【完結】魔法少女リリカルなのは ーThe Ace Chronicleー   作:春風駘蕩

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9.託された名

 ―――アインにとってのバサラは、彼女が自分で言ったように神のような存在だった。

    ただ死に往くだけであったアインの運命を変え、それまで見えなかった景色を見せてくれた、不器用でお人好しな英雄だった。

    自分を拾ってくれた理由が本当かどうかはもうどうでもよかった。バサラが生きることを望んでくれたから、アインは残酷な世界を生きていこうと思えた。

 

    だが、そんな日々にも終わりは訪れることとなった。

    バサラが一度剣を手放した本当の理由、その期限が訪れてしまったからだ。

 

 

「……お前にはもう、なーんにも教えることはない。悔しいけどさ、お前はあたしの全てを超える逸材だったよ」

 

 落ち葉がひらひらと舞い落ちる秋のある日、バサラは苦しげな表情で自分を見下ろしてくるアインに向けてそう呟いた。

 布団に包まれたバサラは、もう腕一本動かせないほど衰えた自分の筋肉を憂い、アインの目尻に滲む涙を拭ってやれないことを口惜しくう思う。

 バサラはかつて、ある一人の重犯罪者と相対し、負傷した。

 その身に受けた傷が元で彼女は魔導師の命であるリンカーコアを損傷し、以前ほどの魔法戦闘をこなせられなくなっていた。何より重症だったのは頭部に食らった裂傷で、五感や身体能力に支障を及ぼすと判断された彼女は、やむなく剣を手放す他になかった。

 その事実を仲間に伝えることなく、せめて静かに自分の痕跡を消そうと人の訪れない山奥に住居を構えたのだ。

 

「金は十分残してある。生活だって、今のお前なら余裕でこなせる…料理は今ひとつだけどな。でもお前ならちゃんとやっていける。あたしが保証してやるよ」

 

 今にも重く閉ざされそうな瞼を残ったわずかな力でこじ開け、バサラは傍に正座するアインに目を向ける。

 一度引き受けた自分が、その役目を半ばで放棄しようとしていることに罪悪感はある。だが、いまのアインを見ていると、自分の役目はしっかりと終えられたのだと思えていた。

 

「泣くなよ、――――。こいつは順番なのさ。ちょっとばかし人より派手に生きてきた分、その順番が早まっちまっただけの話さ……お前を置いてっちまうことは、悪いと思ってるよ」

「あなたは…‼︎ 私に全てをくれました‼︎ 人間でさえなかった私に、生きる意味を与えてくれました…! 光を見せてくれました‼︎」

 

 悲鳴の様な引き攣った声を発し、バサラを呼び止めるかの様に大気を震わせるアイン。

 ボロボロと、母が死んだときにも流れることのなかった涙がアインの目から溢れ出て、止められなくなる。心臓を万力で締め付けられているかのような痛みが続き、呼吸さえまともにできなくなっていた。

 

「でもあなたがいなくなったら…! 私は一体何を目印に進めばいいのですか⁉︎ 私がこれまで歩き続けてこられたのは、ひとえにあなたが導いてくれたから……あなたが手を引いてくれたから‼︎」

 

 アインはもう、バサラのいない時間など考えられなくなっていた。この命は全てバサラによって与えられ、バサラの進む先に自分のいくべき道はあった。

 しかし彼女は今、若くして命の炎を潰えさせようとしている。自分にとっての神様が、自分の手の届かないところへ行こうとしている。

 そのことが、アインには耐えられないことだった。

 

「また私は一人になってしまう…! また孤独を強制されるのなら………なぜ私に心などくれたのですか⁉︎」

「……お前は、もう誰かに生き方を縛られるようなやつじゃないよ」

 

 怯える様に体を丸めるアインの頭を撫で、バサラは困った様に眉を寄せる。泣いている子供をどうあやせばいいのかなど、戦うことしかしてこなかった彼女にはわかるはずもない。

 ほとんど衝動的に引き取った少女が泣きじゃくる姿を見て、ようやくバサラは自分が背負った責任の重さを痛感する羽目になっていた。

 

「……まずは、まぁ…生きてみろよ。そうすりゃ…………今よりもっといろんなことがわかるだろうさ」

 

 外に見える木々のうちの一本、枯葉がひらひらと一枚ずつ落ちている枝を見ながら、バサラはため息をつく。

 枝を離れ風に飛ばされて行く枯葉が、自分の命の残量を表している様な寂寥感に苛まれながら、徐々に重くなる瞼を開き続けた。

 そしてしばらくしてからふと、脳裏によぎった思いつきに目を見開き、誇らしげな笑みを浮かべてアインを見つめた。

 

「そうだ……お前、あたしの名を名乗れよ。名字がなかったら色々大変だろうし、あの名前は嫌いだろうからさ」

 

 いい考えだ、と自慢げに笑うバサラに、アインはまたしても涙をこぼしてしまう。

 初めて二人が出会った時、アインはアルデブラントの名を名乗らなかった。忌まわしき父親の血筋であるなど知られたくなく、何より自分が思いたくなかった。

 バサラは小さく頷くアインに満足した様に、深く深くため息をついて床に身を預けた。

 

「じゃあな……あたしは先に逝くけど、お前はもっと………遅刻して、こい……」

 

 そう最後に告げて、バサラは弟子に、いやもはや自分の娘の様にさえ思っていた少女に見送られ、静かに目を閉じた。

 閉ざされた眼差しに、アインはただただ眼から滴を落とすことしかできず、何度も何度もしゃくりあげながら俯き、声を押し殺す。

 こうして、気まぐれでも偶然でも、傷ついた少女を救い一人の人間に戻してやろうとした最強の名を冠した騎士は、もう二度と帰らない旅に赴いたのだった。

 

 

「……申し訳ありません、師匠」

 

 静かな森の中に、一つの石碑が建てられた。

 自然のままの形を残す岩の表面を削り、バサラと刻まれた字は決して綺麗だと言えない出来だったが、少女がたった一人でそれを作ったと知ったならその想いの強さが窺い知れることだろう。

 木々が生い茂る静かな空間に師の体を埋め、それを建てたアインはじっと跪いたまま祈りを捧げた。

 

「私はどうしても、自分のために生きるということが理解できそうにありません。ただの物でしかなかった私には、存在する意味がなければ何をしていいのかわかりません」

 

 眠る様に息を引き取ったバサラは、少し心配そうな微笑みを浮かべたままだった。自分の死期を悟りながらも、引き受けた少女がどんな道を進むのか憂いながら逝ってしまったのだろう。

 アインはバサラと別れる最後の刻まで、自分が生きていることに理由を求めていた。師が望むからこれまで生きてきた。

 自分が生きていることを望む人はもういない。しかし自分の存在理由だった女性の最後の願いもまた、自分に生きていてほしいというものだった。

 いつまで自分は生きることを望まれるのだろうか、と自らが幸福を得ることを端から考えていないアインは悩み、考え続けた。

 そして、一つだけ答えを導き出した。

 

「だから―――」

 

 茜色の空を見上げるアインの瞳は、何処かこの世ではない場所を映しながら、確固たる決意を秘めている様に見えた。

 

 

 時は流れ、さらに一年後。

 ミッドチルダの平和を守る守護者達の集う組織、時空管理局地上本部にて、収集がかけられていた。

 

「―――諸君は今この時より、ミッドチルダの治安を守る大いなる役割を担う事となる!」

 

 壇上に上がり、整列した地上本部の制服を纏う局員たちに吠えるのは、大柄な体格で角刈りという威圧感を与える外見の中年男性。

 岩石の様な拳を台の上にぶつけ、強烈な音を響かせて注目を集める男性からは、自身の志に対する絶対の自信と自尊心があふれて見える。ミッドチルダの平和を己こそが守っているのだという自負が、彼を成り立たせていた。

 それを見つめる局員たちは男性の放つ威圧感に押されてか、身じろぎひとつできずに直立し続けている。

 

「我々が立ち向かうのは、世界を発展させられる奇跡の力を持ちながら、人道を外れた歪んだ考えを持った犯罪者たちである…! 奴らは常に我々の監視の目をかいくぐり、己の欲望を満たすために暗躍を続けている! それを未然に防ぎ、次元世界に恒久的な平和をもたらすのが……我々に課せられた使命である!」

 

 男性の言葉に確かな怒りが滲んでいるのは、現在の管理局における地上本部の扱いに対する不満のせいである。

 優秀な実力者は、管理局の華と謳われる次元航行部隊(うみ)に引き抜かれ、地上本部(りく)は慢性的な人手不足に陥り続けている。予算も片方に集中しているために備えも不十分であり、ミッドチルダの治安は悪化する一方である。

 何度も現状を改善しようと地上の重役たちは進言するものの、未だ状況が変化する様子は見られない。

 故に男性は常に渇望していた。ミッドチルダの平和を守り、次元航行部隊(うみ)の連中に目に物を見せてやれる様な逸材を。

 

「…本日はさらに、一つだけ報告がある。来い」

 

 男性が呼ぶと、かつかつと甲高く靴音を響かせて一人の局員の格好の少女が壇上に上がってきた。

 くるりと踵を視点に回り、金色の髪を三つ編みにした、獅子の様な印象を抱かせる少女は局員たちを見下ろし、気を付けの体勢をとった。

 多くの局員たちは少女の幼くも精錬された可憐さに目を奪われ、口を半開きにして立ち尽くしてしまう。また、一部の腕に覚えのある局員たちは、壇上に上がる少女の体運びに無駄がないことに簡単の声をこぼし、熱く見つめていた。

 

「諸君らは我々と志を同じくし、守護者となるべく入局した誇り高き戦士であると思っている。こいつはそんな諸君らの手足となるためにここに来た………挨拶をしろ」

 

 ギロリと男性に視線で促され、少女はサッとキレのある動きで敬礼をする。

 年齢に似合わない、重みを感じさせる眼差しを見せる少女に局員たちは息を飲み、目を見張って呼吸も忘れかける。自分たちの腰程度の高さしかない少女が持つ、歴戦の戦士の様な覇気に押されてしまい、すでに彼女をただの子供だとは認識できなくなっていた。

 

「……本日より、地上本部所属となりました」

 

 しんと静まり返った中、少女アインは敬礼を解いて直立する。

 驚嘆、嫉妬、嘲笑、数多の思惑をにじませた視線を受け、それでも全くひるむ様子など見せず、アインは口を開き、そに名を口にした。

 

「―――アイン・ケンザキであります」

 

 その瞬間、局員たちの間でどよめきが生じる。

 アインが口にした苗字、それはかつて管理局でも知らないものはいないほど、敵はおろか味方をも震え上がらせた伝説の局員が名乗っていたなと同じものだったからだ。

 先ほどよりも強く険しい、探る様な視線がアインに向けられる。勝手に名を借りた贋作、実際の縁者か隠された親族か、あるいは人に言うことも憚られる禁忌によって生み出された何者か。

 そんな有象無象の視線にさらされながら、アインは氷のように表情を変えることなく、次なる指示があるまで仁王立ちし続けていた。

 

 ―――だから私は、あなたのために生きます。

    あなたがかつて守ろうとしたものを、あなたが戦っていたものから守ります。それが私にできる………唯一の恩返しです。

 

 アインが生きるために掲げた誓い。

 それを果たすための一歩が、この瞬間から踏み出されたのだった。

 

♤ ♢ ♡ ♧

 

「―――そうしてアインは生まれた。……生まれてしまった。師の無念を晴らすためだけに生きる、兵器として」

 

 一旦話を区切り、リンディはなのはたちを見つめてその反応を見る。

 案の定、想像以上に壮絶な半生に少女達は言葉をなくし、まるで自分の痛みであるかのように苦しげな表情を浮かべていた。クロノやインシグニアに至ってはやや不機嫌そうに眉間にしわを寄せていて、憎く思っていた騎士の過去に思う何かがあることを示していた。

 局員達の何人かは顔色を悪くしていて、途中で席を立ったものも少なくない。ある意味予想通りに反応に、リンディは困ったように眉尻を下げた。

 

「……聞きたいことは、こんなことじゃなかったわよね? でも、アインを知ってもらうにはこの辺りから話していたほうがいいと思ったの」

「……人よりも苦労してきたのだとわかりましたよ」

 

 渋々といった様子でナディアが呟く。知りたかった情報ではなかったものの、現在の嫌われ者を作り上げたきっかけを知り、アインに対する印象が少しばかり好転したように見える。

 それでもまだ認めきれずにいるようで、ナディアやジンガーらは複雑そうに唇を噛み締め、目をそらしている。

 しかし以前よりは格段に話しやすくなったことを確信し、リンディは少しだけ安堵のため息をついていた。

 

「初めて出会った時は大変だったわ…まるでロボットだったんだもの。誰に対しても距離を空けて、話すことも必要最低限で………ほんと、よくもまぁ友人になれたと思うわ」

 

 アインが局員として前線に出るようになり、何度か同じ事件の解決のために顔を合わせるようになり、言葉を交わすようになった。

 

「色々無茶なことをしながら、戦って戦って戦い続けて……いつの間にか英雄なんて呼ばれるようになって、ようやく私は、あの子が人間らしく見えるようになってきたわ。………なのに」

 

 少しずつ、少しずつアインの表情に変化が現れるようになって、アインの心の傷が癒えてきたと思われていた自分たちの若き日々。自分だけではない、多くの人との繋がりによってアイン・K・アルデブラントは再構築された。

 それが全て水泡と帰す事件を思い出し、リンディは怒りを押し殺したような険しい表情で俯いてしまう。

 なのはは小さく息を呑みながら、黙り込んでしまったリンディの顔を覗き込んだ。

 

「何が、あったんですか…?」

「アインが()()なったのは―――もう十五年は前になるわ」

 

 忌々しげに、しかしその感情をなのはに伝えないように、リンディは低く押し殺した声で語り始めた。


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