【完結】魔法少女リリカルなのは ーThe Ace Chronicleー 作:春風駘蕩
びゅうびゅうと、不気味な風が海上のある一点を中心に集まり、吹き抜けていく。穏やかだった海面は今や荒々しく波打ち、激しい水飛沫を上げて打ち付け合い、轟音を響かせている。
けれどある境目から先は穏やかな海が広がっていて、それがただの嵐ではないことを表していた。
「アルカス・クルタス・エイギアス……きらめきたる雷迅よ、いま導きのもと降りきたれ……バルエル・ザルエル・ブラウゼル……」
暗雲の下で飛翔し、黒い戦斧を携え、足元に巨大な金色の魔法陣を展開させたフェイトは、その額に汗をにじませながら黙々と詠唱を口ずさみ続ける。
紡がれているのは儀式魔法。通常行使される魔法よりもはるかに高い威力を誇り、それに伴う準備の手間と呪文の難度を有するものだ。
一般的な攻撃魔法よりも長い詠唱が必要なため、実戦ではほとんど使用されないほどの隙が必要となるが、無論それは味方の守りがあって初めて成立するものである。
(正確な位置を割り出すために、海に魔力流を撃ち込んで強制的に発動させて捕まえる…そのプランは間違ってないけど…)
その護衛の役を担っているアルフは、儀式魔法を紡ぎ続けるフェイトを心配そうに見つめ、強く拳を握りしめる。
全身から滝のように汗を噴き出させ、それでも構うことなく魔力を注ぎ続ける姿は、使い魔に力になれないもどかしさを抱かせた。
「…打つは雷、響くは轟雷…アルカス・クルタス・エイギアス……‼」
フェイトが雄叫びとともに、金色の光を放つ愛機を海面に向けて振り下ろす。暗雲から凄まじい威力の落雷が降り注ぎ、渦巻く海を貫き金色の染め上げていく。
次の瞬間、突然妖しく輝く青い光を宿す巨大な竜巻が発生し、竜のようにのたうちながら黒々と分厚い雲の集う天へと登っていく。激しい水飛沫が嵐のような勢いで降り注ぎ、轟々と凄まじい音が咆哮のように響き渡る。
穏やかだった海面は今や、大きく渦巻く激流の巣窟となって唸りを上げている。まるで世界の終焉を思わせるような光景が広がっていた。
「見つけた…残りの、7つ……!」
竜巻の中に見える青い輝きに、フェイトはホッとしたように目を細める。
しかし、一度大規模な魔法を使った反動は大きく、飛翔する少女はいまにも墜落しそうなほどに疲弊している。大出力の魔力を放ったせいで、フェイトの顔は土気色に染まり、荒い呼吸を繰り返していた。
焦点を失いかけているフェイトの目を見たアルフは、その痛ましさに思わず目を背けた。
(こんだけの魔力を撃ち込んで、7つ全部を封印して……こんなのフェイトの魔力でも絶対に限界を超えてる…)
ただでさえ弱っていた主人が、酷使された体に鞭打って大規模魔法を使うなど、無謀なことはわかっていた。
やはり自分も手伝えばよかった。しかしそうすればフェイトを守る役目がいなくなり、敵に決定的な隙を晒すことになってしまう。
(なぁ、アイン。あんたみたいなお人好しなら……こんな時どうしたんだい?)
フェイトの身を案じ、自分たちを捕まえずにいてくれたもう一人のお人好しの顔が脳裏に浮かぶ。
いきなり襲撃しても怒ったりせず、不器用そうなのにわざわざ弁当まで食べさせてくれた。ジュエルシードの暴走を力づくで止めようとしたフェイトを止め、体を張って封印に手を貸してくれた、稀に見る大馬鹿者のお人好し。
たいした時間を共有したわけではない。しかしこんな時に縋りたくなるほど、彼女の存在は大きくなっていた。
(都合のいいことばかり考えるな! 赤の他人を頼ろうなんて考えるな! あたしはただ……フェイトを全力で助けるだけだ!)
この場にいない、助けを求めてはいけない相手のことを、ブンブンと首を振って脳内から追い出す。
最初から言っていたではないか、彼女は管理局員なのだと。時期が時期なら職務を全うしていたのだと、その口ではっきりと言っていたではないか。
しかし思わず手を伸ばしかけた誘惑を振り払いながらも、アルフの瞳には、青い騎士に対する苛立ちのようなものが宿っていた。
「この子達、なんてことを……!」
この世のものとは思えない、七つの海流の竜巻が天へと昇っていく姿を見て、エイミィは艦橋から戦慄の声を響かせる。冷静さを求められるオペレーターたる彼女であっても、いま目の目で広がっている光景には驚愕を禁じ得なかった。
艦内にはけたたましいほどのサイレンの音が反響し、あちこちで赤い光が点滅を繰り返している。現場から感知できる魔力量は凄まじく、すべての機材がエラーを吐き出していた。
「なんとも……無茶をする子ね」
リンディも表面こそ冷静だが、内心は例を見ない大災害を目の当たりにして冷や汗を流している。アースラクルーだけでなく、地上本部の派遣部隊も言葉を失い、食い入るように巨大な竜巻が映る映像を凝視していた。
いくつもの事件を解決に導いてきたベテランの組織でさえ、フェイトが発動させたジュエルシードが引き起こした惨事に目を見張っていた。
「無謀な……間違いなく自滅する」
「あれは個人の出せる魔力の限界を超えていますよ」
クロノは険しい表情でその映像をにらみ、低く唸るような声で呟く。
警報に呼ばれて艦橋に飛び込んだなのはとユーノは、竜巻に囲まれながら立ち向かおうとしているフェイトを目にして息を呑む。
フェイトが何をしたのかは検討もつかないが、少なくともいまの彼女が非常に危険な状態にあることはわかった。
「フェイトちゃん……! あの! 私たち、今すぐ現場に……!」
「その必要はないよ」
どうにかして彼女を助けなければ、と胸元のレイジングハートを掴み、悲痛げな表情で振り向くなのはだったが、クロノが返したのはそんな冷淡な一言だった。
凍りつくなのはに向けて、同じように絶句するユーノに向けて、クロノは感情が冷え切ったような平坦な声でさらなる答えを返した。
「放っておけば、あの子は自滅する」
「……⁉︎」
なのはは目を見開き、クロノをしばらく凝視してから映像の中のフェイトを凝視する。
金色の刃を振りかざしたフェイトは、竜巻の中の光に向かって突撃しては、凄まじい激流に弾き飛ばされていく。苦しげな表情で吹き飛ばされる少女は、飛ばされた先で別の竜巻きに叩きつけられ、再び苦悶の声をこぼす。
何度も何度も激流の衝撃を体に喰らい、その度に突撃を繰り返す少女の姿はあまりにも痛々しく、見ている方が苦痛を感じるほどであった。
「自滅しなかったら力を使い果たしたところを叩く。今のうちに捕獲の準備を」
「了解」
「で、でも……!」
少女の苦しむ姿を見ても動かないクロノに、なのはの中の疑念がさらに膨れ上がっていく。アインに最初に抱いてしまった疑いが、その同業者であるクロノたちにまで広がり始めていた。
リンディはなのはの戸惑いを察してか、純粋で優しすぎる彼女に対してどこか悲しげに眉をひそめてなのはを見下ろした。
「残酷に見えるかもしれないけど……これが最善」
「そんな……!」
「めんどクセェ真似すんじゃねェよ、ジャリん子」
返す言葉が見つからないなのはに向けて、背後から乱暴な声がかけられる。
ハッと振り向けば、不機嫌そうに眉を寄せたジンガーが小さく舌打ちをしながらなのはを見下ろしていた。隣を見ればナディアも似たような視線をなのはに向け、鬱陶しそうに表情を歪めている。
ユーノ以外に味方がこの場にいないなのはは硬直してしまい、若干怯えながらジンガーの強面を見上げる他になかった。
「上の決定には従うもんだぜ」
「でも……あのままじゃフェイトちゃんが……‼︎」
「あなた、年齢の割には賢いと思ってたけど……やっぱりガキはガキのようね。嫌になるわ」
ジンガーへの恐怖を押さえつけ、なんとか声を振り絞るなのはに向けて、ナディアが本気で苛立った様子でため息をつき、腰に手を当ててなのはの顔を覗き込む。
至近距離で向けられる冷たい眼差しに一瞬怯み、なのはは戸惑いの表情のまま硬直してしまった。
「あれは犯罪者。助ける義務なんてこっちにはないのよ。あの子とどんな関係かなんて興味ないけど、その感情に私たちまで巻き込まないでよね」
「そんなっ……私はただ、女の子が目の前で傷ついてるのに動かないなんて我慢できなくて……」
「それが余計な感情だって言ってんのよ。手間をかけさせないでよね」
なのはにしてみれば当たり前の思いを、ナディアは苛々した様子で踏みにじる。その態度は大人気ないと称するのがふさわしく、お世辞にも正義を自称する組織の人間が見せるものには見えない。
なのははただ困惑するばかりだった。別の世界から事件を解決するためにきてくれた、本物の正義の味方だと思っていた人たちが、苦しんでいる少女を放っておけと言う。
一度は憧れさえ抱いた人たちの見せる側面に、なのはは胸が軋むような不快感を覚えていた。
「口を慎め、相手は子供だぞ」
「へ〜い……」
サクソは少女に対して乱暴な態度ばかりを取る部下に一喝し、服幻想に腕を組んで睨みつける。
ジンガーは不満げながらも、インシグニアは表情を変えることなくその場を引いたが、ナディアだけは咎めるような視線をサクソに送っていた。
「お言葉ですが、組織として動けない人物に対してそれではあまりに甘すぎると思います。その被害は全て我々が受け持つことに……」
「黙れ」
しかし、サクソはそんな彼女に凄まじい殺気を伴った視線を送り、一瞬にして口を噤ませる。空気さえ凍りつくような冷たい眼光に、その場にいた誰もがぞくりと背筋を震わせた。
ナディアは小さな悲鳴をどうにか胸中にとどめ、まだ何か言い足りなさそうにしていたが、やがて諦めたようにそっぽを向いた。
部下が黙り込むとサクソは殺気を霧散させ、切なげな表情で立ち尽くしているなのはを見て、小さくため息をついた。
「……ねぇ、なのはちゃん。僕たちも別に、あの子を見捨てようと言っているんじゃない。むしろ僕らは、彼女を保護したいと思っているんだ」
少女への対応に困り、口を閉ざしたままのサクソに代わってムーヴが話しかける。
クロノやジンガーとは異なる優しい声に、なのははわずかに怯えを和らげ、しかしまだ不安そうに彼の顔を見上げた。ぎこちないなのはの反応に苦笑しながら、ムーヴは真正面からなのはの目を見つめる。
「え……でも」
「確かにあの少女は犯罪者。……だがそれ以上に、僕たちには優先すべき任務がある」
「ジュエルシードの……封印ですか」
なのはが迷いながら答えると、ムーヴは小さく笑みを浮かべて頷く。
少女の抱いている、理解ができるが納得はできないと言った感情に気づいたサクソは、なぜか感慨深げな微笑を浮かべて口を開いた。
「そうだ。だがこの状況では、どちらも安全に行えるとは思えない。我々を完全に敵として捉えているであろうフェイト・テスタロッサとジュエルシード、両方を相手取る余裕は、この艦には残されていない」
なのははその答えにぐっと息を詰まらせる。否定できる要素が一つもなく、返す言葉が見つからない。
悲しい話だが、今のフェイトに説得を聞いてもらえるほど、なのはと話した時間は短く頼りないものである。
「その上で、ハラオウン艦長はジュエルシードではなくフェイト・テスタロッサに対する指示を下したんだ」
だが悔しげに俯くなのはに、ムーヴは優しく諭すように告げる。
言われて初めてなのはは、クロノが下した指令がフェイトにのみ限られた内容であったことに気づき、ハッと目を見開いて青年の方へ振り向いた。
クロノはモニターに目をやったまま無言を貫いているが、否定をしないところをみるにそれが間違っていないことを示していた。
「管理外世界であるこの世界にいる限り、我々は限られた資材でしか行動する他にない。もし封印に成功したとしても、余力を残したフェイト・テスタロッサにジュエルシードを奪取される可能性もある。……その際局員が負傷したらどうする? 消耗の補給も、応援もこの世界では期待できないだろう」
「うっ……」
「ハラオウン提督の決断は、
なのはは今度こそ返す言葉を失い、唇をかみしめてモニターに映るフェイトを苦しげに凝視する。
デバイスから発している光が徐々に弱まり、金色の刃が小さく脆くなっているのが見える。大規模な儀式魔法を行使し、ジュエルシードの暴走体を七つ同時に相手取っている以上、その負担は計り知れない。
そんな彼女を放っておくことは、なのはにとって拷問のような苦痛である。しかしそれが、フェイトを過剰に傷つけることなく救うことに繋がるのだと聞かされてしまっては、なのはにはもう手を出すことはできない。
「フェイトちゃん…」
大人の意見に異を唱えることも、現状を打破できる策を思いつくこともできない。あまりにも無力な自分自身に嫌気がさし、皮に爪が食い込むほど拳を握りしめるしかないなのはが、沈痛な表情でうつむいた時だった。
【
モニターに映らないどこかから一瞬だけ、しかし確かな強い光が瞬いた。
と思った直後、フェイトに迫りつつあった竜巻の一つの側面で激しい水飛沫が生じ、衝撃とともに大きくのけぞるように弾かれた。
フェイトはなんの前触れもなく生じた波動に目を見開き、そして目の前に現れた青い影を凝視し言葉を失っていた。竜巻きからフェイトをかばうようにして宙に浮いているその人物は、この場にいるはずのない相手だったからだ。
そして驚愕に言葉を失っているのは、アースラ艦内の局員たちも同じだった。
「な―――」
中でもクロノは、暴風雨の中で堂々と竜巻を前に立ちはだかっているその人物を凝視し、やがてきつく睨みつける。
リンディやエイミィも口を開けて間抜けな表情を晒し、地上本部の面々に至っては呆れと怒りがないまぜになった複雑な形相になっていた。
「何をやっているんですかあなたは⁉︎」
クロノの怒号に、青い騎士―――アインはちらりと面倒臭そうな表情で横目を向け、困ったように頬をかく。
通常時の姿とは異なり、アインの甲冑はところどころが金色に染まり、高貴な輝きを見せつけている。赤いラインが入った胸の鎧のスペード型の装飾は、翼を広げた鷲の
何よりも変化しているのはその背部。両肩からマント状に広がる真紅の翼が、飛行魔法の使えないアインに天空を舞う能力を付与していた。
異形の翼を得たアインは、小さくため息をつくとクロノに背を向け、刃の伸びた剣を担いで口を開いた。
『……さぁな、気がついたらここにいた』
「ふざけているんですか⁉︎ あなたのやっていることは、立派な命令違反ですよ⁉︎」
『まぁ、そう言われても仕方がないのは確かだな』
クロノやアースラの局員達だけではない。フェイトやアルフにまで疑惑の視線を向けられるアインは、流石に居心地悪そうに目をそらす。
裏切りにも等しい勝手な行動を諌めようと眉間にしわを寄せるクロノだが、アインは苦笑しながらそれを遮った。
『だがクロノ、悪いが私は私の好きなようにやらせてもらうぞ』
「なっ……」
勝手な行動に加えて、勝手な予告まで口にするアインに、クロノは今度こそ空いた口が塞がらない。
苦笑を消し、無表情になったアインは周囲で渦巻く竜巻を睨みつけ、鋭い剣の切っ先を突きつける。
『私は、自分が正義の味方だなどと思ったことは一度もないが……今のお前達と同類扱いされるなど全くもって御免だ』
吐き捨てるように告げられ、アースラの面々に怒りの炎が灯る。リンディ達のフェイト達への気遣いを理解している彼らにしてみれば、アインの発言はその優しさを真っ向から否定するようなものであった。
しかしそんな彼らの憤りに何の反応も示さず、アインは近づいてきた竜巻を弾き飛ばしてからさらに告げる。
『苦しむ子供を守ることもできず、何が正義の味方だ』
「そんな……そんなのは子供の戯言でしかない‼︎ 僕らには、そんな甘えは許されて……」
『なぁ、頼むよクロノ』
雷光を纏った斬撃で竜巻をねじ伏せ、アインはサーチャーに振り向く。
理想を押し付けるようなアインの態度に物申そうとしたクロノは、モニター越しに向けられたアインの表情に思わず息を飲み、返す言葉を失った。
『私に……お前たちを見限らせないでくれ。お前たちが正義の組織を名乗るなら……それに見合う意思を見せてくれ』
アインは、いまにも泣きそうな表情でクロノ達を見つめていた。大切な宝を捨てなければならない、そんな極限の状況で浮かべるような切なげな微笑みを浮かべ、アースラにいるみんなのことを見つめていた。
できることなら、その決断を自分にさせないでくれ。
そんな言葉が聞こえるような、苦しみと悲しみが混ざり合った痛々しい表情だった。
『私には戦うことしか……壊すことしかできない。でもお前たちは違うだろう………ただ最善を尽くすんじゃなくて、最良の結果を導き出すことができるだろう?』
「何を……言って」
『消耗を恐れているなら私を使えばいい。私を使って少しでも結果が改善されるのなら…私は喜んでこの身を捧ぐ』
迫り来る竜巻を難なく弾き飛ばし、フェイトとアルフをその身一つで守り続けるアインに、アースラにいる者達はかける言葉が見つからない。
立ち尽くすばかりであったなのはも、たった一人で全てを的に回してでも戦おうとしているアインの姿を凝視し、声すら出せずにいる。しかしそれは決して嫌な光景ではなく、むしろそれを見たことで視界にかかっていた靄が急速に晴れて行くような不思議な感覚に陥っていた。
『だから私は、いまでもここにいるんだよ』
激しい水飛沫とともに吹き飛ぶ竜巻と青い光を見据えながら、アインはキッときつく歯を食いしばって告げる。
組織としてでも、正義の味方としてでもない。
自分の背中を見て育つ幼き命に、そして自分自身に落胆させないために、青き騎士は全てを背負って剣を振るい続ける。己の選んだ道に一切の後悔を残さないために、ただひたすらに戦いを挑み続ける。
『大人が現実を見て、諦めてもな……子供の夢は、壊しちゃいけないんだよ…!』
雄叫びとともに再び剣を振るうアインを、アースラ艦内の者達はただ声もなく凝視し続ける他にない。
呆れ、諦観、苛立ち、失望、驚愕。あらゆる感情が一点に向けられる中、少女だけが柔らかく、安堵の微笑みを浮かべていた。
―――ああ、やっぱりアインさんはアインさんだ。