【完結】魔法少女リリカルなのは ーThe Ace Chronicleー   作:春風駘蕩

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10.愛のために

 不意に降り出した雨は次第にその勢いを増し、あっという間に豪雨となって木々を叩く。

 分厚い雲によって陽光はほぼ完全に遮られ、夜のように真っ暗な闇があたりを支配し始めた。

 

「……疲労だな。どれだけ長い間戦っていたんだ、お前は」

 

 寂れた空き家の中を勝手に拝借し、腐った家具の上に毛布をかけた簡易的なベッドにアインを寝かせたハジメが、そう呆れたようにこぼす。

 荒い息を吐き、以前受けた傷の後を抑えていたアインは、そんな苦言に苦笑を浮かべた。

 

「っ……‼︎ すまん、ハジメ……」

「謝るぐらいなら、もっと自分を大切にしろ。……お前の友が泣くぞ」

「リンディか……泣くかな? むしろ、また無茶をやったなと怒られそうだ……」

 

 アインはやや朦朧とする意識の中、三つ首の異形との戦闘が始まってから、まったく親友に向けて通信を繋いでいないことに気づく。

 突然始まった凶悪な敵との先頭にやきもきさせられた彼女がどんな反応を示すか、考えるだけで憂鬱だった。だが、いまのアインには正直それどころではなかった。

 

(……残るアンデッドは、ダイヤのスートのカテゴリーKだけ……だが、ヘヴンズロードがまだ何か目論んでいるんだろうな)

 

 狂った天才が生み出した、多くの異形たちの遺伝子を利用して作り出された最強のアンデッド・ケルベロス。

 土壇場で使用したカテゴリーKの力を使い、ハジメと共闘してようやく討ち取ったあの異形が、一体だけだなどと楽観視するつもりはない。おそらくまた、あの狂人は何かをもたらしてくることだろう。

 

「……お前は、これからどうするつもりだ」

 

 アインは重い体に叱咤し、傍で黙り込んでいるハジメに向かって問いかける。彼は物憂げに振り向くと、アインをじっと見つめて問い返した。

 

「どうとは、どういうことだ」

「とぼけるな。カテゴリーKを………全てのアンデッドを封印したら、残るのはお前一人だ。そうなれば……世界は」

「……滅ぶだろうな。だが、そうはならない」

 

 ハジメは抑揚のない声でそう告げると、懐から一枚のラウズカードを取り出す。

『SPIRIT』と書かれたそのカードを見つめていた彼は、おもむろに立ち上がると、真剣な表情でそれをアインの手に握らせた。

 

「これを、持っていけ」

 

 体にうまく力が入らないアインは、強引に持たされたらウズカードに訝しげな目を向け、行為の意味を聞こうとハジメを見上げる。

 その瞬間、アインは大きく目を見開き息を呑む。立ち上がったハジメは、さらに取り出した空のラウズカードを掲げ、まるで自分の胸に刃を突き立てるように振り下ろしていたからだ。

 

「やめろ‼︎」

 

 アインは声を荒げてハジメに飛びかかり、間一髪その手からラウズカードを弾き飛ばす。

 アインは押し倒したハジメの上に馬乗りになり、鋭い視線で見下ろす。その目に浮かんでいるのは激しい怒りで、ハジメはそれをどこか苦しげに見上げていた。

 

「何を馬鹿なことをしている……俺を封印する絶好の機会だったんだぞ。それがお前の使命でーーー」

「こんな騙し討ちのようなやり方で、私が納得すると思ったら大間違いだ‼︎」

 

 咎めるように告げるハジメの言葉を、アインは激情をあらわにしながら遮り、言い放つ。

 ハジメは眉間にしわを寄せ、融通の聞かない女騎士に諭すような目を向ける。深いため息が表しているのは、わざわざ語ることへの気恥ずかしさか、あるいは悔しさか。

 

「こうする他に、人間が生き残る方法は残っていない……ヒューマンアンデッド(アイゴ・ハジメ)を解放し、その上で俺を含む全てのアンデッドを封印しなければ、この世界の人間は滅ぼされるのだぞ」

「はっ…全てを破壊するジョーカーがずいぶん甘いことを言うものだな! むしろお前は、それが望みだったんじゃないのか⁉︎」

 

 ハジメを組み伏せたまま、嘲笑を浮かべてアインは吐き捨てる。

 本能のままに暴れまわり、己以外の全てを滅ぼすことを宿命として生まれてきた異形が、他者を思い自らを終わらせようと決断するなど、どれだけ歪んでいる考えか。

 そして同時に、その歪みがどれだけ悲しいものか。

 

「……そうだと言えよ、ハジメ。お前がそういう存在なら、そのあり方を全うしてくれよ……」

 

 アインはハジメの胸にうなだれかかり、悲痛さに満ちた声で懇願するようにこぼす。

 もしハジメが、ジョーカーアンデッドが生み出された当初と同じ残酷な存在であったなら、アインは討ち取ることに一切の躊躇はしなかっただろう。

 しかしこの異形は、変わってしまった。人の、優しさを手に入れてしまった。

 

「何でお前は……そうやって自分を犠牲にできるんだよ。こんなろくでもない世界のために、命を捨てられるんだよ…」

 

 何よりも信じられないのは、人の心を学んだにも関わらず、自己犠牲の精神を有してしまっていることだった。

 アインの知る人間にはそう多くはない、自分以外の誰かのために命を懸けられる存在、彼がそういう稀有な存在になってしまっていることだった。

 

「私は違う…私はずっと………自分のためだけに戦ってきた。自分の憎しみに突き動かされて、これまで生きてきた……それ以外に、私が存在する理由なんてなかったんだ…!」

 

 自分の脳裏に蘇るのは、決して幸福とは思えない苦しみと悲しみに満ちた生。まともな親兄弟の愛情を知らず、存在そのものを否定され続けるろくでもない記憶のみ。

 なぜ自分がこんな目に遭うのかと、世界そのものを呪っていた。

 だからアインには、ハジメの姿が眩しく見え、どうしようもなく妬ましくて仕方がなかった。

 

「なんでお前はそう在れる……? なぜ…自分以外のためにそうできるんだよ…!」

「……そうだな、以前の俺なら、こんなことをしようとは思わなかっただろう」

 

 涙声で項垂れ、自分の胸にすがりつくアインを見つめ、ハジメは自嘲するようにため息をつき、アインの頭に手を乗せる。

 ハジメも、自身の感情の変化に戸惑い、その理由がわからないことに複雑な思いを抱いていた。なぜ自分はここまでの変貌を遂げたのか、その家庭に何があったのかと不安さえ覚えていた。

 そして今、ハジメは自分の胸の中にいるアインを見て、ようやく気づかされていた。

 

「誰にも望まれず、誰とも繋がりのなかった俺にとってこの世界は、煩わしいものでしかなかった。どこの何とも知らない存在に破壊衝動を植え付けられ、憎まれるだけの存在でしかなかった俺は、何もかもを壊したくて仕方がなかった」

 

 自分と彼女は同じだった。

 憎しみと怒りを持って生まれてきた、限りなく同じ存在。身勝手な理由で生み出された、どこまでも似ている命。

 鏡のように目の前に現れたその目が、怪物に心を与えた。

 

「……そんな中で、俺はお前に出会った。力なき種でしかないお前が、何度倒されようと、何度泥と灰にまみれようと、血を流そうと立ち向かう姿を見て……俺はひどく、惹かれていた」

 

 ハジメの手が金の髪を滑り、アインの頬に触れてそっと持ち上げる。上げられた赤い宝石のような瞳は涙に濡れ、切なげな表情がハジメの胸を締め付ける。

 荒々しく、力の限り戦い続ける女傑。しかしその実態は、自分の弱さを押し隠すために必死に張られた、虚勢。

 そんな彼女が見せている素直な感情が、異形の胸を打っていた。

 

「この姿を借りた影響なのかはわからん………だが俺は確かにお前に目を奪われ、焦がれるようになっていた。初めての感覚で、どうしたらいいものかと思っていた」

 

 破壊の申し子として生まれた怪物が、人目を忍ぶために借りた姿。

 仮初めの感情かもしれない。偶然生まれたバグなのかもしれない。しかしそれが偽物だと切り捨てることは、今のハジメにはできなかった。

 今、自分の心臓を激しく脈打たせている力が、虚構だと思いたくはなかった。

 

「俺が勝ち残れば、お前のいるこの世界は終わる……だが俺が封印されれば、お前は守られる。…………そう悪くないと、俺は思う」

 

 言い切ってから、ハジメはアインの手に握られたラウズカードを見つめ、アインに促すように視線を向ける。

 黙り込んでいたアインは顔を俯かせると、カードを握り締める手にさらに力を込める。絶対に渡すつもりはない、そう断言するように。

 

「……ハジメ」

「……なんだ」

「私はお前が……嫌いだ」

 

 ハジメの頬に、滴った雫がいくつも当たる。

 真上から覗き込んだアインが、ボロボロと涙をこぼし始めの顔を濡らし続けていた。眉間にはしわが寄り、眉尻は下げられ、苦しみと悲しみがいっぱいになった表情がハジメの瞳に映り込む。

 その口から漏れ出た女の声は、普段からは想像もつかないほど弱々しく、痛々しい響きが混じっていた。

 

「誰よりこの世界を憎んでいるくせに、誰より他の存在を恨んでいるくせに、私一人のためだけに自分を犠牲にしようとするお前が……大嫌いだ…‼︎」

「ケンザキ……」

「お前は! どうしてお前のために戦えない⁉︎ 誰かに突き動かされるのが嫌だったんだろう⁉︎ 縛り付けられるのが嫌だったんだろう⁉︎だったらそうしろよ、お前のために戦えよ‼︎」

 

 ぶちまけられる罵倒の数々は、もはやアインの感情のままにばらまかれるだけの言葉の羅列でしかない。自分の思い通りにいかないことへの苛立ちを、ハジメに叩きつけているだけだった。

 胸を叩き、醜態を晒すアインをハジメは遠い眼差しのまま見つめ、黙って頭を撫で付ける。自身も、湧き上がる感情を持て余しているような複雑な表情で、ただされるがままになっていた。

 

「私に焦がれてくれるなら……私を求めてくれるなら、そう言ってくれよ、ハジメ……!」

 

 額を押し付け、アインは消え入りそうな声でハジメに懇願する。

 疲労など感じる暇などない、今ここでこの男を繋ぎ止めておかねば後悔すると確信し、ハジメの上着をきつく握りしめたままうなだれる。

 ハジメは顔をしかめ、自身に馬乗りになっている女の方を両手で掴み、顔を上げさせようとした。

 

「ケンザ……!」

 

 紡がれようとした言葉は、覆い被さってきたアインの顔に遮られる。

 ハッと息を呑んだ時には、アインの唇がハジメのものを塞ぎ、声そのものを封じてしまっていた。

 呆気にとられていたハジメは、すぐに我に返るとアインの肩を押しのけようとする。だがアインは目の前の男の首に手を回し、後頭部で組んでしっかりと固定し離れることを拒否する。

 永遠にも思える長い間、二人は唇を重ね続ける。ようやく離れた時、ハジメからは拒む気力が完全に失われていた。

 

「もう、何も言うな……ハジメ」

「………アイン」

 

 薄暗い中で、もう一度アインとハジメは見つめ合い、瞳の奥底を覗き合う。

 アインは頬を赤く染めて瞳を閉じ、また首を伸ばして唇を重ね合わせる。今度はハジメも抵抗せず、熱を孕んでいくアインの体を抱きしめ、自らも唇を重ねにいく。

 互いの手が相手の衣服にかかり、ゆっくりと剥ぎ取られていくと、アインの体の傷にハジメの手が触れ、電流のような痺れが走った。

 

 ―――これは、許されない行為だ。

 

 生まれたままの姿にされていきながら、アインは脳裏で自身を引き止めようと呼びかける何者かがいることに気づく。

 これ以上先に進めば、もう後戻りはできない。苦痛に満ちた未来しか待っていないのだと声高に叫ぶ、知っている誰かのような声が聞こえた気がした。

 しかしアインは、止められなかった。自身の肌を撫でられる心地よさを拒めず、情欲のまま体が勝手に動いてしまっていた。

 

 ―――これが罪だというのなら、それでもいい。

    この温もりを奪われるのなら、もうこの世界の何にも価値など感じられはしまい。

    これは私が……ずっと欲しがっていたものだ。

 

 触れ合った肌が火傷しそうなくらいに熱を帯び、壊れてしまいそうなほどに心臓が脈動する。男の手が敏感な部分に触れると、神経に異様な電流が走って脳が蕩けそうになる。

 背筋に震えが断続的に走り、喉奥から自分でも聞いたことがない声がこぼれ出す。そしてその感覚を、麻薬のように欲し続けていた。

 

 ―――なのに、世界はこいつを否定する。

    私が求めていたものを、横から奪っていく。

    世界は最後まで……私が望むものを拒絶していくんだ。

 

 アインは自身を襲う快楽の波に、もはやされるがままになる。自身の体の奥底に打たれる楔に、胸の奥にあった隙間までもを埋められるのを感じながら、ハジメのもたらす熱に咽び泣いていた。

 やがて感じる、自身の中で弾ける白い熱により、アインの意識も天高く飛ばされていく。

 それがどうしようもなく嬉しくて、同時にどうしようもなく悲しく、苦しみに苛まれた。

 

 ―――ハジメが最後の一人になったら、この世界は終わる。

 

 荒い息を吐き、アインはハジメの胸の中ですすり泣き、悔しさに歯をくいしばる。

 確定してしまった事実の重さに、心が制御を受け付けない。

 

 ―――他のアンデッドを解放したとしても、脅威が消えるわけじゃない。

    ヘヴンズロードのように、新たな脅威を生む可能性だってある。

 

 ―――きっとそれに抗えるのはハジメだけ。

    最強のアンデッドであるジョーカーだけ。

    そうなってしまったら、もう何もかもが終わってしまう。

 

 体の痛みよりも、胸の痛みが激しくて仕方がなかった。

 決して失いたくない、何物にも代え難いものを手にしたのに、それが否応なくわが身から離れていくことが悔しい。それをどうしても認めたくなくて、アインは鬱屈とした気分で悩み続ける。

 そして不意に、ある一つの考えが頭をよぎった。

 

 ―――最後の一人じゃ、なかったら?

 

 本当に唐突な、きっかけも何もわからないほどにいきなり思い浮かんだその考えに、アインはしばし言葉をなくす。

 薄暗い闇の中でアインは、愛しい男の腕に包まれながら、そのことだけを考え続けていた。




今更ですが、うちのケンジャキは原作ケンジャキとは全くの別人です。
お忘れないように。
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