宗嗣は黄海にある温泉から蓬蘆宮は露茜宮へと戻ってきた。
日が暮れて暗くなってしまったためによく見えないが、月明かりに照らされる蓬蘆宮の奇岩の迷路を眺めながら露茜宮の樟崋を含める女仙たちが集まっている場所に宗嗣は降り立つ。
「塙麒!私たちに何も言わずに蓬蘆宮を出ないで下さい!」
宗嗣は心配したんですよと言う樟崋の言に頷いて同意する女仙たちを見渡す。
予想していたことだが少し面倒なことになった。
宗嗣はいい忘れたことを少し後悔した。
「とは言え、麒麟とは幼い頃から黄海を遊び場として妖魔と戯れるものなのだろう?
黄海へ行くことくらいいいじゃないか。」
「そういうわけではございません!
塙麒が無断で黄海まで行った事を言っているのです。
いきなり蓬蘆宮を出ていかれては私たちも困惑してしまいます。」
「分かった。
今日は偶々知らせるのを忘れたんだ。
夕方に出てすぐに戻ってきたのだから問題ないだろう。」
「塙麒は私たちに無断で一度柳国まで行って一週間も帰ってきませんでした。
もう少し御身を大切になさってください。」
「いや、樟崋。
その時は一週間じゃなくて六日間・・・」
「一週間も六日間も同じです!」
温泉で気付いて覚悟していたことだがやはり怒られると悪いことをしたように錯覚してしまう。
ただ、無断で黄海に行っただけだというのに・・・
「塙麒。
夕食が出来ています。
沐浴をすませていつもの部屋に行きましょう。」
最後に樟崋は優しくそう言って、女仙たちの数人がタオルや宗嗣の着替えのための衣服を持って宗嗣に近づいてきた。
一人の女仙が宗嗣に大きめの布を被せてくる。
それを待って宗嗣は麒麟の姿から人の姿に転化する。
前足と後ろ足の感覚から手足と両足の感覚へと変わっていくのを感じる。
毎度感じることだが、本当にこの転変と転化の瞬間は不思議な感覚だ。
「沐浴はいい。
今日は黄海の温泉に浸かってきたのだ。」
宗嗣はタオルを見に纏いながら樟崋に言う。
「そうですか。
それではお着替えをすませて夕食といたしましょう。」
宗嗣はいつもの袍衫に着替えて夕食を食べにいつもの部屋へと樟崋や女仙たちを伴って向かう。
このように樟崋たちを心配させたときは常に思う。
女仙たちは俺に本当に良くしてくれている。
しかし、それは麒麟という王を選定する特別な存在であるからであり、俺自身に対する好意ではないと思う。
だからこそ、王を選定することに疑問を抱き、王を選ぼうとする気概のない俺は女仙たちに申し訳なく思ってしまう。
これからしようと思っていることを考えると余計に。
◇◆◇◆◇◆◇◆
蓬蘆宮にある露茜宮もうっすらと朝霧に包まれて、少し朝らしい涼しさを感じる中、宗嗣は外にいた。
宗嗣は現在、女仙たちすら未だに起きていないだろうほどに早い時間に露茜宮の外に出ていた。
今日、宗嗣は生国たる巧国へと向かう予定なのである。
宗嗣はこの一年の間に年に四回の昇山によって多くの昇山者たちに会ってきたが未だに王に出会ってはいない。
普通は基本的にはずっと蓬蘆宮にて王が来るのを待つべきなのだろうが宗嗣には我慢がならなかった。
宗嗣は未だに王を選定するのを迷っている。
だからこそ、王に会って自分の王となる人物を確かめようと思ったのだが、王に会えなかったらそれすらならないのではどうしようもない。
宗嗣は今の王を選ぼうとは思わないこの状況で昇山者をこの蓬蘆宮で待つ気にはならなかった。
だからこそ宗嗣は蓬蘆宮を出て巧州国へと向かうことに決めたのだ。
女仙たちには昨日怒られたばかりなので忘れずに書き置きを書いておく。
『少し巧国を見てきます。』
とでも書いておけば大丈夫だろう。
せめて、無断で柳国に行ったときよりかは大丈夫なはずだ。
女仙たちには申し訳なく思っている。
俺が麒麟だからなのだが、ここまで世話を焼いてくれたのは感謝している。
それでも、俺は巧国に行って王に会ってみたいのだ。
それに、巧国の現実を直に見ることが出来るのだから。
「爍繃、頼む。」
『了解した、主よ。』
宗嗣は爍繃に股がって露茜宮を離れる。
宗嗣が持っていくものは黄朱の里にいたときに巽の街で売り払ったことで手に入れた為替と銭を入れた財布と爍繃の上で食べようと思って蓬蘆宮から持ってきた果物などを入れた袋だけだ。
宗嗣は朝霧に包まれる露茜宮を眺めながら爍繃に乗って東へと向かった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
宗嗣は爍繃に乗って東へと向かって黄海を越えていく。
下には草原などもあるが木々が生い茂っているために暗い森が多くを占めている黄海がある。
恐らくは、つい最近の秋分にやって来た昇山者たちが下山しているのだろう。
時刻は太陽が中天を越えたあたりだ。
宗嗣は今、爍繃の上で果物をかじっている。
目の前には金剛山が見えており、もう少しでその山を越えることだろう。
黄海の上を行っているときはいつものことだが鳥型の妖魔が襲いかかってきた。
それに対して烈魁や晧霍が対応してくれた。
禍悸は戦いには向かないのだ。
そんなことを思っている間に爍繃が金剛山を越えてしまった。
下には綺麗な紺碧の海が広がっている。
よく考えてみれば、この海を見るのはこの十二国の世界の海辺に流れ着いて以来だ。
宗嗣は眼下に広がる海を眺めながら思い出に浸る。
『主よ、正面に蠱雕が。』
思い出に浸っている時間はそうないようだ。
正面には茶色の翼と角を持つ鳥の化物が見える。
そいつらがこちらに向かってきているのは明らかだ。
「烈魁、晧霍。
目の前の蠱雕を排除しろ。」
『『はっ。』』
二匹の宗嗣の使令が海に写る爍繃の影から出てくる。
烈魁が突進で大ダメージを与えて、晧霍がその爪牙をもってして蠱雕を切り裂く。
血の臭いが潮風にのって漂ってくる。
宗嗣は眉間に皺を寄せながら裾で口元を覆う。
『主よ、大丈夫か?』
「大丈夫だ、爍繃。
心配する必要はない。」
少し目眩のような状態に陥ってしまったがこれくらいならば問題ないだろう。
しかし、青海に出てすぐに妖魔に出会うとは・・・
どうやら巧国の状態は結構酷いのかもしれない。
覚悟しなければな・・・
「行ってくれ、爍繃。
妖魔にで会うたびに止まっていては今日中に巽の街に着くことはないだろう。」
『了解した、主よ。』
宗嗣は爍繃に乗って青海を南東の方向に進む。
巧国の沿岸が見えるまでに宗嗣は幾度も蠱雕を含めて妖魔に出くわした。
その度に烈魁たちはこちらに向かってくる妖魔を排除したために巧国沿岸が見える頃には宗嗣は車酔いのような状態になってしまっていた。
宗嗣は爍繃に人気のいないところに下ろしてもらってしばらく気分が治まるのを爍繃に寄りかかって待つことにした。
その後、歩き出して空が夕焼けによって朱色に染まる頃、宗嗣は巽の街の北の子門に辿り着いた。