【完結】魔法少女リリカルなのは ーThe Ace Chronicleー   作:春風駘蕩

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4.悪魔の科学者

 それは、生まれてきてはならない命だった。

 

 それの存在が確認されたのは、十数年前ーーーアイン・K・アルデブラントがアンデッドと化し、アイゴ・ハジメを逃し、管理局の研究区域で実験動物に堕とされた後のことだった。

 

 アイン本人が隔離された施設とは異なる、無数の素材が保管された区域。

 貴重だったり、特殊な生態を有する生物をサンプルとして保存し、獲得した知識や技術を様々な研究にーーー例えば使い魔などの魔法生物に転用するための施設があった。

 

 そしてその中には、何も入っていない空の保存液が並んだ箇所があった。

 数にして千個近く、手のひら台の大きなものから小指の先より小さなものまで、たくさんの瓶が並べられていた。

 

 もはや見る影もないが、少し前までそこには、ある人物から採取された人体の部品が保管されていた。

 不死の怪物となったアイン、その脅威のメカニズムを解明するために、片っ端から解剖が行われ、全身を余すことなく切り刻み、パーツを一つずつ回収して保存していたのだ。

 麻酔など一切なく、泣き叫び悶える彼女を無理矢理押さえつけ、無慈悲に刃を通し続けたのだ。

 

 だが、確かに保存したはずの肉片は、アイン本人から離れるとやがて崩壊し、やがて瓶の中から消滅してしまった。

 その後何度も、再生を始めるアインの肉体の解剖が行われ、体組織の採取が行われたが、その全てが失敗し、大量の空の瓶だけが残されることとなった。

 

「…クローニングも失敗。株分けも失敗。ただ本人のみが不死のままの怪物。摂理を外れた存在か……本当に役に立たんゴミだな」

 

 施設の主任だった研究者ーーーノアは、その結果に忌々しげに顔を歪める。そしてガラス窓の向こう側に並べられた無数の空き瓶に、唾でも吐きそうな視線を向ける。

 上層部から興味深い研究素材を与えられ、かなり上機嫌だったことがもはや懐かしく感じられ、苛立ち混じりのため息が溢れる。

 

 いかなる攻撃を受け、自身の体がバラバラになろうとも再生する、人類にとって永遠の夢である不老不死の力。

 その力の源を解明できれば、万年人手不足と騒ぐ声がうるさい上層部も黙らせられる、本物の不死の兵が量産できるかもしれない。いや、自分に転用し、神に近い存在になることもできたかもしれない。

 

「採取したサンプルは全て破棄しておけ。もっとも、すでに原形をとどめていないようだし、処分方法は適当でいい」

「はい、了解しました」

 

 部下に命令し、中に何も入っていない瓶を睨みつける。

 怒りのままに蹴りつけ、叩き割ってしまいたかったが、一度でも化け物の肉片に触れた液体がどんな効果を持っているかもわからない以上、不用意に接触することは賢くはない。

 

 長い時間と労力をかけた夢と期待が水泡に帰したことに、ノアは舌打ちをこぼす。

 今日も施設のどこかで、拷問に近い実験を受けて叫んでいるであろう、裏切り者の愚かな女騎士に、心底呆れたため息をついていた。

 

「……うるさい女だ、まったく」

「し、室長!」

 

 吐き捨てるように言い、その場を離れようとしたノア。

 そこへ、先ほどサンプルの破棄を命じた部下の一人が、血相を変えて走り寄ってくる。他の部下達も何事かと振り向く中、ノアは青ざめた顔の部下に訝しげな目を向け、尋ねた。

 

「なんだ、何かあったか?」

「さ、採取したサンプルデータの一つに、微弱な生体反応が…!」

「…何?」

 

 部下からの報告にノアは一瞬呆けるものの、すぐに踵を返しサンプルに近づく。

 どれもこれも、中身が消えて役立たずになった空瓶ばかりのはず。しかし部下は機械を動かすと、大量に並べられた瓶のうちの一つを掴ませ、自分と上司のすぐ目の前にまで移動させる。

 

 ガラスに遮られた向こう側でチャプリと揺れる保存液、その中はやはり何もないように見えたが、同時に起動していたセンサーは、確かに微弱な反応があることを示していた。

 

「これは……あの女の」

「はい…子宮です。臓器そのものは崩壊したのですが、その中心に反応が…」

「ということは、まさか…」

 

 ノアは脳裏に浮かんだその可能性に、顔中に脂汗を噴き出させながら絶句する。

 女性器の中に発生した反応、生物の子宮の中で突如発生する生体反応など、同じ生物の胤以外にありえない。しかし肉体から切り離され、その上崩壊した臓器の中でなお反応が保たれているなど、常識ではまずありえない。

 

 通常の生物ではありえない、あまりに強靭過ぎる生体反応。

 それが表すことはーーー。

 

「急いでそのサンプルを保存……いや、人工羊水に移せ。貴重なサンプルデータだ。確実に確保しろ! 早くやれ!」

「はっ、はい!」

 

 途端に態度を豹変させたノアの剣幕に押され、部下達は慌てて機械の操作を開始する。

 ガラスの向こうで動き出した機械。目に見えないほどの小さな何かが目覚めかけているという事実に、その場にいた誰もの背筋が震えだす。

 

 唯一嗤っていたのは、研究区域主任ノア、ただ一人だった。

 

「クククク…! 愛だの恋だの下らないものに拘って、破滅した哀れな女だと思っていたが……まさかこんな結果を生み出すとは。生命というのは実に面白い…!」

 

♠︎ ♦︎ ❤︎ ♣︎

 

 ぐちゃっ!と、焼き焦がされた体が落下し、あたりに緑色の鮮血が撒き散らされる。

 少しの間をおき、焼けて半ばからちぎれた両腕が左右に落下し、ピクピクと痙攣する様を見せる。まるで芋虫のように蠢く様に、誰もがひゅっと息を呑む。

 

 真っ黒に焦がされ、顔の半分と体の一部しか無事な部分が見当たらない、変わり果てた女騎士の姿。

 自分を押しのけ身代わりとなり、邪神の放った怒涛のエネルギーの嵐にさらされたアイン。その成れの果てを目の当たりにして、なのははみるみるうちに顔を真っ青に染めた。

 

「アインさん…! アインさん!」

 

 震える体を無理矢理動かし、仰向けになったままピクリとも動かないアインの元に駆け寄り、焦げた体を抱き締める。

 ぐったりと力の抜けた彼女は、虚ろな目で虚空を見上げるだけ。ドクドクととめどなく新たに血を流し、呻き声も上がらない。

 

「ア、アイン…! 母さん…! どうしよう…どうしたら⁉︎」

「フェイト! ダメだ、落ち着いて‼︎」

 

 邪神の攻撃の余波で吹っ飛ばされていたフェイトも、なのはに抱き上げられているアインの燦々たる姿に、慌てて駆け寄ろうと体を起こす。

 

 しかしすぐに、アルフが抱きついて止める。

 こちらを見つめたままの邪神の眼光、ニヤニヤと不気味に笑うインシグニア、そして何より先ほどとは比べ物にならないほどに膨れ上がった威圧感に、アルフの本能がずっと警鐘を鳴らし続けている。

 

(ヤバイ…ヤバイヤバイヤバイ! あれはダメだ…何かは全くわからないけど、あれは絶対のここにあっちゃいけないものだ‼︎)

 

 ただでさえ恐ろしさを感じる、とんでもない力を持った怪物。

 獣としての本能から、尻尾を股の間に丸め込んで縮こまりそうになるのを、プライドとフェイトへの想いで無理矢理耐えようとする。

 できればその場からも逃げ出したかったが、その隙すらなかった。

 

(あんなの…化け物なんて可愛いものじゃない! いるだけで何もかもが終わる! 最凶最悪の何かだ‼︎)

 

 ごくん、と次から次へと湧き出てくる唾液を飲み込み、フェイトをきつく抱き寄せ引き止めたまま、邪神を凝視する。

 

 空間にできた大穴を通り抜け、全身が露わとなっていた。

 4本の腕にそれぞれ武器を持ち、逆三角形の上半身の下から生えた、竜の尾のような太く長い下半身が、ぐねぐねと蠢き空中を泳ぐようにしている。

 上半身だけで十数メートルはあった巨体は、下半身も合わせると100メートルを軽く超えていた。

 

 そして何より、見た目に見えぬ変化が一つあった。

 邪神の体内に含まれていた膨大なエネルギーが、異様な速度で跳ね上がって計測されたのだ。まるで霧散し続けていた力が、急に一つにまとまり始めたように。

 

「何が起こった…⁉︎ プレシアを吸収して……さらに力を強めた…⁉︎」

 

 冷や汗を流し、デバイスを構えたまま邪神を凝視していたクロノ。

 混乱の最中にいる彼に向けて、モニターの向こうから、ノアによる自慢げな口調の説明が行われ出した。

 

『彼は元々……不安定なまま現界してしまいましたからね。本来の仕様で登場できていないので、ああしないと全能力を発揮できないんですよ』

「あれは一体なんだ! 知っていることを全て話せ、ノア提督!」

『知っても無駄だというのに……まぁ、あの世への土産話にでも教えてあげましょうか』

 

 口ではそういうものの、声の響きは最初から聞かせてやりたくて仕方がないという響きを感じる。

 空間ごと破壊される危険性のある現場、そこから遠く離れた安全地帯から、圧倒的な力を行使する側に立っているという優越感。たやすく踏み潰せる矮小な存在達を見下し、嗜虐心に煽られた男が、ペラペラと語り始める。

 

『彼の名はフォーティーン。バトルファイトの勝者に与えられる最強の力にして、勝者以外の全ての種を根絶する邪神なのです』

 

 黒幕によって明らかにされた情報に、アースラ側から息を飲む声が強く響く。

 事件の当事者であるリンディが、自分の血が凍りついたのかと思えるほどの寒気に襲われ、ノイズに覆われたモニターの向こう側を、玉座の間に出現している邪神ーーーフォーティーンを凝視する。

 

『バトルファイトって…! でも、あれは…』

『ええ、ご存知の通り、今の世のバトルファイトはまだ終了していません……あの女騎士が愚かにも邪魔をし、勝者のないまま中断しています。ゆえに…………バグが生じたのですよ』

「バグ…⁉︎」

 

 くつくつと含み笑いをこぼし、ノアが語る。できの悪い生徒に、態とらしく落胆しながら教えようとするように、あからさまに馬鹿にした態度で語る。

 

『本来核となるべきバトルファイトの勝者の不在。終わらない戦い。そして、イレギュラーな新たな参戦者……それらが重なった結果、彼はこちら側に出てこられるようになったのです。因果なものですな…』

「…イレギュラーとは、アルデブラント陸士のことか」

『それもありますがーーーもう一人いるんですよ』

 

 母から、事件の当事者から直に聞いた、女騎士の身に起きた変貌。

 強大な力を得るために、幾度も人ならざるものとの融合を繰り返し、力を振るい続けたその結果、異形の力が肉体と混じり、自らをも異形の身へと堕としてしまった。

 故に超古代より続く戦いの遊戯は、新たなプレイヤーとして彼女を認めざるを得なくなり、決着をつけることが拒まれたため、勝者が不在のまま遊戯は沈黙した。

 一人が己の身を犠牲にしたことで、人類滅亡の未来は回避することができたのだ。

 

 だが、それで終わらなかったのだと、ノアは語る。

 女騎士の決断により生じた例外は、彼女自身の変貌だけにとどまらなかったのだと、そう語った。

 

『ジョーカーを除くアンデッドが封印され、その精を体内に受け入れたことで生まれたもう一体のアンデッド……それがアイン・K・アルデブラント。そして……』

「そのバグによって、僕が生まれたのです」

 

 フォーティーンの外皮を撫で付け、宥めるようにしながら、インシグニアがノアの台詞を引き継ぐ。

 

 リンディ達は少女騎士の台詞に、そしてノアが漏らした情報の中にあったある言葉に、一つの可能性に思い至る。

 アインとハジメの仲、変貌した原因、ノアの嗜虐的な台詞、そしてインシグニアの態度と物言いーーーあらゆる要素が一つにまとまっていき、少女騎士に隠された正体を導き出す。

 

「改めまして……僕はジョーカーアンデッドでありジョーカーアンデッドでないもの。名乗るならそうだなぁーーー」

 

 絶句する一同の前で、ニッコリと笑ったインシグニアの姿が、変化を始める。

 刺々しい、昆虫に似た鎧のような体表に、悪魔のような恐ろしく歪んだ形相。長く伸びた二本の触覚に、爛々と輝く両目。

 

 かつて世界を滅ぼしかけた、何者にも繋がらない不死の存在と瓜二つながら、純白の表皮と赤く輝く胸部が正反対の印象を与える、もう一体の例外的な存在。

 

「ーーーアルビノジョーカー、とでも言っておきましょうか」

 

 声だけは少女のもののまま、凄まじい威圧感を放つ異形へと変化した少女騎士は、巨大な鎌を手に持ち、そう名乗ってみせた。

 

♠︎ ♦︎ ❤︎ ♣︎

 

 ゴボリゴボリと、目前におかれた円柱型の水槽の中で気泡が上がる。

 

 黄緑色に光る液体の中、無数の管に繋がれたそれを見つめ、数人の研究員達が忙しく記録を取り続ける。

 長い髪を揺蕩わせ、眠りつくそれに、研究員達は皆恐れを孕んだ視線を向け、それでもやはり好奇心を抑えられないようでいる。

 

 唯一、恐怖を前面に出した若い研究員が、不安げに背後を振り返った。

 

「室長…あの…」

「羊水にうまく適応したようだな……このまま育てば、順調に完成するだろう」

 

 少しずつ、少しずつ、10年の歳月をかけて成長を続けているそれを見つめ、ノアがニヤリと満足げに笑う。

 

 局員として溜め込んできた莫大な資産、研究者として築き上げてきた立場。それらを存分に使い上層部には決して伝わらぬようにと最新の注意を払い、行ってきた、己の人生をかけた最大最高の実験。

 その集大成が今まさに完成に近づきつつあると、ノアの中の欲望はさらなる肥大を続けていた。

 

「…何に怯える。素晴らしい生命の誕生だぞ、もっと喜んでもいいのではないか?」

「し、室長は恐ろしくないのですか⁉︎これが生まれてしまったということは……あ、あの災厄がまた起こるということで!」

「正直…我々も不安です」

 

 若い研究員の呟きに、彼の隣にいた女性も青い顔で頷く。少女といっても差し支えない年齢の彼女は、すくすくと育っている水槽の中身を見やり、ブルリと肩を震わせる。

 

 ノアはそんな彼らに、心底呆れた様子でため息をこぼす。

 誰もが息を呑み注目する、今生最大の発見。そこから派生する人類史最大規模の実験に関わることのどこに恐れる要素があるのか、と。

 己が欲望に突き動かされているノアには、その感情が全くわからなかった。

 

「何を躊躇うことがある……災厄の胤といえど、今はまだ誕生前。しかるべき教育と実験を課せば、いかなる兵器よりも凶悪で従順な兵器が完成するのだ。喜ばしいことじゃないか…!」

 

 恍惚に歪んだ笑みを浮かべ、ノアはまるで神でも崇めるように水槽の中で眠る存在を仰ぐ。

 早く生まれ出で、その力を振るってほしい。他の何のためでもない、自分一人の理想のために全てを統べる力を発揮してほしいと、ギラギラと欲望に輝く目で願う。

 

 その姿はもはや人には見えない。

 人の姿をした何かが語っているとしか思えず、若い研究員の精神は限界を迎えた。

 

「あ、あんたは狂ってる…イかれてるよ!」

 

 思わず一歩、後ずさる。今すぐにこの場から離れたいという深層意識が、彼の体を勝手に突き動かす。

 しかしその無意識の行動は、彼を破滅へと導くこととなった。

 

 ドンッ!と破裂音が響き渡り、研究員の額の中心に穴が空く。

 目をも開いたまま固まった彼は、頭部に受けた衝撃により体をゆっくりと傾がせ、声もあげられずに斃れた。

 

「君は、私の研究室には不適切だったようだね…残念だ。これは必要なことなのだよ、次元世界の平和のためには」

 

 ドクドクと広がる血溜まりの中心で、天井を仰ぎピクリとも動かなくなる研究員を、ノアは困り顔で見下ろす。

 その手に持った質量兵器……拳銃の銃口から白煙を立ち上らせ、無意味に散ってしまった若い命に嘆息する。それなりに貴重な駒を一つ、自分で潰してしまったことを悔いて。

 

「皆が求めているのだよ…腐った組織を一掃し、新たに立ち上がる正義の味方が。古き因習を討ち払う圧倒的な力が!」

 

 またも陶酔した表情で語り出すノアに、残った研究員達の半数は震え上がり、残った半数は同意するように笑みを浮かべ出す。

 聞いているだけで頭がおかしくなりそうな、未だ机上の空論に等しい野望。その一端に携わることが、この先絶対にない機会だと、かろうじて保たれていた理性の枷が緩み始める。

 

 ノアの周りには、徐々に彼と石を同じくする狂人達が集まり始めていた。

 

「お前こそが…! お前こそが新たな時代の象徴(インシグニア)なのだ!」。

 

 そう吠え、ノアは水槽の中にいる自分の最高傑作ーーー人間とアンデッド、二つの遺伝子を併せ持ち生まれてきた新たな存在。

 

 幼い姿をしたインシグニアを讃えるように、力強く叫んだ


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