蓬山から諸国の王宮へ伝令の朱雀が飛んだ。
その内容はしばらく行方不明だった塙麒が蓬山へ帰還したというものだった。
巧州国の各祀に麒麟旗が掲げられた。
先王が崩御して優に22年の歳月が流れていた。
冬至の令艮門。
そこに待ちに待った塙王選定のために昇山者が集うことになる。
◇◆◇◆◇◆◇◆
目を覚ますと目の前に白い石に施された繊細な彫刻が見えた。
ここは一体どこなのか。
黄朱の里の俺が寝泊まりしていた部屋は非常に質素で何もなかった。
というのにここはなんだというのだ。
天井にさえ彫刻を施すなんていうそんな贅沢な部屋には見覚えがない。
宗嗣は彫刻の施された天井に動揺し、圧倒されたまま動かなかった。
「お目覚めですか?」
宗嗣は一瞬混乱するも声の聞こえてきた方を振り向き、隣に控えている女怪を見てようやく理解した。
そうか。
ここは蓬山の奥、蓬蘆宮の中か。
「ああ、起きる。」
宗嗣は昨日起こったいろいろなことを思いだしていた。
蓬山の甫渡宮に辿り着けばこの女怪と玉葉含む女仙たちが宗嗣を出迎えにやってきて、昇山者など只人には入ることが叶わない門の向こうの蓬蘆宮へと案内され、玉葉と話をして宗嗣は自分自身のことを知ることが出来た。
その後は樟崋に案内されるままにこの露茜宮という宮にやってきた。
聳え立つ奇岩の巨石の合間を縫うようにしてあるこの建物には外の奇岩の迷路のような殺風景な感じでなく。草木といった緑もあるし、鯉の泳ぐ綺麗なため池があったりとこの蓬山の春の陽気を思わせる過ごしやすい気候も相まって非常に心地の良い空間であり、宗嗣は寝室の異様な大きさなども含めてこの建物の大きさに驚いたがそれ以上の居心地の良さにこの場所が一瞬で気に入った。
とまあ、昨日は今まで野営で蓬山まで向かっていたし甫渡宮に着いた当日だったこともあり、長い間玉葉と話していたこともあったのでそのまま荷物放り、鎧を脱いでいつの間にか眠ってしまったのだ。
「塙麒は非常にお疲れのようでしたね。」
そう言って微笑みかけるのは宗嗣の女怪の徠河だ。
爍繃にとはまた違った異様な容姿をしているが昨日一日で随分と慣れた。
というよりも徠河が近くにいるだけで落ち着くほどだ。
昨日の玉葉の話によると女怪というのは麒麟の卵果が捨身木に生るとその捨身木の根から生まれ、その麒麟を慈しみ守る存在なのだという。
産まれたばかりの麒麟を育てる乳母のような役割もあるのだとか。
麒麟自体がそんな母のような女怪を親しみをもてる存在だと思うのは何らおかしくはない。
宗嗣は持ってきた荷物から着替えの服を着ようと大人になりかけたこの身体でも大きな寝台から起き上がろうとすると徠河がそれを引き留めた。
「ん?どうした?」
宗嗣は寝台の端に腰かけた状態で徠河に尋ねると少し待っていてくださいというと部屋を出ていった。
すぐに戻ってきた徠河は樟崋を含む数人の女仙を連れて水差しと桶とそして衣服類だろう布を持ってきた。
「顔と足を洗います。」
とそう言って徠河は近づいてきたが流石に他人にそんなことをさせるだなんて恥ずかしすぎて嫌だ。
宗嗣は勢いよくそれを断った。
「ま、待て。それくらい自分でできる。」
それを聞いた徠河は落ち込んでしまい宗嗣はどうしようかと考えるが普通この年頃はそんなことを他人にさせないはずだと開き直る。
それに対して樟崋が話しかけてきた。
「塙麒。
女怪というのは麒麟のお世話をするために産まれてきたのです。
どうか徠河の意も組んであげてくださいませ。」
「・・・分かった。顔は自分で洗うから徠河は足を頼む。」
宗嗣がそういうと徠河は目に見えて元気になって宗嗣が洗面を終えた後に宗嗣の足を洗うことになったがその姿は宗嗣の足をとるその手にも動作にも慈しみの念が宗嗣にもよく分かるほどのものだった。
それだけこの女怪は俺をずっと待っていたんだろうと宗嗣は思った。
その後は女仙たちが揃えてくれた衣服に着替えることになっていたが宗嗣は少し考えてから言った。
「このあたりに水を浴びるところはないだろうか?」
この後は朝食なのだというがまずは出来る事なら蓬山への道中で汚れたこの身を水を浴びることで汚れを落としたいと思ったのだ。
そういうわけで樟崋の案内で宗嗣は服に着替えることなく水場へと向かった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
樟崋に案内されて徠河と共に向かった水場に辿り着くと宗嗣は特に躊躇いなく裸になって水に浸かった。
人前で裸になることに多少の羞恥は感じるもののそれほどではない。
宗嗣は遠慮なく水場に浸かり借りた布切れで簡単に自分の身体に付いていた汚れを洗い流す。
黄朱の里ではこんな風に全身をどっぷりと浸からせるほどの水場がなかったのでこの気持ちよさは日本にいた頃に風呂に入って以来だ。
お湯ではなく水なのが少し残念だが外の気候は寒いのではなくむしろ暖かいくらいなので問題ないだろう。
頭まで完全に水に浸かって簡単に髪を洗う。
水面に顔を出すことで首元に張り付いてくる髪が気持ちが悪い。
一年半で髪を切る機会も道具もろくになかったために随分と伸びて目に入ってくる自分の前髪を掴んでみる。
日本にいたころの黒髪ではなく赤と金の混じったような神秘的な色合いの髪の毛は宗嗣が胎果である証だ。
「塙麒の鬣はキラキラと輝く赤色で綺麗ですね。」
水場の畔にいた樟崋が宗嗣が前髪をいじるのを見て声をかけてくる。
確かに綺麗だ。しかし、
「鬣というのはどういうことだ?」
どういうことだ?少し疑問に思って尋ねる。
鬣というのは馬や獅子などの首回りなどに生えている髪のことだ。
わざわざ髪ではなく鬣というのはなんでだろうか。
「麒麟の場合それは髪ではなくて鬣というのです。
邪魔だからと言って切ってはなりませんよ。転変した時にみっともなくございますから。」
樟崋は宗嗣は髪を切ろうと思っていた自分を見透かされて少しだけ動揺する。
「転変というのはなんだ?」
鬣同様によく分からなかったために宗嗣は樟崋に尋ねる。
「麒麟は人と獣の両方の姿を持っています。
転変とはつまり獣の姿にその身を変化させることです。」
塙麒は鬣がそんなにも綺麗な赤色でいらっしゃいますから転変した姿もとてもお美しいことでしょう。
などと言う樟崋とは打って変わって宗嗣は自分の獣姿をどうしても思い浮かべることが出来なかった。
麒麟というからには獣の姿をしているのだろうことは分かっていたが自分がその麒麟なのだとは考えられない。
そのままじっとしていると流石に水なので冷えるだろうと思って水場から上がる。
宗嗣は全身の水気をとって徠河が用意していた衣服に着替える。
黒い白の装飾に彩られた長袍という足の近くまで全身を覆うような長い衣服だったが動きにくくて仕方がない。
今まで黄朱の里出来ていたのは袍衫というせいぜいが腿までの長さの袍で下は今と同じだがズボン状の袴を着ていたために動きやすかった。
この世界は上位の者ほど布を多く使った衣装を着ている。
王の次に偉い麒麟の衣服がこの長袍であることは理解できるが動きにくいというのは宗嗣は嫌だった。
「樟崋。
この袍は長すぎて動きづらいからもう少し腰下くらいまでの袍はないか?
今日はこれでいいから出来れば明日からはそれでお願いしたい。」
「分かりました。そのようにします。」
わざわざ持ってきた衣服に着替えようとは思わない。
ここの徠河を含め女仙たちが俺に良くしてくれているのは十分に分かっているつもりだ。
蝕で蓬莱に流されてしまった俺を憐れんで優しくしてくれているのだろう。
だから、少しでもみんなの優しさに報いたいと思っている。
ただ麒麟であるというだけでこんなにも俺に優しくしてくれているのだから。