【完結】魔法少女リリカルなのは ーThe Ace Chronicleー 作:春風駘蕩
走る、走る。ブルースペイダーを限界速度で駆り、道無き道を無我夢中で走り抜ける。
隊長の言葉も忠告も、何もかもを聞かなかったふりをし、ただただ己の中の不安を振り払うように風を切っていた。
「早く…! もっと早く…!」
任務を終えた直後、首謀者のこぼした不穏な言葉に突き動かされ、
かつて同じ異形を相手に背中を預けた相手、その顔が脳裏に浮かび、それが黒々とした闇に潰されていくようなイメージが浮かび、アインのこめかみを冷や汗が伝っていった。
(そんなはずはない……あの男と知り合ったのはごく最近、決して親しい仲なんかじゃない…! だが……)
アインに失うものなどない。家族も誰一人生きてはおらず、友人も皆自分の元を離れた、いや突き放してきた。そんな彼女を苦しめるために、一体他の誰を狙うというのか。
ありえないと思いながらも、そんな根拠のない想像が脳裏から離れてくれなかった。
(何故だ……何故あの人たちを狙う…⁉︎ 憎いのは私なんだろう…? 私を殺したいんだろう…⁉︎)
ヤヌスの向けてた憎悪の眼差しが、アインの記憶にしつこいカビのようにこびりついている。
今まで幾度となく向けられてきたそれだったが、ヤヌスのものは別の歪みを見せていた。
他の何を犠牲にしてでも復讐を果たす、そんな確固たる誤った考えが彼自身を突き動かしているように見えた。
(あの人は関係ないだろう…! そんなことをして、苦しむものは別にいることが何故わからないんだ…‼︎)
必死の形相でバイクを走らせるアインは、やがて森を抜けると爆発のあったビルの真下へとたどり着く。
遠くからでも聞こえてきていた悲鳴や、立て続けに響いてくる小さな爆発音、銃の炸裂音が、そこで起きている凄惨な現場を状況を伝えてきた。
「◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎‼︎」
ブルースペイダーを乗り捨てたアインは、煙の立ち上るビルの入り口から歩き出してくる一体の異形を目撃する。
いびつなシルエットを持つそれは間違いなく、ヤヌスが作り出し差し向けてきた異形の同類の生物兵器であった。
「邪魔だ! 変身!」
【TURN UP】
表情を変えたアインは、バックルを操作しながら異形に向かって走り出して行く。手元に現れた剣を素早く抜き、居合のように斬り捨ててから、未だ日の上がるビルの内部へと突入を開始した。
ビルの内部はもはや、原型をとどめぬほどに崩壊していた。
壁は炎で焼かれて真っ黒に焦げ付き、床も焼けたカーペットの下でひび割れが広がる。あちこちの壁には大きな穴が空き、風通しのよくなったそこで炎の勢いがより強くなっている。
元は絢爛豪華なシャンデリアや高価な骨董品が飾られていたであろうホールも、痛々しいまでに破壊されて、残骸を無残に撒き散らしている。
たった一体の異形が引き起こした惨状に、アインは唇を噛みしめるも、すぐさま目を鋭く尖らせて走り出した。
「だれか…! 誰かいないのか…!」
焦げた熱い空気と塵が舞う中を、アインは自身の聴力だけを頼りに歩く。
返事ができなくても、何か反応さえ返してくれたならすぐに駆けつける。それだけの集中力を発揮しながら、アインは地獄の中を一人探し歩いた。
そしてやがて、見つけてしまった。
「…………あ」
呆然と立ち尽くし、アインは大きく目を見開いたまま凍りつく。
轟々と燃え盛る炎の中、砕けた天井の破片が積み重なってできた山の下で、ぐったりと倒れ伏しているスーツ姿の女性。
オレンジ色に照らされながらも、その肌の白さは彼女がもう呼吸を止めていることを知らしめしている。
「……ぁ、あ……あぁああ…‼︎」
アインは言葉にもならない声を漏らし、その光景から逃れようとするように後ずさる。
そんな彼女を押しとどめるように、背後からいくつもの足音とともに奇怪な唸り声が響いてきた。
「◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎‼︎」
「◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎‼︎」
崩壊した室内を我が物顔で闊歩する数体の異形。
ポタポタとこぼれ落ちる、血のこびりついた腕を垂れ下げ、アインに向けてばかにしたような声を発している。
その姿は、アインの胸の内で今も突き刺さっている忌々しい記憶の欠片を呼び覚ますには、十分すぎた。
「ああああああああああああああああ‼︎」
バチィッと凄まじ勢いで弾けた電流が、みるみるうちに巨大な刃となって膨れ上がる。
アインは焦点の外れた目で異形を凝視し、ただ激情の赴くままに雷の剣を振り下ろす。崩れかけた建物への負荷も考える余裕さえなく、目の前の敵を殲滅することばかりを考え、雷撃を放っていた。
「ああああああ‼︎ 消えろ…! 消えろぉおおお‼︎」
一瞬のうちに雷撃の中に飲み込まれ、その肉体を消滅させられて行くトライアルシリーズの異形たち。
その姿が見えなくなっても、アインは狂ったように剣を振り回し、一切の痕跡さえ残したくないというように暴れ続ける。
周囲の壁や天井もその余波をくらい、すでに悲惨な姿を晒していた室内がより凄惨な状態へと変貌していった。
「ハッ……ハァッ…‼︎」
ようやく落ち着きを取り戻したアインが、大きく肩を上下させて立ち尽くす。
トラウマを刺激された女騎士は、あたりの惨状から目を背けようとするように背を向け、立ち去ろうと歩き出す。
しかしその先でアインは、今最も見たくないものを見てしまった。
「……士郎…?」
瓦礫の中に埋もれるように、ぐったりと力なく仰向けになっている一人のスーツの男性の姿が、そこにはあった。
致命傷と思わしき、夥しい量の血を胸元から流す彼の青白い顔を目の当たりにした瞬間、アインの全身に鋭く寒気が走った。
「士郎‼︎ しっかりしろ、士郎‼︎ 士郎ォォォ‼」
慌てて駆け寄り、剣を放り捨てて瓦礫を押しのけて士郎を抱き起こすと、懇願するように必死に呼びかけた。胸の内に広がる恐怖に身を震わせ、脳裏によぎってしまう最悪の未来図の想像に吐き気を感じていた。
「………これがお前への、報いだ」
そんな彼女の耳に、背後から聞き覚えのある声が届き、アインはキッと表情を変えて振り向いた。
それでもまだ若干青い顔色を見せるアインに、先ほど消滅させた異形の一体、その際に残った一部である首が目を向けていた。
「痛いだろう…? 苦しいだろう…? その苦しみが、我々遺族が受けてきた心の痛みだ。……存分に味わうといい」
嘲笑するような響きを持った声で、異形はぎょろりと黒い目を向ける。
その姿が、次の瞬間から変貌していくのを見て、アインは言葉を失って目を見開き、しかしすぐに険しい形相で睨みつけた。
刺々しい異形の貌から、ヤヌスの顔へと変化したそれは、ニヤリと意味深な笑みを浮かべてみせた。
「貴様……」
「驚いたかね? トライアルシリーズはただのアンデッドの……ひいては貴様の遺伝子によって生み出された兵器ではない……アンデッドの力を死者に付与し、疑似的な命を与えることを可能とした存在なのだ」
「死者…だと」
士郎をかばうように強く抱き寄せ、アインは首一つで未だ生き延びている異形を見下ろす。
表面上は冷静さを保っているようだが、内心では驚愕と同様で心臓がやかましく鳴り響いている。それを知っていてか、異形は満足げに目を細めていた。
「私の分身……いや、
「死からの復活だと……そんな、馬鹿な」
「私にとっても机上の空論、苦し紛れの悪足掻きだったんだよ……だが実際に私は、こうしてここにいる。こうして……お前に悲願を果たせた」
まさか、と思ったアインが、他の異形が立っていた場所のハッと視線を巡らせる。
冷静さを欠いたアインによって、全力での高圧縮の魔力を至近距離でぶつけた結果、異形たちは一部を残して跡形もなく消滅してしまっている。
しかしかすかに残っている部分が、徐々に人間の肌のような質感に変化している様子が、絶句するアインには見えていた。
「思い知ったか……お前は自分の欲望と他者の命、全てを救う選択肢を選んだつもりかも知れんが…結局お前がもたらしたのはこんなどうしようもない残酷な結末なのだ……」
先ほど襲ってきたトラウマとは別の恐怖に支配されたアインは、ガタガタと体を震わせながら異形を凝視する。
あたりに散らばった異形の断片が、みるみるうちに塵に還っていき、一切の痕跡が失われていく中、異形はさも可笑しそうにくつくつと喉を鳴らしていた。
「そんなこと考えもしなかっただろう…? 所詮お前はそんな人間なのだ……自分の欲望のためならば、他者を蹴り落としても心を痛めない、根っからの怪物……いかに偽善の皮を被ろうと隠せない、醜い本性なのだ」
「違う……違う…! 私は……私は………‼︎」
「違わないさ……現にお前は、こうして何人もの
告げられた言葉に、真っ青な顔のアインはビクンと全身を震わせる。
幾度となく聞かされてきた罵倒の言葉なのに、今この場においては、アインのこれまでの中で最も心に突き刺さった。
「お前はこれから、未来永劫この十字架を背負い続ける運命なのだ………目をそらすな、耳を塞ぐな。我らの怨嗟と憎悪を一身に受け続けろ。その重荷を永遠に背負い、後悔の渦の中を彷徨い続けるがいい」
ヤヌスの顔をした異形の目から、徐々に光が失われて虚ろになっていく。首の断面が崩れ、ボロボロと塵になっていく様子を、アインはただ呼吸を荒くしながら見つめていることしかできない。
自身の死が目前になっているというのに、異形は微塵も恐怖をにじませることなく、満足げな笑みを浮かべてアインを睨みつけていた。
「これが最後ではない……この悲劇は、永遠にお前の身に降りかかり続けるのだ。我らの憎しみが消えない限りな」
サラサラと崩れ、風に吹き消されていくヤヌスは、最後に凄まじく低い声で、アインに告げる。
全ての復讐者たちの心を代弁した、恐ろしい声で。
「ザマァ見ろ、化け物」
「うわああああああああああああああああああああああああああ‼︎」
轟々と燃え盛る地獄の中で、女騎士の慟哭が虚しく響き渡った。