【完結】魔法少女リリカルなのは ーThe Ace Chronicleー 作:春風駘蕩
薄暗い部屋の中で、いくつもの空間モニターに映し出された画面が変化していく。
コンソールを素早く叩き、ある少女の所在を調べるためにセンサーやサーチャーを街中に向けて満遍なく作動させる。優秀な解析官である彼女だからこそ任せられる、相手に悟られない慎重さを前提とした任務であった。
「この黒い子…フェイトって言ったっけ?」
「フェイト・テスタロッサ…かつての大魔導師と同じファミリーネームだ」
「ふぇ……そうなの?」
モニターから目を話さないままエイミィが驚きの声をあげると、クロノもまだ信じられていないような表情で頷いた。
黒の脳裏に浮かび上がるのは、過去の事件についての資料を見ていたときに目に入った、一人の魔導師についての情報だった。
「だいぶ前の話だけどね…ミッドチルダの中央都市で魔法実験の最中に次元干渉事故を起こして……追放されてしまった大魔導師」
「その人の……関係者?」
「さあね…本名とも限らない」
血縁者の可能性は考えられないわけではないが、情報ではずっと昔に離婚し、事故によって一人娘を失って独り身となっていたはずである。
ならば考えられるのは、自分についての情報を可能な限り隠すために名乗っている偽名、もしくは罪をかぶせるために名乗っているかなど、情報が少ないいまはいくらでも可能性は考えられる。
考え込んでいたクロノは、エイミィの操作するモニターに「NOT FOUND」の文字が浮かび上がったことで意識を戻した。
「あ~、やっぱりだめだ…見つからない」
任務を果たせなかったことに、エイミィは心底悔しそうな顔で机に突っ伏す。手強い相手であることはわかっていたが、これだけ頑張って成果が出なかったことにがっくりと肩を落としてしまった。
画面に映っている、黒衣の少女の張り詰めた表情を恨めしげに睨みながら、エイミィは不満げに唇を尖らせた。
「フェイトちゃんってば…よっぽど高性能なジャマー結界を使ってるみたい…」
「向こうもなかなか優秀だ」
エイミィの力量に不足があったわけではないことを知っているクロノは、それを上回る隠密性を発揮している少女と、オレンジ色の狼の使い魔に厳しい視線を向けた。
「使い魔の犬……たぶんこいつがサポートしてるんだ。人間形態の時もある」
「おかげでもう2個もこっちが発見したジュエルシードを奪われちゃってる………手強いなぁ…」
高性能な機材と設備、万全と言えるサポートが充実しているとはいえ、物事には時の運も関わってくる。
ジュエルシードの反応を特定し、即座に人員を派遣したときにはすでにことは終わっていたということは、局員たちに決して小さくない敗北感を植え付けていた。
「しっかり探して補足してくれ…頼りにしてるんだから」
「はいはいっ」
とはいえ項垂れてばかりはいられない。自分のやるべきこと、できることを最大限やり切らなければと、もう一度自分を叱咤するエイミィを見守り、クロノも考えを改める。
敵は今の所二人だけとはいえ、さらなる脅威が現れないとも限らない。認めるのは癪だが、アインの言った敵を泳がせるという考えもあながち価値があると思えることに、クロノは渋い顔で腕を組んだ。
「……ん?」
すると、何やら外の方から声が聞こえてくる。
バタバタと通路を走りながら、局員同士が何か騒いでいるような、互いを急き立てるような声が聞こえてくる。
眉をひそめたクロノは、訝しげに振り向いたエイミィの方に手を置くと、億劫そうに目を細めて声のする方へ歩き出した。
「何の騒ぎだこれは…」
そうして局員たちが小走りで行く方へ向かい、すでに多くの面子が集まっている食堂の方へ顔を出す。
人集りの中を押しつぶされそうになりながらかき分けて進んで行き、その中心にいる人物たちに目を向けた瞬間、クロノはギョッと大きく目を見開いた。
「何でそういうこと言うんですか!」
人だかりの中心で、怒りに満ちた表情のなのはが怒鳴り声をあげる。普段はおとなしい少女が、ビリビリと空気が振動するほどの声量を出していることに、周囲の局員たちは驚いた顔で成り行きを見守る。
すぐ後ろにはハラハラと狼狽した様子のユーノが止めようと手を伸ばすが、少女の剣幕に押されて声をかけることができずにいた。
「どうして仲間なのに……そんなヒドイことが言えるんですか⁉ 消えてほしいとか…! 何でアインさんがそんなこと言われなきゃいけないんですか!」
わずかに涙をにじませ、怒りをぶつけているのは、先ほどまである騎士に対する暴言を吐き続けていた槍使いの騎士。
大人でも怯みそうなほどの怒号に対し、彼は実に鬱陶しそうに顔をしかめて、ギロリと鋭い目を向けた。
「おいクソガキ……口の聞き方に気をつけろよ。たいそうな魔力量を持ってる様だが、所詮は素人に毛が生えた程度のちっぽけな存在。おれ達と対等になったつもりで話してんじゃねぇよ」
「そんなこと…今は関係ないじゃないですか!」
「あるねぇ………平和な世界で育ってきたお前にはわかんねぇだろうがな、俺達の世界じゃ力がものをいうんだよ。ランクの低い奴は生き残れねぇし、そもそも魔力がない奴は生きてる価値すらねぇ!」
ミッドチルダを含む、魔法文化の広まっている世界の住人にありがちな差別的思考が、ジンガーになのはに対する敵意を抱かせていた。
下に見て、優越感に浸る対象のはずの管理外世界の住人が、自分に匹敵するかもしれない力を使い熟し、同じ任務に就いている。それが腹立たしく、彼の自尊心を大いに刺激していた。
「もともとおれはお前らが加わることには反対だったんだ……ド素人に手を貸されるほど、俺達は落ちぶれちゃいねェんだよ!」
「そんな…」
「なのにあの女………ヘラヘラした顔で受け入れやがって。何様のつもりなんだっての!」
侮辱の対象の一つとなっているリンディは、何も言わずに厳しい表情のまま佇んでいる。
アースラ側の局員たちがチラチラと心配そうな視線を向けるも、ことの成り行きを見守るつもりのように何も口にしなかった。
「それは君も同じことじゃないのかい?」
目に余る暴言の嵐の中、ついに見かねたクロノが険しい口調で両者の間に入った。
ユーノはあからさまにホッとした様子で肩を落とし、今度こそなのはの肩を引いてジンガーから引き剥がす。なのはは不満げにユーノを睨むが、必死で首を振るユーノに気づき、渋々言うことを聞く。
ようやく静かになったと、クロノはジロリとジンガーを見据え、射殺しそうなほどに鋭い視線をぶつけた。
「どういう権限で、艦長に対してそんな暴言を吐いているんだ、君は? 裁判にかけられてもおかしくはないと思うが?」
「おれ達の上司はノア提督だ。
「貴様…‼」
自分の上司、その上母親でもあるリンディを真っ向から侮辱されるも、場所を考えて極めて穏やかに詰問しようとしたが、当のジンガーに反省の念も上官であるクロノを敬う気持ちが一切ないことで怒りが燃え上がる。
アースラ側の局員たちも地上本部側の局員たちを睨みつけ、陣営を真っ二つにしかねない緊張感が生まれてしまう。
危うくミイラ取りがミイラになるかけた時、それまで傍観していたインシグニアがやれやれといった様子で割って入った。
「……部下が失礼しました。確かに直接の上官ではないとはいえ、地位が上の方に口にする言葉ではなかったですね」
「チッ…」
上司にかわりに謝罪させると言うあり得ない失態を冒しているのに、ジンガーに表面的にも反省する様子はない。
クロノもこれには口を挟みそうになったが、これ以上場をかき乱すと様々な弊害が現れることを案じて硬く口を閉ざす。本人への注意もそうだが、彼らを指導しているマンダリンにも色々と言わなければならないようだ。
インシグニアは困ったようにため息をつくと、先ほどまでの低姿勢とは真逆にきつく咎めるような視線を返した。
「ですが、やはり彼の言い分にも少しくらいは道理にかなった部分はあると思いますよ。クロノ執務官。
「っ……」
インシグニアの指摘に、クロノはわずかに痛いところを疲れたと言うように眉間にしわを寄せる。
ジンガーが最も嫌悪している人物は、クロノも決してよく思っていない相手であるために、真っ向からその意見を否定することはできなかった。
てっきり自分の意見を支えてくれると思っていたなのはは、雲行きが怪しくなってきたことに気づいて表情を曇らせる。
そんな時だった。一触即発の雰囲気の中に、騒ぎの原因とも言える人物が顔を出したのは。
「いい加減耳障りだぞ」
さしたる感情も、苛立ちも感じさせない気怠げな平坦な声で、アインがジンガーを睨みながら歩み寄ってくる。
人垣はまるで賢人に割られる海のようにひとりでに道を作り、嫌悪といふを帯びた眼差しが左右から注がれる。アインはさして表情を変えることなくその間を通り、騒ぎの中心である両者の前に陣取った。
「てめぇ……」
「君の声は少し大きすぎるな。ガキじゃあるまいし落ち着いて話したらどうだ?」
腕を組み、不快げに眉間にしわを寄せた彼女は、そういって自分の後ろに立っている少女に目を向ける。
師とも言える女性がけなされていたことへの怒りもあるが、やはりガラの悪い年上の男に立ち向かうのは恐ろしかったのだろう。目は涙で濡れ、手は小さく震えて恐怖を隠しきれないでいる。
小さな体で必死に意地を通そうとした少女の勇姿に、アインは微笑ましさと同時に呆れも感じていた。
「それに、子供相手に大人げないのではないか?」
「………教え子にずいぶんご執心のようですね」
挑発するようなアインの注意に、インシグニアは蔑んだ目を崩さない。
単純なジンガーが暴れ出そうとしているのを片手で止めつつも、彼女の目は部下と同じく青き女騎士への嫌悪に染まりきっている。
「それともなんですか? 自分を擁護してくれる味方がいなくなるのがそんなに怖いのですか? …薄汚い化け物のくせに」
「化け物って…そんな……!」
吐き捨てるように溢れたインシグニアのセリフに、なのはは信じられないものを見る目で嘆く。
他社に対して心ない言葉で攻撃する人間は少なくなく、なのはも街中で実際に目にしたことはある。しかしインシグニアのセリフは悪口の範疇を超えたものに聞こえた。
「…まさか、知らないのですか」
可憐な少女の白言葉のナイフになぜか自分が傷ついているような少女の表情を見て、インシグニアの表情に戸惑いが生まれる。
今度はなのはが戸惑う番で、自分が憐れまれているような、気の毒そうな視線を向けられている理由がわからず、ただその場で立ち尽くしてしまっていた。
「何のことですか…?」
「はっ! やっぱり何も聞かされていなかったみたいだな…だったら教えてやるよ」
「ケイマン陸曹長…! いい加減にして下さい‼」
ハッと我に返ったクロノは止めようと前に出るが、ジンガーはインシグニアもクロノも押しのけてアインの前に踏み出す。
無言のまま佇むアインのすまし顔にさらに怒りを募らせたようで、ずんずんと床を踏み抜かんばかりの勢いで迫る。
「この女はなぁ………!」
「やめろ!」
ジンガーの目が、さほど変わらない高さにあるアインの目を見据え、己の瞳の奥に写った光景を見せつける。
破壊され燃え盛る街、無惨に斃れていく人々、かつての己が体験し、その目に焼き付けてきた記憶を突きつけるように、ジンガーは轟くような大声で叫んでいた。
「ミッドチルダの人類すべてを絶滅の危機に陥れかけた、裏切り者なんだよ‼︎」
ギシリ、と初めてアインの表情が変わる。頬の筋肉が強張り、瞳孔が収束し、唇が噛み締められる。
といってもそれは側から見れば小さな変化で、リンディのように長く付き合ってきたものにしか分からないような些細なものだった。
だがそれでも、常に平静を保とうとするアインの表情をそこまで変えさせたという事実を知ったリンディは、悲痛げに目をそらし黙り込んでしまった。
「裏切り者……? アインさんが…?」
ジンガーの言った言葉の意味がわからず、なのはは呆然と繰り返す。
そんなはずはない、自分を助けてくれた騎士であるアインがそんな悪魔のような所業を行なったなど、信じたくはなかった。
「やっぱりな………自分に都合の悪い話は全部秘密にしてたってか。よくそれでそこまで師匠面できたもんだな!」
しかしジンガーの鬼の首をとったかのような表情が、インシグニアやナディアの侮蔑の表情が、クロノや他の局員たちの同意するような眼差しが、リンディの気まずげな表情が、その言葉を真実だと語っている。
ぐらりと足元が揺れるかのような気持ちの悪い感覚が、なのはに襲いかかる。何か言い返したくても、言葉として声に出なかった。
「15年前…! ミッドチルダに現れた大量の化物の集団……今でも夢に見るぜ。親父も、お袋も、まだ5歳だったおれの弟もみんな‼ 奴らに食い殺されて遺体も残らなかった‼」
堰を切ったかのようにジンガーはまくし立て、何も言わずに立ち尽くしているアインを責め立てる。激しい怒りと憎悪の嵐がぶつけられ、他の誰も口を挟むことができなくなる。
アインは何も反論しなかったが、わずかに伏せられた目とギリギリと握り締められている拳が、その内心の荒ぶりを表していた。
「そうなったのはみんな…てめぇが化け物の親玉をとっとと封印しなかったせいだろうが‼」
ジンガーの手が、アインの襟首をつかんで引き寄せる。下がることもそらすこともできなくなった彼女の目を鋭く射抜きながら、ジンガーは己の思いの丈を全て叩きつける。
その姿はもはや騎士ではない。どうにもならない過去を持て余し、ただ己の不満を誰かにぶつけることしかできないただのガキでしかなかった。
「てめぇが俺の…‼ 俺達の家族の命を奪ったんだよぉ‼」
アインの唇が、食い破られそうなほどに噛み締められる。
ジンガーは鼻息荒くアインの襟を離し、どうにか自分で落ち着こうと乱暴な深呼吸を繰り返す。インシグニアはその肩を叩き、気持ちはわかっているというような慈愛に満ちた微笑みを向ける。
誰も彼を責めることはできなかった。深い事情を知らないユーノでさえ、ジンガーの経験は嘘偽りない事実だということを察し、アインに疑いの目を向けてしまっているくらいだ。
「ウソ……ですよね…? アインさん…」
ただ一人、微かな希望をかけて、なのはは自分の目の前で立ち尽くしているアインを見つめる。
意地悪なあの人が言ったことなど嘘だと、そんなことをするなどあり得ないと信じたい。だが体は自分のいうことを聞いてくれず、冷や汗が背筋を伝って震えが止まらない。
なのはの動揺を見ることなく察したのか、アインは深いため息をつくと彼女から目をそらした。
「………否定はしない」
なのはの表情が、絶望で青く染まる。
そんな答えなど聞きたくない、そんな嘘を信じたくないと首を振るが、それっきりアインは顔を見せてくれない。
きつくアインの服の袖を握りしめるが、ふと振り返った彼女に振り払われてしまい、不安げに見上げる少女はさらなる悲しみに苛まれる。
「だが…一つだけ訂正してほしい」
「あ?」
不快げに眉間にしわを寄せるジンガーから視線を外し、アインはなのはに目を向ける。
一切の興味を失った、冷たい無機質のような目を向けられ、なのはは怯えたように後ずさっていた。
「なのはは私の教え子ではない………妙な勘違いはやめてもらえないか」
ヒュッと、なのはの喉の奥が締まる。体の中に氷を入れられたかのような悪寒が身体中を駆け抜け、不快感によって激しい吐き気に襲われる。
胸を締め付けられるような感覚を抱きながら、なのはは呆然とアインを見上げるしかなかった。
「アイン、さん…?」
「君もだよ、高町なのは……あまり私に対して甘えるな。親しい仲と思われるのは正直迷惑だ」
ポロリと、それまでどうにか保っていた涙がこぼれ落ち、次々に溢れ出して止まらなくなってしまう。
自分の立っている場所がひどく不安定なハリボテの上に変わっている気がして、強い恐怖に支配されてしまう。
こんな場所に居たくない、それだけの考えに脳内が埋め尽くされ、なのははいつの間にかアインに背を向けて走り出していた。
「なのは!」
慌ててユーノが追いかけるが、思った以上に速くあっという間に見失ってしまう。
戸惑いの表情を浮かべて顔を見合わせる局員たちや、憎々しげに睨みつけるクロノ、咎めるような目を向けるリンディに囲まれ、アインは気だるげに肩をすくめた。
やっと鬱陶しい相手が一人いなくなった、そんな態度にさらに悪意を集めるのを自覚しながら、アインはジンガーに視線を戻した。
「……安心してくれ。不用意に君らに近づくつもりはない。じゃあな…」
「待てっ…!」
ジンガーの制止がかかるが、アインは全く聞くことなくその場から去っていく。触れることを忌避した局員たちが再び道を開け、女騎士は億劫そうに虚空を眺めて歩いていく。
その背中を、歯を食いしばりながら見送る他になかったジンガーは、一瞬で展開したデバイスの切っ先を受けながら再び吠えた。
「俺は……俺は絶対にお前を許さねぇからな‼︎」
激しく深い憎悪の声を受けるも、一切の注意を向けることなく、アインはその場から姿を消した。
誰もが、その後に残る点々と続く雫の跡に気づかないまま。