IS インフィニット・ストラトス ~クロガネを宿し者~   作:Granteed

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第四十六話 ~平穏など無い~

「ふぁ~あ……」

 

欠伸を噛み殺しながら、統夜は自分のベッドから体を起こす。枕元にある目覚まし時計に目を向けてみれば、時刻は既に正午を回っていた。夜更しはダメだなと思いつつ、目を覚ます為にベッドから這い出てキッチンへと向かう。

 

(夜遅くにゲームなんてやるもんじゃないな)

 

本日二度目の欠伸と共に、大きく体を伸ばしながらリビングへと入る。キッチンへと向かいたいところだがそれよりも前に、起きたらまず一番最初にやるべきことをするために、統夜はその場所へと足を運ぶ。

 

「……おはよう」

 

リビングの端に鎮座している洋風の本棚。何十冊という本が隙間なく並べられているが、一段だけ空白が生まれている。そこには、幾つもの写真立てが置かれていた。その中の一つ、黒縁の写真立ての中にある写真を見ながら、統夜は小さく呟く。

 

「父さん、母さん」

 

今日も、熱い夏の一日が始まろうとしていた。

 

 

 

 

「さて、今日は何をしようかなっと……」

 

冷たい水を一気飲みして目を覚ました後、統夜は冷蔵庫の中身を見ながら独り言を漏らす。覗き込む冷蔵庫の中身は、僅かな調味料を除けばほとんど何も入っていなかった。

 

(やっぱ、姉さんが帰ってくる前に色々買っておかなきゃダメだよな)

 

ため息をつきながら、冷蔵庫の扉を音を立てて閉める。リビングの中心に置かれたそこそこ大きいテーブルの上に並べられたいくつもの出前のメニューを脇に押しやって、統夜は近くのスーパーのチラシを広げた。

 

「でも、買いに行くの面倒くさいな……」

 

夏休みが始まって既に一週間が経過していた。実家に戻った統夜がまず一番に行ったことは家中の掃除であった。何しろ、自分と姉が出て行ってから誰の手も入っていない家である。埃はそこいら中に積もっているし、生活用品は前のまま。食材に至っては統夜がIS学園に行く前に自分の手で全て処分したため、すっからかんであった。

 

(何か、作る気が湧かないんだよな)

 

しかしたったひとり、しかも自分の為に食事を作ると言うのは存外面倒な物である。食材を買ってくる気力も湧かなかったし、わざわざ自分一人の為にフライパンを振るうというのも気乗りしなかった。その為、ここ一週間は外食や出前、前に買い溜めてあったカップ麺等を食していた統夜だったが、ここいらでとうとう限界が来た。と言っても自分の限界、ではない。それはありていに言えば、姉のためだった。

 

(でもやるしかない、か)

 

昨日届いた、姉からの電子メール。そこには“数日後にそちらに戻る”と書かれていた。姉が帰ってくるとなれば、自分がだらだらと日々を過ごす訳にはいかない。そう思った統夜はチラシを纏めて机の上に置くと、自室から簡素なTシャツとチノパンを取り出して着替える。

 

「準備完了っと」

 

ベッドの脇にかけてあったバッグを取り上げてリビングに戻ると、机の上のチラシをバッグの中に詰め込む。その時、統夜の腹部から低い音が漏れた。

 

(そういや飯食ってないな……まあいいや)

 

自分の体は自分が一番理解している。たかが一食抜いた程度で参ってしまう様な弱い体ではないのだ。腹の音を無視しながら、玄関へ繋がる廊下に出ようとしたとき、リビングにチャイムが響き渡る。

 

(来客……誰だ?)

 

頭の中で最近の予定を洗うも、該当する物は出てこなかった。つい最近まで誰もいなかったこの家に、宅配が来る事はほとんど無い。そもそも、統夜の知り合いでこの家を知っているのは極々少数だ。姉の知り合いかと思いもしたが、姉のいないタイミングで訪ねてくるとはどうしても思えない。

 

(取り敢えず出てみるか)

 

バッグを持ったまま、玄関へと突撃する。覗き穴を使う事もせず、統夜は躊躇い無くドアノブを回して扉を開いた。

 

「はい、どちら様、です……か……」

 

「……」

 

一人の少女が統夜の目の前に立っていた。茶色いサンダルに包まれた足から伸びる白い太腿、僅かばかりの装飾をあしらった純白のワンピース。耳にかかっている青い髪と顔にかけられている縁なし眼鏡。そして何より印象的なのは首にかけられた白い花のネックレスだった。

 

「ひ、久しぶり」

 

両手で持った編みかごを後ろ手に隠しながらはにかむ少女、更識 簪が統夜の目の前にいた。

 

 

 

「はい、麦茶」

 

「あ、ありがとう……」

 

冷蔵庫から冷えた麦茶を取り出してコップに注ぐと、簪の目の前に置いてやる。テーブルに着いた簪は、体を固くしながらも何とかそれを受け取った。統夜も自分の分を別のコップに注いで一息に飲み干す。

 

「でも簪、どうして俺の家に来たんだ?もしかして、案外簪の家が近かったとか?」

 

意外な来訪者の登場に、統夜は戸惑う事しか出来なかった。取り敢えず簪を家に上げたはいいがこれから何をしたらいいか、皆目見当がつかない。彼女一人を置いて買い物に行くわけにも行かないし、何より簪がここに来た目的が分からなかった。

 

「ううん。そんなに近くない」

 

「簪の家からここって、どの位かかるんだ?」

 

「えっと……電車で一時間位かかった」

 

「……は、はあ?」

 

この回答に統夜は思わず遠慮の無い疑問の声を上げてしまった。精々、徒歩で十数分だとか自転車で十分程度の答えを予想していたのだが、斜め上どころか真上の返事に戸惑ってしまう。

 

「あ……ぐ、偶然代表候補生の仕事でこの辺に来る事があって、そ、それでたまたま統夜の家が近かったから……」

 

しどろもどろに言い訳がましく言葉を並べ連ねる簪を見て、統夜はこれ以上糾弾する気を無くしてしまった。彼女が来て迷惑という事は欠片も無いし、統夜自身この一週間殆ど知り合いと出会わなかったので、誰かと話したいと思っていたのも事実である。ただ、少々タイミングが悪いのも事実として確かなものだった。

 

「あのさ、簪。言いにくいんだけど俺、これから出かけなきゃいけないんだ」

 

「え……?」

 

「姉さんが帰ってくるってメールが来たんだけど、食材が殆ど無くてさ。これから買い物に行こうとしてた所だったんだ」

 

「じゃあ、統夜は何食べてたの?」

 

「えっと、一応出前とか……ほら、外食とか色々あるだろ」

 

わざと言葉を濁して逃げようとする統夜だったが、簪は統夜の言葉の端に含まれた物を見逃さなかった。おもむろに立ち上がると、キッチンの方に回ってゴミ箱の中を覗き込む。そこには統夜が昨晩食べたカップ麺の空き容器が入れられていた。

 

「統夜、これ何?」

 

「それは……ほら、自分の為だけに料理作るのって面倒だろ?だから、その……」

 

今度は統夜が言い訳を繰り返す番だった。カウンター越しにジト目で睨みつけてくる簪に対して、母親にイタズラが見つかったときの子供の様な言い訳を吐き続ける。しばし統夜の言い訳を黙って聞いていた簪だったが、一つ大きなため息を吐いだ。

 

「はぁ、お姉ちゃんの言った通り……」

 

「な、何か言ったか?」

 

「何でも無い。私も行く」

 

「えっと、それって……簪も買い物についてくるって事か?」

 

「うん」

 

(……やっぱり簪、変わったな)

 

出会ってすぐのときはこんな遠慮無く接して来る事はまずなかった。何処か壁の様な物を常に感じながら接してきた過去の事を思うと、感慨深いものを感じる。しばし思想に耽っていると、頭の中に一つの疑問が浮かび上がってきた。

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ。ついてくるのはいいけど、簪は何しに行くんだ?」

 

「どうせ今日の夜も、こんなのでしょ?」

 

簪が指差しているのは、ゴミ箱に入ったカップ麺の空き容器だった。年頃の男子としてはジャンクフードをこんなの呼ばわりした事に反論をしたい所だったが、簪の言っている事は正鵠を居ていた。

 

「別にいいだろ?食べた所で俺の体がどうなる訳でもないし、そんなのでへたれる程俺の体はやわじゃない」

 

「ちゃんと食べなきゃダメ……だから、私が作る」

 

母親の様な口調で簪が統夜に人差し指と共に言葉を突きつける。おまけの様に付け足されたその言葉は、簪の言い方が余りにも自然過ぎて思わず聞き逃してしまう所だった。

 

「……作る?簪が?」

 

「わ、私だって、料理くらい出来る」

 

一学期の間、ずっと統夜の料理の腕を見てきただからだろうか。若干言いにくそうに簪が告白する。確かに統夜は簪が料理をしている所を見た事が無かった。だが、見てない事と簪は料理が出来ないという事象はイコールではない。

 

「じゃあ……任せてもいいか?」

 

「任された」

 

IS学園にいたときと同じ調子で会話を交わす。場所が変わっても、少しの時間離れていても、二人の間の空気は全く変わらなかった。

 

「そろそろ行くか」

 

「うん。統夜、お昼は?」

 

「正直、抜いてもいいって考えてたんだけどな……」

 

「統夜」

 

「分かってる。ちゃんと外で食べるよ」

 

玄関から廊下に出て、扉に鍵をかける。まるでホテルの様に落ち着いた色彩の絨毯が敷き詰められた廊下を進んでいくと、曲がり角を曲がった所にあったエレベーターホールで足を止めた。

 

「驚いただろ。こんな所に住んでるなんて」

 

「うん。最初来た時、住所が間違ってるかと思った」

 

「元々姉さんの家なんだけど、引き取ってもらった時にこっちに越してきたんだ。IS学園に入るまでの六年くらい、ずっとここで暮らしてた」

 

金属音と共に、目の前のエレベーターの扉が開いた。扉の上では“20”という数字が点灯している。躊躇いもなくエレベーターに踏み込む統夜に続く様に、簪が恐る恐ると言った様子で足を踏み入れる。

 

「そんなに驚く事ないだろ。ISで空を飛んでる時より低い位置にいるんだから」

 

「それとこれとは……話が違う」

 

扉の横についている階層を示すボタンの内“1”と刻まれたボタンを押すと、エレベーターが密室となる。次に簪の体に襲ってきたのは、ジェットコースターに乗っている時に似た感覚だった。流石にそれよりはかなり弱いものの、普通の日常生活を送っている上ではまず慣れないであろう感覚に戸惑いを隠せない。

 

「こ、これ……統夜は平気なの?」

 

「もう慣れてるからな。最初こそ今の簪みたいに驚いてたけど」

 

一分も経たないうちにエレベーターは地上へと到着して、扉が開かれる。初めての感覚に思わずたたらを踏む簪だったが、それを見越して統夜が簪の体を支えた。

 

「大丈夫か?」

 

「……大丈夫じゃ、ない」

 

「……ほら」

 

「あっ」

 

簪の左手が、統夜の右手に優しく包まれた。左手で頬を掻きながら、目を合わせないように統夜はわざと視線を明後日の方向に向ける。

 

「ま、またよろけたら危ないからさ。少しの間、こうしてた方がいいだろ」

 

「……うん」

 

エレベーターホールを突っ切って、ガラス張りの自動ドアを抜ける。外に出ると、夏特有の熱風と、頭上からの日差しが二人を襲った。アスファルトからの照り返しも強く、あっという間に顔中から汗が吹き出てくる。

 

「統夜、どこ行くの?」

 

「まず生活用品からかな。姉さんが帰ってくるし、足りない物も色々とあるから。付き合わせて悪いな」

 

「ううん。構わない」

 

話しながら、マンションから段々と離れていく二人。そしてとうとう、マンションから完全に離れて声が聞こえなくなったとき、物陰から二つの人影がゆっくりと出てきた。

 

「マンションから出ていったぞ。どうする?」

 

「決まってる。後を追うわ」

 

「見慣れない子がいたが……誰だ?」

 

「多分、更識 簪とかいう日本の代表候補生でしょうね。写真にあった顔と同じだわ。いいから行くわよ」

 

統夜達が歩き去っていた方向に人影が歩を進める。高校生の彼らに取って初めての夏休み。IS学園から離れたこの地でも、波乱の幕があけようとしていた。

 


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