巧州国巽城。
巧州国は寧州の隣の禄州に位置する巽県の県城である。
その県城の北西の方向には令巽門があり、その先には黄海が広がっている。
県城の北西には普通の県城以上の街にはある戌門と亥門が存在せず令巽門に続く天門が存在する。
現在、宗嗣はその天門のすぐ近くにある子門の前にいた。
宗嗣の目の前には日が暮れてしまわないうちに巽城に入ろうとする者たちが2,30人程だろう人々が列をなして待っている。
それを見る宗嗣もこの巽城へと入ろうとする列に並んでいる。
もちろん、爍繃には宗嗣自身の影に他の使令共々血に穢れたその身を清めて遁甲してもらっている。
宗嗣は真っすぐに門へと進んでいく。
「旌券を。」
宗嗣の鬣は他の麒麟とは違って金色ではなく赤色だから門衛に訝しげに思われることもなく宗嗣の旌券の確認を行う。
一言宗嗣にそう言った門衛に宗嗣は持っていた朱色の線の入った旌券を渡して見せる。
それを見た門衛はあからさまに眉を顰める。
「・・・通って良し。」
それも当然か。
宗嗣の旌券には一条宗嗣という名前とこの旌券が発行された巽城の役所が書かれているが、それに加えて朱色の線が入っている。
この朱色の線の入った旌券は仮の旌券であるという意味であり、世間一般に"朱旌"という。
この旌券は前に宗嗣がこの巽城に用があった時にわざわざ鄭楽が用意してくれたものだった。
旌券とは戸籍があってこそ正規の旌券として見られるわけで、蓬莱から来た山客である宗嗣はそもそも麒麟の自国に戸籍を持たない生き物であるために仮の旌券である朱旌しかえられなかったのである。
この朱旌を持つ人物というのは、今宗嗣の後ろの方に並んでいる旅芸人の集団のような土地を持たないために定住せずに諸国を放浪する者たちや黄朱の民のことを指し、中には土地を離れた侠客や犯罪者、隠遁者などもその朱旌を持っている。
そして、これら土地を持たない者たちのことをまとめて浮民と呼び、この巧国においては差別の対象として半獣や海客・山客、荒民と共に蔑まれているのである。
さきほどの門衛は宗嗣のその朱旌を見て、更には一人でこの辺りをうろついている姿から旅芸人ではないと当たりを付けてあからさまに顔を顰めたのだ。
まあ、それでも構わない。
以前、黄朱の里から天門を通って朱旌をもってこの巽城に入ろうとした時もそのような顔をされたのを覚えている。
そうであってもこの門を潜ることは出来たのだ。
それで良しとしよう。
宗嗣は周囲の訝し気な視線を受け流しながら子門を潜る。
その門の先には約二年ぶりの街の風景が広がっていた。
幅の広い馬車が二台通っても十分に余裕のある中大経という大路が真っすぐに伸びていて正面の城壁のある府城まで続いている。
その道の両端には宿屋や食事処や商品を扱う店舗などが並んでいる。
この王のいない巧国にしては他の街よりも随分と繁栄しているのはやはり、令巽門の門前町であり、各国から黄海へ渡るためにこの門前町に銭を落としていってくれるからであり、特にこの数年は巧国や柳国に芳国の昇山者たちが年に一回はこの巽城を通って黄海へと向かうために人と物の流れは非常にいいのだと、この街に初めて訪れた当時ここの住人だろう壮年の男性に宗嗣がボーっとこの街並みを見ているのを見て教えてくれた。
まあ、その時は鄭楽も一緒だったから説明はいらなかったのかもしれないが。
さて、それはいいとしてもう日も暮れ始めていることだしどこか今晩泊めてくれる宿を探さなければな。
宗嗣はこの日本とは全く異なる雰囲気を放つこの巽城の街並みを存分に堪能しながら宿を探しにこの街を歩いていく。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「・・・駄目だ。
他の宿屋をあたれ。」
宗嗣は大路に面する宿屋に最後の希望を掛けて頼み込んだが玉砕してしまった。
後ろの旅芸人の集団の方から聞こえてくる陽気な雰囲気がより一層宗嗣の心に哀しみを募らせていった。
宗嗣はこの国を世界を知るために蓬山は蓬蘆宮から脱走してこの巧国へとやってきたのだ。
そして、今宗嗣はこの世界の日本とは違った闇というものを実感していた。
宗嗣はこの巽城という街に着いてから観光気分で街を散策しながらももう日が暮れ始めていたために今晩泊まる宿を探していたのだ。
そして、宿は簡単に見つかった。
当たり前だろう。
もともと令巽門の門前町としてこの街はあるのだ。
毎年とは言わずともどこかの国で王が崩御したらばこの街を年に一度は通るために宿は十分にある。
それもその国の仮王が泊まることが出来るような非常に高価な宿や一般人が泊まることが出来るような普通の宿までいくらでもある。
宗嗣も一般人が泊まるような場所に泊まろうとしていた。
金子に関しては以前この街で売り払った時に得た幾許かの銭と一般人が一年は楽して暮らせるような大金を得たために為替として紙幣のような感じで手に入れてあったから問題はない。
だからこそ、別に特別な部屋でなくてもいいのだから相部屋でも構わないと店主に頼み込んで了承を得たのだが、宗嗣が持っていた朱旌を見せた途端に厳しい表情をしてあなたをこの宿に泊まらせるわけにはいかないのだと言われたのだ。
巧国には半獣の差別があることは知っていた。
しかし、浮民という身分である朱旌という連中に対しての差別が存在することはよく知らなかった。
以前この巽城に来たときは鄭楽と共に来たがすぐに令巽門に引き返して日帰りだったために浮民に対する差別というものを知りようもなかった。
しかし、これはあるいは当たり前なのかもしれないとも思ってしまった。
朱旌には犯罪者や危険な侠客などもいるのだから。
宗嗣は身をもって日本には外面的には存在しえなかった差別というものを経験してしまった。
何故、土地を失ったからと朱旌の連中が差別を受けなければならないのだ。
黄朱の民に関しても同様だ。
何故、そこまでして嫌われなければならないのか。
朱旌の民である旅芸人は民にとっての娯楽であるはずだ。
何とかして以前地球でもなされた黒人差別の撤廃のごとく半獣、浮民、海客・山客の差別の撤廃を出来ないだろうか。
そんなことを自分の今日の寝床を探すのも忘れて考え込んでしまった。
結局、日が暮れてしまったのに気付いて探し回っても朱旌だからという理由で追い出されてしまった。
最後に金さえ払えば入れてくれるだろうかと思って高級な宿も訪ねたが見事に空振りだった。
宗嗣は今晩寝る場所を見つけられなかった。
「はあ、まさかここまで朱旌の人々が差別されているとは・・・」
ここまで来て考えることが差別を受けている朱旌の民のことであったのは宗嗣が麒麟ゆえだろうか。
そして、大路の端の木の生えているところにでも今晩は眠ろうかと考えていた時だった。
「あんた、朱旌の者よね?」
いきなり30は行かないだろう若い女性が尋ねてきた。
「ええ、まあそうですね。
俺は世間知らずだから普通に宿に泊まろうと思ったら追い出されてしまって・・・」
「だったら、今晩は私たちのところで泊まるかい?」
彼女が指をさして見せたのは先程から陽気な雰囲気を背中に浴びせてきていた旅芸人の集団だった。
「今日の夕方にあんたが門衛に朱旌を見せているのを見つけてね。
それで今こうして困っているようだったからもしかしたらってね。
やっぱり寝る場所がなかったのかい。」
「あの・・・いいんですか?」
「構わないよ。
旅人を救うと私たちは良いことが出来て嬉しいのさ。
まあ、昔から何かと縁があってね。」
そう答える女性の後ろの方では彼女の意見に反対するものはいないようでみんな頷いている。
ここは一つ人に善意を遠慮なくもらっておこう。
「それでは、ありがとうございます。
俺の名前は一条宗嗣。
蓬莱生まれで、黄朱の民です。」
「・・・なるほどね、海客だったのか。
どうりで。
ああ、私のことを紹介し忘れたね。
私は玉葉。
この旅芸人の一座の一員だ。」