【完結】魔法少女リリカルなのは ーThe Ace Chronicleー 作:春風駘蕩
1.少女の夢
━━━わたしがその人のことを夢で見る時は、決まってわたしは一人で泣いていた。
夢の中のわたしはいまよりもずっと小さくて、暗い顔で寂しい公園のブランコに乗っていた。誰もいない公園で一人、声を殺して泣いていた。
その時のわたしは、とても辛いことがあって、一人で過ごすことが多かった。お家にいても何もさせてもらえなくて、そのせいで必要とされていないような気がして、いつの間にかお家にわたしの居場所がなくなってしまったような、そんな気がしていた。なんでもいいから何かお手伝いがしたくても、「いい子にしててね」と拒絶されて、求められていないと思えてきてしまった。
お母さんは忙しくて甘えることが許されなくて、お兄ちゃんはどこか怖くて近づけなくて、お姉ちゃんは落ち込んでいて話しかけるのをためらっちゃって。
わたしにできたことは、みんなの邪魔にならないように一人でいることだけだった。みんなに迷惑をかけない〝いい子〟でいれば、それが一番みんなのためになるんだって、そう思っていた。
でも、やっぱり悲しみは堪えられなかった。どんなに苦しい気持ちを抑え込もうとしても、気を抜いたら爆発してしまいそうな、溢れ出してしまいそうな感覚に陥っていた。
だからわたしは、誰にも見られないように、一人で泣いていた。誰からも心配されないように、誰にも迷惑かけないように、たった一人でブランコに腰掛け、暗くなるまで過ごしていた。
「悲しげな声をあげている君は、一体どうしたの?」
そんな時、決まってあの人は現れるのだ。
記憶が曖昧なせいかもうあんまり顔が思い出せないけど、金色の髪に、赤い瞳が印象的で綺麗な人だったことは覚えていて、忘れることはない。その人はぐしぐしと目元を拭うわたしの前にしゃがみ込んで、優しい微笑みを浮かべながら頭を撫でてくれた。
「そんなに強く目をこすってはいけないよ。ほら、綺麗な顔が台無しじゃないか」
不器用な手つきで撫でてくれるその手のぬくもりが嬉しくて、わたしは涙を止められなくなったことを覚えている。
その人は私の頬を伝う涙を拭うと、わたしと視線を合わせて覗き込んできた。その瞳はまるで、宝石のように綺麗な光をたたえていた。
「何か、辛いことがあったんだね? …それで、一人で我慢して、抱え込んでいたんだね」
あまりにも綺麗で、近寄りがたい魅力のあったその人の顔に甘えるような関係があったという覚えは、わたしにはなかった。なのに、私はなぜかその人に向けて自分の悲しみや苦しみを吐き出していた。
この人になら全部打ち明けてもいいと思えるような安心感が、その時のわたしの心を軽くさせていた。
「……君はどうも、優しすぎるね。誰かのことを思うあまり、自分の心が傷だらけになっていることに気づかないでいる。それでは、君が救われない」
その言葉に、わたしはボソボソと言い訳のように小さな声で反論していた。
誰かに迷惑をかけるくらいなら、誰かの枷になってしまうくらいなら、わたしは誰の邪魔にならないようにしていたほうがいい。わたしなんかのことよりも、お母さんやお兄ちゃんたちの方が大事だから、みんなのためなら、いくらだって我慢できる、と。
そんなことを言ったと思う。
「それは確かに、とても大切なものだ。自分以外のだれかのためにそんなにも必死になれる……誰にでもできることじゃない。だが、自分を大切にできないのでは、君のことを思う人たちが悲しむことになる」
そう言われて、わたしは自分の心が締め付けられるのを感じた。みんなのためになっていると思ったことが、実はみんなを悲しませることになるなんて。
でも、そこまで言われてもわたしは迷っていた。もし、その人が言うようにお母さんたちに構ってって言っても、本当に邪魔に思われるかもしれない。嫌われてしまうかもしれない。
そうわたしが呟くと、あの人は困ったようにため息をついて、わたしの頭をポンポンと優しく叩いて来た。
「……大丈夫。私が君を助けてあげる」
その人の突然のセリフに、わたしはきょとんと首を傾げた。
あっけに取られているわたしをおいたままあの人はにっこりと笑みを浮かべると、すっくと立ち上がってわたしの前で姿勢を正し、恭しく手を差し伸べて来た。それはまるで、絵本の中の騎士様がお姫様の前に傅いているようで、あの人の美しさと相まって幻想的に見えた。同時に、わたしがお姫様の位置にいることがわかって、顔が真っ赤になったことを覚えている。
「君の願いを、私が叶えてあげる。君ができないことを、私が代わりにやってあげる。だから、もう泣き止んでおくれ?」
顔を真っ赤にしながら戸惑っているわたしに向けて、あの人はどこか悲しそうな、それを無理やり押し殺したような笑顔を見せてこう言った。
「安心して。私は━━━魔法使いだから」
「……━━ンお姉ちゃん‼︎」
自分の声で、目が覚めた。
ぐっしょりと寝汗をかき、ベッドの上で荒い呼吸を繰り返している少女━━━高町なのはは、自分の部屋の天井を呆然としながら見上げていた。
気付けば虚空に向かって手を伸ばし、何かをつかもうとして空を切っていた。
「……また、あの夢だ」
気づけば見ている、最近になって見る頻度が増して来た不思議な夢。
顔はよく覚えていない。本当にあったことなのかどうかもわからない。なのにどこか現実的で懐かしい気がして、それでいて、思い浮かべるたびに胸がきゅんと締め付けられるような気がした。
言葉ではどうにも言い表せない気持ちを持て余したまま、なのははベッドの上でぼんやりと天井を見上げていた。
「なのはー、朝ごはんよー」
そうしてしばらく過ごしていると、階下から母が呼ぶ声がした。その声にハッと我に返り、目覚まし時計に目を向けてみればすでに時刻は予定をだいぶ過ぎていることを示している。
「うにゃっ⁉︎ ね、寝過ごしちゃった⁉︎」
慌ててベッドから転がり落ちるように這い出し、寝間着を脱ぎ捨てて学校の制服を取り出し、袖を通す。この時刻は皆、朝食を終えて店の準備を始める頃だ。喫茶店を経営している我が家は、いつも準備があるために朝が早いのだ。
大急ぎで支度を終えてダイニングへと滑り込むと、そこにはやや呆れ顔の母の桃子と父の士郎が待っていた。
「おはよう、寝坊助さん」
「おはよう、昨日は夜更かしでもしたのかい?」
二人はまだ朝食を終えていないようで、なのはの分の朝食の他に兄と姉の分も揃えてテーブルに並べている。姉である美由紀はいつも通り、道場にいる兄の恭也の方へ迎えに行ったのだろう。
「ご、ごめんなさい。ちゃんと起きたんだけどぼんやりしちゃって……」
「……もしかして、またあの夢を見たのかい?」
なのはの表情に何かを感じたのか、士郎がどこか真剣な表情でなのはに尋ねた。いつも朗らかな雰囲気を放っている士郎には珍しく、その目にはまっすぐな鋭さがあるように思えた。
桃子もどこか不安げで、影がありながらなのはを心配するような眼差しを向けていたため、なのはは戸惑いながらも頷いた。
「う、うん。…でもやっぱり思い出せないの。あの人が誰なのか」
「……そうか」
士郎はやや険しい顔で宙を見つめていたが、不思議そうに見つめて来るなのはに気づきすぐに破顔する。桃子も陰のある雰囲気を消し、台所へと向かっていた。
「あ、じゃあ、お兄ちゃんたち呼んで来るね?」
なんとなく居心地の悪さを感じて、なのはは兄達のいる道場の方へと向かう。
以前夢に見たあの人のことを話してから、両親や兄達はさっきのようになることが多かった。何か知っているのは確かだが、なのはに気を遣ったのか不穏な雰囲気を隠そうとしているようで、なのはにはそれが逆に気になって仕方がなかった。
とはいえ自分から尋ねるのは気が引け、聞く気になれなかったことも確かだ。もっと勇気が欲しいと思ったが、所詮は夢であるためそんなには気になっていなかった。
若干悶々としながら、なのはは二枚のタオルを持って恭也達のいる道場に向かう。
「お兄ちゃーん、お姉ちゃーん。朝ごはんできたってー」
戸を開けると、素振りをしている美由紀と姿勢の確認をしている恭也の姿があった。
「お、やっと起きたか寝坊助」
「おはよう、なのは。寝癖がまだついてるよー」
「うん、おは……って、え⁉︎ 本当に⁉︎」
二人に振り向きざまに言われ、なのはは慌てて自分の髪に触れた。確かに感じた乱れに、赤くなりながら必死に直す。
「もー、お父さん達も言ってくれたらいいのに〜」
鏡がないため苦労したが、美由紀が手伝ってくれたためにすぐに寝癖は治った。
美由紀にセットしてもらい、自分でも出来を確認しているとふと、恭也がなのはを凝視しながら何かを考えていることに気づいた。なのはの顔に、何か違和感を感じているかのような目だ。
「…………」
「ん? どうしたの、お兄ちゃん?」
「恭ちゃん?」
なのはや美由紀に心配そうに見つめられても、恭也の表情はどこか硬い。
しばらくしてから、恭也はフッとなのはから視線を外し、誤魔化すような笑みを浮かべた。
「……いや、なんでもない。気のせいだ」
「? 変なお兄ちゃん」
不思議に思ったがそれ以上は聞かず、なのはは兄達と共に道場を退出して、高町家のダイニングへと戻っていく。
自宅に戻り、ダイニングで父と母に迎えられてから指定の席に着くと、三兄妹はテーブルを中心に向かい合った。
「おまたせ、父さん」
「ああ、じゃあ改めて」
「はい」
一家の大黒柱の合図で、5人は一斉に手を合わせる。テーブルの上に並べられた朝食に、朝の活力を作る命に感謝を込めて、大きな声で告げる。
「いただきます」
「いってきまーす!」
朝食を終え、学校指定の鞄を背負うと、なのはは小走りで家から出発する。
寝坊のせいか少しだけ予定より遅れてしまった、友達はもう先にバス停についてしまっているだろうか。
スクールバスが停車するバス停に急ぐと、そこには金のロングヘアーをツーサイドアップにした少女とウェーブがかった紫の髪の少女が待っていた。
「アリサちゃーん、すずかちゃーん、おはよー!」
「あ、おっそいわよなのは‼︎」
「おはよう、なのはちゃん。寝坊しちゃった?」
プンスカと怒る金髪の少女アリサ・バニングスと苦笑する紫の髪の少女月村すずか。なのはと同じ学校に通う、仲良しの二人である。
なのはは駆け足で二人の元に近寄ると、ゼェゼェと洗い息を吐きながら遅れたことを謝罪する。アリサは憤慨しながらもさりげなくなのはの背を撫でて落ち着くまで待ち、すずかも親友の素直じゃなさに苦笑する。
そのうちやってきたバスに乗り込み、なのはたちは語りながら学校まで揺られて行く。
愛する家族に送られ、親友達と朝の挨拶を交わし、高町なのははいつも通りの平和な毎日を送るのだった。
送る、はずだった。
「…この街に来るのは、久しぶりだな」
海鳴の街を見渡せる崖の上で、僅かな笑みを浮かべた一人の女が呟いた。
傍に止めた青いバイクにもたれかかり、群青色のライダースーツを纏った背の高いグラマーな女は、長くボリュームのある金色の髪を風に揺らして、ルビーのように煌めく赤い瞳で街を眺める。長い睫毛の下の瞳は、眩しげに日の光を反射して輝く広い海に釘付けになっていた。
空を舞う鳥の鳴き声風が森の木々を揺らす音、遥か先に見える海から漂ってくるのであろう、ほのかに香る潮の香りに包まれていると、以前この街にきたときの記憶が徐々に蘇ってくる。
様々な出会い、対話、そして別れ。それらはいずれも心昂らせる喜びの記憶などではなく、苦々しく胃の腑に重くのしかかる味を思い出させるものだった。
思わずしかめっ面になるも、深く呼吸を繰り返して落ち着かせ、無表情を保つ。正直顔を合わせ辛くて気がすすまないが、これから尋ねる場所にそのような表情は向けられない、せめてポーカーフェイスを保ったまま行かなければ。
「……行くぞ、ブルースペイダー」
【Yes,sir】
女は傍においたバイクに告げると、返ってきた野太い電子音声の返事もおざなりに、ひらりと乗り慣れたシートに跨って長い髪をまとめ上げていく。髪がはみ出ないようにヘルメットをかぶると、女は前屈姿勢で前方を見据え、ギアを何度か回す。
グオングオンと唸りをあげたバイクは女を乗せると、タイヤを滑らせて猛スピードで山道を駆け抜けていった。