宗嗣は現在、賓客をもてなすための建物である掌客殿の中にある応対の間といったような場所にいる。
宗嗣は鷹恂が突然現れた後に微真や玉葉を含め旅芸人の一座のみんなに今までのお礼と別れの言葉を告げて、宗嗣は鷹恂によって連れられた人の乗っていない馬の妖獣、吉量に乗った。
宗嗣は周囲の傲霜の民たちの訝しむような視線を受け、宗嗣と鷹恂を囲むようにして騎獣に乗る護衛数人を伴って凌雲山の山頂に向けて駆けていった。
そして、宗嗣と鷹恂たちは雲海の下の路門より入って外宮は路門の正面に位置する外殿の西隣は掌客殿へと向かったのだった。
路門から出た後に見た雲海には驚いた。
知識としては知っていたが、日本における雲海とは海のような雲であったのがこの世界では空に浮くようにして海の雲とでもいうべきものが広がっているのである。
その後、宗嗣は掌客殿にて鷹恂に促されて建物の中にある風呂に入った。
温泉には黄海で度々入っていたから日本からこの世界に来て以来のお湯というわけではなかったものの、久しぶりに湯船に張られたお湯に浸かるのはいいものだった。
まあ、湯船も洗い場も大きすぎて少し落ち着かなかったのだが・・・
風呂に入った後に用意されていた長袍に腕を通してこの部屋に案内されて、現在に至る。
「申し訳ございません。
蓬山公には仁重殿をお使いになられるべきはずなのですが、何分突然の御出座しゆえ準備が間に合いませんでした。」
「構わない。
俺が無理を言ったのは分かっている。
取り敢えず、今晩の寝床があるだけで十分だ。
ありがとう。」
最初は鷹恂の謝罪から始まったが、これは元より王も連れずにいきなり翠篁宮へとやって来た宗嗣が悪いのだ。
普通、麒麟旗が上げられてから王と麒麟を迎えるために王宮の準備がなされ始め、麒麟が王を選んだときにやっと最終的な準備が終わるのだ。
つまり、宗嗣が王を選んでから住まうことになる仁重殿は未だに麒麟を迎えるための準備が終わっていなかったのである。
宗嗣が傲霜に着いてから鷹恂に文を送ったのだから当然と言えば当然なのだが。
「さて、蓬山公。
あなたのこの翠篁宮は鷹恂の元へと訪ねた理由は御送りいただいた文にて了解しております。」
そう言って宗嗣の正面に座る鷹恂は宗嗣の正面にある机に一枚の木の板を差し出した。
それは、朱線の入っていない旌券であった。
「私の裏書きの書かれた旌券を用意いたしました。」
さすがは実利主義の鷹恂と言えよう。
仕事が早い。
「そうか。
ありがとう。
しかし、これには仮の旌券の証である朱線が入っていないがいいのか?」
「構いません。
元より麒麟はその国に戸籍を持たず神籍にある生き物。
人の理に合わせる必要もないかと思われます。」
それもそうか。
この巧国の仮王の裏書きのある旌券だ。
ありがたくいただこう。
これで、巧国を放浪する際になんの問題もなく宿で寝泊まりすることが出来るだろう。
府城に用があるのならばこれがあれば簡単に用を済ませることもできよう。
この旌券は有意義に使わせてもらう。
宗嗣がその旌券を取って懐に収めると鷹恂が宗嗣に問うた。
宗嗣も予想していたことだ。
「蓬蘆宮から蓬山公が巧国に出奔したと聞いたときは驚きました。
それは、この巧国にいる王を探すためで御座いましょうか?」
それを聞きたいのも当然だろう。
鷹恂は仮王として今まで20年以上もの間、この巧国を治めてきたのだ。
この巧国のことを一番知っている人物と言えよう。
この荒廃した巧国を知っているからこそこの巧国の未来を決める巧の麒麟が何をしているのかを知りたいのだろう。
・・・これは、正直に言うべきだろう。
俺が孵らなかった、帰らなかった20年以上もの間この巧国を支えてきてくれた鷹恂には知ってもらうべきだろう。
俺が王を選ぶことに迷っていることを。
「鷹恂、俺は確かに王を探しに来た。
しかし、それは王を選ぶためではない。王となりうる人物を知るためだ。」
「それは、どういう・・・?」
「俺は、王を選ぶことについて迷っているんだ。」
宗嗣は蓬山で出会ってから見たことのなかった鷹恂の驚いた顔を初めて見せてもらった。
それを見てから真面目な表情になって宗嗣は全てを話した。
「俺は麒麟は王を選んでその後は王の生き様一つで生死が決まってしまうというような自由がなくなってしまうのが嫌なんだ。」
「それは・・・
麒麟は皆その様な生き物なのでは?」
「ああ、そう思うのが最もだ。
しかし、人にはそれぞれ可能な限りの自由が与えられているような蓬莱で学び、過ごしてきたんだ。
鷹恂が麒麟を選ぶのは当たり前だと思ってきたのと同じように俺は蓬莱の価値観に馴染みすぎた。
そういうことなんだと思う。」
その宗嗣の言葉を聞いて絶望したような表情を見せた。
それも当然だろう。
自国の麒麟が長く蓬莱にいたせいで王を選ぼうとはしていないのだから。
「それでは、蓬山公は蓬莱にて麒麟の性を御無くしになられたと?」
「そうではない。
俺は確実に蓬莱にいた頃よりも麒麟の力を解放しつつえる。
転変もした。
折伏もした。
血を、争いを嫌っている。
俺は麒麟だ。
それは間違いない。」
鷹恂の表情から絶望の色が薄くなった。
「例えばだが、俺はここまでの旅で荒れた巧国をどうにかしたいと思った。
それは俺の麒麟の慈悲というものだろう。
しかし、俺の人間としての偽善でもある。
俺は生まれたときから持つ麒麟の性と同時に蓬莱で獲得した人間視点のの価値観ともいうべきものを併せ持っているのだろう。」
「つまり、麒麟としての気持ちが蓬莱で培った人間としての気持ちが邪魔をしているとそういうことですか?」
「ああ、それで間違いないと思っている。」
随分と厳しい表情をしている。
「そこでだ。
俺は王に会って納得したいのだ。
何をどう納得しようというのかは分からない。
そのために俺は巧国まで王に会いに来たのだ。」
蓬山で昇山者を待つよりも王に直に会いに行くことによって王を知ることが出来るのならばそうしたかった。
そう続けた宗嗣に対して鷹恂の表情は未だに暗いままだった。
それもそうだろう。
自国の麒麟が言外にもしかしたら王たりうる者に会っても納得しなかったら、その王たりうる者を塙王としないと言っているのだ。
今まで巧国を支えてきた鷹恂にとってはたまったものではないだろう。
それでも、
「・・・蓬山公の思いはよく分かりました。
ご存分になさってください。
・・・これも天帝の思し召しでしょう。」
もしも、これがいい方向に向かうとすれば、それは昇山するつもりのない又は出来ない者を何年も待つことなく王に迎えることが出来るということだ。
鷹恂はそこに賭けたのだ。
「それで、これから何処に向かわれるので?」
「いや、まだ決めていない。」
「は?」
鷹恂は、もしかしたらこの麒麟は既に王気を感じているかもしれないと思って尋ねてみたが帰ってきたのは予想だにしなかった答えだった。
「そうだ。
鷹恂は何か面白い話を知らないか?」
「・・・」
鷹恂は思った。
この麒麟はもしかしたら王に会うためとかこつけてこの巧国の散策を楽しんでいるのではないかと。
この鷹恂がふと思ったことがあながち間違っていないことが哀しいものだ。
「まあ、三年ほど前に巧国は北部の淳州にて海客が現れて現在は椁夭に匿われております。」
「椁夭。
確か、鷹恂と一緒に昇山した海客やその知識を知るのが趣味の変わった州候であったか。」
「そうです。
もし、蓬山公が椁夭の元へと行くというのであればお気をつけ下さい。
あの者は王だから麒麟だからと手加減するようなものではないゆえ。」
「そ、そうか。
忠告感謝する。
そうか、海客か・・・
俺も海客のようなものだがその存在を知るのも勉強になるだろう。
・・・そうだな。
鷹恂、明日か明後日にはその淳州の州都へと行こうと思う。」
「そうですか。
では、護衛をお連れに」
「いや、必要ない。
俺には爍繃たちがいるからな。
それに、一人でこの国の実情を見て回るのも重要だと思う。」
鷹恂は護衛を必要としないと言う宗嗣に驚いたが、続く言葉によってこの麒麟が巧国のことを思っているのを確と知って嬉しく思った。
こうして、食事などの準備をして二日後の朝に宗嗣は淳州州都柯柊へと向かうこととなった。