【完結】魔法少女リリカルなのは ーThe Ace Chronicleー 作:春風駘蕩
(…………負けちゃった)
旅館の廊下をトボトボと、暗い表情のなのはが歩く。
ユーノに見せていた元気な表情は鳴りを潜め、自分の不手際を責め続けるネガティブな思考のループに陥っていた。
(……あんなに練習したのに、あんなに頑張ったのに、……何もできなかった)
アインには厳しい口調で焚きつけられたが、それでも根本的な部分はすぐには改善されない。失敗の原因を全て己の中にあるものと考え、チクチクと際限なく自分の心を責め続けるばかり。
(アインさん、がっかりしちゃったかな……いっぱい迷惑かけちゃったのに、何の役にも立てなくって)
もう一人の師匠とも言える彼女に落胆されてしまったら、今度こそ立ち直れない気がする。休暇と言っていた彼女の時間を割いてまで、魔法の練習に付き合ってもらっていたというのに、この結果では顔も見られない。
そのうち、抱えている様々な問題が大きくなっていき、まともに考えることもできないようになっていく。
自分はどうすればいいのだろう。あの少女とどうしたいのか、アインに何を返せばいいのか、これから一体何をすればいいのか、そもそも自分は何に悩んでいるのか。思考を繰り返すうちに原点までわからなくなり、司会や足元までおぼつかなくなりそうになっていく。
ぐるぐると考え続けていたなのははいつしか、夕方家族と一緒に入った風呂場の前にまでたどり着いていた。
考えてみれば、先ほど浴衣のまま走ったせいで汚れているし、短かったとはいえ戦闘によって汗まみれになっている。気分を変えるというよりも、この心の重りを洗い流したい気分になっていた。
「……お風呂、入ってから寝よう」
少し時間は遅いが、まだ入っている人はいるのだろう。明かりが見えている。
母や姉たちには悪いが、先にもう一度浸からせてもらおうと脱衣所に入る。並べられた籠の中にノロノロと脱いだ浴衣をしまい、一糸纏わぬ姿になってからレイジングハートを浴衣の上に置く。先ほどのことがあって少し不安ではあったが、今は誰とも話したくはなかったし、一人になりたかった。
カララ、と扉を開き、まずは汚れを落とそうと洗い場に向かい、ヒノキの椅子に座る。蛇口から桶に溜め込んだお湯をかぶると、少しだけ悶々とした感情から抜け出し、一息つくことができた。
だがふと、妙なことに気づく。桶から流した水音が、どこからか重なって聞こえた気がしたのだ。それも隣から。
そう思い、音のした方を振り向いてみれば、見覚えのある赤い瞳と目があった。
先ほど、なのはが一方的にやられたばかりの少女・フェイトの姿がそこにはあった。
「ーーー⁉︎」
「………‼︎」
一瞬だけ、なのはとフェイトは呆けたように見つめ合い、すぐさま目を見開いたまま立ち上がって身構えてしまう。バリアジャケットの印象や、おろした髪のせいで気づくのが遅れてしまったが、交わし合った目が彼女らに瞬時に気づかせた。
自分たちがタオルも何も身につけていない、完全に生まれたままの姿であることも忘れ、相手の一挙一動にまで警戒する状況に陥っていた。
(な、何でこの子がここに⁉︎)
なのはもフェイトも同じことを思いながら、油断なく相手を凝視し続ける。だが、次第に冷静になってきたのか、まじまじと相手を注視している恥ずかしさに頬を赤らめ始めた。
なのははフェイトの、同年代とは思えないふくらみとしなやかさを持つ肢体を、フェイトはなのはの均整のとれたすべすべとした肌に目をやってしまう。自分が持っていないもの、羨むものを宿している綺麗な体をつい凝視してしまい、赤面しながらも目をそらすことができなかった。
互いが互いを警戒したまま硬直し、微塵も動くことができない状況。
そこへ、緊迫感を断ち切る厳しい声が響き渡った。
「今すぐにその殺気を納めろ」
わずかな怒りが込められたその声に、なのはとフェイトはビクッと肩を震わせて首をすくめる。交わっていた二人の視線が外れ、硬直が溶けた二人は恐る恐るといった様子で声のした方を振り向いていく。
「ここは心身の疲れを祓う場所だ。無粋な真似をするようなら、そのままお前たちを外に放り出すぞ」
月光を反射する湯船、その中に一人音も立てずに浸っていた人影が、若干の不機嫌さを感じさせる低い声でなのはとフェイトに言い放つ。
「…………‼︎ アイ、ン?」
「こんな時間に入浴か?」
気だるげに振り返ったアインが、血の色を思わせる瞳で二人をジロリと詰る。
穏やかなアインから感じる、弱めながらもはっきりとした怒気に二人は縮こまり、居心地悪そうに視線をそらす。
二人から互いへの警戒心が薄れたのを悟ったのか、アインは怒気を散らして再び湯に浸かった。湯船の縁に腕を預けると、芯から温まるように身を沈めていった。
「まぁ、来たからには入れ。そのために来たんだろう」
「あ……えっと」
「……でも、私は」
「いいから二人とも入れ。風邪をひくぞ」
アインに厳しい口調でそう言われて渋々、しかし互いに警戒したままなのはとフェイトはアインの方に近づいていき、湯気の立つ温泉に足を浸す。
しかしゆっくりと肩まで入った瞬間、なのはの目は緩々に蕩け、フェイトの眉間のしわは綺麗さっぱり消え去った。体の髄まで染み渡る温もりと心地よさにより、殺気も緊張感も粉微塵に消し飛び、少女たちの表情はこれ以上ないほどに惚けきっていた。
「……はうぅ」
「……んんぅ」
脳髄にも温もりが届いたのか、言語機能まで蕩けきって意味をなしていない。
上気して赤らんだ顔は快感に潤い、漏れ出す声は年不相応に色っぽい雰囲気を醸し出す。風呂の魔力は世界をも超えるようだった。
「今だけはいがみ合いはなしだ。大人しく浸かっておけ」
アインの声も、いつもより緩い気がする。戦うときは鬼のように恐ろしいこの人も、こんな風になるのかと二人は思っていた。
だがふと、気になっていたアインのあるものに目をやっていた。
服の上からでもわかるほど巨大な、湯の上に浮かんでしまっているアインの胸元の膨らみ。同性としては非常に羨ましく、風船のようにパンパンに張り詰め、濡れて艶やかな潤いを放っているその乳房には、深く長く刻まれた裂傷の痕があった。
乳房だけではない。普段は服の下に隠れている肌には、おびただしい数の傷跡があちこちに刻まれていた。
比較的広い肩に、湯の中に沈んでいるカモシカのように長くしなやかな脚に、白磁の彫刻のように白い腕に、うっすらと腹筋の浮いている腹部に。裂傷だけではない、銃創や刺創、咬傷に熱傷まで様々な傷跡が、アインの肌に刻み付けられていた。
衣服の上からでは全く見当たらなかった凄まじい姿に、言葉を失った二人はそれを凝視してしまう。しばらくして、そんななのは達の視線に気づいたらしいアインが、わずかに目を伏せた。
「気になるか」
「……その、傷は」
「……これがあるから、私は肌を晒したくないと言ったんだ」
「ご、ごめんなさい」
「気にするな……むしろ今後忘れてくれるとありがたい」
アインはそう言って、自分の体の傷をーーー特に、胸の中心に袈裟懸けに刻まれた傷跡を撫でる。しかしそれは自分の過去を痛むものではなく、道具についた傷を見てそれがついた過去を思い出しているような、そんな触れ方であった。
「任務の賜物さ。……この業界には長くいるからな」
「……辛くは、ないの?」
「……ああ、そうだな。そんなに大したものじゃない」
そうは言うが、アインの声に悲痛さはない。自分の身体のことなのにどこか他人事のような、乾いた印象を持たせる穏やかな声だ。
普通の女性なら見せることを忌避するだろう傷だらけの身体を、大したものではないように見下ろしている目の前の女性に、なのはは返す言葉が見つからない。
普段からあまり肌を見せない格好ばかりしていると思ったが、まさかこんなにも痛ましいものを隠していたとは。隠すようなそんなそぶりも、気にしているような様子も見せたことがなかったために想像もつかなかった。
(……どうして、この人がこんな目に合っているの? なんで……そこまで頑張れるの?)
息を飲むほどに美しい人なのに、その下に引きずっているのは数々の悪意を受け止めてきた、死を目前に生きてきた者の身体。凶刃に脅かされながら、それでも戦うことを選んで歩き続けてきた戦士の証がそこにはある。
何がこの人を、その道へを向かわせたのか。
(……私は)
なのはがジュエルシードに関わろうと思ったのは、困っているユーノを助けたいという正義感から。また、無力な自分でも何かできることがあるのではないかという期待から、魔法の力を手に取った。
これまで、なのはも何度か戦いを経験はした。だがそれらは全てアインやユーノに助けられて乗り越えられたものであり、命の危機にまで及ぶものではなかった。その勝利も助力と助言によって得た結果という印象が大きいものであった。
それでもなのはは、自分がだれかの役に立ったと、誰かの悲しむ顔を見ずに済んだと喜ぶことができていた。だが、この女性は違った。
(どうして……この人はこんなにも悲しい顔をするんだろう)
なのはを救っても、ユーノを助けても、怪物を倒しても、彼女はその顔の一切の表情を表すことはなかった。喜びも安堵も、悔しさすらも表すことなく淡々と剣を握り続けるだけだった。
まるでそれだけが自分のなすべきことだとでもいうように、厄災の現れる場所に自ら赴く。何かに縛られているかのように。
「……私はもうあがるよ。君達ものぼせないうちに出なさい。……今度は喧嘩しないようにな」
アインはそう言い残し、二人と目を合わせないようにして湯船から立ち上がる。何も返す言葉の出ないなのはとフェイトを置いて、肌から雫を垂らしながら歩き去って行ってしまった。
間に入ってくれていた者がいなくなって、訪れたのは痛いほどの沈黙。かたやいきなり攻撃されて困惑したまま、かたや最初から敵意を持って挑みかかり、良好とは言えない邂逅を果たした二人の間に、会話が生まれるはずがなかった。
何しろ、この二人でまともに自己紹介をしたこともないのだから。
「……あの」
なのはが話しかけようと口を開いても、フェイトは鋭い目で睨みつけるだけで声も帰ってこない。完全になのはを敵と判断しているようで、無用な接触を避けようと距離を保ったまま警戒を深めていた。
好意が全く通用しておらず、内心で涙目になったなのははよよよと後退する。
こんなにも分厚く心に壁を作る相手は初めてで、どう話しかけるべきか全くわからなかった。
(……どうしよう)
「……何を話しても、無駄」
悩んでいるなのはに、不意にフェイトが固い口調で語りかけた。
声を発してくれたことに若干喜びを感じるが、フェイトの向ける視線は相変わらず厳しい。馴れ合うつもりはない、といった感情がありありと見て取れる、そんな態度のままであった。
「あなたに教えることも、伝えることもない。あの人に前に言ったように、邪魔をするなら今度は容赦をしない。……今度は、手加減できない」
「そんな……」
「じゃあね」
まだ納得できないなのはを置いて、フェイトは湯から立ち上がった。
行ってしまう何か言わねば、そう思って口を開いかけたなのはだったが、不意に視界に入った赤い筋に目を見開く。
湯によって上気し、赤くなった艶やかな肌。同性でも見惚れそうなほど均整のとれた美しい彼女の肢体には、無数の傷跡があった。
アインのように深く常に残るものではない、体温が上昇した時や何かのきっかけで現れるという、小さく薄い傷跡だった。見ているだけで痛々しいそれが、彼女の身体中のいたるところに見えた。
(この子も……何かを抱えてる)
かける言葉を失ったなのはは湯から立ち上がったまま、脱衣所に向かって歩き出したフェイトを見送る。
フェイトはそれに一瞥もくれず、まるでなのはとの会話などなかったように一人歩き去って行ってしまった。
置き去りにされたなのはは小さくなっていく背中を見つめたまま、襲いかかる肌寒さなど気づかずに立ち尽くしていたのだった。
淡い朝日が照らす、旅館の駐車場。
昨晩の異変のことは結界のおかげか誰も知らずにいたようで、穏やかなものであった。
変わったことといえば、客の一組が代金だけを置いてどこかへ姿を消したことくらいで、他の客たちにはあまり関係がないことであった。若い男女の二人組で、それを追った黒服の集団がいたとかという話であったが、話していた者も大した興味を抱いていないようだ。
休日を堪能した高町家と月村家、そしてアリサ・バニングスは荷物を車に積み込みながら、旅行の感想を語り合っていた。
「楽しかったね!」
「そうね! いいリフレッシュになったわね。パパもママも来られれば良かったのに……本当に残念だわ」
「仕方がないよ。お仕事が外せなかったんだから」
両親との予定が合わず、一人だけの参加となってしまったアリサのぼやきに美由紀が返す。娘を本当に大切にしている夫婦ならば、きっと今頃悔しがっているだろうと、少女たちは少し意地悪に笑っていた。
荷物を積み終えた士郎が、自分も身の回りを確認しながら少女たちの方を向いた。
「みんな、忘れ物はないかい?」
「大丈夫です! ね、すずか、なのは」
「うん!」
「大丈……」
旅行の余韻で興奮している友人とは違い、一人だけ浮かない顔をしていたなのははハッとなり、悟らせないように笑顔を取り繕って答えようとする。
その時、ふと思い出したかのように目を見開き、辺りをキョロキョロと見渡し始めた。
「? どうしたのよ」
「あ……ごめんね。ちょっとだけ待ってて」
「忘れ物かい?」
「う、うん……ごめんなさい。すぐに戻るね」
訝しげなアリサや恭也の視線を背に受けながら、なのはは先ほど視界に入った者の元へと走り出した。
駐車場の、高町家の用意した車とは別の車の陰。彼らから隠れるように停められていた、見覚えのある青いバイクの元に向かったなのはは、自分も士郎たちに見えないように気をつけながらその人物に話しかけた。
「あ、あの……アインさん」
少ない荷物を荷台にくくりつけていたアインは、背後からかけられた声にちらりと視線を向ける。
なのはは、昨晩の記憶からかどこかためらいがちにアインを見つめていて、アインは余計なものを見せたかと言うように目をそらした。
「……なのはか。まだ戻っていなかったのか」
「はい。……なるべく早く話をしておきたいなって思って」
「そうか……なら、なるべく手短に話そう。ユーノは?」
「ここにいます」
なのはの肩の上に、ユーノがひょっこりと顔を見せる。なのはが驚いているところを見るに、いつのまにかついてきていたらしい。
秘密を共有する三人が集ったところで、アインは士郎たちの方を探るように視線を向けてから、なのはたちに向き直った。腕を組み、若干眉間にしわを寄せて二人を見下ろした。
「……さて、思っていたより厄介な事情のようだな」
アインの言葉に、なのはもユーノも視線を落とす。
思い出されるのは、金色の少女との戦闘の結果、そして乱入してきた異形への対処。どちらも惨敗というべき結果に、なのはもユーノも表情を暗くさせる。
異世界の魔法技術が流入してしまったことだけでも問題だというのに、それを狙って第三者が介入してきてしまったのだ。早急に対応を取らねば、遠くないうちに泥沼に陥る可能性もあった。
この場に先に少女と邂逅している騎士がいるが、特に言うつもりはないようであった。
「……私、負けちゃいました」
「ああ……あれは向こうが一枚上手だった。それに加えて、君の経験不足が響いたといえよう」
「僕も、手も足も出ませんでした」
「ああ。天晴れとしか言いようがない」
ユーノは出遅れ、なのははただ翻弄されてしまい、ジュエルシードは封印すらできずに奪取されてしまった。
なのはも魔法に出会ったばかりだと言うのに異様な成長を遂げてはいるが、かの少女の方がその数倍の実力を有していた。今回の敗北は、当然といえば当然の結末だったのだろう。
加えてユーノには今回の一件について、看過できないことがあった。
「……あの、アインさんは、あの怪物のことを知って……?」
「…………」
ユーノは思い出す。暗闇の中から突如として姿を現した、刺々しい鎧をまとった異形たちの姿を。
地球にいる生物とは思えない、明らかに異常な生命体の登場はユーノにとっては見過ごせない問題であった。
特に異形たちが現れた時のアインの反応は、ユーノには忘れられなかった。なのはが気を失っている間に彼女が奴らを目にした時、彼女はまるであり得ないものを見るような狼狽を見せていたのだから。
初めて見たものに対する反応ではない、明らかに過去に奴らと相対したことがあるのだ。そして、それらが現れるはずがないと、確信していたのだ。
アインはユーノの疑わしげな視線に気づき、目を閉じて息を吐く。
「あれに関して、君たちに語れることはあまりない。知ってはいるが、あれが私の知っている存在と同一のものかと聞かれると、自信がない」
「あの怪物たちも……今回の一件に関わるものなんでしょうか。明らかにジュエルシードを狙っていたような」
「私にもわからない。……だが、確かに言えることといえば、あれの相手は私にしかでいないということだ」
ユーノが気にしているのは、奴らが何者でどんな目的があるのかということ。まさか奴らもジュエルシードを狙っているのだとすれば、後々激突することは目に見えていて厄介な状況になるだろう。
しかしアインは詳しくは答えずはぐらかし、異論を認めないというように鋭い視線をユーノに向けて告げた。
「あれに挑もうとは思うな。あれはジュエルシードよりも厄介で危険な存在だと思え……人間の手に負えるものではない」
「それって、どういう……」
前触れもなく人間に襲いかかろうとしていた異形たちの獰猛性や不死性を思い出しながら、ユーノはアインの発言に違和感を感じる。
人間の手に負えるものではないと言いながら、目の前の騎士は確かに異形たちを屠っていたではないか。それなのにそのようなことを言うということは、それではまるで自分が人間ではないと言っているかのような。
しかしアインは詮索を許さぬように目を細めてユーノをにらみ、なのはに視線を戻した。
「さて、どうする? 彼女らとの実力の差は歴然だ。このまま泣き寝入りするのなら私は止めんよ」
「アインさん……」
「ユーノには悪いが、前にも言ったように仕事で来ているわけではないからな。君が諦めるなら、私も無理には動こうとは思わんよ」
それは、最初に出会った時に二人に言い聞かせたことであった。
現状、ジュエルシードが人間に多大な危害を加える危険性がない以上、アインはデバイスを使えない。少女の目的や危険性が不明な以上、アインが相手をすることはできず、必然的になのはが対処せねばならないのだ。
少女に一方的に下され、敗北を味わってしまった少女に再戦を強制するのは酷であることはわかっている。ゆえにアインは、もう一度立ち上がるか引くかを自ら選ばせるつもりであった。
敗北の、傷つくことへの恐怖を一度味わってしまった者が心を折られる姿を、アインは何度も見てきた。もしなのはがそうなら、自分がその痛みを全て背負ってことに当たろう、そう考えていたが。
「……私、あの子ともう一度話がしたい」
なのはの答えに、アインは苦悶するように眉を寄せる。
なのはの表情は、折れてはいなかった。それどころか以前よりも硬い意志の火が目に灯り、しっかりと前を見つめているように見えた。
「……何を話したいんだ?」
「あの子がなんて言うお名前なのか。なんでジュエルシードを集めてるのか。……なんで、あんなに悲しい目をしているのか」
まっすぐに見つめてくるなのはに、アインはじっと鋭い視線を向ける。
最初の彼女は、自分の中の正義感や倫理観に引きずられているだけの不安定な者だった。自分の意思と倫理の境界線が曖昧になり、正義の味方になることによっているような、そんな状態であった。
だが今は違う。順調だった流れを断ち切られ、自分を突き動かしていたものに疑問を抱き、改めて自分の意思を理解し始めたしっかりとしたもの。自分の本当の意思を理解し始めた者の、強い眼差しが彼女からは感じられた。
「……いいんじゃないか? 君らしくて」
しばらくして、アインは引いた。
なのはの目を見ればわかる。これは絶対に引かない者の目だ。
「君の目を見るに、あの子に会いたいのはそれだけじゃないんだろう?」
アインは悟る。今のなのはは、自分がかつて通ってきた道で浮かべていた眼と同じ輝きを放っている。
「……悔しかったんだな。あの子に負けて」
「ッ……!」
なのははぐっと息を飲み、眉間にしわを寄せて俯いた。キュッと締まる唇が、ギリギリと握りしめられる拳が、彼女の本心をありありと表している。
「あの子にもう一度挑戦したい。そして……勝ちたい。そう思っているんだな?」
なのははしばらく黙り込んでいたが、ややあってからアインの目を見つめ返した。以前よりも熱い、強いまなざしとともに。
「私……もっと強くなります。あの子に負けないくらい……ううん。勝ちたい!」
「…………」
本当に悔しかったのだろう。負けたこと自体もそうだが、さらに言えば相手にされなかったことが。
手も足も出せずに翻弄され、対話にも応じてもらえなかったことが記憶に焼き付いている。自分が取るに足らない存在としてあしらわれ、障害にもなり得ないと判断されたことが認められないのだろう。
それは、戦う者が誰しも通って行く道であった。
「アインさん、私は、上手な戦い方を知りません。この力の上手な使い方を知りません。……だから、教えてください」
なのはの真摯な態度に、アインは目を伏せて考え込む。
できれば、先に挙げた選択肢の時に引くことを選んで欲しかった。
なのはのこの調子なら、以前よりもさらに早く大きく成長するだろう。再戦し勝利したいと言う無尽蔵のエネルギーがあるのなら、肉体は絶えず動き続けられることであろう。
だが体は別だ。心がどんなに奮っていようとことを成すのは肉体の方、しかもなのはは幼い少女だ。魔法の腕をあげるためであろうが、戦闘経験を積み重ねるためであろうと、いずれ未完成な少女の体は悲鳴を上げてしまうのではないか、そんな懸念があった。
だが、今のなのはにそれを伝えたとして、説得できる自信はアインにはなかった。完全に覚悟を決め、少女に再び挑もうと言う気迫に満ちているのだから。
「……わかった」
しばらくして、アインは頷く。
なのはが笑顔を浮かべるのに鋭い眼を送ってから、呆れたようにため息をついた。
「戻ったら、いつもと同じ公園で落ち合おう。私を学んできたものをできるだけ君に預けよう。と言っても、私が教えられるのは戦術だけで、技術はユーノに頼りっきりになってしまうがな」
「それでもいいです。私……大事な時に力不足に陥って、何もできないなんて嫌です」
「だが無茶はする……」
「よろしくお願いしますね! アイ……先生!」
アインが最も大事なことを言い切る前に、なのはは言質を取ったというように満面の笑みを浮かべ、アインに背を向けて走り去って行く。あまり長居して士郎たちに心配をかけまいとするための駆け足は、喜びのためかどこか浮き足立っていた。
アインはなのはの姿が見えなくなってから、嘆くように顔を手で覆って天を仰ぐ。
「……参ったなぁ。あんなにまっすぐに言われてしまったら、断れないじゃないか」
アインは今更ながら、なのはに対して甘すぎる自分に気づく。
最初は贖罪のつもりで、なのはのことが心配で付き随うことを選んだつもりだったが、そばにいればいるほどその思いが強くなる。
なのはを争いや荒事から遠ざけるつもりでこの世界に来たのに、理不尽に巻き込まれる彼女は自分から立ち向かうようになってしまった。守るために存在している騎士が聞いてあきれる話だ。
と言うか何が先生だ。即座に否定しろ、と思わず呟いてしまう。
(……すまん、恭也。私には、止められなかった)
少年とのかつての誓いを思い出し、自分が情けなくなる。彼との誓いの内容とは全く真逆の結末になりそうで、彼が激昂する姿が目に浮かぶようであった。
限りなく現実になりそうな未来を思い浮かべ、アインはがっくりとうなだれる。
しばらく唸っていたアインはため息をつき、車の陰から向こう側を覗き込む。
それぞれ乗ってきた車に乗りこんだなのは達が、次々に旅立つ姿を見送りながら、アインは今一度胸の中心に拳を当てて、姿の見えない青年に誓う。
(だからせめて、お前の妹は私が命がけで守るよ)
避けられぬ戦いを前にして、巻き込まずにはいられなかった。なのはに対して甘い自分には、これはもはや取り消すことはできまい。
だからせめて、なのはが傷つくような未来を覆せるよう、改めて誓うことしかできなかった。
感想、待ってます。