【完結】魔法少女リリカルなのは ーThe Ace Chronicleー 作:春風駘蕩
[―――予定通り、後の捜査は我々は引き継ぐ。貴様はその街で待機し、我々の指示があるまで大人しくしていろ]
通信専用のデバイスから、吐き捨てるような乱暴な指令が下される。口を聞くことすら煩わしく思っているような、そんな口調だった。
いつものことだとは理解していたが、アインは通信相手にもう少し隠す努力を見せる気はないのかとふと思う。
[……逃げだそうなどと夢にも思わぬことだ]
「了解……」
恐らくは、デバイスの向こう側で激しい憎悪の表情を浮かべているであろう、現在の上司に刺された釘に内心苦笑しながら、アインは淡々と了承する。
ブツッと音を立ててデバイスの通信が切れると、アインは腰掛けていたベンチに背中を預けて息を吐く。
「臆病者どもが…逃げやせんと言っているだろうに」
指令が下されるたびに毎度のように告げられる最後の言葉に、アインは流石にうんざりした様子になる。毎回言われなくともわかっていると言いたいが、向こうからすれば全く信用に値しないだろう。
億劫そうに立ち上がると、アインは次の指示が入るまでの時間つぶしとして街を散策することにする。
その途中、商店街の一角にひっそりと佇んでいる、一軒の喫茶店を偶然にも散策を開始して最初の店に見つけた。
「…たまにはいいか、こんな小洒落た店に赴いても」
派手すぎず、さりとて地味などではなく、どこか上品な趣を感じさせる佇まい。
見たところ客足はまだまだ遠いようだが、あまり賑わっている騒がしい店に行くのも気に入らないために、アインの足は自然とその店に向かっていた。
「あ…! いらっしゃいませ!」
店のドアに付けられたベルが、カランコロンと心地の良い音を奏でると、テーブルの掃除をしていた一人の女性が満面の笑みを浮かべて振り向いた。
長い茶髪に温和な顔立ちをしたかなりの美人で、人気のない店にやってきたアインを柔らかな笑みで迎え入れた。
外から見たとおり、開店してそう経っていないのか客足はまだまだ遠のいているように感じられる。もっと繁盛していてもおかしくなさそうなのにと、ガランとした店内を案内されるアインはぼんやりと勿体無さを感じていた。
「…おや?」
「…ん?」
その視線が、別のテーブル席を磨いていたもう一人の従業員とぶつかる。
その従業員の顔が見覚えのある、というか先日顔を合わせたばかりの男性のものであることに気づき、アインは珍しく目を見開いて驚きをあらわにしていた。
「お前は……確かタカマチ・シロウといったか? なぜこんなところにいる」
「あなたこそ…! まさか我が家でお会いすることになろうとは」
「我が家……?」
「まぁ込み入った話は座ってからにしましょう。どうぞ、こちらへ」
士郎に促されるまま、アインは空席ばかりのカウンターに腰を下ろす。士郎がカウンターの向こう側で淹れるコーヒーを待ち、アインはじっとその顔を見つめた。
二人はそれ以降口を開かず、奇妙な沈黙が漂っていた。
「……問い詰めたりはしないんだな。自分で言うのもなんだが、私はかなり怪しいと思うぞ」
「恩人に対して、そんな無礼は働けませんよ」
「…恩人?」
昨日暴れたことを問われると思っていたアインは、何も聞かず黙々とコーヒーを砕く士郎に不思議そうな目を向ける。身分も目的も告げず、ただ剣を振り回しろくに会話も交わしていない相手が訪れてきたのだから、疑うことぐらいはしてくると思っていた。
しかし返ってきたのは、自分には適当には思えない好評価。アインの表情が訝しげに歪むのも仕方がなかった。
「私は任務を果たしただけだ。……別に貴方を助けたわけではない」
「それでも、私が危ないところであったことには変わりありませんよ。……ずいぶん遅れましたが、深く感謝しています」
表情の裏に隠した悪意なども微塵も感じさせない、御人好しそうな笑顔で礼を言われ、アインは居心地悪そうに視線を外す。
最近は感謝の言葉どころか、まともな人間扱いされされた覚えがなかったために、不意打ちに近い士郎の反応に戸惑ってしまっていた。
しばらくニコニコと笑顔を浮かべていた士郎は、やがてうっかりしていたと言うように手を止め、レジと厨房の方にいた女性と青年を呼び寄せた。
「ああ、ご紹介が遅れました。妻と長男です」
「はじめまして。主人の…ご友人?」
「よ、よろしくお願いします」
「…………そ、そうか」
いきなり家族の紹介を受け、アインは困惑気味に返す。
士郎としては自分の恩人を家族にも紹介し、自分がどれだけ感謝しているのかを知ってもらいたかったのだろう。
しかし人との会話自体が久しぶりなアインは、親しげに話しかけてくる人物の相手も初めてで、まともな反応も返せずにいた。
「家族で、経営しているのか。この店は…」
「ええ。……といっても、まだまだ軌道には乗れていないのですけどね」
苦笑しながらも、士郎は誇らしげに妻・桃子と長男・恭也の肩を抱いて笑っている。
危険な任務に臆することなく挑んでいた男が、暖かそうな家庭を築いている事実を知り、アインは無意識のうちに、士郎に羨ましげで妬ましげな視線を送ってしまっていた。
その時、店のベルが再び鳴り、二つの人影が入店した。
「ただいまー…って、あ…お客さん⁉︎」
「ただいまぁ………あっ」
現れた二人の少女のうち、幼い声の主は店の中を覗き込み、カウンター席に見慣れない女性が座っていることに驚きの表情を浮かべる。
まだ客と顔を合わせたことが少なかったのだろう、その表情には強い緊張が表れていた。
「長女の美由紀と末の娘のなのはです。二人とも、ご挨拶しなさい」
「は、初めまして! いらっしゃいませ!」
「う、うん!」
士郎に促され、なのはと呼ばれた5、6歳の少女はトテトテと急ぎ足でカウンターの方へ近づいてくる。
体を強張らせながら、隣を歩く美由紀に寄り添われてなのはは背筋をピンと伸ばし、アインにぺこりと頭を下げた。
「たかまち……なのは、です。は、はじめまして!」
年上の、思わずハッとするほどの綺麗な女性と話す緊張からか、なのはは頬を赤く染めて見つめてくる。
あどけない少女の精一杯の挨拶に、アインは微笑ましさを感じながら小さく息をつく。同時に、先ほど湧き上がった羨望がひとまわり膨らむのを感じた。
「……ああ、よろしくな。なのは」
そんな昏い感情をどうにか隠し、アインは優しい微笑みを見せるのだった。
それからの数日、アインは本部からの指令が下るまでの時間を翠屋で過ごしていた。
妙に親身に接してくる高町夫婦に困惑、と言うかどう対応すべきか混乱しながらも、その店に入り浸っていたのは単純な理由から。
士郎の淹れるコーヒーと桃子のケーキの味が、悔しいほどにアインの好みと合っていたからであった。
「いつもご贔屓にしていただいて、ありがとうございます。アルデブラントさん」
「……なに、単なる暇つぶしだ」
毎日律儀に同じ時間に訪ねてきて、同じメニューを選んで口にする初めての常連客に、桃子は嬉しそうに微笑を見せる。
女神のように試合に満ちた微笑みを向けられ、人の温もりから長く離れていたアインは気まずげに目をそらしていた。だがそれは桃子には照れ隠しに見えたのか、やたらと微笑ましげに見つめられる羽目になっていた。
(………どうにもやりづらいな、この一家は)
桃子の用意したコーヒーを口にし、アインはその味わいに浸ることで居心地の悪さを少しでも和らげようとした。
ちらりと周りに目を向ければ、以前は見なかった客がそれぞれテーブル席で談笑している姿が見える。やや煩わしくは感じるが、自分が気に入った場所が繁盛し始めているならまぁいいかと、気にしないことにした。
アインは気づいていないが、最近の翠屋の繁盛は彼女が深く関わっている。というのも、店の中でくつろいでいる長身でグラマーな美女の美貌は男女問わず注目を集め、いつの間にか花に寄せられる虫のように誘惑してしまっていたのだ。
静かに過ごせる場所としてこの店を選んだというのに、自分の存在が騒がしさを生み出した原因になっているとは夢にも思っていなかった。
「ど、どうぞ…!」
無言でコーヒーを喉に流し込むアインの前に、幼い手がケーキの乗った皿を運んできた。
小さな体で危なっかしく皿を置こうとする幼女から、アインは微笑を浮かべながら皿を受け取った。
「
一瞬だけ出てしまった異国の言葉に、なのははわずかにオロオロと狼狽した様子を見せたが、アインが言い直すとホッとした様子で胸をなでおろす。
アインが受け取ったケーキをカウンターテーブルの上に置いていると、傍らから注がれる興味津々といった視線に気づいた。
「……何か?」
「あの、えと、あ、アインさん?は、その…どこから来たんですか?」
「ミッドチルダ……といってもわからないか。とにかく遠い国だ」
異世界から怪物を殺しに来た、などとは口が裂けても言えないアインは、幼子のイメージを崩さないために言葉を選びながら説明する。
なのはには外国人と面と向かって会話すること自体が興味深いらしく、それだけでキラキラと瞳を輝かせていた。
「わ、わたし…外国の人とお話しするの初めてで、お話しできたらいいな〜……あの、ごめんなさい。勝手なこと言って」
「……別に構わないさ。何を聞きたい?」
その程度のことなら別に構うまいと、アインはなのはの遠慮がちな態度に苦笑しながら迎え入れる。
パァッと表情を明るくしたなのはは何かを言いかけるが、すぐに迷うような素振りを見せ始めた。アインは少し考え、すぐにその理由に思い至った。
「おっとそうだな…。呼びづらいようなら、他に呼び方を変えてもいいんだぞ? そこまで緊張されると、私がいじめているようだ」
「あ……はい! えっと、じゃあ……」
思っていたことをピタリと当てられたことに驚きつつも、なのはは頬を赤くして目をそらし、またモジモジとためらう様子を見せる。
アインがしばらく言葉が再開されるのを待っていると、ようやくなのはは意を決したように顔を上げた。
「アインお姉ちゃん……は、ダメでしょうか…?」
自分より一回り以上も年上の女性を、それも会ってそう時間の立っていない相手をそう呼ぶのがためらわれたのだろう。
しかし、同性であっても憧れを抱くほど綺麗な女性に対して、なのはが口にできる最大限の歩み寄りが、そんな親しみを込めた呼び方だったのだ。
「なら、そう呼んでくれ」
少女がなけなしの勇気を振り絞って掲げた願いを、女騎士が断る理由などなかった。
そして返ってきた満面の笑顔に、アインは少しだけ、ささくれだった自分の心が癒されるのを感じたのだった。
しかし、幸福を感じていた時間はそう長くはなかった。
誰かと言葉を交わして同じ時間を過ごし、高町家の面々と親しくなっていくうちに、アインの胸中には言いようのない不安と苦しみが募り始めていた。
―――ここはまるで底なしの毒沼だ。
士郎も桃子も、赤の他人とは思えないほどにアインに歩み寄ろうとしてくる。その娘のなのはも、緊張しながらも少しずつ、しかし確かに懐き始めている。
久しく感じていなかったぬくもりにくすぐったい気持ちになりながら、不意に襲ってくる冷たい思考に我に返ってしまう。心地好い夢の中にいることを、他ならぬアインの記憶が許してはくれなかった。
(人との関わりを全て絶って、命令されるままに戦い続けて、一人で生きて行くはずだったのに……いつの間にかあの家族のいるところが、心地よく感じてしまっている)
始めはお客だからと遠慮していた恭也や美由紀とも話すようになっていたが、親しい人ができるたびにアインはそれを失った時の絶望を考えてしまう。
自分の決断で選んだ生き方とはいえ、今の自分のままであればそう遠くないうちにこのつながりを失いことになるだろうと、漠然とした予感があった。
(もういてはいけないはずなのに……関わってはいけないはずなのに、私はまだあの人たちにこだわり続けている)
アインの中の何者かが警告する。
今のうちにその温もりを手放せ。そうしなければこの先、より深く辛い悲しみや苦しみが待っているぞ、と。
その言葉が的を射ている事は、かつて同じ経験を繰り返してきたアイン自身がよくわかっていた。
「………流石にもう、許されないよな」
今日は士郎ではなく、桃子が入れてくれたコーヒーを口に含み、アインはカウンター席の椅子の背もたれに体を預けると、誰にともなく呟いた。
女々しい自分が名残惜しさを訴えかけてくるが、自分に厳しい決断をしなければ後悔するのは自分だと無理やり黙らせる。
「ここにくるのはおそらく……これが最後だ」
「えっ⁉︎ …ああ、お仕事の都合でしたものね。寂しくなります」
コーヒー豆を潰していた桃子に唐突に告げると、高町家の母は驚いた様子を見せるも、やがて少し名残惜しそうに苦笑を浮かべてた。
士郎がどう説明したかは知らないが、アインは一介の客にそこまでの親しみを抱いてもらえていたことに、またしても心の温もりを感じてしまい、慌てて目をそらした。
「世話になったな、モモコ」
「こちらこそ、なのはの話し相手になっていただいて……また、来てくださいね」
隣のカウンター席に置いておいた上着を羽織りながら、アインは早々に会計をすませてしまおうと早足でレジに向かう。
人から見ればせっかちで無愛想な態度だが、ただ彼女が不器用なことを知っている桃子はニコニコと笑うだけだった。
「士郎は…どうした?」
「…今日も〝お仕事〟みたいです。私としてはもう違う仕事に移ってもらいたいんですけど……そうもいきませんからね」
「そうか……武運を祈っておく」
最後に顔ぐらい見せておきたかった、などと自分でも情けないことを考えてしまったアインは、すぐさま首を振ってその雑念を振り払った。
桃子に見送られ、自分でも気づかないほどに小さな笑みを浮かべたアインは、わずかな幸福を感じたまま翠屋を後にする。
しばらくすると、商店街を歩き続けていたアインのデバイスに、一本の通信が入った。
「はい、こちらアルデブラント」
[こちら司令部! 例の組織の拠点が判明した! デバイスに位置情報を送る、即座に急行せよ‼︎]
「…了解」
さっきまでの浮ついた気分に水を刺されたように、アインの中の熱がみるみる覚めて行くのを感じた。
店の中で通信を入れなかったことだけを内心で褒めてやりながら、アインは冷え切った赤い瞳で虚空を睨みつけた。
「……ちょうどいい機会だ」
今、ここより先に必要なのは、人の温もりに植えた情けない女ではない。
あらゆる命への贖罪に全てを捧げた、組織に飼われた犬だ。
けたたましい警報音が鳴り響く、とある地下に建設された施設の中。
地中深くまで蜘蛛の巣のように張り巡らされたその場所は、今まさに地獄と化していた。
「◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎‼︎」
「◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎‼︎」
口を中心にべっとりと赤いシミをこびりつかせた異形、人の形をしながらまるで異なる外見を持つ生物兵器たちが、奇妙な方向をあげて武装局員たちに襲いかかる。
ストレージデバイスを手に健闘する局員たちだが、放たれた魔法も異形たちの外皮に阻まれてしまい、あるいは貫いても凄まじい勢いで再生され、討伐は困難を極めていた。
「…こいつら…⁉」
数では圧倒していたのに、徐々に押され異形の魔の手にかかったことで、仲間たちは次々に倒れていった。
あわや全滅かと思われたその時、局員たちの背後で強烈な閃光が走った。かと思えば次の瞬間には、まるで龍のようにのたうつ雷の奔流が局員たちの頭上を飛び越え、異形に食らいついて破裂した。
「◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎‼︎」
異形たちは凄まじい断末魔の悲鳴をあげ、バリバリと弾ける雷撃の中に飲み込まれていく。
眩しさに顔を腕で覆っていた局員たちが、閃光が収まったのを感じて目を開ければ、そこには黒焦げの何もない空間が広がっていた。
「…再生能力は大したものだが、流石に消滅させられれば死ぬようだな」
呆然と立ち尽くしていた局員たちは、背後から聞こえてきた声にハッと我に返り、ついで嫌悪に表情を歪ませた。
ばちばちと帯電する剣を担いだアインは、そんな局員たちの視線を気にした様子も見せず、悠々とした態度で焦げ付いた通路に近づいていく。以前のような、ベルトだけが残っているようなことはなかった。
「まぁ、所詮はまがい物というわけか……なにをしている? さっさと突入したまえ」
あきれた様子でアインが視線を向けると、局員たちはそれぞれ舌打ちをしたり、目を背けたりと様々な反応を見せながらアインの隣を通り過ぎていく。
先へ進んでいく局員たちの背中を眺め、アインは小さなため息をつき、その後を追って歩き出した。
どかっと音を立てて、施設の外の木の幹に一人の初老の男性が押し倒される。
白衣を纏ったやや不健康そうなその男性は、自身を取り囲む何人もの局員たちを忌々しげに睨みつけ、ギリギリと歯を食いしばっていた。
「手間をかけさせてくれたな……こんな辺境の次元世界に目をつけるとは、発想だけは褒めてやってもいいかもしれんな」
局員らの一人、上の階級を示す徽章をつけた、この部隊の隊長である男性に見下ろされ、研究者はちっと舌打ちして目をそらす。
周囲に目をやれば、彼の部下らしき白衣の男たちが取り押さえられ、バンドで拘束されて何処かへ連れ出されているのが見えた。
「よもやトライアルシリーズのデータが持ち出されているとは思わなかった。……管理局の研究者ともあろうものが、堕ちたものだな。ヤヌス・ビュート」
「……お前たちのアレの管理は、恐れる割りには杜撰で楽だったよ。感謝するがいい。私のおかげで、アレの管理がより重くなるのだからな」
「減らず口を…」
研究者の男、ヤヌスが漏らした皮肉に、隊長は顔を赤くして鬼ような形相を見せる。
ヤヌスの言った言葉に間違いはない。彼は管理局の研究施設の重役の地位を利用し、秘匿されていたある細胞のデータとサンプルを盗み出して姿をくらませたのだ。
ロストロギアに相当するそのデータのセキュリティは万全と思われていたが、研究者にとっては拙いものでしかなかったようだ。
「チッ…!」
怒りで拳を震わせていた隊長は、近くに控えていたアインを見つけると、その横顔に無言で拳を振るった。
アインはなんの抵抗もせずにそれを受け、少しだけ後ずさるも倒れることなく直立を維持する。理不尽な八つ当たりにも、アインは微塵も表情を変えることはなかった。
「いつまでそこに突っ立っている…! 貴様の仕事はこれで終わりだ。さっさと檻に帰って大人しくしていろ」
「……了解」
隊長の行為を咎める者は、この場には誰一人としていなかった。
むしろその行動を讃えるように、ニヤニヤと小気味良さそうに笑みを浮かべたり、グッと拳を上げる動作をしている者さえいた。
抵抗も抗議も、何もできない女騎士を殴りつけたことで少しだけ溜飲が下がったのか、隊長は眉間のしわを浅くして部下に視線を移した。
「連行しろ! 残りのものは研究所のデータを全て回収、その後この場所は処分する!」
隊長の命令に頷き、局員たちはヤヌスの両腕を掴んで引きずるように連れ出していく。
アインはそれを冷めた眼差しで見送り、隊長に命じられた通りに自分もその場を後にしようとした。
「…ク、ククク」
しかしその時、連行される途中だったヤヌスが不気味な笑い声を響かせ、局員たちの足を止めさせた。
突然の奇行に訝しげにどよめき出す局員たちの前で、ヤヌスはギョロリと血走った目を向け、アインを射抜くように睨みつけた。
「やはり変わらないな……10年前と何も変わらない、醜くおぞましい姿だ」
アインはヤヌスの放つ敵意が自分に向けられた者だと気づき、冷めた目で見つめ返す。
局員たちが思わず後ずさるほどの殺意のこもった目であっても、アインにとっては見慣れた視線の一つでしかなかった。
「敵の血だけではない、同胞の血すらも浴びて図々しくも正義の側に立とうとする偽善者……それはお前だ、アイン・K・アルデブラント」
「……お前はその同胞を裏切ったんじゃないのか」
「私の同胞はもう……この世のどこにもいない。お前があの時、全て奪ったんだよ…!」
口の端から泡を吹きながら、ヤヌスは局員たちの拘束を振りほどかんばかりの力強さで近づこうとする。
どうにか局員たちは彼を逃すことはなかったが、それでもヤヌスはアインに掴みかかろうと懸命に抵抗し続けていた。
「なぁ、何故だ…? なぜ私の娘の命は理不尽にも奪われたのに、お前だけがのうのうと生きながらえているんだ…? なぜお前のような女が、まだそちら側にいられるんだ?」
「まさか……貴様は」
「仲間を切り捨て、踏みにじり、その上人間までもを裏切ったお前が、どの面下げて私にそんな目を向けている…! 悪魔、化け物、吐き気を催す害悪が…!」
ヤヌスの言葉に、アインの表情は次第に信じられないものを見るようなものに変わっていく。
これまでは赤の他人を見るだけだったが、ヤヌスの顔立ちにどこか見覚えを感じ始めてからは、震えが止まらなくなっていた。
しばらくアインを罵倒し続けていたヤヌスだったが、しばらくすると気味が悪いほどに大人しくなり、その顔に満面の笑みを浮かべだした。
「だが、お前がここにいる時点で私たちの野望は達成された」
おぞましいほどの悪意と強烈な欲望に染まったヤヌスの笑顔に、アインは徐々に嫌な予感が募っていくのを感じていた。
行かなければならない。今すぐに動かなければ絶対に後悔する、そんな本能のような内なる声が、アインの中でうるさいくらいに叫び続けていた。
「私たちの大切なものを……ことごとく、奪ってくれた貴様への………我々からのプレゼントだ」
その瞬間、アインの常人をはるかに超えた聴覚が、どこかで弾ける爆発音を捉えた。
自分の中の予感とその音が結びつきそうになり、アインはまさかと言った表情で顔を青ざめさせる。
「せいぜい苦しめ、偽善者」
そう告げたヤヌスの目は、これ以上ないほどに満足げにギラついていた。