【完結】魔法少女リリカルなのは ーThe Ace Chronicleー   作:春風駘蕩

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9.魔女と蛇

 次元の陰に静かに浮かぶ、異様な雰囲気を放つ人工の島。

 時の庭園と呼ばれる、失われし技術によって作り出されたその場所は今、ある女大魔導師の拠点となっていた。

 庭園の中心に立つ城、その最奥の広い玉座の間にて、黒いウェーブがかった長髪の中年女性が不機嫌そうに机の表面を指で叩く。中年といっても、胸元が大きく露出した黒い衣服から覗く肌はまだ若く、メリハリの効いた体つきも崩れているようには見えないため、実際の年齢よりもずっと若く見えた。

 しかしやや悪い顔色や目元に落ちる陰が本人に暗い印象を植え付け、重い経験を感じさせる雰囲気を放っている。彼女を初めて見た者ならば、英雄譚に登場する悪い魔女のようなイメージを抱いたことであろう。

 

「確かにジュエルシード…………間違いないわ」

「……はい、母さん……」

 

 か細く途切れそうな声で答えるのは、小さな白い箱を両手で持ったフェイトだった。

 いつもは何かの使命感で引き締まった表情をしているはずの彼女は今、自信なさげにうつむきながら体を縮めている。悲しげな目は怯えを孕み、冷たい目で見下ろしてくる黒髪の魔女を前に完全に萎縮してしまっているように見えた。

 何を隠そう、この魔女こそフェイト・テスタロッサの母プレシア・テスタロッサであり、フェイトにジュエルシードを捜索させている主犯なのである。

 

「でも……この結果はひどいわ」

「……!」

 

 娘に向けるにはあまりに冷たすぎる目と感想に、フェイトは首をすくめて険しい表情になる。頑張った褒美が欲しかったわけではない、ただ一言「よくやった」といって欲しかった彼女にとって、抱いたのは母に対する不満ではなく自分自身への不甲斐なさだった。

 

「私は言ったわね? あの世界に散らばった21個のジュエルシードを全て回収してこいと……」

 

 ギシリ、と椅子から立ち上がるプレシアを見るだけで、フェイトの体には震えが走る。

 優しかった母は、数年前の事故から変わってしまった。フェイトに優しい笑顔を見せることはなく、日々研究に没頭し顔もまともに見せてはくれなくなってしまった。

 最後に見た笑みは、母がフェイトにジュエルシードの収集を命じた時以来ない。その笑みも、どこか有無を言わさない覇気を宿したものであった。

 

「あれだけ時間をかけてたった3つ……たとえ邪魔が入ろうとも、全て集めてくるようにという母さんの命令は守れなかったのね……」

「あ……ぅ……ご、ごめ、なさ……」

 

 お土産のつもりで購入したケーキの持ち手に力がこもり、体が凍りついたように動かなくなる。

 冷酷な目を向けるプレシアはおもむろに、机の引き出しから取り出した革製の鞭を取り出す。猛獣か拷問のためにしか使われないようなそれを見た瞬間、フェイトの顔色は真っ青に染まりきった。

「フェイト………あなたは悪い子ね。母さんの期待を裏切らないでちょうだい」

「ひっ……‼︎ ご、ごめん、なさいっ……すぐに、すぐに向かいます……‼︎ だから……だから……‼︎」

「ダメよフェイト……これはお仕置きなの」

 

 ボトッとケーキの箱を取り落とし、後ずさろうとするフェイトだが、不意にその両手首に紫色の光の輪が嵌められる。プレシアが発動させた拘束魔法により、顔の筋肉を強張らせたフェイトの体がその場で吊り上げられていく。

 哀れな少女は、罪を犯した奴隷か囚人のように空中に磔にされ、ガタガタと震えながら母を凝視する他にない。

 プレシアはそんな娘を冷たく見据え、床に鞭を打ち付けてその威力を見せつけると、何の躊躇いもなく振りかぶった。空気が割れるような痛々しい音を立てるそれは、少女の柔らかい肌などたやすく引き裂き、血を吸うだろう。

 本来引っ込み思案な性格であるフェイトは、その痛みを想像してパニックに陥り、何とか仕置をやめてもらおうと必死に叫ぶ。

 

「ごめ、なさいっ……今度はちゃんと勝ちますから! あの人にも、黒い奴らにもっ……‼︎」

「…………何ですって?」

 

 今まさに鞭を振り下ろそうとしていたプレシアは、フェイトの言葉に違和感を感じてその動きを止めた。

 まさかやめてくれるとは思っていなかったフェイトは、恐る恐る強くつむっていた目を開けてプレシアの様子を伺う。

 

「現地人と管理局員の邪魔が入ったのならわかるわ。……でも、それだけじゃないの?」

「え……」

「答えなさい、フェイト」

 

 先ほどまでの狂気とは異なる、戸惑いのような表情を見せる母に言葉を失う。オロオロと迷っていると、答えを急かすようにギチギチとプレシアが鞭を持つ手に力がこもり、慌ててその時の状況を思い出す。

 

「は、い……えっと、黒い人みたいな蟲の生物が、ジュエルシードの方へ集まってきて……襲ってきて、それで……」

 

 フェイト自身、あの時の異形の軍勢が何者であったのかはわからない。しかし母が興味を示すことなら、何か重要なことなのだろうと必死に記憶を辿り、詳しい情報をたどたどしく伝える。

 フェイトの見た全てを伝え終えると、プレシアは鞭を持つ手を下ろしながら何か考え込み始めた。不安げなフェイトの視線にも気づいていないように、険しい表情で虚空を睨みつけていた。

 

「……第三者の介入? それともただの偶然……まさか……」

 

 ブツブツと溢れる小さな声に、放置されたままでどうすればいいのかわからないフェイトは困り顔でプレシアを見つめる。

 しばらくその場で立ち尽くしていたプレシアは、ややあってからようやく思い出したというようにフェイトに視線を戻し、ため息をついて背を向けた。

 

「……報告はもういいわ。下がりなさい」

 

 プレシアがそう言うと、フェイトの両手首を戒めていた拘束が弾けて消える。突然解放されたフェイトは戸惑いがちにプレシアの背中を凝視するが、思考の中に入ってしまった母はそれ以上言葉をかけてくれない。

 躊躇いながらもぺこりと頭を下げた少女は背を向け、その途中で無残に凹んでしまった自分の土産の箱を悲しげに見下ろし、振り切るように早足で退出した。

 

「…………まさか、ね」

 

 一人残った大魔導師は、かすかな焦りを感じさせるような低い声で呟き、その眉間に深いしわを刻んでいた。

 

 

 庭園の廊下を一人歩くフェイトの元に、アルフが焦った様子で駆けつけた。

 

「フェ、フェイト! 何もされなかったかい⁉︎」

「う、うん……大丈夫だよ、アルフ」

 

 ペタペタと身体中を触って傷の有無を確かめてくるアルフに苦笑しながら、フェイト自身も戸惑い気味に眉を寄せていた。

 母の様子は、自分の報告以来どこかおかしかった。母にも予想外の事態が起きたのは間違いないが、プレシアのあの表情は何か心当たりがあるように思えた。

 

「ほ、本当に大丈夫かい? 隠したってわかるんだからね?」

「アルフ……隠しててもわかるなら私が嘘ついてないってわかるでしょ」

「あ…そうか」

 

 目から鱗というように間の抜けた表情で頭をかき、無遠慮に体を弄ってしまったことをフェイトに詫びる。

 気にしていない、とフェイトが首を横に振ると、アルフはまた不思議そうに首を傾げて眉間にしわを寄せた。

 

「……珍しいこともあるもんだねぇ。あの鬼婆が何もせずに引き下がるなんて」

「アルフ……そんなこと言わないで」

「だってさぁ!」

 

 不満げに声を荒げるが、フェイトは厳しい目でアルフを見つめる。使い魔を咎める目でありながら、その目に隠しきれない悲しみを宿しているのを見てアルフは口を閉ざした。

 この主人は決して母に逆らわない。どんなに理不尽な目に遭おうと、自身が傷つこうと母のために粉骨砕身し、喜ぶ顔を求めてしまうのだ。まるで自分自身を縛り付けるように、過酷な任務で自分をいじめ続ける。

 それでもやはり、優しかった頃の母が恋しくて感情を顔ににじませる姿が、アルフには悲しくて仕方がなかった。

 

「母さんは今、余裕がないだけ……母さんの言う通りにできない、私が悪いから」

「フェイトぉ……」

 

 はっきりとそんなことはないと否定しないが、有無を言わさないまっすぐな目でそう言われては、アルフはそれ以上口を挟めない。

 ぺたりと耳をへたらせる家族に申し訳なさそうに唇を噛みながら、フェイトはアルフの隣を通り抜けた。

 

「行こう、アルフ。今度こそ、母さんの命令を果たさなくちゃ……!」

 

 慌てて追いかけてくるアルフの存在に救われながら、フェイトは再び地球に向かう。

 母の願いを、叶えるために。

 

 

 誰もいなくなった玉座の間にて一人、頬杖をつきながら物思いに耽るプレシア。

 そんな彼女の左側に、何の前触れもなく半透明なスクリーンが現れた。荒いノイズのみが映るその画面からは、元の状態が想像できないほどガラガラに加工された男の声が響いてきた。

 

〈―――随分余裕がなさそうだね、プレシア・テスタロッサ〉

 

 馴れ馴れしく話しかけてくる謎の男に、プレシアは億劫そうに目を向けた。比べるまでもなく、プレシアは男に親しみを持っていないようだ。

 

「……何の用?」

〈いやいや、ただの陣中見舞いだ。それに、お人形の様子も確認しておきたかったものでねぇ……実に美しく育っているじゃないか〉

「…………」

 

 顔を見ずとも、汚らわしいいやらしい笑みを浮かべていることが手に取るようにわかるプレシアは、聞こえないように小さく舌打ちをする。ある意味で恩のある相手だが、どうしても好きになはれなかった。

 ジュエルシードの情報を流してくれたことや、移送船の襲撃に一役買ってくれたことは確かだ。しかしその行為の裏側には隠しきれない野心が見え隠れしていて、少しでも気を抜けば背後から食われる可能性があることを否定できない。

 何より、一度だけ生身で相対したときに見た男の目が、プレシアに否応無く生理的嫌悪感を抱かせた。

 

「……少なくとも、娘と同じ姿をしたアレにそういう視線を向けられるのは虫唾が走るわ」

〈おお、それは失礼した。……しかし、これは私の本音だよ。真実を知らず、命じられるままに母親に従って死地に赴く。実に健気で……滑稽だ〉

 

 フェイト・テスタロッサが普通の人間ではなく、プレシアの本当の娘アリシア・テスタロッサのクローンであることを知っているのは、男がかつて娘の死後に会ったことがあるからだ。

 ヒュードラの稼働実験に失敗し、巻き添えによって命を落とした娘を蘇らせる研究ーーープロジェクトF.A.T.E.の研究をしていたとき、この男が接触してきたことは記憶に残っている。当時はあまりの胡散臭さに断ったが、まさか今ほどに深く関わることになるとは思わなかっただろう。

 男の粘着質な笑みは、その時から変わっていなかった。

 

〈しかし実に惜しい。あれほどのポテンシャルを持った素材がそこにあるのに手に入らないというのは……君の持つデータとともにアレも渡してもらえるなら、さらなる協力を約束できるのだがねぇ……〉

「何度も言わせないで。最初の契約通りよ……計画内容に変更は一切ないわ」

〈無論それは理解しているとも。別に今更文句があるわけではないさ〉

 

 男は妙にフェイトに興味を持っていた。アリシアの記憶を転写しても、姿形が全く同じでも、記憶の中にある娘とは全く違っていた失敗作のことを欲しがっている。

 太陽のように朗らかだった笑顔とは程遠い困り顔や、逆の利き腕を見たときにプレシアは悟った。通常の技術では娘を取り戻すことはできない、真の神の領域に足を踏み入れなければならないと。

 そのためになら、この悪魔のような男と契約し、魂を売り渡しても構わなかった。

 

〈しかし奇妙な話だ。君はアレを嫌い、憎んでいるものと思っていたのだがね? その反応はまるで、あのお人形のことを……〉

「―――黙りなさい」

 

 なのに、フェイトを渡す気にはなれなかった。(アリシア)の出来損ないの失敗作であるというのに、見るだけで忌々しい娘の命を奪った金色の魔力光の持ち主であるというのに、手足として利用し続けていることが、自分でも不思議だった。

 そしてそんな失敗作を欲しがるこの男が、何よりも気に入らなかった。

 

「計画の進行は私に任せるはずでしょう。ジュエルシードは全て奪い、あなたはそれと引き換えに私に技術と情報を渡す。……個人的な干渉はなしといったはずよ」

〈……まぁ、いいだろう〉

 

 プレシアの本気の怒気が伝わったのか、男はたいして気にする様子もなく引き下がる。しかしまだ諦めていないことは、多少の長い付き合いでわかり切っていた。

 

「それよりも、予想外の妨害が入ったわ。ジュエルシードを狙う異形がいるなんて……あの世界には魔法生物はいないんじゃなかったの?」

〈残念ながら、私も全てを知り尽くしている全知全能の存在ではないのだがね……だが確かに奇妙だ。調べておくことにしよう〉

 

 わざとらしい、とプレシアは根拠もなくそう思う。

 魔法文化の存在しないこの世界にジュエルシードが散らばってしまったことは計算外であったが、この男と話をしていると手のひらの上で弄ばれているのではないかという考えが浮かんでしまう。

 アリシアのことがなければ、今すぐにでも手を切って距離をおきたいと思うぐらいに、プレシアは男を嫌っていた。

 

〈そんな存在があるのなら、私も困ったことになる。早急に手を打とうじゃないか〉

「……信用はしないわよ」

〈これは手厳しいな〉

 

 口にしたほど気にした様子もなく、男は通信越しに可笑しそうに笑う。嫌悪感で顔をしかめるプレシアの様子も見えているように、男は気味の悪い笑い声を響かせた。

 

〈君の今後に期待するとしよう……では、またいずれ〉

 

 最後まで不気味さを保ったまま、男からの通信がブツッと途切れる。

 プレシアは気だるげに髪をかきあげると、玉座の背もたれに体重を預けて軽く背を伸ばす。嫌な相手との会話は実に疲れるもので、苦痛な時間だった。

 そこでふと、フェイトが残して行った崩れたケーキの箱が目に入る。あの高さから落としたのなら、もう中身は見るに値しないほどぐちゃぐちゃになってしまっているだろう。

 慰労のつもりか、それともご機嫌取りか、もしくはただの社交辞令か、どうでもいいことのはずなのに、プレシアはなぜかその箱をじっと見つめたままフェイトの顔を思い出していた。

 

 ―――プレシア……。

    どんなに願っても死者は還りません……失った時間も同じです。

 

    今のあなたにはフェイトが……。

 

 かつて飼っていた山猫のリニス。アリシアとともに死んだその山猫のクローンを使い魔が言ったことを思い出す。

 フェイトの教育係として生み出した彼女は、秘密をフェイトに打ち明けることはなかった。契約が果たされる最後の時までプレシアの元に付き従い、そして役目を終えるとともに姿を消した。

 そんな彼女の言葉が、なぜか頭から離れなかった。

 プレシアは玉座から立ち上がり、壁に偽装した扉を開いてその奥に入る。フェイトもあの男さえも知らない、プレシアの最も大切なものを隠している秘密の部屋だ。

 厳重に隠したその部屋の中心には、繭のような形をしたガラスケースの中で永遠の眠る一人の少女がいた。長い金髪を揺蕩わせ、小さな体を丸くしているその少女の顔は、幼い時のフェイトと全く同じ顔。

 6歳にしてこの世を去った、プレシアの最愛の娘アリシアがいまにも目を覚ましそうなほど完全な姿でその繭の中に収められていた。

 

「……心配しなくても、私の娘はあなただけよ」

 

 プレシアは冷たいガラスにそっと触れ、すがりつくように頬を寄せる。ただのガラスで遮られた自分と娘の距離はわずか数センチだというのに、プレシアにはあまりに遠く感じられる。

 だが、かつては手も届かぬと思っていた距離は、徐々に縮まろうとしている。もう少しで、願いは叶うのだ。

 

「……アリシア。早くあなたの声が聞きたいわ……」

 

 今だけは、娘の模造品に憎悪をぶつけていた魔女の表情から、おぞましい狂気が消えていた。最愛の娘との再会を願い続け、狂ってしまった彼女にとって、自分の苦痛などさしたる問題ではない。

 憐れなただの女に答える声は、未だ聞こえなかった。




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