 

「あーっ!だめだめだめー!!」

 

本音が簪にすがりつくも、簪の両手は止まらなかった。本音の携帯電話は形が歪む程の圧力を簪の両手によって加えられ、いつ真っ二つになってもおかしく無い。

 

「証拠、隠滅……」

 

「別に証拠でも何でもないよー!早く返して!!」

 

「統夜にこの写真を見せない事、これについて何も言わない事……それが条件」

 

「わ、分かった分かった!分かったから早く離してー!!」

 

本音が涙ながらに訴えると、簪は渋々と言った様子で両手の力を抜いて携帯電話を離した。本音は携帯電話を両手で優しく包み込むと、急いで懐にしまう。

 

「何か変な写真でもあったのか?」

 

「ううん。別に変なのとかはないはず、なんだけど──」

 

「本音」

 

「はひっ!?」

 

本音は簪に投げかけられた言葉に恐怖して思わずその場で飛び上がってしまう。友人に向けるものではない、と思わせる程の怒気を孕んだ視線を簪は本音に向けていた。

 

「約束、もう破るの?」

 

「そ、そんな気は滅相もありません!」

 

「別にいいんじゃないのか?昔の写真くらい」

 

「そうだよね!だからかんちゃん、ちょっとだけなら──」

 

「本音」

 

「……はい、分かりました」

 

「そ、そろそろ簪とのほほんさんも戻ったほうがいいんじゃないか?こんな所にいつまでもいると、湯冷めしちゃうからさ」

 

「うん……分かった」

 

簪は統夜の提案にあっさりと従う。先ほどまで取り乱していたのが嘘の様に冷静になった簪は、去り際に手を振った。

 

「それじゃあ……また明日」

 

「うん。また明日」

 

統夜も手を振って、一人廊下を歩く。背後から微かに聞こえる本音と簪の会話は、すっかりいつもの調子に戻っていた。

 

「でもかんちゃん、昔の写真くらいとーやんに見せてあげればいいのに」

 

「そんな事、意味が……無い」

 

「そんな事ないよ。とーやんだってかんちゃんの昔の写真見たら喜んでくれるって」

 

「そ、そうなの……?」

 

「そうだよ、ほら。色々あるから自分で見てみれば?」

 

「……」

 

「あ、あれ?かんちゃん?かんちゃーん?」

 

「証拠……隠滅!」

 

「ぎにゃー!!」

 

旅館内の廊下を曲がる時に統夜の耳に届いたのは何か固い物が壊れる甲高い音と、乙女にあるまじき悲鳴だった。

 


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