【完結】魔法少女リリカルなのは ーThe Ace Chronicleー 作:春風駘蕩
「ぐっ……‼︎」
飛びかけていた意識を無理やり引き戻し、アインはふらつく体を起こす。吹き飛ばされた際に激しく全身を打ち付けた上、揺さぶられた脳がグラグラと視界を揺さぶる。これではしばらくまともに動くこともできないだろう。
ブレイライザーを杖代わりにしてなんとか立ち上がり、激痛に耐えながら周囲の敵影を確認する。が、あたりに動く影はまったくなく、索敵の必要はなかった。
しかし耳を傾ければ、そこかしこから怨嗟の声が聞こえる。身体が半ば焼け焦げたもの、首から上、または反対側が消し飛んだもの、バラバラの部品になったもの、全て消滅してしまったものと、それまで狂暴に暴れていた異形たちの中に無事な個体はいなかった。
「魔力の余波だけで奴らが蒸発するとは……」
先ほどの魔力暴走の凄まじさを改めて感じ、アインは舌打ちしながら眉をひそめる。
なのはとフェイトが激突し、その際の魔力の暴走によりジュエルシードから放たれた膨大な魔力の奔流を受けた異形たちが、その熱量によって次々に蒸発し消滅していたのだ。だがこれほどの影響があろうとは予想外だった。
「……これは、ちとまずいな」
いくら不死性があろうとも、再生する間も耐える間も無く消滅させられれば意味がなかったようだ。そんな中でアインが生き残れたのは、彼女自身が普通ではなかっただけのことだった。
だが、ジュエルシードがそこまでの被害を出す代物と見抜けなかったことは大きな失態だと、アインは険しい表情で自身を恥じる他になかった。
「あ、アインさん‼︎」
ガツン、と自分の膝を叩くアインの元へ、息を切らせたユーノが駆けつけてきた。うまく障壁か物陰を利用して魔力の波をやり過ごしたのだろう。無事であったことにひとまず安堵する。
「だ、大丈夫ですか⁉」
「見ての通りだ……しくじったというしかない」
ボロボロになった髪や汚れた鎧を目にし、ユーノの表情が曇る。思わぬ展開に自分の身を守るだけで精一杯になっていたが、アインほどの魔導師でさえここまでの負傷を負ったことに戦慄を禁じ得ない。
だがふと考える。単独で戦っていたアインなら、他を気にすることなく防御に徹することもできたのではないかと。
「アインさん……どうして障壁を使わなかったんですか? あなたほどの魔力の持ち主なら強固な障壁を……」
「
「え?」
不意につぶやかれた言葉に、ユーノは言葉を失う。
いま先ほど信じられない言葉を聞いたようなのだが、本当にさりげなくつぶやかれたために聞き流した、あるいは理解が追いつかなかった。
「恥を晒すようだが、私はな…………魔法を一切使えないんだ」
ユーノの方を見ず、そっぽを向くようにしながらアインは疲れたように答える。その言い方は何というか、同じことを何度も何度も説明しうんざりしているかのような、自分の恥を何度も晒し疲れたような、そんな投げやりな雰囲気があった。
「え……えええええ⁉︎」
そんな状況ではないとわかっていても、流石にユーノは驚愕を堪えられなかった。
これまでずっとなのはの魔法の練習の監督を請け負ったり、基礎知識の授業を行ってきたはずのアインからのまさかのカミングアウトは、予想外にもほどがあった。
ユーノの反応も予想していたのか、深くため息をつきながらアインはユーノを据わった目で睨む。
「だから言っただろう。私には封印はできない、たとえデバイスがあろうとなかろうとな」
「そんな、まさか……」
「……私のことはこの際どうでもいい。それよりもなのははどこだ?」
今だに納得し切れていない様子のユーノから視線を外し、アインは未だ煌々と輝きを放つジュエルシードの方を睨む。吹っ切れたように見えて、多少は気にしていたらしい。
だが、状況はそれどころではなかった。魔力の奔流は凄まじい衝撃波を放ち、周囲のアスファルトやガラスを盛大に破壊している。物理的な爆発事故と遜色ない威力だ。
爆心地であるジュエルシードから離れたビルの壁に、ぐったりとしたなのはがもたれかかっていた。吹き飛ばされ、壁に叩きつけられた際に砕けた瓦礫に埋もれ、バリアジャケットは所々ほつれ、煤や土埃に汚れてしまい痛々しい様を晒している。
「なのは!」
なのはの姿を目にしたユーノは安否を案じてすぐさま走り出す。
しかしアインは動かず、古代の魔法の宝石が引き起こした暴走の跡をまじまじと凝視する。
異形を蒸発させた魔力の暴風、アスファルトを砕く凄まじい衝撃、バリアジャケットを貫通する熱波、そしてそれ以上に、魔道士の杖をここまで損壊させたという結果に目を見張っていた。
(まさかあの強度のインテリジェントデバイスに傷が入るとは……ジュエルシードとは一体……?)
いまにも砕けそうなほどに傷つき、弱々しい点滅を繰り返しているレイジングハートを凝視し、アインは自分たちが相対している存在の謎が深まるのを感じる。
不意に視線を外せば、同じように吹き飛ばされて遠く離れていたフェイトの姿が目に入る。彼女もまた、バリアジャケットのあちこちが裂けて白い肌を晒しており、愛機である戦斧には無数の細かいヒビが入っている。
点滅を繰り返し、それでも魔力の刃を保ち続けているデバイスを、フェイトは悲痛な表情でそっと撫でた。
「ごめん……戻って、バルディッシュ」
自身を慮る主人の言葉に、バルディッシュは素直に従って手甲の形態に戻る。冷静に自分の限界を察したのだろう。
デバイスを自ら手放したフェイトは一度自分の手をぎゅっと握りしめると、未だ危険な脈動と明滅を繰り返す宝石へと視線を戻す。ふわりと地面に降り立ったその足が、ジュエルシードの元へと向かった。
「フェイトっ⁉︎」
使い魔でさえも主人の行動は想定外であったらしい。丸腰でジュエルシードの元へ向かうフェイトを凝視し、不意に持ち上がった嫌な予感に顔面を蒼白にさせる。
だが少女の考えに思い至ったのは、アインも同じだった。
「! いかんっ……」
決死の表情で暴走の中心へ向かって行くフェイトの考えを察し、アインは慌てて走り出す。普通に走ったのでは間に合わない、だが常人離れした脚力を持つアインの身体は風を裂き、いままさにジュエルシードを両手で包み込もうとしたフェイトの前に割り込み、少女を殴り飛ばした。
「あぐっ⁉︎」
横面を張り倒されたフェイトはアスファルトの上に倒れ、邪魔をしたアインをキッと睨みつける。
しかしそれよりも鋭く冷たい目がフェイトを射抜き、ぞくっと少女の全身を寒気が駆け巡った。抜き身の氷の刃を目の前に突きつけられたかのような殺気に襲われ、反抗的な目つきは一瞬で怯えた表情に変わる。
「馬鹿者がぁ‼︎ 魔力暴走を素手で押しとどめるなど死ぬ気か⁉︎」
「っ……でも、こうでもしないと………‼︎ あなただって、何もできないくせに……」
珍しく感情をさらけ出して怒鳴りつけるアインに、フェイトは何とか平常心を取り戻そうとしながら反論する。先ほどの告白を聞いていたのだろう、封印手段を持たないアインに対して咎めるような視線を送ってくる。
アインは盛大に舌打ちし、我ながら余計なことを言ったと今更ながらに後悔する。だが確かに、このまま放置していてはロクでもないことになるのは確かだった。
目の前で煌々と輝くジュエルシードをにらみながら、アインは決断する。
「チッ……仕方がない。説教は後でまとめてだ‼︎」
そういうとアインは、浮遊しているジュエルシードにためらいなく右手を伸ばし、がっしりとその掌の中につかんで見せた。
途端にジュエルシードが反抗するように光を強め、凄まじい魔力の波を発生させ始めた。アインはそれを、自分の手だけで抑え込もうとしていた。
「あ、アインさん!」
「アンタ……何やってんだい⁉︎」
乱暴な手段にユーノとアルフが絶句する。手段はフェイトが取ろうとした方法と全く同じで、考えうる限り最も危険で愚かな行為に見えた。現にジュエルシードはより反抗を強め、バチバチと弾ける光がアインの鎧の籠手を焼き焦がしている。
アインはそれらの声を完全に無視し、呆然と立ち尽くしているフェイトに鋭い視線と声を向けた。
「私の手の上からでいい、封印しろ‼︎」
「えっ……⁉︎ で、でも……‼︎」
「いいからやれ‼︎ 魔力暴走はこっちで押さえ込む‼︎」
フェイトに強い口調と眼差しで命令しながら、アインは懐から新たなデバイスを取り出し、口に咥えて左腕に装着する。剣と同じカードリーダーとケースがついたそれは左腕に張り付き、自動的にベルトが巻きつく。
腰にさした剣のカードを展開させ、その中の二枚を抜き出して口に咥え、片方をケースの中に挿入する。
【
双頭の山羊の絵が描かれたそれの次に、三本角の甲虫が描かれたカードをカードリーダーに挿し、左腕を振るうようにして読み込ませる。
【
野太い声が響いた途端、咥えていたカードが光に包まれてひとりでに動きだし、左腕のデバイスの表面に
その瞬間、アインに劇的な変化が現れる。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお‼︎」
獣の咆哮のような雄叫びをあげたアインが、黄金の輝きを身に纏う。神聖で高貴な色でありながらその輝きは鋭く、夜闇の中を一瞬朝日のように照らし出した。
ブレイラウザーに収められていたカードが一斉に抜け出したかと思うと、それぞれが大きな光の紋章となって浮遊し、アインの周囲に一列に並んで囲むように回転を始める。回り続ける光はやがて列を離れ、アインの体の各所に散って新たな装甲を生み出していった。
黄金に輝く重厚な鎧を身に纏ったアインが、ジュエルシードをつかむ手に力を込める。より強く反抗して衝撃と光を放つジュエルシードだが、アインの鎧の硬さは先ほどまでとは比べものにならず、ジュエルシードの暴走を受け止めてもびくともしていなかった。
「そら、早くやれ」
その光景を呆然と見つめていたフェイトに、アインがルビーのような妖しく冷たい眼差しを向ける。魔力の暴風になぶられる髪の影から覗く光は、なぜかいつも以上に凍えた無機質なものに見えた。
その目に背筋を震わせながら、フェイトはこくんと頷いてアインの籠手を上から握る。冷たい、しかし得体の知れない力を感じるその手の上から自身の魔力を流し、押さえ込まれているジュエルシードを無理やり封印しようとする。
「止まれ……止まれ………止まれっ……‼︎」
なおも暴れまわるジュエルシードに、すがるようにフェイトは魔力を流し続ける。
黄金の騎士の手を両手で握り、必死な顔で目を閉じている彼女の姿は、まるで祈りを捧げているかのようだった。
その祈りが届いたのか、あるいは魔法の宝石が観念したのか、暴風は徐々に落ち着き始め、穏やかな風となってアインとフェイトの髪を揺さぶるだけになって行く。
やがて風は止んだ。衝撃波も光も何もかもが収まり、何も起きていなかったかのような静寂に包まれる。だが後に残った破壊された街と、アインの籠手から立ち昇る白煙とじゅうじゅうと焼ける音が暴走の跡を表していた。
力を出し尽くしたフェイトはフラフラと後ずさり、慌てて駆け込んできたアルフに抱きとめられるとぐったりと背中を預けた。恐怖と緊張が解けたせいで、気が抜けてしまったらしい。
「あ、あんたっ……」
「…………」
力技で押さえ込んだアインと、暴走を受け止めながら原形を保っている右腕を凝視し、アルフは絶句する。
いつの間にか黄金の鎧をなくしているアインはようやく大人しくなったジュエルシードを握ったまま、無言で立ち尽くしていたが、やがて大きなため息をついて肩をすくめた。
「やれやれ、さすがに疲れたな」
まるで数時間の残業をようやく終えたとでもいうような軽い口調で嘆息し、アインはゴキゴキと首の骨を鳴らす。先ほどまで見せていた激情は影を潜め、いつもの気だるげなアインに戻っていた。
「ほれ」
「へ? うわっ……と」
呆けたままフェイトを抱きとめているアルフに向けて、アインは右手のジュエルシードを放り投げて渡す。
突然のことに慌てるアルフだったが、なんとか胸元近くに飛んできたジュエルシードを片手で危なげに受け止めた。そしてすぐに、あっさりと渡してきたアインに不審げな視線を向けた。
アルフの視線を受けたアインは、ふんと鼻で笑って返した。
「封印したのはお前の主だ。持っていけ」
その言葉にアルフの表情が険しくなる。主人の危機を救われたのは確かだが、同情かおこぼれのような形で目的のものを受け取るのは気が引けた。馬鹿にしているのだろうか。
「……納得すると思ってんのかい? あんたは敵で……」
「ジュエルシードの確保は最優先事項なんだろう?」
「ぐっ……」
自分で言ったことをおうむ返しで返され、アルフは思わず言葉を詰まらせる。
しばし悩むが、自分の手の中にあるジュエルシードと同じくアインを見つめるフェイトを見下ろし、自分の感情と天秤にかけるとすぐに片方に傾いた。
「……礼は、言わないよ」
「欲しがったつもりはない。あのままではこの場一帯が吹っ飛んだ可能性もあるからな」
フェイトと視線を合わせることなく、アインは面倒臭そうに答える。どこかその声に拒絶するような響きがあったことに気づいたアルフは、腕の中のフェイトを見下ろしてから、悔しげに顔を歪めるも素直に背中を向けた。
「……行くよ、フェイト」
「……うん」
それ以上の問答は不要と、主人を抱えた使い魔は地面を蹴り、夜の闇の中へと姿を消した。
再び訪れた静寂の中、アインは少女と使い魔が去った方に背を向けたままじっと立ち尽くし、無言のまま空を見上げていた。破壊された町の十字路の中心で佇む姿は、まるで彫刻のようだった。
「アインさん……!」
そこへようやく、朦朧としていた意識が回復し立ち上がれるまでになったなのはが駆け寄ってきた。しかしまだ歩き方もぎこちなく、足元を走るユーノが心配そうな視線を向けていた。
なのはは自分の負傷など気に求めず、爆心地の中心に立ったまま動かないアインの顔を覗き込んだ。
「大丈夫……ですか⁉︎」
「……ああ。大したことはない。それより、君は?」
「大丈夫です。……ちょっと、擦りむいたくらいで」
どう見ても擦り傷程度の負傷ではないが、不要な心配をかけることを嫌がったなのはは頼りない虚勢を張る。ぎこちない笑顔を横目で見つめるアインは何も言わず、ただ小さく息をついた。
アインの無事を確認できたユーノがホッと息をつくと、その視線は自然となのはのデバイスの方へと向かった。
「レイジングハートは、かなりの大出力にも耐えうるデバイスなのに……それを一撃でここまで破損させるなんて……」
「あの子となのはの魔力の衝突……にしては、説明が追いつかんな」
宝玉の周囲にまで破損が広がっている様を見るに、相当危険な状況であったのは間違いない。たかが人間、それも才能溢れるとはいえ幼い少女たちの魔力がぶつかり合ったせいでここまでの被害が出たというのは考えられなかった。
どう考えても、原因は彼女たちが追い続けている古代の魔法技術の結晶の方にある。あれはただの願いを曲解して叶える厄介な代物ではない、もっと危険な、得体の知れない代物だ。
「……私とどっちが厄介かね」
「え?」
「……ユーノ、なのは。とりあえずお前たちは帰れ。さすがにこれ以上戻らんのはまずい」
「え……あ、はい」
不穏なつぶやきが聞こえた気がしてなのはが視線を向けるも、アインはギロリとやや強目に睨みつけてきて質問を許してくれなかった。
なんとなく嫌な、今まで彼女が見せなかった恐ろしさを見た気がして、なのははブルリと背筋を震わせる。
「アインさん、本当に大丈夫ですか? もしかして、さっきの光で怪我とか……」
「……誰の心配をしている。私はいいから、さっさと帰れ」
しっしっと野良犬を追い払うような仕草を見せられ、なのはは先ほどの嫌な感覚は勘違いだったのだろうかと迷う。
しかしアインの言う通り、これ以上家を開けて家族に心配をかけることはよろしくない。アリサやすずかにも心配をかけたままであるため、もう無茶はしないほうがいいだろうと判断し、素直に応じることにする。
ぺこりと頭を下げたなのはが、ユーノを抱えて走り去って行く姿を見送ってから、アインはようやく我慢していた冷や汗を流した。
「…………全く、今後を考え直さねばならんな」
ガクガクと膝が震える。なんでもない風を装ってはいたものの、ここまでの威力を発する魔力暴走を力づくで抑え込むのは無茶がすぎたようだ。ヒクヒク痙攣する全身の筋肉を、どうにかなのはが行くまで抑え込むので精一杯だったが、流石に限界だった。
それでもアインは、痛みでまともに動かない体を引きずって歩いていく。とにかく、ユーノが張った結界の外へ、なのはや他の人間の目に入らないうちに。
時間をかけ、亀のような足取りでようやくビルとビルの間の影に入り、壁に背中を預けた。
「だがやはり、少し、無茶を……しすぎた、か……」
そう呟いた瞬間、ずるりと、アインの右腕がこぼれ落ちた。
ぼとりと地面に転がる自分の手をフッと自嘲気味に見下ろしたアインは、ぐらりと傾いた体を重力に預け、意識を手放した。
市内にある、高級マンションの一室。
フェイトとアルフが一時の拠点としているその階の、一面がガラス張りになったリビングのソファの上に二人はいた。
ジュエルシードの暴走を素手で抑え込もうとし、アインに庇われながら封印作業を行なったフェイトの手は、魔力の熱によって軽いやけどを負っていた。
「じっとして……」
赤くなっているフェイトの両手に薬をつけ、包帯を巻きながらアルフは悲痛げに表情を歪ませる。主人を守ることこそが使い魔の存在理由だと言うのに、いけ好かないあの騎士にその役目を奪われた上に怪我を追わせてしまったことが悔しくて仕方がなかった。
帰ってきたときからずっと気にし続けている友達の姿にフェイトは苦笑しながらも、不謹慎ながらくすぐったいような喜びを感じる。
「大丈夫だよ……あの人のおかげで、この程度で済んだから」
「ほんとだよ。あんな中に突っ込むなんてこっちは肝が冷えたよ!」
「うん、ごめん。……もうしない」
後になって恐怖が蘇ったのか、それともアインの叱責が聞いてきたのか、フェイトは素直に頷く。
愛機に頼ることもできず、自分一人でなんとかせねばと暴走した結果がこれだ。これからも戦わなければならない自分自身を潰しかけ、友達に心配をかけさせた挙句、赤の他人に無茶をさせてしまったことを、少女は深く悔やむ。
アインはいなかったら、この程度では済まなかった。もしかしたら、命の危機にも瀕した可能性もある。
「……明日は母さんに報告に戻る日だから、傷だらけで帰ったら心配させちゃうもんね」
「心配……するかねぇ、あのヒトが……」
「……母さんは、不器用なだけだよ。私は……ちゃんと分かってる」
不機嫌な、まだいい足りなくて不服そうなアルフに苦言を呈する。アルフは勘違いしているだけで、母は本当は優しい人なのだと、フェイトは心の底から信じていた。
だからこそ、少女は戦うのだ。他ならぬ、自分の母の願いを叶えるために。
決意の表情で虚空を見つめるフェイトの横顔を見つめ、アルフは主人のその一生懸命さの裏にある強迫観念のようなものに不安を感じる。
と、不意に目に入った妙なものに首を傾げた。
「……フェイト、頬になんかついてるよ?」
「え?」
フェイトは言われて初めて気がついたのか、アルフが指差す場所を手の甲で拭う。妙な透明さを持った緑色のその液体は、フェイトにどろっと粘ついた感触による不快感を催させた。
「インクかい? でもなんでそんなの……」
「……ううん、違う。これは……」
少しの鉄くささと粘性を帯びたそれは、色は違うが間違いなく何かの体液。血管が破れるような傷を負っていないフェイトのものではない、なんらかの生物の血液の一部だった。
「緑色の……血?」
出所のわからない、普通の生物にはあり得ない色彩のそれが、困惑に表情を歪ませるフェイトの顔を映していた。