【完結】魔法少女リリカルなのは ーThe Ace Chronicleー 作:春風駘蕩
「……やっぱりダメかぁ」
風呂上がりの濡れた髪を乾かしながら悔しげに眉尻を下げたなのはは、自室のベッドの上に身を投げ出した。
不思議な女性と別れ、声の聞こえた方に向かい森の中に入ったなのはは、歩きの根元に怪我をしたフェレットを発見し、急いで動物病院へと抱えて飛び込んだのだ。
幸い命に別状はなかったようだが、かなり衰弱している上にいつまでも置いておけるわけでもなく、なのはは心配でたまらなかった。
自宅に戻って家族に飼えないかと相談して見たのだが、結果は芳しくはなかった。やはり、ただ気になるという理由で、飲食店で動物を飼うことを説得するには至らなかった。
「……どうすればいいのかな……」
風呂から上がり、寝巻きに着替えたなのははベッドの上に寝転がると、ごろりと転がって天井を見上げる。
あのフェレットの傷ついた姿を見ていられず、思わず関わってしまったが、途中で放り出すことになりそうで心苦しい。最後まで助けてあげられないことが、なのはの心を苛んでいた。
アリサもすずかも気にしていたのに、力になれない自分が情けなくて仕方がなかった。
「…………」
深いため息をつくと、なのははまた転がって横を向き、深く憂いを帯びたため息をついた。
〔……聞こえますか……僕の声が聞こえますか……?〕
声が聞こえたのは、そんな時だった。
空気を震わせて伝わってくる声ではない。ラジオの電波を合わせたかのように、幼い少年の声がなのはの頭の中に直接伝わってきたのだ。
「ッ……だれ⁉︎」
ハッと目を見開いたなのははその声に聞き覚えを感じ、慌ててベッドから体を起こした。
謎の声から返事はない。やはり一方的に声が届けられているようで、なのはの声は届いていないようだ。
〔僕の声が聞こえる方、聞いてください……お願いします……僕に力を貸してください……お願いします……!〕
顔が見えずとも伝わる、悲痛な叫び。聴く者にも危機感を抱かせるほど、必死さを感じさせる声だった。
「……今のって」
なのはははっきりと確信した。この声は、あのフェレットを見つける前に聞いたものに間違いない。
この声を信じ、その後傷ついたフェレットを見つけたなのはには、再び助けを求めて自分に伝わってくるこの声を無視することはできなかった。
「……よし!」
強く頷いたなのははベッドから降り、自身の寝巻きのボタンに指をかけた。
「……えっと、ここだと思うけど……」
謎の声に導かれたなのはは、例のフェレットを連れて行った動物病院の近くにまで来ていた。
格好は寝巻きではなく、急いで着替えた普段着だ。下にいる家族にバレないように息を殺して自宅を脱出すると、一心不乱に動物病院の方を目指して走って行ったのだ。
運動が苦手ななのはは、近所にたどり着いた時点でヘトヘトになり、重い足取りのまま荒い息を吐いていた。
「……やっぱり、気のせいだったのかな」
汗をぬぐい、辺りを見渡すなのは。
もうすでにあの声は聞こえない。近くに来れば何か分かるかと思ったが、やはり幻聴だったのだろうか。
「帰ろ……」
異常も見当たらないのにここにいても仕方がない。わずかに肩を落としたなのはが、自宅に戻ろうと踵を返した時だった。
ズンッ!と地響きが近くで生じ、なのはの元にまで振動が伝わってきたのだ。
ハッと振り向いたなのはは、動物病院のある方向で粉塵と瓦礫が巻き上げられている光景を目にする。
突然の事態に固まるなのはだが、粉塵の中に見たことのあるシルエットと赤いきらめきを目にしたことでようやく再起動を果たした。
「! あれって……」
吹き飛ばされ、空中に投げ出されているフェレットを目にしたなのははすぐさま駆け出した。間一髪、胸にフェレットを受け止めると、飛来する瓦礫を避けて塀の陰に身をひそめる。
「な、何があったの━━━」
ガス爆発かな、などと考え、恐る恐る塀の陰から覗き込むなのはだが、すぐさま後悔する羽目になった。
そこには、異形がいた。グネグネと不定形に蠢き、吐き気を催す奇妙な色をした存在が数体、無数の触手を蠢かせて徘徊している。目と口と思わしき部分は空洞になっており、その奥に高校土地のような赤黒い光が宿っている。どう見ても、まともな生き物には見えなかった。
発狂しそうなほど気持ちの悪い存在をまともに見てしまったことで、なのはは強烈な恐怖感を覚えた。
「━━━⁉︎」
なのはは口を手で覆い、漏れそうになる悲鳴を抑え込む。だが、嫌悪感から思わず後ずさり、足元にあった小石を蹴って小さな音を立ててしまった。
その小さな音に反応し、三体の怪物はぎょろりと目らしき部分を向け、なのはを視界にとらえた。
わけのわからない存在に睨まれ、なのはは恐怖でガタガタと身を震わせる。
すると、動けずにいる少女に向かって怪物の一体がわずかに近づき、うねうねと動かしていた触手の一本をしならせ、なのはに向かって打ち出してきた。
「キャアアア‼︎」
かろうじて、というか偶然膝から力が抜けたなのはの頭上を、鋭い触手の一撃が通り抜けていく。
腰を抜かし、尻もちをついたなのはは顔を青く染め上げ、フェレットを抱えたまま怪物たちを凝視していた。
なのはは恐怖で凍りつきそうな足に叱咤し、ふらつきながら立ち上がって駆け出した。怪物たちがずるずると近づいてくる音を恐れながら、なのはは細い路地を利用して怪物の目を撒き続け、身を潜めようと足を動かし続ける。
ようやく一息つける距離をとれたと思うと、塀に背中を預けてずるずるとしゃがみこんだ。
「な、な、な、何なのあれ……⁉︎」
ゼェハァと荒い呼吸を繰り返し、思わずつぶやくなのは。その耳に、かすれた小さな声が届いた。
「……来て、くれたんだ……!」
今度は、さきほどの幻聴のような脳に直接響いてくる声ではない、鼓膜を響かせて伝わってきている。
「えっ? だ、誰? 誰の声なの?」
「ここです。……いや、後ろじゃなくて君の腕の中の……」
周りに誰かいるのかと思って思わず振り向いたなのはは、そこでようやく声は自分の胸から聞こえてくることに気づいた。
まさか、と思って視線をそろそろと下にずらしていくと、小さな緑の瞳を上げて見つめてくるフェレットと目があった。
「ふぇええ⁉︎ しゃ、しゃべったぁ⁉︎」
声を発してから、なのはは慌てて口を閉じた。せっかく隠れたのに自分で怪物に場所を教えてしまうところだった。
若干恨みがましい目でフェレットを見つめると、フェレットは申し訳なさそうに頭を下げた。
「巻き込んでしまってごめん。でも、あれを止めるために力を貸して欲しいんだ!」
「え、えぇ⁉︎ わ、私が⁉︎」
喋るフェレットだけでももうお腹いっぱいだというのに、いきなり漫画やアニメのような展開になっていくことになのはは慄く。なんだかもう、どんどんトンデモナイ方向に流されてしまっている気がする。
「む、無理だよぉ! 私、普通の子供だよ⁉︎ あんなのをどうにかする力なんて……」
「大丈夫……君には素質がある。コレを持って」
ブンブンと首を横に振るなのはに、フェレットは首に下げていた赤い宝石をなのはに差し出した。
困惑しながら、なのはは宝石を手に取る。そして、無機物とは思えない暖かさに一瞬恐怖感を忘れ去っていた。
「あったかい……」
「それはデバイス。……それの力は、僕では使いこなせなかった。でも、君ならもしかしたら……!」
フェレットの説明は、なのはにはチンプンカンプンで理解ができそうにない。だが、この状況をどうにかできるかもしれないということだけは、漠然と理解できていた。
なのはは自然と宝石を両手で包み込み、目を閉じていた。あたかも、祈りを捧げているかのように。
「管理権限、新規使用者設定機能、フルオープン……僕の後に続いて、パスワードを唱えて。ゆっくり、心を落ち着けて……」
「う、うん……」
フェレットとなのはの足元に、まばゆい光が迸る。縁を描き、幾何学的な模様と見たこともない文字が刻まれ、なのは達を中心にゆっくりと回り始めた。
風が舞い、少女の髪を揺らす。光の粒子が辺りに舞い上がり、美しい幻想的な光景を現実世界に映し出した。
「まず、『我、使命を受けし者』……」
「え、えっと、わ、我、使命を受けし……」
戸惑いながら、なのはがフェレットの唱える言の葉を紡ごうとする。
だが、そんな二人の頭上を黒い影が覆った。
なのはとフェレットを探して徘徊していた怪物が、自らの体を弾ませながら移動し、塀を越えて追いついてきたのだ。
「⁉︎ しまった、もうこっちに気づいて⁉︎」
「ヒィッ‼︎」
上空から近づいてくる異形の顔を目にしてしまい、なのはは顔を引きつらせて凍りつく。
言の葉も中断してしまい、足元の陣も光を失ってしまった。それはまるで、なのは達の希望の光も失われてしまったかのようにも見え、なのはの心は一瞬で恐怖に塗りつぶされてしまった。
「逃げて!」
「や、やだ、やだ、ヤダ……‼︎」
フェレットがかばうようになのはの前に出るが、恐怖に縛られた少女の体はやすやすとは動いてはくれない。その間にも、血のように真っ赤な怪物の目と口が、少女の命の灯火を消し去ろうと猛スピードで迫った。
「たすけて━━━‼︎」
こんな状況で、誰かが助けてくれるとも思えない。
しかし少女には、叫ぶことしかできなかった。
だがその時、夜闇を切り裂く朝日のように、少女のいる空間に光が差した。そして少女の悲鳴も、怪物の咆哮も全てつんざいて、けたたましい爆音がその場に轟いた。
「⁉︎」
触手を伸ばし、なのはに襲いかかろうとした怪物の背後から、一台の青いバイクが疾走してきたのだ。突然のことに自身の窮地も忘れ、思わず目を見開いて呆然となるなのはの前にそのバイクは突入し、怪物の巨体よりもなのはのもとにたどり着いた。硬直するなのはに向けてバイクに跨っていた人物が手を伸ばし、疾走する勢いのまま少女の細い腰に手を回した。
「━━━しっかり掴まれ‼︎」
まるで雷のような、空気を震わせる鋭い声がなのはに向けて放たれる。その凄まじさに一瞬ビクンと震えるなのはだが、ただ固まっていることさえ許されてはいなかった。
━━━ォォォォォォォォォォォォン‼︎
騎手が操るバイクがエンジンを唸らせ、後輪が先ほどよりも勢い良く回転する。途端にバイクは速度を上げ、触手が追いつけないほどの速さに達する。
そのすぐ後に、怪物の巨体が轟音とともに着地し、地面に放射状のヒビを入れた。
「うにゃぁぁぁぁぁぁぁ⁉︎」
脇に抱えられたなのはは不安定な体勢のまま風に揺らされ、涙目になりながら悲鳴をあげる。
細い路地を巧みに疾走するバイクは怪物の触手から大きく距離を取ると、小脇に抱えた少女を掴む手にぎゅっと力を入れた。
バイクの騎手は路地を出て大きな道に出ると後輪を滑らせて方向転換し、砂塵を巻上げて停止する。
ようやくタイヤが止まると、騎手は怪物のいる路地を睨んだままゆっくりとなのはをその場におろしてやった。
なのははばくばくと鼓動する胸を押さえ、パチクリと何度も瞬きをして自分が無事であることを確認した。
「び……ビックリした」
「今のは、一体……?」
なのはもフェレットも、一瞬何が起こったのか理解できていないようで、呆然と先ほどもで自分たちがいた路地を見つめていた。
そんな二人の頭上から、「はぁ…」と深いため息が聞こえてきた。
「……何で素人がこんな大層なものに巻き込まれているんだか」
その声に、なのはとフェレットはバッと同時に振り向いた。出会ったばかりだというのに恐ろしい息の合いようである。
バイクの騎手はかぶっていたヘルメットを外すと首を振り、こぼれ出した長い金髪の三つ編みを払いのける。
「━━━!」
なのはは、露わになった騎手の顔に言葉を失った。
月明かりに照らされたのは、一度見た顔立ち。月光に照らし出される、誰もが見惚れる白い肌と黄金の髪。長いまつ毛に縁取られた目は赤い宝石のような瞳を持っている。
見間違えようもない、帰り道で助けてくれた、あの人だ。
「以前来たときから思っていたんだが、この世界はやはりどこかおかしい気がするのは私だけなのか?」
凛とした声で、呆れたようにつぶやく女性。なんのことを言っているのかわからないが、なのはには気にする余裕すらなかった。
惚けたまま動くこともできないなのはに変わって、フェレットが恐る恐る口を開いた。
「……あ、貴女は?」
「ん? 私か?」
バイクから降りると、騎手は視線を路地からフェレットに移し、わずかに笑みを浮かべた。
「通りすがりの、正義の味方さ。……危ないから、しばらくそこでおとなしくしていてくれ」
「え、で、でも……」
自分も見ず知らずの少女に力を借りようとしたが、それは対抗できる力があると確信してのことだ。
だが迷っている時間すらもあ許されてはいないようで、ついに路地から怪物がずるりと顔を出し、恐ろしげな唸り声を上げる。一体だけではなく、残った二体も屋根を伝ってなのは達のいるところに顔を出し始めた。
フェレットが戦慄の表情を浮かべるのを余所に、騎手の女性はまた深いため息をついた。
「私はここに、休暇で来たはずなんだがな。……魔法文化もないこんな所で、こんな相手にぶつかることになろうとはな」
女性はバイクから離れ、エンジン部分を軽く叩いた。
「ブルースペイダー、モードリリース」
【Yes,sir. Mobile mode】
ライトが点滅したバイクから野太い男性の合成音声が発すると同時に、バイクは見る間に小さく折りたたまれていく。物理法則を軽く無視した変形に目を丸くするなのはの目の前で、バイクはスペードを模したペンダントへと形を変えた。
ペンダントに変わった相棒を手に取った女性はそれを懐にしまうと、なのはとフェレットを背に庇う位置に立つ。
「結界展開……は、もうしているのか。優秀な子だ」
空を見上げた女性は小さくつぶやき、満足そうに笑みを浮かべる。
変形するバイクを目にしたフェレットは、より大きく目を見開いていた。
「アレは、インテリジェントデバイス……まさか貴女は⁉︎」
驚愕の中に、隠しきれない期待の色をにじませたフェレットに向けて、女性は背を向けたまま口を開いた。
「時空管理局所属、アイン・K・アルデブラント陸曹だ。管理局規定に則り、現事案を鎮圧する。……せいぜい長く踊ってくれよ、
そう言って、紺色のライダースーツとジャケットをまとった女性━━━アインは、怪物たちに向けて不敵な笑みを見せていた。