宗嗣たち旅芸人の一座一行は周囲を荒れた農地を横目に大きく開けた道を進む。
整備などそうそうされてはいないのか大きく広い道にしてはデコボコとしていて馬車には不適な道路だ。
せいぜい人通りが多いがために人の脚で踏み固められている程度だ。
宗嗣はデコボコの道を行くがためにガタガタと音を立てながら旅芸人の一座の道具が積まれている馬車の隣を歩きながら周囲の風景をその目に焼き付ける。
周囲に広がるのはかろうじて人が農耕を営んでいる農地だ。
しかし、その農地に未だ穀物を実らせるのは早い植物、恐らくはつい一、二か月前に蒔かれたであろう冬小麦はまだ成長の途中であろうはずなのに疎らにしか雑草のように生えているそれは今の巧国の現状を宗嗣に教えてくれる。
土地が枯れているのだろう。
だからこそ、今見ている限りであちらこちらに見える何年も人の手が加えられていないような農地が見受けられるのだ。
ここは、巧国の禄州は最東部、つまりは喜州に最も近い郡の郡城の比較的近くのところである。
太守の目の前だというのに農耕をしていた者は自分の土地から逃げて巧国よりも幾らも裕福な慶国や奏国へと荒民として逃れてしまっているのだ。
それに、今宗嗣たちが通っているこの道は郡城という比較的人の多い都市から巧国の首都である傲霜まで続く大きな街道網の一つである。
それだというのにこの道を通る人の影はこの一行以外には見られない。
普通大きな街道であれば人と物の行き来は盛んなはずである。
「本当に巧国は変わってしまったものだなぁ。」
宗嗣がその声の聞こえた方向を振り向けば隣の馬車の荷台に乗っている座長の微真の姿があった。
「・・・と言うと?」
「私たち一座は土地を持たず世界中を渡り歩く朱旌の旅芸人。
前にも話したように海客の女の子と20年以上前に巧国で出会ってね。
・・・そのすぐ後に前の王が崩御なされたようだけどその時はこれほどまでに土地も荒れ、妖魔が出没するなんてことは無かったからね。
まあ、妖魔に出会いはしていたのだから国が傾きかけていることには薄々気付き始めていたのだけれど・・・」
「・・・それでどうしてこんな荒れている巧国なんかに来たんですか?」
「何でだろうね。
前のように天意のようなものがあったのかもしれないね。
宗嗣を助けてあげてくれと。」
「それってどういう?」
「中嶋陽子。
それが私たちが会った海客なのさ。」
「それって!」
中嶋陽子。
字を赤子という現在の巧国の隣の慶国の女王だ。
「どうして慶女王なんかが巧国なんかに?」
「当時の巧国の海客に対するものはそれは酷いものだったからね。
あの慶の女王でも元は海客だったとそうことなのさ。」
何とも興味深い話を聞いた。
海客の存在に対して未だにこの巧国は何の対応も出してはいない。
まあ、土地も持たない巧国の民とは言えないような浮民やこの世界の民でもないような海客とではこの国の者である半獣の差別の緩和を行う方が現実的であることは分かる。
あの仮王である鷹恂のやりそうなことだ。
しかし、この国にも海客は流れ着くのだ。
雁国はもとより慶国でも海客に対する対応がなされ始めていると聞く。
巧国もその差別をどうにかできないだろうか。
と、そこまで考えていると何やら前方の方が騒がしくなってきた。
一番前のこの一行の馬車があるところだろうか。
「何かあったのでしょうか?」
「何だろうね。」
宗嗣は前の様子を確かめるために前方を注視する。
しかし、この隣の馬車は三台ある一行の馬車の内の最後尾であり前方の様子は馬車が邪魔でよく見えない。
かろうじて見えるのは騒ぎが起こっているのだろう場所のところには左手に森というよりも林のような木々が生い茂る場所が見えた。
そこまで確かめて気付いた。
「・・・血の匂いが。」
宗嗣は裾を顔に持ってきてその血の匂いが鼻に届くのを防ぐ。
そして、その宗嗣の様子を訝しんでいるところに前方の方から一座の一員がこちらに駆け込んできた。
「ざ、座長っ!
よ、妖魔が、妖魔がッ!」
それを聞いただけで宗嗣も微真もようやく気付いた。
その時、辺りに獣の雄叫びが響いた。
妖魔だ。
だから、血の匂いがするのか。
俺の前で人が妖魔に殺されたのかもしれない。
・・・俺のせいだ。
俺が王を選ばずにダラダラと過ごしているから!
「宗嗣!」
宗嗣は血の匂いに顔を顰めながら何も考えずにその場を飛び出した。
俺ならば爍繃たちがいるのだからどうにかできるかもしれないと思って。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「馬腹だーっ!」
「皆!逃げろーっ!」
「馬車はそう簡単には動かせない!」
「捨て置け。
命があるのが一番だ!」
一座の先頭は混乱に陥っていた。
一行の正面には道を塞ぐような形で体高が3メートル以上はある非常に大きな人面の虎、馬腹が陣取っていた。
その混乱した集団の護衛やそれ以外の者も含めて全員に護衛役の中心である黄鉄の一喝によってその場がまとまり始める。
既に50を過ぎており、老人と言っても過言ではないもののその気迫は護衛の者たちのそれをも上回る。
年配故の気迫だろう。
武のない者たちは後ろの方へと逃げる。
「黄鉄さん、あいつはどうするんですか!?」
護衛の青年の声に対して黄鉄は苦い顔を浮かべる。
馬腹は斜め前の林の方から現れていきなり一行の先頭に襲い掛かってきたのである。
馬腹は己の右手の大爪をもってして襲い掛かってきたがいち早く気付いた護衛を担っている青年が自身の剣でその攻撃を防ごうとした。
しかし、彼の剣は馬腹の攻撃の威力に負けて折れてしまって、更には彼の胸を斜めに抉ったのだ。
現在、その青年は息はあるものの馬腹の足元に倒れている。
馬腹はとどめを刺さずにそのままにしている。
まるで、目の前にいる人間たちの気持ちをもてあそぶように。
「・・・撤退だ。
馬車の馬を放せ!それを囮に俺達は逃げるッ!」
苦い顔をしながら黄鉄は周囲の者たちに命令を下した。
ただの馬腹でも脅威だというのに目の前の馬腹は従来のそれ以上の大きさなのである。
周囲の者たちも同様に苦い顔を浮かべながら行動に移す。
彼らも分かっているのだ。
青年は助からないと。
助けようにも犠牲を伴うと。
誰かが馬車の馬の轡を外そうとする。
しかし、そこに馬腹がいや、大けがを負った青年のいるところに走り去る者がいた。
「ばっ!馬鹿な!止めろ!」
宗嗣は後ろに逃げていく一座のみんなの合間を縫いながら一行の先頭へと躍り出る。
そこで宗嗣が見たのは道の真ん中にそこを通る者を妨げるようにしてある馬腹とその足元に倒れ伏している宗嗣も知っている一行の護衛をしている青年だった。
宗嗣は辺りに漂う濃い血の匂いに頭がくらくらとして気分が悪くなっていくが迷わず青年のもとへと向かう。
「爍繃ッ!禍悸ッ!
俺は彼を助ける。馬腹を退かせ!」
周囲には一座の護衛たちの眼があるがそれを気にしてなどいられない。
俺の目の前で人を死なせるわけにはいかない!
宗嗣の影から爍繃と禍悸が出てくる。
爍繃は影から出てくるなり馬腹に向かって青年を巻き込まないように突進をかます。
馬腹は爍繃の突然の出現に驚いているところを後ろへと吹き飛ばされた。
宗嗣は青年から馬腹が離れたところですぐに青年のもとへと向かった。
青年からダラダラと流れ出る赤い血が宗嗣の精神を削り、身体的にも気分を悪くさせる。
宗嗣はそんなことは気にしたことかと青年の左手を首に回すようにして抱える。
宗嗣は大量の血に穢れて虚脱感や吐き気すらも覚えるもののゆっくりとだが護衛たちがいる方へと向かって歩いていく。
彼らは爍繃と禍悸の存在に驚きながら宗嗣の方も見て混乱しているようだ。
やっと近くまでやってきた宗嗣と青年の存在に気付いて駆け寄ってくる。
良かった。
やっと気付いてくれたか。
もう持ちそうにない・・・
宗嗣は青年を抱えながら倒れ込んだ。
・・・やはり麒麟のこの血の穢れを嫌う体質は不便すぎる。
宗嗣は横目に禍悸の毒羽を浴びて動きが鈍くなった馬腹に向かって爍繃が襲い掛かっているのを眺めながら意識を失った。