ファンヴァルト邸のリビングには、アーシェとシン。そして、シリウェルがソファーに座って向き合っていた。
テーブルの上には紅茶があり、シリウェルは手にとって味わうように口に含む。
「……久しぶり、だな。カレナの紅茶を飲むのは」
「兄様……」
カレナというのはファンヴァルト家の侍女の一人だ。クレアの側によく控えていた料理が得意な女性だった。それほど時間が経ったわけではないというのに、戦争が終わったという解放感からか、心地よい空気の中で香りを味わう余裕が生まれたのだろう。
「……兄様は、これからどうするのですか?」
「カナーバ議員の放送は見たのか?」
「は、はい」
「そうか……ならわかるだろうが、軍内部の立て直しが急務だ。国防のトップを任された以上は、俺もまた司令部にかかりきりになる」
「で、でも兄様はまだお怪我が!」
「そこまで無理はしないさ。心配しなくていい」
柔らかな笑みを浮かべて、安心させるようにアーシェに伝える。本来ならば未だベッドの上で安静にしていなければならない体だ。動くことも制限されるだろうから、基本的にはデスクワークがメインだ。シリウェルが動き回ることはない。そんなことをすれば、マリク達が止めるだろう。最優先でしなければならないのは、シリウェルの怪我の回復なのだから。
腹部に手を当てれば、包帯の存在を強く感じる。これが取れるようになるまでには、ある程度の落ち着きは取り戻しておきたい。
「それより、二人はどうするんだ? ……アーシェは、学校に戻るだろう?」
「……それは……」
アーシェは14歳。ジュニアスクールに通っていたのだが、オーブに避難することになり一時的な休学措置をとっていた。復帰するならば、手続きをしなければならない。クレアがいない今、シリウェルが行う必要があるため、まだ屋敷にいる内にやっておきたいことだった。
当然、学校に戻ると答えが返ってくると思っていたシリウェルだが、反してアーシェは口ごもっている。
「アーシェ?」
「……わ、私……」
どこかそわそわして視線を泳がせるアーシェは、助けを求めるようにシンを見た。助けを求められたシンは、そんなアーシェから視線を反らした。
どうやら二人の間で何かがあるようだ。シリウェルは仕方ないと、相手を変えることにした。
「シンは、君にも聞いておきたい。この先のことを」
「うぇ、え、お、俺?」
自分に手が向くとは思わなかったのか変な声を上げてシンは驚き、慌てている。だが、シリウェルは気にすることなく話を続けた。
「……君にはいくつかの選択肢がある。大きいのは二つだ。このままプラントに残るか……オーブに戻るか」
「へ?」
「停戦交渉の中には、大西洋連邦が支配下に置いた地域の自治権を戻すよう要請するものがある。連邦の力を削ぐため、というのが表向きの理由だ。だが、中立を保っていた国には、出来るだけ早く自治権を戻したいという思惑がプラントにはある」
「何故、ですか?」
「……コーディネーターのため、としか今は言えない。だから、オーブは自治権を取り戻すことになる。オーブの民が望めば、帰国することも可能になるということだ」
停戦交渉の内容については、シリウェルもカナーバより聞いているし、内容の精査にも手を貸した。恐らくは簡単に纏まることはない。お互いにどこを落とし所とするかが決まれば終わるが、それが何よりも難しい。カナーバはシリウェルにも交渉の場に居て欲しかったようだが、今のシリウェルは宙域に出ることも許可が出ない状態だ。出来ることは、通信で助言をすることのみ。とはいえ、自治権についてはそれほど揉めることなく決まるだろうとシリウェルは踏んでいた。今の大西洋連邦に、複数の国をまとめるだけの求心力はなく、財源も心許ない。特に最後まで反抗していた中立国など、邪魔なだけのはずなのだから。
「オーブに……」
「あちらでの居住については俺の方で用意するし、学校に通っていたならその辺りも考慮できる。やりたいことがあるなら最大限に手助けするさ」
「え?」
そんなことまで、というような顔をするシンにシリウェルは、当たり前だと言いきる。
「アーシェと共に居てくれたこと。お陰で俺は戦いに集中できた。それに……忘れたか? 俺は、アスハ家の一人だ。オーブ国民を助けるのは当然だ」
「あ……」
「そう言えば名乗ってなかったか……。シリウェル・イラ・アスハ、元代表首長ウズミの甥で、これから代表になるだろうカガリの従兄だ。と言っても、俺がオーブに戻ることはないだろうけどな」
ウズミが存命なら分からなかったかもしれない。否、戦争がなければ、か。
いずれにしても既にシリウェルはプラントを離れることは出来ない。オーブにはカガリがいる。カガリには恐らくはラクスやキラ、そして戻らないアスランも共にいるだろう。ウズミを亡くしてもカガリは決して一人ではない。ならば、シリウェルはここで己の責務を果たすだけだ。
「シン、君が望む道を助けることが俺にはできる。だから、君自身が決めて欲しい。どうするのかを」
「……俺が、望む道……俺は……」
「直ぐに決めることは出来ないだろうから、答えは後でいい。落ち着いたら教えてくれ」
「……はい」
シンへの話は終わりだ。
再びアーシェへと目をやれば、不安気に表情を曇らせていた。それの意味するところがわからないわけではない。要するに、アーシェは復学する気がないということだ。
「アーシェ、復学したくないなら構わない。だが、学校を卒業しないことには社会に出ても苦労する。それはわかっているな」
「……に、兄様……わ、私……その、アカデミー、に」
「……は? ……今、何て、言った?」
思いの外シリウェルから低い声が出た。一瞬でリビングの空気が変わる。今までのような和やかなものではなく、冷えきった空気が室内を覆っていた。
アーシェがビクリっと体を震わせている。兄として、シリウェルがこのような声でアーシェに話しかけたことは一度足りともない。
「うっ……だ、だから……アカデミーに行き──」
「アーシェ、自分が何を言っているのかわかっているのか?」
「っ……」
アカデミー。それは、プラントにおける軍養成学校のことだ。シリウェルも在籍していたし、例外なく今の軍人はアカデミー出身だ。そこに入学するということは、軍人になることと同義である。
まさかそんな言葉がアーシェから出てくるとは思いもしなかったシリウェルは、不機嫌を顕にした。そこに優しい兄はいない。
「軍人になりたいというのか? ふざけるな。お前が人を殺すのか? 誰かを殺して、誰かに憎まれる汚れ役を何故わざわざ選ぶ必要がある?」
「シリウェルさん……」
「戦争には正しいこと等ありはしない。そこにあるのは虚しさだけだ。何故、そんなところにお前を送り込まなければならない。馬鹿を言うな」
「で、でも……私っ」
「戦場では力ない者は死ぬ。そんな覚悟もない奴が軽々しくなれる世界じゃないんだ。考え直せ」
これ以上は聞かない、とシリウェルは立ち上がりそのままリビングを出ていった。