【完結】魔法少女リリカルなのは ーThe Ace Chronicleー 作:春風駘蕩
「……損な役回りをさせちゃったわね」
アースラの中に設立された庭園空間、なのはたちとリンディが初めて対面した空間で、アインは一人、橋の上で片膝を抱えて座っていた。
小さな滝が生み出すせせらぎや水面の波紋をぼんやりと見下ろしながら、一言も口にせず佇んでいる彼女に、リンディは苦笑しながら近づき、その隣に腰を下ろした。
「…何の話だ」
「とぼけないでよ。…あのままだと、彼らの関係は真っ二つに割れてどうにもならなくなるところだったわ。だから自分から敵役を買って出たんでしょう…?」
平坦な声で答えるアインに、リンディはしょうがないというようなため息をついて目をそらした。アインがどんなにぶっきらぼうに振る舞い、隠してもリンディにはわかっていた。
もともとそりの合わない
だからこそアインは、自分が憎まれる役目を負うことで互いの敵意を自分に逸らさせ、対立の激化を防いだのだ。
最悪の事態は免れたが、それを行なったアインに対するリンディの表情は、不満げなまま変わる様子はない。
「でもなのはちゃんを突き放すのはどうかと思うわよ。あの子、きっと今頃泣いているわ」
「……ジンガーの目を見ただろう。私が関わっただけで、あの子にまで敵意を向けるようなやつだ。……味方にも睨まれるようでは、守りきることはできん」
「天邪鬼…」
ジンガーや、かつての事件で被害にあった者たちの憎悪は計り知れない。わずかな親交があっただけで復讐の対象となることもあり得たため、アインはこれまで紡いできた縁を全て断ちながら生きてきた。
今度はなのはがその被害者になってしまったなら、アインも今度という今度は理性を崩壊させて荒れ狂うかもしれない。
「大事にしなさいよ……守るって約束したんでしょ」
「…………」
リンディからしてみれば、もう親友は全ての人間を敵に回してしまっていてもおかしくはないほどに傷つき続けている。なのに彼女は、組織に所属したまま奴隷のように働き続け、戦場に身を投じ続けている。
その理由が、たった一人の男への感情のためであることは、リンディはまだ誰にも教えられそうになかった。
アインとリンディがいる場所からちょうど反対側にある訓練室の隅で、なのはは両膝を抱えてうずくまっていた。
目元は赤く、汚れた頬をみれば先ほどまで泣きじゃくっていたことが丸わかりだった。今もなお悲しげに目を伏せ、ヒックヒックとしゃくりあげているのが余計に悲痛に見えた。
「……アインさん…どうして……」
師のように慕っていた人からの心無い一言を真に受け、思わずその場を飛び出してしまったが、今は誰とも話をしたくなかった。先ほどの話を聞いたばかりでは、もう誰の言葉も信じられなくなりそうだったからだ。
局員のほとんどが任務中か、食堂に集まっていたために、誰もその場にいない訓練室を見つけられたことは幸いであった。
「……ずいぶんあの人を信用していたようだね」
目を潤ませるなのはの元に、不意に聞き覚えのある声がかけられる。
ハッと我に返ったなのはは、ゴシゴシと目元を乱暴にこすると居住いを正し、キッと声をかけてきた訪問者を睨みつける。
インシグニアは警戒している様子のなのはに苦笑し、安心させるようにゆっくりと近づいてから、静かに隣に腰を下ろした。
「あなたは……えっと」
「インシグニア・ジムニー。さっきはゴメンね。彼はちょっとけんかっ早い所があって…昔の職場もそれで追い出されたことがあるんだ」
優しげな笑みとともに話しかける彼女に、なのはは警戒したまま体を引く。だがあの険悪な場において、比較的冷静な態度を貫いていたインシグニアのことを思い出し、威嚇するような視線の鋭さをやや緩める。
それでも気を許すようなことはせず、少しずつ距離を取りながら、インシグニアの顔をじっと横目で観察した。
「でも本当は……誰かのために起こることができる正義感の強い人なんだ。昔の職場でも…自分以外の誰かのために感情を爆発させちゃっただけ………それでも手を出しちゃったのはまずかったと思うけどね」
苦笑しながら、部下の失態を本人に代わって謝罪に来たようで、なのはが距離を取ろうとしていることに気づいても傷ついている様子はない。
むしろ仕方がないとでも言うように、なのはの厳しい眼差しを真正面から受け入れていた。
「でもその正義感を部隊長に買われて…彼は今僕の仲間になっている。もう一人の子も同じさ。彼女はまぁ……セクハラに耐えかねての暴力だけどね」
始めは、あの二人の騎士たちを完全に敵として認識していたなのはだったが、話を聞くうちにそう根は悪い人間ではないのだと思えてきた。
人との付き合いがうまくいかない人がいるのもわかっているし、それぞれに異なる考えや思いがあることもわかっている。
それでもなのはは、尊敬する人をひどく言われたことを許す気になれなかった。
「………アインさんのこと、嫌いなんですか」
「…正直私も、彼女に対してはいい感情を抱いてはいないかな。これまでの功績や実力は評価すべきだとは思うけど………でもそれでも、彼女は越えてはいけない一線を越えてしまった」
「でも……誰も味方がいないなんて!」
部下のフォローを忘れないインシグニアでさえ、アインに対してははっきりとした悪感情を抱いていることに、なのははまるで自分が傷ついているかのような表情を見せる。
インシグニアは小さくため息をつき、目に涙を貯めて俯いている心優しい少女を見つめた。
「………これは本当は…君に話すべきかどうか迷ったんだけど、あの人を尊敬してる君に目を覚ましてもらうためには必要な事だと思う」
まだ何かあるのかと、なのはは不安げな表情で振り向き、恐る恐ると言った様子でインシグニアの顔を見上げる。
何故だか、それ以上聞いたら絶対に後悔するという予感がしたが、アインの過去についても、なぜ彼女がああも疎まれるのかも知りたいなのはは、覚悟を決めた眼差しをインシグニアに送った。
「…タカマチ・シロウ、知ってるよね?」
騎士がつぶやいた名前に、なのはは驚愕で大きく目を見開いたまま固まってしまう。知らないはずはない、たった一人の父親なのだから。
だがインシグニアは違う。魔法の世界で暮らしているはずの彼女にと父の間に接点などあるはずはないし、そもそも出会うきっかけなどあるはずもない。
ドクンと、なのはの心臓が妙な脈動を響かせ、徐々に彼女の血の気が引いて顔色を悪くしていった。
「お、とう…さん」
「そう……君のお父さんは数年前、ある任務の最中に追った怪我で生死の境をさまよった。そしてその原因は………ある技術から生み出された魔法生物によるものだったんだ」
「え…」
士郎の大怪我の話は覚えている。姉からも、大きな力を持った悪人と戦った結果その傷を負い、生死の境をさまよったのだと言うことは聞かされた。
そして同時に、そこにアインが関わっていたと言う話を思い出し、急速に湧き上がる嫌な予感のせいで冷や汗が噴き出し始めていた。
「その名は
聞かされた話に、なのはは愕然とした様子でインシグニアを凝視し、カタカタと体を震わせる。
インシグニアの語る計画が恐ろしい内容だったこともあるが、そんな事件が地球で起きていたことにも強い恐怖感を感じていた。ジュエルシードが初めてだったのではない、もっと前からこの世界は危機に瀕していた事もあるのだと理解し、信じられない気持ちでいっぱいになっていた。
真っ青に染まる顔色が彼女の動揺を表していて、インシグニアは彼女に同情を孕んだ目を向けながらも、全て真実であることを告げた。
「ど…どうして……地球にそんなのが…」
「管理外世界は、管理局の目の届きにくい場所だからね……次元犯罪者や狂った研究者にしては都合のいい遊び場なんだ」
「そんなことのために……お父さんは…」
「大人って勝手だからね……一部とはいえ、他人のことなんて一切構わない酷い人たちもいるんだ。……かくいう私も、そういう勝手な大人の都合でひどい目に遭った」
インシグニアの手がかつて自分のみに起きたことを思い出しているのか、ブルブルと震えながら握り締められている。
それ以上にショックを受けているなのはに悲痛げな目を向けるが、インシグニアは心を鬼にして、少女に真実を告げるために続きを口にした。
「さっき言った
なのはは衝撃のために硬直しながら、なんとか小さくうなずいて肯定する。
インシグニアはどこか憎悪を感じさせるくらい目を虚空に見せながら、かつてある騎士が大きく関わっていた事件の真相を口にし始めた。
「ただ肉体を弄っただけじゃ、最強の生物なんて生み出せない。…研究者たちは
まだ話の全貌が見えないなのはは、それでも胸の内に広がる不安と恐怖にとらわれ、凍りついたように動けなくなっている。
聞いてはいけない、後悔する前に話を中断してもらえ、耳を塞いでその場から逃げろ、そんな声が自分の中から聞こえるが、体はまるで自分のものではないように言うことを聞いてくれなかった。
「それは、管理局に飼われているある騎士だけが持つ力……世界そのものを御せる、万物の頂点としてすべてを支配できる力……永遠に戦い続けられる不死の力」
なのはとインシグニアの脳裏に、全く同じ人物の後ろ姿が映る。
圧倒的とも言える剣の腕前と、無数の敵を前にしても決して引かない胆力を兼ね備えながら、それを誰にも認められていない、憎まれ続けている一人の騎士が。
かつて不死の怪物を退治し、結果的に一つの世界を救ったというが、そこに至るまでに余りに多くの犠牲を出し、称えられることもなく責められ続けている一人の女性の姿が、なのはの脳裏には映っていた。
「アイン・K・アルデブラント……彼女が持つ細胞をね」
なのはの中で、あらゆる情報が線で結ばれ、一つの答えへと導いていく。
父とともにいた事件の日、父や母が見せる騎士への躊躇い、彼女に向けられている兄や姉たちの表情、アインが見せる遠い眼差し、なのはに対する過剰なほどの干渉、そして、局員たちが見せる憎悪の眼差し。
その全てが、なのはが最も知りたくなかった真実を表していた。
「わかるかい? ………君のお父さんをあんな目に遭わせたのは―――君の先生なんだよ」
インシグニアの優しくなだめる笑みが、なのはには悪魔の微笑みにしか思えない。自分を苦しめる嘘ばかりを撒き散らす敵にしか思えず、なのはは思わず視線を真下に落としていた。
構わず騎士は、哀れみのこもった眼差しを向けながらなのはに語り始めた。
「今から数年前のことだよ―――」