【完結】魔法少女リリカルなのは ーThe Ace Chronicleー   作:春風駘蕩

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2.束の間の癒し

 翠屋の席につきながら、アインは物思いにふけっていた。

 考えていた内容はもちろん、昨晩遭遇した金髪に黒衣の少女についてのことだ。

 

『ーーーごめん、なさい。母さんーーー』

 

 アインが最後に反撃を加えようとした時、少女が思わず口にしていた単語。

 そう不思議なことではないのかもしれない。だが母に助けを求めるわけでもなく、口にしたのは謝罪の言葉であったことが、アインには気になって仕方がなかった。

 

(……放っておく、なんて選択肢はないよな。さすがに)

 

 いたいけな少女が、どうしてあんな悲しげな表情を浮かべてロストロギアを集めて回るのか。あんなに幼い少女が武装局員にも匹敵するほどの高度な戦法を身につけ、躊躇うことなく刃を向けることができたのか。

 その最たる原因に、少女の母親が関わっていることはまず間違いない。だが、なぜ母親がそのような危険なことを自分の娘にさせているのか、それが一番気がかりであった。

 

(家庭の問題、か。私に、そんなものに首をつっこむ資格などありはしないのだがな……)

 

 自分自身が最もそのようなものに縁遠い存在であることを理解しながら、アインはなおもその思考を止められない。

 

「……どうしたものか……」

 

 無言で席で佇んでいたアインは、気がつけば目の前に立っていたなのはに詰め寄られていた。

 

「アインさん、聞いてますか⁉︎」

「……ん? ああ、すまんすまん」

 

 むすっとした顔で顔を覗き込んでくるなのはに、アインは居住まいを正してから向きなおる。翠屋に来た時から思考に没頭していたせいで、なのはの話を全く聞いてやれていなかった。

 

「もー……ですから、今度の連休に、家族やアリサちゃんたちで近くの温泉旅館に行くんですけど、アインさんも来ませんか? ……って聞いてるのに」

「……悪いが、一緒は遠慮させてもらおう」

「もー、またですかぁ?」

 

 またもお出かけのお誘いを断られてしまったことに、なのはは不機嫌そうに唇を尖らせる。

 理由は聞きそびれたが、前回はなんだかんだで近くには来てくれていたようなので今回は、と思ったのに。そんななのはの心の声が聞こえて来そうな表情に、アインはわずかに目を反らしてコーヒーをすする。

 どこか負い目を感じているようなアインの表情に、なのはは訝しげに首を傾げる。しかしすぐに、なのはの表情は申し訳なさそうなものに変わった。

 

「それは、ジュエルシードを探さないといけないこんな時にって言うのはわかりますけど……」

「違う違う。君を責めてるんじゃない。本当に肌を晒すのが嫌いなだけなんだ」

 

 アインはすぐに否定し、咎められているような面持ちで俯いているなのはをなだめる。

 前にも言ったが、なのははジュエルシードの一件においては単なる協力者、本来の生活をないがしろにしてまで付き合ってもらうわけにはいかないのだ。それらしい言い訳で断ったが、なのははやはり気にしている様子でアインを見つめてきている。

 

「旅行や友達との時間は大事にしなさい……ゆっくりしておいで」

「むぅ……」

 

 なのははまだ何か言いたいようだが、アインの言葉に嘘はない。そして筋が通っている。

 アリサやすずかたちとの時間を優先させてくれるアインの心遣いはありがたいが、アインにも一緒に来て楽しんでもらいたかったのだ。

 アインは首を縦には振らず、空になったカップをソーサーに置いて席を立ってしまった。

 

「……では、私はこれで。士郎たちによろしく」

「アインさん……」

 

 アルバイトの少女がいるレジへと向かうアインの背中に、なのはは寂しげな目を向ける他になかった。

 

♤ ♢ ♡ ♧

 

 海鳴市は自然あふれる街である。中心部に行けばビル街が立ち並んでいるが、郊外に赴けば目立つのは人の手があまり加わっていないありのままの森林地帯が目に入る。そしてその景観を利用した歓楽施設も興っており、温泉地として賑わっていた。

 連休の日には、高町家は喫茶翠屋を店員たちに任せ、家族水入らずで過ごすのが恒例であった。近場の温泉で日頃の疲れを癒すことが目的の今回の旅には、月村姉妹やそのメイド達、そしてアリサも加わっていた。

 いつもなら両手を挙げて楽しむなのはであったが、今回はどこか後ろ髪を引かれる表情をしている。

 理由はもちろんジュエルシードのこともあるが、いて欲しかった顔がないことが最たる原因であった。

 

(……アインさん、やっぱり来てくれなかったな)

 

 確かに彼女との関係はそこまで深くはない。しかし、少しの間とはいえ共に戦い、背中を預けあったという変えがたい縁があることから、一緒に旅行へ赴いて楽しい時を過ごせないかと考えたのだが。

 家族や友達との旅行に見知らぬものが加わることを気にしたのだろうか、などと考えていると、なのはの表情がやや暗いことに気づいたアリサがその肩を叩いて、顔を覗き込んできた。

 

「どうしたのよ、なのは。ぼーっとしちゃって」

「ふぇ……あ、ううん。なんでもないよ!」

「せっかくの旅行なのに、そんな顔してたらダメじゃないの。今日は楽しむわよ!」

 

 勇ましく拳を突き上げ、進んでいくアリサの背中に思わず力なく笑うなのは。人に言われて、ようやくこれではいけないと気持ちを改めることができた。

 

「……うん、楽しまなくっちゃね!」

 

 表情を満面の笑みに変えて、なのははアリサや家族の後を追いかけていった。

 

 

「あ〜、遊んだ遊んだ♪ やっぱり旅館といえば温泉よね〜!」

「お風呂だよ、ノエル!」

「はい…♡」

 

 温泉地を楽しんだ、その夜。

 宿泊先の旅館の風呂にて、衣服を脱ぎ去ってタオル一枚を持ったアリサたちがはしゃぐ。特に風呂に目がないノエルが目を輝かせ、脱衣所の向こうにある風呂にうっとりとした眼差しを向けた。

 桃子はその場にいなかったが、きっと士郎と二人きりで甘い時間を過ごしているのであろう。

 

「美由紀さん、胸おっきいわねぇ……!」

「あん♡ もう、触らないでよぉ」

「ファリン、はしゃぎすぎて転ばないでよね」

「そんなことしませんよぉ〜」

 

 服を脱ぐ途中、大きく育った美由紀の胸を見たアリサがいたずらっぽい笑みを浮かべて触れに行き、美由紀は若干の恥ずかしさから顔を赤らめる。

 年若く、美しい顔立ちの少女たちが衣を取り払い、純白の肌を晒して生まれたままの姿ではしゃぐ姿は神々しくも見える。当時のように保たれた肌はそこにあるだけで芸術品のような存在感を与え、同性のものであっても注目話詰めることであろう。

 さて、ここで忘れてはならないのが、たった一匹だけこの場に異性の存在があることである。

 

(ぼ、僕は、なぜこんなところにいるんだろうか……⁉︎)

 

 なのはに連れてこられたユーノは、自分の背後で少女たちが裸体を晒していく光景から必死に目をそらす。顔はすでに真っ赤で、振り向きたい誘惑にかられながらも必死にこらえ続ける姿はいっそ哀れである。

 しかし今の彼はフェレット、人間ではない。女性の裸体から目をそらし続けるという妙な行為を続けていれば、訝しげな目で見られてしまう可能性もあった。

 そんなジレンマに苛まれているユーノに、髪をまとめるリボンを外したなのはが念話で尋ねてきた。

 

〔ユーノ君は温泉って入ったことあるの?〕

〔こ、公衆浴場なら何度か……! や、やっぱりボク恭也さんや士郎さんと一緒に男湯の方に……!〕

 

 なのはの方に振り向いたユーノの声が、そこで止まってしまう。

 そこにあったのは、いつも一緒に戦ってくれている少女のあられもない姿。プールの時とは違って、身を隠すには心許ないバスタオルのみというありのままの姿。

 なのはは全く狼狽する様子はなく、むしろ喜ばしそうに微笑みながらユーノを抱き上げた。

 もう一度言おう、今のユーノはフェレットである。

 

「一緒に入ろ!」

「……キュー」

 

 もはやユーノは、身を委ねる他にない。逃げ出すことも考えたが、そんなことをすれば旅館の中で騒ぎになってしまうだろう。

 真っ赤な顔で黙り込んでしまったユーノを抱え、なのは達は脱衣所の扉を開いた。

 

「おーーーーー! Fantastic!」

「すごーい、広〜い!」

「これは絶景ねぇ」

 

 扉の向こうにあったのは、湯気の立ちこめる大きな浴場。大理石の湯船で仕切られた、全員が入っても余裕があるほどのお湯の空間。壁一面がガラスとなった窓からは夜景が一望でき、利用者に飽きさせない設計となっていた。

 なのは達は風呂のルールに則り、まず体を洗うために洗い場に向かう。

 姉妹同士で互いを洗おうとペアを組み、その際、アリサはなのはからユーノをひょいと受け取り、自分の膝に乗せていた。

 

「お姉ちゃん、背中流すね」

「ありがと、すずか」

「じゃ、あんたは私が洗うわね」

「キュー!」

「あはは! 心配いらないわよ〜。あたし、洗うの得意なんだから♪」

「きゅうううう‼︎」

 

 少女に自分の体を洗われるという恥ずかしさにユーノは暴れるが、人間扱いされていない彼はそのままアリサの餌食となってしまった。泡立った手で全身を弄られ、身悶えるユーノは鳴き声と同時に念話でなのはに助けを求める。

 

〔なのは! なのは! 助けて!〕

 

 しかし、なのははなのはで姉・美由紀の背中を流すのに集中しており、ユーノには愛想笑いを向けるだけでった。

 

〔ごめんねユーノ君。私ちょっとお姉ちゃんと話したいことあるから〕

〔そんな殺生なぁ〜!〕

 

 キュゥゥゥ……と切ない悲鳴も聞こえないふりをし、なのはは美由紀の背中を流す。その後交代しつつ、一日でついた全身の汚れを落としたなのは達は、ようやく湯船の中に身を沈めた。

 ジワリと熱が足先から伝わり、若干の浮遊感とともに心地よさが伝わっていく。暖かさに全身を包まれながら、なのは達は各々でそれを堪能するのであった。アリサに捕まったままのユーノはもはや諦めの境地に達し、自ら温泉の魔力に浸ることにしたようだった。

 ふと、なのはは顔を上げ、アリサ達に見えないように声を抑え、美由紀の方に近寄って行った。

 

「……ねぇ、お姉ちゃん」

「んー? どうしたのー?」

 

 ザブザブと湯をかき分け、なのはは美由紀の耳元に唇を寄せる。

 何事だろうと首を傾ける美由紀の耳元で、他に聞こえないように声を小さくしながら、なのはは気になっていたことをこの場で尋ねてみた。

 

「アインさんとお父さん達って、何かあったの?」

「…………」

 

 なのはの質問に、美由紀の表情が固まる。まるで胸の中を冷たい手で掴み取られたかのように、みゆきの表情が凍りつくかのように引きつった。

 禁句(タブー)を口にしてしまったのかと思って不安になるが、美由紀は慌てて表情を取り繕ってなのはに向き直った。

 

「……どうして、そんなこと聞こうと思ったの?」

「この間ね、実はアインさんのことも誘おうと思ったの。でも……すごく辛そうな顔で断られちゃったの」

「……そっか」

 

 なのはの言葉に、美由紀はどこか安心したような、反対に悲しげな眼差しで湯面を見下ろす。透明な湯の中で揺れる自身の体を見下ろし、黙り込んでいた美由紀は、やがて深いため息とともに顔をそらせる。

 雫の滴る天井を見上げると、憂いを帯びたつぶやきをこぼした。

 

「そっかー……まだ引きずっちゃってるんだろうな。あの時のこと」

 

 なのはは姉の心情がわからず、困惑したようにじっと見つめる。

 美由紀はやや悲しげに眉尻を下げ、アリサやすずか達の方を見やる。今は向こうで会話に花が咲いているようで、こちらに注意が向いていないことを確かめた美由紀は、ややあってから気持ちを切り替えるようにお湯で顔をざぶんと洗い、なのはに向き直った。

 

「……なのははまだ小さかったから覚えてなかったのかな。まぁ、あんまりいい話じゃないからその方がよかったのかもしれないけど」

 

 たはは、と苦笑しつつ美由紀は語る。高町家とアインの、因縁とも言い切れないような過去を。

 

「お父さんが大怪我して、入院しちゃった時のこと覚えてる?」

「……うん」

 

 悲痛な表情になりながら、なのはは頷く。

 思えば今の自分を形成している最も主な原因は、あの事件であった。

 なのは達の父、士郎は御神真刀流の剣士であり、その腕を使ったボディガードのような仕事を請け負っていた。

 当時はまだ翠屋も繁盛しているとは言えず、桃子達が経営に専念している間に士郎が家計を支えるという形で、高町家は保たれていた。恭也もそんな父の強い生き方に憧れを抱き、美由紀とともに日々剣術を学んでいた。なのはにはよくわからない世界であったため、時々自分のことを見てくれないことを寂しく思い、兄達に甘えては迷惑をかけていた。

 だが、そんな日々に亀裂が入る事件が起こった。

 士郎が仕事中に重傷を負い、病院に担ぎ込まれたのだ。

 

「ある仕事で……お父さんは傷を負って、生死の境を彷徨った。その時一緒に仕事をしていたのがーーーアインさんなの」

「え……」

 

 美由紀の告げた真実は初耳であり、なのはは大きく目を見開く。

 危険な仕事に関わっていたとは聞いていたが、まさかアインがあの一件に関わっていたとは。

 そんななのはの困惑に苦笑しながら、美由紀は虚空を見つめながら先を続ける。

 

「もっと詳しく言うとね、アインさんの追っていた悪い人と、お父さんの依頼人を狙っていた人が一緒だったから関わることになったんだけど……その相手が、お父さんの手に負える相手じゃなかった」

「…………」

「本来はアインさんが請け負うはずだった悪い人と、お父さんは戦って……そして、傷を負ってしまった。悪い人たちはアインさんが捕まえたけど、失ったものが大きすぎた」

 

 悲しげな表情で語るみゆきに、なのはは言葉も出ない。

 アインが翠屋を訪ねるのは、魔法の初心者であるなのはが無茶をしないように見張るためだと思っていた。その度に、特に桃子や美由紀に会うたびに悲痛げな顔をするのはなぜかと思っていたが、そんな由来があったからなのか。

 だとしたら、いつまでもこのままなのだろうか。アインは高町家に罪の意識を持ったまま、ジュエルシードの一件が終わるまで距離をとったまま、姿を消してしまうつもりなのだろうか。

 なのはの不安げな表情をどう思ったのか、美由紀はうつむくなのはを抱き寄せた。

 

「……大丈夫だよ、なのは」

 

 なのはは眉尻を下げながら、不安に揺れる瞳で美由紀の方を見つめる。美由紀も寂しさが漏れ出しそうになるのを抑えた、ぎこちない表情で微笑を浮かべる。

 

「私も恭ちゃんも、お父さんもお母さんもアインさんを嫌ってるわけじゃないから。ただちょっと……ぎこちなくなっちゃっただけなの」

 

 そう言って、なのはを安心させるように頭を撫でてくる美由紀。

 暖かい感触に目を細めながら、なのははアインのことを思い浮かべた。

 過去の罪を背負いこみ、がんじがらめになりながらそれでも立ち続ける女騎士の姿を。

 

♤ ♢ ♡ ♧

 

 少女たちがそれぞれで癒しの地を堪能していたその頃。人気のない旅館の裏手で缶コーヒーをすする女性が一人、夜空を見上げていた。

 街の光がやや少ないからか、都会よりも星が多く、綺麗に見える。満天とまでは言いがたいが十分美しい夜景を眺めていたアインは一口コーヒーをすすり、小さくため息をつく。

 

「……やはり、来ていたんだな」

 

 そんな時、背後からかけられた声に、アインはちらりと視線を向ける。

 暗闇の中に目を透かしてみれば、電灯の元にその人物が姿を見せた。浴衣を纏ったその人物、恭也はいまいち読めない表情のままアインの元に近寄っていき、その隣で壁に背中を預けた。

 

「気づかれていたか。……私もまだまだだな」

「あんたのことだ。こっちに来てから、ずっと俺たちのことを気にかけ続けている……特に、なのはのことをな」

 

 恭也の視線を受けながら、アインは固く口を閉ざして視線をそらす。

 まるで、面と向かって話すことを恐れるような、そんな弱々しい姿に恭也は眉間に皺を寄せる。最後にあった日から、この人の態度はこのまま変わっていなかった。自分で自分を責め続け、罪悪感に押しつぶされそうになっているようだった。

 

「……正直言うとな、この間来た時に追い出されるかと思っていた。どの面下げてここに来たんだって、罵られても仕方がないと思っていた」

 

 恭也は反論しようとしたが、二の口が告げない。

 少なからずアインの言ったことは的を射ていて、それを否定することができなかったからだ。かつての事件をきっかけに、恭也がアインのことをよくは思わなくなっていたことを見抜かれ、拳を握りしめたまま立ち尽くすばかりだ。

 そんな恭也の葛藤に苦笑しながらアインは、3年前のかの日のことを思い出していた。

 

 

「士郎さん……‼︎ 士郎さん‼︎ 目を覚まして……‼︎ 士郎さん‼︎」

「お父さん‼︎ 起きてよ、お父さん‼︎」

 

 ストレッチャーに乗せられ、集中治療室へと運ばれる士郎の姿。

 桃子や美由紀はそれにしがみつき、引き剥がされるように崩れ落ち流も虚しく手を伸ばす。同じく悲痛に顔を歪めるなのはも膝から崩れ落ち、母娘は互いに抱きしめ合いながら涙を流していた。

 その場にいた恭也は、呆然と立ち尽くすアインに鋭い眼差しを向け、胸ぐらを掴んで病院の壁に叩きつけた。はらわたが煮え繰り返るような感なくに溺れそうになりながら、一人をにらみつけていた。

 

「あんたが……‼︎ あんたがいてなぜ、こんなことになった⁉︎ なぜ父さんがこんな目に合わなければならない⁉︎」

 

 言ってはならないことだとわかってはいる。だが噴火のごとく溢れ出す感情は止められず、持て余していたそれを目の前の女性にぶつける以外できなかった。

 理不尽な激昂を受けながら、アインはただ俯いたまま抵抗も何もしなかった。ただ恭也の感情のまま、揺さぶられるばかりだった。

 

「なんであんたじゃなかったんだ⁉︎ あんたが追っていた敵じゃなかったのか⁉︎ なんで……‼︎」

「……すまない」

 

 謝罪の言葉も、今の恭也には何の意味もない。むしろ火に油を注ぐがごとく、理不尽を憎む感情を近くにいた関係者にぶつける他になかった。

 病院の関係者に止められた気がしたが、当時の恭也にはただわずらわしいとしか思えなかった。

 

「なんとかしろよ‼︎ 頼むっ、なんとかしてくれよ‼︎」

「恭ちゃん……‼︎」

 

 恭也の罵倒は美由紀に止められるまで収まらず、それでも恭也は悔しさのために泣き崩れてしまった。

 涙を流す桃子に抱きしめられたなのはの怯えた目が、アインの記憶には深く焼きついていた。

 

 

「あの時のことは、忘れたことは一度もない。……忘れるわけにはいかない」

 

 手に力がこもり、飲み干したコーヒーの缶がメキメキと握りつぶされていく。スチール製の缶は細く変形していき、アインはハッと我に返ってそれを自分の陰に隠した。

 恭也はそれを最後まで見ていたが、特に何も言わずに目をそらす。

 

「……俺はあの時、動転していた。言うべきじゃなかったことまで、あんたに言ってしまった」

「それでも、お前の言ったことは全て真実だ。あの時、あの場に士郎はいるはずじゃなかった」

 

 哀愁のこもった悲痛な面持ちで、アインは呟く。当事者である恭也や士郎が何を言ったとしても、慰めたとしても、その考えは拭うことはできないようだ。

 恭也も自分が言ったことだけに、深い責任を感じて黙り込んでしまう。あまりにも痛々しいアインの姿を、直視できないでいた。

 後悔しているのはどちらも同じ。だがどちらも今以上に傷つくことを恐れ、向き合うことを恐れてしまっている。子供の喧嘩の後の仲直りのようにはいかないことが、恭也には歯がゆくて仕方がなかった。

 

「全て、私の責任だ」

 

 アインはそういうが、そのアインをここまで追い込んでしまったのは自分の言葉が原因だ、と恭也は思うも口には出せない。

 だがそんな彼に、アインの方から気遣うような表情で微笑みかけた。

 

「それと、お前には礼を言っておかねばならない」

「……? 何を」

「なのはのことだ」

 

 アインの一言に、恭也は思い出す。父が入院し、店や家のことに全員がかかりっきりになっていた時のことだ。

 自分のなすべきことに必死になっていたために考えが至らなかった、おろそかにしてしまった末の妹。

 彼女も自分なりに何かを為さねばと思いながら、無力な自分を嫌悪し抱え込んでしまった。その末に、自分の心を押し殺して、笑顔の仮面を貼り付け、家族に迷惑をかけない道を選んでしまった。

 それに気づくことができたのは、ある豪雨の日。道場の前に訪ねてきた、この女性の言葉があったからだった。

 

 

「私のことは、どんなに恨んでくれて、憎んでくれて構わない……!」

「だがそれでも、それでも……‼︎ なのは(あの子)のことは、一人ぼっちにしないであげてくれ……‼︎」

「私がこんなことを言うなんて、おこがましいことだろう……だが、頼む。あの子にまで、重荷を背負わせないであげてくれ……‼︎」

 

 

「あの時の願いを聞いてくれて、……ありがとう」

「……礼を言われる筋合いはない」

 

 アインは本気で感謝の念を感じているように見えるが、本来礼を言うべきは恭也の方だ。

 あの言葉があったから、恭也達は一人の家族をないがしろにしかけていることに気がついたのだ。昔から敏かった末の妹は、家族の間で流れている張り詰めた空気を感じ取り、それ以上の心労をかけることを気に病んでしまったのだ。その結果、自分の気持ちを押し殺して抱え込むという選択をしてしまったのだ。

 小さな少女に、自分の気持ちを押し殺させてしまっていたことに気づいた恭也達は、そこでようやく落ち着くことができた。今まで不測の事態に狼狽し、家族に目が向かなくなるほど余裕をなくしていたことに、ようやく気づいた。

 危うく大切な家族の心を壊し、見殺しにしてしまいそうになった時に気付かされた。何度礼を言っても気が済まないほどだ。

 

「あんたのことはもう恨んでない。大事なものが見えていなかった俺の目を覚まさせてくれたことには……正直、感謝している」

 

 恭也は素直に頭を下げ、アインの前からじっと動かない。

 アインは突然のことに少し呆気にとられていたが、すぐにまた切なげな表情で目をそらしてしまう。その反応にやや寂しさを感じながら、恭也は表情を改める。

 今度ははっきりと、アインに対して強い感情を向けた、真剣な表情だ。

 

「だがな。今度あんたがなのはを危険な目に遭わせたら、俺はあんたを必ず殺しに行くからな」

「……肝に命じておくよ」

 

 恭也の方を見ないまま、アインはそっけなく答える。恭也はそれを信じたのか、それ以上何も言わずにアインに背を向け、元いた部屋に戻っていく。

 その途中、若干言いづらそうになりながら、アインの横目を向けて口を開いた。

 

「それと……たまには、うちのケーキ、食べに来てくれ。父さんも母さんも喜ぶだろうから」

「……考えておくよ」

 

 肯定も否定もしない、そんな曖昧な答えに納得したのかはわからなかったが、恭也は無言でその場を後にする。再びその場は静寂に包まれ、どこかから虫の音色が届き始めた。

 一人残されたアインは壁に背を預けたかと思うと、そのままズルズルと腰を下ろし、膝を抱えるようにうずくまった。周囲に顔を見られないようにしながら、どこか自嘲するような声で呟いた。

 

「……恭也。私はそんな、できた人間じゃないよ」




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