IS インフィニット・ストラトス ~クロガネを宿し者~   作:Granteed

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第五十七話 ~向き合う過去~

遠くの空で弾けていた花火達が夏の夜空へと消えていく。その最後の一つを見送った後、簪はラインバレルの手を叩いた。

 

「統夜、そろそろ帰らなきゃ。お姉ちゃん、きっと待ってる」

 

「え……まさか、簪を送ってからずっと待ってるのか?」

 

こくりと頷いた簪を見た途端、ラインバレルが下降を開始する。空へと伸びている枝に紛れながら地上へと着地した後、ラインバレルが光り輝いてその四肢が縮んでいった。光が収まった後に簪の隣に立っていたのは普段着の統夜だ。

 

「マジかよ……一人で帰ったと思ってた」

 

「帰りも車で乗せてってくれるって……」

 

「お土産でも買ってった方がいいな」

 

簪の手を引いて神社の裏手から出ると、既に後片付けが始まった境内が見えた。人の波が神社の方へと動き始め、両脇に並ぶ屋台はその輝きを失い、売り子達がせっせと商品を仕舞い始めている。何か良い物は無いか、と周囲に視線を這わせる。

 

「統夜、あれ」

 

引かれる手と小さな声に気づいて統夜が振り向くと、簪が細い指で境内の一角を示している。その先を見てみると、数多くの屋台の内の一つが店仕舞いをしている最中だった。どうやら手作りの木地製品を売っているらしく、目にも鮮やかな商品の数々が店の棚に並んでいる。何故簪がそれを指さしているのか、不思議に思って近づいていく。

 

「おう、お客さんかい?」

 

近づいてきた二人に気づいたのか、店の向こう側で手を動かしていた店員が顔を上げる。簪は陳列されている品物の内、青と赤のラインで装飾されている一番シンプルな色合いのけん玉を手に取った。そのまま無言で店員に差し出す。

 

「珍しいね。嬢ちゃん、こういうの好きなのかい?」

 

「私じゃない……家族へのお土産」

 

「もしかして、楯無さんへのお土産のつもりか?」

 

統夜の言葉に頷いた簪が、巾着の中から財布を取り出して代金を払う。店員の礼の言葉を背に受けながら、統夜は簪が手に握りしめているけん玉を不思議そうな目で見つめた。

 

「意外だな。楯無さんってそういうの好きなんだ」

 

「暇さえあればやってる。頭をすっきりさせるのにいいって前に言ってた」

 

神社から出ようとする二人を喧しい喧噪と人の波が包む。一夏と一緒に座っていた階段を下りて公道へと出ると、簪が当たりをきょろきょろと見渡した。目的はすぐに達せられたようで、統夜の手を引っ張って道路の端に止まっている黒塗りの車めがけて駆けていく。簪が運転席の窓を二度叩くと、音も無くガラスが降りて車の中から少女が顔を出した。

 

「お帰りなさい、二人とも。どう、楽しかった?」

 

「すいません楯無さん。行きだけじゃなく、帰りまで」

 

「いいのよいいのよ、気にしないで。私が好きでやってるんだから。ほら、乗った乗った」

 

楯無が手振りで早く車に乗るよう、二人を急かす。統夜は後部座席のドアを開けると簪を先に乗せて、車に乗り込んだ。

 

「それじゃあ、しゅっぱ~つ」

 

車内に響いた楯無の声の後、緩やかにエンジンが唸った。そのまま車は前進して、一直線に家へと繋がる道を進んでいく。窓の外を流れていく人の波を横目で一瞥しながら、統夜はミラー越しに楯無へと頭を下げた。

 

「本当ありがとうございます、楯無さん。俺、てっきり簪を送ってそのまま帰ったかと思ってました」

 

「ふふふ、そんな訳無いじゃない。そんな事より簪ちゃん、どうだった?」

 

楯無の唐突な質問に、簪の反応が一瞬遅れる。両手を膝の上で組みながら、顔を俯かせる簪はぼそりと姉の質問に答えを返した。

 

「……楽し、かった」

 

「いい思い出、作れた?」

 

姉の言葉に再び簪が頷く。姉妹の会話をすぐ隣で聞いている統夜は居心地悪そうに体を左右に揺らしていた。車内に満ちている空気を壊そうと、わざと大声を出しながら簪の巾着を指し示す。

 

「そ、そうだ!楯無さんにお土産買ってきたんですよ。な、簪!」

 

「う、うん」

 

簪が巾着の中から取り出したのは、先程買ったけん玉だ。交差点の信号で車が止まっている事を良い事に、そのまま座席越しに楯無へと手渡す。楯無は簪が手にしたものを見るや否や、その瞳を輝かせた。

 

「それ、買ってきてくれたの!?」

 

「今日のお礼」

 

「ありがと、簪ちゃん!!」

 

わざわざ座席から身を離して、後部にいる簪へと両手を伸ばして喜びを表現する楯無。ガラス越しに見えていた信号が赤から青に変わるのを見た統夜は手を伸ばして楯無を運転席へと無理矢理戻した。

 

「ほ、ほら楯無さん!前見てくださいよ、前!!」

 

「しょうがないわね。家に帰ってからたっぷりと簪ちゃんを愛でる事にするわ」

 

「しなくて……いい」

 

若干引き気味になりながら簪が容赦の無い一言を浴びせる。テンションを戻した楯無は唇を尖らせながら運転席へと戻った。アクセルを踏み込むと、再び車が動き出す。統夜は何の気なしに窓の外に目をやった。既に祭りに来ていた客は影も形も無く、静かな繁華街が窓の外に広がっている。

 

「それにしても誘ってくれた一夏君にも感謝しないとね、統夜君」

 

「ええ。ホント、感謝してます」

 

「でも男相手にはこうやって気を使えるくせに、女の子相手には鈍感なんでしょ?」

 

「まあ、それは……それも含めて、一夏ですから」

 

「でもあれは少し異常……前に鈴がぼやいてた」

 

「まさに女の敵ね。でも一夏君って確か、競争率激しいんでしょ?」

 

「えっと、確定してるだけで1,2……5人ですね。一夏に惚れてるの」

 

「あらあら、より取り見取りだこと。そう言えば統夜君はどうなの?」

 

「え゛?」

 

途端、統夜の体が凍り付く。何故か隣からの圧力が強まるのを感じながら、固い口調で返事を返す。

 

「そ、そうですね……俺はそんな事無いと思いますよ。ええ、ありませんとも」

 

「……それもそうね」

 

「何一人で納得しているんですか?」

 

「だって、冷静に考えてみれば当たり前じゃない。統夜君の隣はもう決まってるんだし」

 

「隣って……」

 

圧力を感じる方向に首を向ける。窓の外から差し込む街灯の光に照らされた簪は、先ほどから顔を俯かせたままだった。その顔を見る事を諦めて視線を前に戻す。何故か圧力が消え去っていくのを感じ取りながら、居住まいを正した。

 

「少し意地悪な聞き方だったかしら。ごめんなさいね」

 

「べ、別に……」

 

顔が赤くなっていくのが自分で分かった。それを見られまいと再び窓の外に視線をやる。熱帯夜であろう外は、先程とは打って変わってどこにでもあるような住宅街が流れていた。家屋、ビル、商店、学校、信号機。IS学園の中では見られないような景色が現れては消えていく。どこか懐かしい景色を見つめながら、車の揺れに身を任せた。

 

「統夜君。窓の外ばっかり見て、どうかした?」

 

「ああ、別に何でもないですよ。ただ、IS学園に行く前はこういう場所にずっといたんだなって思ってただけです」

 

「まあ、確かにあそこは日常っていう言葉からかけ離れてるから。そう思うのも仕方ないわよ」

 

「ええ。もしもIS学園に行かなかったら、普通の高校に行って、姉さんと一緒に暮らして、ラインバレルの事も誰にも言わないでずっと自分一人で抱え込んだまま、で……」

 

「……統夜、どうかしたの?」

 

ずっと顔を伏せていた簪が声を上げる。楯無がバックミラーに目を向けてみれば、そこには窓に張り付いている統夜の姿があった。丁度前方の信号機が赤になった所で振り向いて後部座席を見ると、唇を細かく戦慄かせながら忙しなく瞳を動かす統夜の姿があった。

 

「まさか……いやでも、やっぱり……」

 

「統夜?」

 

簪が統夜の肩に手を伸ばそうとするより前に、統夜が車のドアを開けて外に出て行ってしまった。一瞬遅れて簪も慌てて外に出て統夜の背中を追う。幸い自分達が乗っていた車以外は通っておらず、夜の交差点に飛び出した統夜はきょろきょろと周囲を見回していた。

 

「ど、どうしたの?」

 

「……」

 

簪の問いに答えないまま、統夜は交差点の一角へと走り出した。その後を追っていくと、丁度ぽつんと立っていた電柱で統夜の足が止まる。若干息を荒げながら、簪は統夜に追いつくとその手を握った。

 

「統夜……?」

 

彼の手は震えていた。それだけではなく、掌には大粒の汗が浮かんでいる。その震えを止めたい一心で、両手を使って統夜の手を包み込む。そのまま統夜の前に回り込んで彼の目を真っ直ぐに見た。

 

「嘘、だろ……?」

 

その眼は簪を見てはいなかった。電柱に描かれた所在地を示すプレートを見て凍り付いている。近くに車を止めてきたのか、統夜達が車から出て一分もしないうちに楯無も息せき切ってこちらに駆け寄ってきた。

 

「ちょっとちょっと、統夜君ったらどうしたのよ?」

 

「お姉ちゃん、統夜が……」

 

「ちょっと待ってなさい、簪ちゃん……と・う・や君!!」

 

「わっ!?」

 

思い切り息を吸い込んだ楯無が統夜の耳元でその名前を叫ぶ。ともすれば騒音とも取れる声量で放たれた声は鼓膜を直撃して、一瞬で統夜を現実へと引き戻した。正気に戻った統夜の両頬をぴしぴしと軽く叩きながら、楯無がきつい声音を出す。

 

「どうしたちゃったのよ統夜君。夜で他に車が走ってなかったからいいものの、一歩間違えれば大事故よ?」

 

「あ……す、すみません。楯無さん」

 

「まぁ、理由は後で聞くとして今日は早く帰りましょ。お母さんも首を長くして──」

 

「楯無さん。少し寄って欲しい場所があるんですけどいいですか?」

 

「寄って欲しい場所?」

 

車に戻ろうとした所を、背中に声をかけられて振り向く楯無。オウム返しに統夜の言葉を繰り返して疑問を露わにするも統夜は取り合わず、目の前にいる簪に向き直った。その瞳は簪が見てきた中でも一番酷く震えている。

 

「簪」

 

「な、何?」

 

「前に言ったよな、俺の傍に居てくれるって」

 

「う、うん」

 

「……隣に、いてくれるか?」

 

統夜の言わんとした事を理解した簪は手を握ったまま体に寄り添った。簪は統夜の体に触れて初めて理解した。震えているのは何も手だけではない。統夜の体全体が、ぶるぶると震えていた。

 

「楯無さん、いいですか?」

 

「統夜君のその症状に、関係あるのね?」

 

今の統夜の状態を見抜いた楯無が確認を取る。統夜が頷くのを確認すると楯無は頭をぽりぽりと掻いた後、ポケットから車のキーを取り出して指でくるくると回す。

 

「車取って来るわね。少し待ってて頂戴」

 

そう言い残して一人車を取りに去っていく楯無を見送りながら二人は立ち尽くしていた。空いている方の手を自分の体を抱くように回している統夜の横で、簪が手を強く握る。その感覚に気づいたのか、統夜が簪に微笑みを向けた。

 

「大丈夫、大丈夫だから」

 

まるで自分自身に言い聞かせるように言葉を紡ぐ統夜の横で、簪は更に強く手を握る。自分の熱を統夜に届ける様に。ここに、統夜の横にいると主張する様に。言葉ではなく行動で、感覚で簪は自分の存在を統夜に伝えていた。

 

「本当は簪の家で特訓が終わった後、一人で来るつもりだったんだ。やっぱり過去と向き合うのは、俺自身でしなくちゃいけない事だって思ってたから」

 

「過去?」

 

「でもさ、やっぱり無理だな。こんな遠い場所……少ししか覚えていない、こんな場所にいるだけでこんなに体が震えてくるんだから」

 

電柱についている街灯が統夜を照らす。その横顔は、暑い夜にも関わらず病的なまでに白かった。その時車のエンジン音が彼方から近づき、ヘッドライトの光が二人を照らす。運転席から顔だけを出した楯無が二人を手招きする。簪は統夜の手を引っ張って無理やり車に乗せると、続けて乗り込んだ。

 

「それでどっちに行けばいいの?」

 

「まずは、真っ直ぐお願いします」

 

統夜の言葉に従って、楯無がアクセルを踏み込む。外を流れていく景色は先程と全く変わらない。どこにでもあるような住宅街が流れては消えていく。月の光と少ない数の街灯に照らされている道路は暗く、碌に標識も見えない。窓の外の景色がそんな状況にも関わらず、統夜はまるで全て見えているかのように楯無に指示を送り続けた。

 

「左に曲がった後、三つ目の信号を右に。次の信号を左にお願いします」

 

「随分はっきり言うのね。もしかして統夜君、ここを知ってるの?」

 

統夜の言葉の通りに楯無がハンドルを切る。車が曲がる度に統夜の体が簪に押し付けられ、彼の震えがより強く伝わる。その震えを少しでも和らげたくて、簪は両手で統夜の手を包み込む。

 

「知ってるなんて物じゃありませんよ。今でもはっきり覚えてます……あのバス停からバスに乗って、父さん達のいた研究所に行った事。あの公園の砂場で母さんと一緒に小さな城を作って遊んだ事」

 

窓の外に流れていく景色が移り変わるにつれて、統夜の口から思い出が流れ出す。その言葉を聞いて、更識姉妹の頭にある言葉が浮かび上がった。それは何度も統夜の口から聞いた場所、全ての始まりの街である統夜の記憶に刻まれた場所である。

 

「止めてください」

 

統夜の一言で車が停車する。簪に車の外に出るよう促した統夜は二人一緒に車から出る。楯無も揃って運転席から外に出ると、周囲を見渡した。統夜は簪を伴って一軒の家屋の前で立ち止まった。

 

「楯無さん、さっきの質問に答えますよ」

 

三人が目にしているのは何処からどう見ても普通の一軒家だった。外壁は少しくすみ、不審者の侵入を阻む門は風雨に晒されて少し傷ついている。ただ不思議な事に、その家からは人の住んでいる気配が全くしない。そんな家を前にして統夜は一歩進んで門の前に立った。

 

「知ってて当然ですよ。だってこの街は俺が生まれ育った街で、ここは──」

 

少し汚れている表札を伸ばした手で拭う。そこに掘られていた文字を見て楯無と簪は揃って息を飲んだ。

 

「俺が父さんと母さんと、暮らしてた家ですから」

 

黒い表札には“紫雲”と刻まれていた。

 


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