【完結】魔法少女リリカルなのは ーThe Ace Chronicleー 作:春風駘蕩
豪雨の中、急遽設立された避難所の入り口を、完全武装した魔導師たちが守護する。それぞれの表情は皆一様に固く、白昼訪れた脅威がどれだけ恐怖をもたらしたのかを物語っている。
リンディは彼らに守られるように立ち尽くし、いまだに姿を見せない親友を待ち続けていた。
その目が、不意に見開かれる。豪雨の中に浮かぶ蜂蜜色の髪に、目を奪われたからだ。
「! アイン!」
濡れるのにも構うことなくリンディは、フラフラと覚束ない足取りで近づいてくるアインの元へ駆け寄っていく。
疲れ果てた、どこか虚ろに感じるアインの顔を挟み、リンディは彼女の体に負傷などないかと確かめる。その間、アインは人形のように身じろぎひとつしなかった。
「アイン……無事なのね? 生きてるのよね…? ああ、よかった………あいつらが急に消えたから、あなたが何やったんだろうと思ってたけど、そのあと全然通信に出てくれないから何かあったんじゃないかと思ってたのよ! 無事でよかっ…」
涙か雨かわからなくなるほど顔を濡らしながら、リンディはホッと安堵の息をつく。が、その声はあるものを見た途端途切れた。
アインの右手から滴っている、どう見ても絵の具には見えない緑の液体を。
「……アイン…? それ…どうしたの…?」
戸惑い、不安げな表情で見上げてくるリンディに、アインは一言も発さずにただうつむくばかり。親友に起きている異常に、リンディはまずは休ませなければとアインの手を握ろうとする。
しかしその手は、横から伸びてきた男の手によって妨げられ、体ごとアインから引き剥がされ、叶わなかった。
「何を…⁉︎」
リンディは思わず、険しい表情でアインを見据えるサクソを睨み、彼の目に浮かぶ複雑な色にグッと息を飲んだ。
「……アイン・K・アルデブラント、いや…新たなアンデッドよ。抵抗の意思を見せないということは、貴様が犯した罪がどれだけ重いものか自覚していると受け取っていいのだな」
「…………」
サクソの問いにも、アインは何も答えない。
ただ何も反応を返さず、全てを受け入れ諦めようとしているような、そんな虚ろな表情のまま、アインは騎士と向かい合っていた。
グッと唇を引き結んだサクソは、後ろ手から手錠を取り出し、アインの両手首に取り付けた。
「お前を拘束する……連れて行け」
「……! 待って…お願い! 話をさせて‼︎」
突然のことに動揺するリンディを放置し、サクソは他の武装局員たちとともにアインを取り囲み、豪雨の中を進んでいく。
拘束されたアインは一切の抵抗を見せず、促されるまま無言でそれに付き従った。
「アイン‼︎」
リンディの悲鳴も、雨音にかき消されて聞こえなくなってしまう。
彼女が知るアインとまともに顔を合わせられたのは、これが最後だった。
『とんでもないことをしでかしてくれたな』
暗く広い、ある特定の人間しか足を踏み入れることを許されない一室。
その中心で佇む女騎士に向けて、青い三つのホログラムが腹立たしげな言葉を吐き捨てる。時空管理局において最高位の地位に立っている彼らーーー最高評議会の面々は、異形に堕ちた女騎士に画面越しに憎悪の視線をぶつけていた。
『バトルファイトの復活…手に負えぬ化け物どもの騒乱がようやく収束したかと思えば、件のイレギュラーを野放しにするだけでなくもう一体増やすとは……!』
『いかに凄まじき偉大な力といえど、制御できぬ不安定な存在は次元世界の秩序を崩壊させかねん』
『あまりに前例のないこと……世界を破壊しかねぬX級ロストロギアが、一個人と融合するなど。しかも……』
最高評議会は、姿なき顔をさらに歪めてアインをなじる。
拘束されている女騎士の見た目に変化はない。しかしその身に宿る異形の力は、いつどんなきっかけで破滅を再来させるかもわからない。
『新たな混乱の火種を生み出したのが、よもや長きに渡り管理局に首を垂れてきた貴様とはな……飼い犬に手を噛まれるとはこのことだ』
それよりも問題なのは、この女騎士がいい意味でも悪い意味でも有名になりすぎていたことだった。
女騎士の存在がミッドチルダの平和の維持にどれだけ貢献してきたのかは、彼らが最も把握している。そしてそんな忠実な犬がこれほどまでの大罪を犯したという事実が、どれだけの影響を次元世界にもたらすか。
恐ろしいほど長きに渡って次元世界の秩序を保ってきたと自負する彼らにしても、考えるだけでも億劫だった。
『アイン・K・アルデブラント。貴様はこの大罪をどのように償うつもりか』
『仮にも貴様は管理局の狗、これまでの功績を省みるに叛意を抱くような愚行には及ばないと推測する』
『貴様自身に意見があるならば考慮する猶予はある』
最高評議会の面々は、この狂犬をいかに制御するかを考え、ひとまずの案を狂犬本人に尋ねてみた。
これだけの罪を犯したとはいえ、その根本にはミッドチルダから厄災を取り除こうと願った正義があると仮定し、本人の考える贖罪の方法を知ろうとしたのだ。
だが、返ってきたのは抑揚のない、感情の欠落した声だった。
「……何も」
『何?』
アインは自分を見下ろしてくる三つのホログラムを、心底面倒臭そうに睨みため息をつく。
弁明も謝罪もする気にならない、咎める視線の全てが鬱陶しいという不遜な態度で、アインはその場に立っていた。
「大罪…そうだな、私は我欲によって多くの人々を危険にさらした罪深い人間……いや、存在。責められても文句は言えない。………だが」
ふっ、とそこで初めて、アインの表情に感情が戻る。
それは自分が行った策が予想以上の成果を残したことに対する誇らしさと、上から命令してくるだけの無能な連中を出し抜いてやったという自慢が表れていた。
「私は、自分のやったことが間違いだったとは思っていない」
そう言い切った途端、爆音とともにアインの体が真横に吹っ飛び、床に激しく叩きつけられる。
日殺傷に設定されていないその一撃は凄まじく、無防備な体勢のままだったアインの片腕を吹き飛ばし、緑の鮮血をあたりに撒き散らさせていた。
「……! ぐぅ…」
『口を慎め、化け物。今の貴様の発言も存在も、世界に混沌をもたらす邪悪なものでしかないとまだ理解できぬのか』
『もはや矯正することも叶わぬ。手駒とするにはあまりに不安定』
『そうなった理由がジョーカーへの一方的な感情だというのも理解できん』
『危険である』
『異常である』
メキメキと再生していく腕の痛みに苦しむアインに、最高評議会の面々は気味の悪いものでも見るように罵倒し見下す。
彼らにとって重要なのは、次元世界の秩序を維持することのみ。それを個人的な理由で侵されかけた事実は、受け入れがたく理解の追いつかない事柄だった。
地面に倒れたアインは、やがて彼らの前でくつくつと不気味に含み笑いを聞かせた。
「……わかるものか、私だけのこの想いを…」
嘲笑うように吐き捨てると、またしても爆音と衝撃がアインに襲いかかり、彼女の体を宙に弾き飛ばす。
今度は脇腹を抉られ、アインは再生したばかりの腕で傷口を抑えて身悶える。痛覚までもが不死のため、いつまでも痛むが日数アインは長時間苦しみ続けた。
「がはっ…! ハァ………ハァ……!」
『放置するにはあまりに不穏……よって別の利用方法を提唱する』
ややあってから、最高評議会の面々はアインを放置して各々で会議を始める。
電子音声で作られた無機質な声が、その時だけはかすかに気色を孕んで聞こえる、と、激痛で朦朧とした意識の中、アインは感じていた。
『未だ到達しえぬ不老不死の力』
『夢物語に等しきその現物が今この場にある』
『飼い主に噛み付く狂犬ならば……せめてその肉体を我らのために役立てよう』
それを最後に、空中に映し出されたホログラムは消滅し、アインだけがその空間に残される。
そしてそこへ、複数の黒ずくめの格好の人影が集まり、アインを覆い隠していった。
全てが終わってから数日経った時、リンディは休憩室の一角で腰掛けながら、冷めきったコーヒーの表面を見下ろし黙り込んでいた。
かつては自分の目の前には、同じく休憩時間に入ったアインが座り、二人して愚痴や世間話をしていたものだが、いまは誰も言葉を交わす者はいない。
静か過ぎる時間を一人過ごしていた時、彼女のすぐ横に一人の男性局員が歩み寄った。
「……マンダリン陸尉」
「ハラオウン………その顔はアルデブラントの処分について聞いたようだな」
「あの人は……どうなりましたか」
必死に呼び止める自分を無視し、世界を救ってみせた親友を連行していった彼女の元上司に、リンディは一瞬怒りを覚えるがすぐに抑え込む。
自分を見下ろすサクソの目も、悲痛さに満ちていてとても合わせられない。彼にもどうすることができなかったのだと察してしまい、リンディは遣る瀬無い気持ちを持て余すこととなった。
「…事態の解決の功績を省みて欲しいと、俺も処分の軽減を願い出たのだが……なしのつぶてだった。決定は覆らないとの、最高評議会からのお達しだ」
「アインは…アインは今どこに……⁉︎」
「……アンデットと化した肉体を調べるために、研究機関へ送られた」
サクソが告げた現実に、リンディは目の前が真っ暗になったような錯覚を覚えて顔を手で覆う。
彼の言う研究機関がまともな場所であれば、リンディがこれほどショックを受けることはなかっただろう。しかし今の親友が、そんなぬるい処分を受けるはずがないと直感し、リンディは肩を震わせて俯いていた。
「そこは研究施設……とは名ばかりの、倫理の吹っ飛んだ狂人たちの巣窟だ」
親友を襲う苦しみを想像してしまったのか、とてつもない恐怖で身を縮こまらせるリンディを見ていられず、サクソは険しい顔で拳をきつく握りしめる。
自身の手から赤い血が流れることも構わず、元上司は自分の不甲斐なさに怒り続けるばかりであった。
「あいつはもう……二度と日の目を見ることはできないかもしれん」
「あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙‼︎」
自分の喉から、とても生物のものとは思えない絶叫が迸る。
体に食らいつく刃は容赦無く肉を割き、組織を抉り取っていく。麻酔など行われるはずもなく、行われたとしても今のこの体に効くとは到底思えない。
四肢を完全に拘束された今、自分の体はガクガクと痙攣を続け、限られた隙間で暴れ続けるばかりだった。
「……なんなんだこいつは…⁉︎」
メスをサンプルの肉に突き刺し、切り刻み続けていた白衣の男が思わず、恐怖を滲ませながら呟く。
手術台の上で大の字に置かれた裸体の女の体は、すでにあちこちが切り開かれ臓器が摘出されている。あたりにはその影響で悍ましい色をした体液、それも致死量に至る夥しい量が撒き散らされていた。
しかし、抉り出されたそれらは、しばらくすると風化するように崩れ、同時にサンプルの体内に勝手に戻っていくのだ。
「心臓を摘出しても脳を摘出しても……全身の臓器を取り除いても再生する……本当に不死身だとでもいうのか…⁉︎」
「ありえない……ありえないぞそんなこと…! どんなに生命力の強い生物であろうと、これだけ切り刻まれてまだ生命活動を維持できる存在などあるはずがない…!」
「魔法生物だってここまでの不死性を持つものはいない……一体なんなんだコレは……⁉︎」
同じようにメスを握る同僚も、施術の一切を記録する者も、皆一様にマスクの下の顔色を真っ青にしてサンプルの女を凝視する。
多くの生物を調査し、倫理など意に介さずあらゆることを解明してきた、世間一般的には狂人と言われる彼らでさえ、ここまでの異常性を見せる存在には戦慄を禁じ得なかった。
「……! ……‼︎」
「上からはこいつの生態を余すことなく調べ尽くせと言われているが……正直手に負えそうにないな」
「何、そう気を重くする必要もあるまい」
冷や汗を流す一人の方を、別の白衣の男が叩いて宥める。眼鏡で隠された彼の目は、今もなお肉が蠢き再生していくサンプルを見下ろして興奮にギラついている。
その手が新たなメスを握り、ぞぶりと臓器に突き立てられる。その瞬間、サンプルのあげる悲鳴と反応がさらに激しくなった。
「どれだけやっても死なないのなら、どれだけ無茶をしても構わないだろう」
悪魔のような顔をした人間たちが、異形とかした女の体を切り刻み、ありとあらゆる実験に利用する。
痛々しい悲鳴をBGMのように流しながら、狂気に取り憑かれた人間達はその手を止めることなく、上から止められるその日が来るまでサンプルを刻み続けた。
『全く持って期待外れだ』
以前と同じ、誰もいないホログラムだけが浮かぶ空間で老人の声が響く。
落胆をこれでもかとあらわにした声で吐き捨てると、自分たちのもとに挙げられた報告に存在しない顔をしかめさせる。
『あの犬の不死の力………解析できればどれほど役立つかと思えば、よもやここまで手に負えんものであったとはな。わざわざ時間と費用をかけてみれば……とんだ不良品を掴まされたものだ』
反逆の騎士に処分が下されてから数ヶ月、送られた機関から送られた分析結果の数々は、最高評議会の面々を別に意味で唸らせる結果のものだった。
世界を滅ぼしうる最凶の存在の全て余すことなく解析し、次元世界の平和に役立てようと目論んでいたのに、それができないと言う不満が残る結果。ぼやきたくなるのも仕方がなかった。
『だがその力、このまま捨て置くには実に口惜しい』
ニタリ、と見えない顔が嗤うのがわかる。人の醜悪な部分の全てを混ぜ合わせたような、そんな悍ましい笑顔を浮かべ、老人達は再び呼び出した裏切り者に令を下した。
『貴様にはこれより、特別な任務に就いてもらう。如何に傷つこうとも決して死ぬことのない完全な不死の存在だ……貴様ほど我らの奴隷としてふさわしい存在はあるまい』
『逃げようなどとは思うな? この宿命を放棄すれば……貴様の想い人の元へと我らの手のものが向かうことになるだろう』
そんな嘲笑の声を、アインはただうつ伏せに倒れこみながら聞き流していた。
応える余裕などあるはずもない。気の遠くなるような時間、そう錯覚するほどに長く苦しい時間を過ごさせられた彼女には、もはや自力で立ち上がる余力さえ残されてはいなかった。
「……だい、じょうぶ……だ、ハジメ……」
虚ろな目が見つめるのも、途切れそうな声が向けられているのも、ここではないどこかに向けて。
愛しい男がいるであろうどこかへ、アインは消え入りそうな意識の中で語りかけていた。
「私、は……平気、だ…から………」
力なく浮かぶ笑顔が、痛みと苦しみに歪む。
涙を流しながら、アインはただうわ言をこぼし続けていた。
「お前は………自由に、生きろ……」
こうして女騎士アインは死に、最悪の裏切り者として世間に知らしめられることとなった。
反逆の理由が、ただ一人の男のためであったと言うことは、ごく一部のものにしか伝わってはいない。