IS インフィニット・ストラトス ~クロガネを宿し者~   作:Granteed

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第五十八話 ~In the past~

「すみません、楯無さん。少し待っててください」

 

「統夜君……」

 

「あと、この後もう一つ行ってもらいたい所があるんですけど、いいですか?」

 

「……はぁ、分かったわよ。ただ、早くしてね。一人だと寂しくなっちゃうから」

 

楯無が運転席に戻っていくのを見届けると、統夜が家屋に向き合う。統夜の目の前にあるのは極々普通の一軒家だった。道路に面している小さな庭、白い壁に埋め込まれている窓、観音開きの黒い門扉。それら一つ一つが統夜の頭を刺激する。二度、三度と深呼吸を繰り返した後、統夜は門扉の裏に手を回して鍵を開けた。油が切れた機械の様な甲高い音と共に門扉が開くと、二人を向かい入れる。

 

「何時振りだろうな、ここに来るの」

 

「前にも来た事……あるの?」

 

「姉さんに引き取られてからは、一回も無い。ただ“いつでも来れるように”って、姉さんがこれだけは渡しておいてくれたんだ」

 

尻のポケットから自分の財布を取り出すとその中からどう見ても金銭に見えない何かを取り出した。装飾も何もついていない金属片を持ったまま、統夜が扉へと迫る。

 

「それ、ここの鍵?」

 

「ああ」

 

扉の鍵穴にそれを入れると、躊躇いもせずに回す。がちゃりと重い音を立てて鍵が開けられた。扉の前で固まったまま動こうとしない統夜の代わりに、簪が手を伸ばしてドアノブを掴む。そのまま扉を開けて二人揃って屋内に入った。

 

(ここが、統夜の生まれた家……)

 

当たり前の事だが、紫雲家の中は薄暗かった。だが妙な事に、生活感が無いにも関わらず床には埃一つ落ちていない。簪の顔を見て心の中の疑問を察したのか、多少落ち着きを取り戻した統夜が口を開く。

 

「姉さんがハウスキーパーに頼んでるんだ。いつ俺がここに戻ってきてもいいように。IS学園に入るまでの俺は、そんな事考えもしなかったけどな」

 

統夜が廊下の壁に設置してあるスイッチを掌で叩く。一瞬のちに、廊下全体が柔らかな光に包み込まれた。暗から明へ、一瞬で移り変わった光景に目を細めながら、簪と統夜は家の中を進んでいく。

 

「ほら、こっちだ」

 

先を進んでいた統夜が扉を開けて簪を招き入れる。記憶を頼りに統夜が部屋の中にあるスイッチを叩くと、部屋の中が光に包まれた。

 

「ここ……リビング?」

 

キッチン、食卓、テレビ、ソファと一般的な家庭にある物が全て揃っている。ただ、先程の廊下と同じく、全ての物体が生活感を持っていなかった。まるでずっと前からそのまま凍り付いていたかのような、そんな印象を受ける。

 

「簪」

 

リビングにある戸棚の前で統夜が手招きしていた。素直に簪が近寄ると、分厚い本の様な物を差し出してくる。そのまま手に取って開いてみると、全てのページに前に統夜の家で見たときと同じく何枚もの写真が張り付けてある。

 

「前に言ってたろ。これがそうだ」

 

ただ一つの相違点は、写真に写っているのが様々な人間という点だった。前にクーランジュ家で見た時は統夜とカルヴィナ、それとアル=ヴァンしか写り込んでいなかったのだが、この写真には数多くの老若男女が写っている。

 

「父さんと母さんが生きてた頃に撮った写真。言っただろ、姉さんの家にはないけど他の場所にはあるって。それがここなんだ」

 

「これが……」

 

「立ったままってのも何だしさ、座ろうか」

 

ハウスキーパーがきっちり仕事をしているのか、綺麗に掃除されているソファに二人で腰かける。簪はぴったり統夜に体を押し付けたまま目の前の本を膝に乗せた。統夜も簪の肩越しに本に目を向ける。

 

「俺が姉さんに引き取られるより前の写真だな、そいつは」

 

「……ちっちゃい統夜」

 

写真の一枚一枚に映っているのは白衣を着た男達、スーツに身を包んだ女性、小さい少年少女達と実に多種多様だった。一枚として、統夜が同じ人間と写っている写真はない。それ程までに多くの人間が写っていた。

 

「統夜のお母さんとお父さんは?」

 

「それはこっち」

 

統夜が簪の肩越しに手を伸ばしてページを捲る。丁寧な手つきでアルバムを捲る統夜の手が、とあるページで止まった。今度のページには同じ人間が写った写真が、隙間無く綺麗に並んでいる。

 

「父さんと母さんの……生きてた頃の写真だよ。ほら、ここ」

 

写真で溢れかえっているページの一カ所にだけ、空白が生まれている。まるで何かが抜き取られたかの様な空白に、簪は僅かな疑問を抱いた。

 

「ここに、あの写真が挟まってたんだ」

 

「もしかして……統夜の家にあった、お父さんとお母さんと一緒に撮った写真?」

 

「ああ。姉さんが一人でここに来てこの写真だけ抜き取って、自分の家に飾ったんだ」

 

まるで十数日前に統夜の部屋で過ごしたような時間が、統夜の実家で再び流れる。但し、今度は和気藹々と交わされる声も無ければ、笑顔も何処にも無い。懐かしさと悲しさが入り混じった視線を写真達に向けていた統夜は、おもむろに立ち上がる。

 

「簪、ちょっと来てくれないか」

 

「うん」

 

簪はテーブルの上にアルバムを置くと、何をするのかも言わずにリビングを出ていく統夜の後を追う。柔らかい光に照らされた廊下に出ると、統夜は二階へと繋がる階段を上がっていった。自分も続こうと階段に足をかけるが、その途中で目に入った文字に一瞬心を奪われる。

 

「……」

 

“とうやのへや”と平仮名で書かれたプレートが下がっている扉。漢字が使われていないその言葉を理解するのに一瞬だけ時間を要した。頭の中で変換を終えると、途端にその部屋に入ってみたい衝動に駆られる。だがしかし、今の最重要事項を思い出して踏みとどまった。思いを断ち切って、やや駆け足で階段を上っていく。二階にたどり着いてきょろきょろと廊下を見渡すと、たった一つ開いている扉があった。

 

「統夜?」

 

中を覗くと、薄暗い部屋で統夜が一人立っていた。床に引かれている絨毯の上で、両側の壁に沿うように置かれているガラス張りの巨大な本棚に手を当てている。

 

「ここ、父さんの書斎なんだ」

 

簪の為か、説明口調で統夜が言葉を発する。簪は月の光が照らす部屋におずおずと足を踏み入れた。月明かり照らされた部屋は埃こそ積もっていないものの、近年使用された形跡が全くない。人が暮らしていれば必ず残る、いわば人の残す影が全く見えなかった。

 

「家に持ち帰った仕事とか、ここで全部やってた。だから、俺の体の事とかラインバレルの事について何か情報が残ってるんじゃないかと思ったんだ」

 

統夜が部屋の中心に置かれている、一等目を引く大きな木製の机に近づく。簪もその隣に立って、統夜が開けていく引き出しの中に目を向けた。一つ目、二つ目と開けていくにつれて統夜の顔が焦りに染まっていく。

 

「くそ、何も無いな」

 

開けても開けても、引出の中には見事なまでに何も入ってなかった。流石におかしいと感じたのか、五つ目の引出しを開けた所で統夜の手が止まる。

 

「何でこんなに何も無いんだ……?」

 

「もしかして、誰かに荒らされたのかも」

 

「そんな、まさか……」

 

「ありえない話じゃないと思う」

 

簪が部屋をぐるりと見渡す。話を聞く限りでは、統夜の両親はとても優秀な人間の様であった。しかも自分達を襲ってきた敵にも関係しているともなれば、家探しの一つや二つされていても、何ら不思議な事は無い。

 

「じゃあ、ここに来たのは……無駄足って事か」

 

半ば投げやりに、最後となった引出しに手をかけて勢いよく開ける。その中を見た瞬間、諦めに染まっていた統夜の顔が強張った。簪もその中を見て驚きの声を上げる。

 

「これって……」

 

震える手で統夜が引出しに手を入れる。その中から取り出したのは何処にでもあるような、一通の茶封筒だ。切手も無ければ住所も無い、表にも裏にも何も書かれていない茶封筒を大事そうに取り上げた統夜は震える指でそれを開ける。封筒を逆さにして振ると、落ちてきたのは一枚の便箋と色褪せた写真だった。

 

「あっ」

 

統夜が取り損ねた写真はひらひらと舞いながら、大きな机へと落ちた。偶然にも写真が写った側が上となって机に落下した写真が、統夜と簪の視界にくっきりと映り込む。

 

「父さん、母さん……」

 

長らく放置されていたのだろう、写真の端は少し変色していた。しかし、写真の中央に映っている人物ははっきりと分かる。何処かの研究機関の様な、白一色の建物を背景にして、四人の人物が写真の中に居た。

 

「この人、もしかして……カルヴィナさん?」

 

統夜の両親の隣に映っているのは、若かりし頃のカルヴィナだった。統夜の父親の肩にも満たない小さい背丈と、女性というより少女らしいあどけなさが残る顔つきが目立つ。しかし今も昔も変わらない、海の様に蒼い瞳と腰まで伸びている銀髪が彼女だという事を如実に示していた。

 

「父さん達と一緒に映ってるって事はこの写真、少なくとも7年以上前に撮ったのか」

 

「でも統夜、こっちの人……誰?」

 

四人の内三人は見た瞬間分かった。統夜の両親とカルヴィナだ。しかし写真にはもう一人写っている。簪の言葉に統夜は写真をまじまじと見つめた後、ぽつりと言葉を漏らした。

 

「……この人、誰だ?」

 

外見はカルヴィナとは似ても似つかない、少女と呼べる年頃の少女だ。恐らくは日本人だろう、カルヴィナとは違った特徴の髪の色と顔つきがそれを示している。烏の濡れ羽の様に艶のある黒い髪と、細いフレームのメガネの奥で小さく光る髪の毛と同じ色の瞳。それらが彼女を印象付けていた。

 

「統夜……」

 

「いや、本当に覚えてないんだ。こっちの女の人は姉さんだってすぐ分かったんだけど、こっちはいくら見ても全然分からない」

 

「……」

 

「でも、何だかこの人、見覚えあるんだ」

 

「それは当たり前じゃないの?」

 

この写真に写っているという事は、紫雲夫妻やカルヴィナと何らかの関係があると考えるのが妥当だ。ならば幼い頃の統夜が見ていても不思議ではない。統夜の記憶と言っても、それはもう遥か昔の事。見覚えがある、という程度までに記憶が風化していても何らおかしくは無い。しかし、簪の言葉を統夜はかぶりを振って否定した。

 

「覚えているって訳じゃなくって、見た気がするんだ……しかも、つい最近」

 

二人揃って少女を穴の開くほど見つめる。きりりと吊り上っているカルヴィナの物とは対照的にとろんと垂れ下がる目尻、幼い顔に似合わない女性らしい体つき。体の上から下まで見つめ続けるも、統夜の頭に答えは浮かんでこない。頭をがしがしと掻き毟りながら写真から目を切った統夜は、床に落ちた便箋を手に取る。

 

「“いつも貴方と共に”」

 

簪が書かれている言葉を口に出す。真っ白い無地の便箋に描かれていたのはとても短い一文だけだった。裏を見ても表を見ても、その一文しか書かれていない。丸みを帯びた筆跡で書かれた文字は、写真と共に統夜の目の前で存在を誇示していた。

 

「あんた、誰だよ……」

 

答えの帰ってこない問いを漏らした後、統夜は写真と便箋を封筒へと戻して懐に仕舞い込む。ぐるりと部屋を見回してから、手近な木製の棚の引出しを上から下まで全て引いていく。無言のまま家探しを続ける統夜を見て、簪も反対側に置いてあった巨大な本棚に手を付け始めた。

 

「……」

 

「……」

 

しかし探せど探せど出てくるのは、専門的な学術書か、ラインバレルとは関係無さそうな紙の束ばかりだった。十数分程、無言のまま家探しを続けていた統夜は諦めの言葉の代わりに深いため息を吐くと、机に備え付けてあった椅子を引いてそこに座った。記憶に残る父と同じ場所に腰を落ち着けながら、肘掛に両腕を乗せる。統夜が座ったのを感じて、簪も動かしていた手を止めて戸惑いがちに声をかけた。

 

「そ、その……元気出して、統夜」

 

「……ごめんな簪、無駄足踏ませて」

 

「う、ううん。無駄なんかじゃ」

 

「でも次に行く場所はきっと何かあるから。さあ、行こうか」

 

椅子に体を預けて瞼を下ろしていた統夜が立ち上がる。何処か名残惜しそうにしながらも、統夜は廊下へと繋がる扉へと足を向けた。無言のまま、簪もその後をついていく。入ってきた時とは反対に足早に外へと歩いていく二人の間には、一つの言葉も無い。

 

「楯無さん、お待たせしました」

 

紫雲家を出てすぐの場所に停まっていた車に言葉を投げかける。半開きだった運転席の窓から右手が出され、返事の代わりに左右に揺れた。統夜と簪が車に乗り込むと、楯無がエンジンに命を吹き込む。

 

「さてさて統夜君。次は何処に行けばいいのかしら?」

 

「太い道路に出たら右に曲がって、しばらくは道なりにお願いします」

 

「りょ~かい。それで、何か収穫はあった?」

 

動き出した車の中で、統夜が懐に手を入れて封筒を取り出す。しばらくして赤信号で車が停まった所で、運転席越しに楯無へと封筒を渡した。封筒の中に指を入れて中身を確認した後、楯無が封筒を統夜へと戻して車の運転に意識を戻す。

 

「……これだけ?」

 

「これだけですよ。ただ、簪にも言いましたけどこれから行く場所の方が、何かある確率が高いですから。期待してて下さい」

 

再度封筒を仕舞った統夜が、胸にあるネックレスに指をやる。数年前から同じ輝きを放ち続けているそれは、長い年月を全く感じさせない。横から視線を感じて振り向くと、簪がこちらに視線を向けていた。

 

「それ、癖なの?」

 

「癖……?」

 

簪が何もない自分の胸で何かを弄る様な仕草を取る。簪の言葉が何を指しているのか理解した統夜はラインバレルを弄りながら言葉を返す。

 

「確かに、そうかもな」

 

「さ、触ってみてもいい?」

 

弄っていた指を止めて、ネックレスの下に掌を置く。響くエンジン音にかき消されてしまいそうな程小さな音が鳴ると、ネックレスが統夜の首から落ちる。そのまま簪の手にネックレスを握らせた後、統夜は唐突に口を開いた。

 

「俺の体にあるナノマシン、“D(ドレクスラー)ソイル”って言うんです」

 

「……?」

 

いきなりの言葉に、横にいる簪は頭の上に疑問符を浮かべている。しかし、運転席にいる楯無は統夜の言いたい事を察したのか、ミラー越しに一回だけ頷いた。統夜もよこにいる簪にちらりと視線をやったあと、二の句を継ぐ。

 

「その正体は自己修復能力を持つナノマシン。俺に規格外の身体能力と治癒能力があるのは、俺の体の中にあるこいつが原因です」

 

「な~るほど。つまりラインバレルの傷がすぐに治っちゃうのも、そのナノマシンの力って訳?」

 

「はい、このDソイルが俺とラインバレルを繋いでいるんです」

 

「質問。そもそもラインバレルって何故、何処で、誰に作られたの?」

 

「その答えは、これから探しにいきましょうか」

 

答えになっていない答えを返す。しかし、統夜にはこれしか言えない。何故ならラインバレルのファクターである彼自身すら、ラインバレルについて詳しく知っている訳ではないからだ。先日の臨海学校で更に深くラインバレルと繋がったと言ってもそれは今までと比べて、という事でしかない。

 

「……そこの門の前で止めてください」

 

車を走らせて十数分。先ほどから無言を保っていた統夜が声を上げる。楯無は示された場所の近くで車を止めると、一番最初に車から出た。統夜と簪も続いて車の外へと足を踏み出す。

 

「この先です」

 

統夜が指で示しているのは、背の高い門だった。市街地には似つかわしくない灰色の門は、月明かりの下で三人の前に堂々と立っている。左右両側には侵入防止用の緑色の太い鉄柵と、それに纏わりつくように鈍色の有刺鉄線が伸びていた。鉄柵の隙間から向こう側に道は見えるが開きそうにない門を前にして、統夜は隣の簪に手を伸ばす。

 

「簪」

 

「うん」

 

簪からネックレスを受け取ると、躊躇いも無く胸に押し当てる。次の瞬間、楯無が止める暇も無く統夜の体が光に包み込まれた。

 

『……二人とも、腕に乗って下さい』

 

「ちょっと、いきなり過ぎるわよ。誰かに見られたらどうするの?」

 

『大丈夫ですよ。この時間帯、こんな所に人なんて来ませんから』

 

至極あっさりとラインバレルになった統夜が、両腕を二人に差し出す。楯無は苦い顔をしつつも、その言葉に従って腰をラインバレルの太い腕に預けた。空いている左腕に簪が座るのを確認すると、ラインバレルの背部にある飛行ユニットが小さい音を立てて展開する。

 

『掴まって下さい』

 

言葉と共にユニットから片側三枚、左右で計六枚の羽根が伸びる。ふわりと浮きあがる感覚が簪と楯無を襲い、慌てて装甲の突起部を掴んだ。間髪入れずにラインバレルが空へと浮き上がった。そして、眼下に広がる景色を一望できる高度に到達した所で上昇が止まる。

 

『見てください……あれがあの日、俺の中で全てが始まった場所です』

 

周囲を取り囲む雑木林の中心部に、まるで人里から隔離されている様な建物があった。夜空から降り注ぐ灯りに頼って目を凝らしてみれば見えてくるのは、まるで廃墟の様に所々が崩れている建造物。しかし、過去にその建物で起こった事を考えてみれば廃墟という言葉も間違いではない。

 

「あれが……」

 

「さてさて、鬼が出るか、蛇が出るか。どっちかしら?」

 

『鬼はもうここにいますけどね』

 

軽口を叩きながら眼下を見下ろす。あの日姉に抱かれて背を向けた、父と母と過ごした思い出の場所がそこにあった。

 


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