【完結】魔法少女リリカルなのは ーThe Ace Chronicleー 作:春風駘蕩
「アルビノ…ジョーカー……もう一体の、アンデッド…!」
突如目の前に現れた白い異形に、クロノはデバイスを構えたまま硬直する。
資料でしか、そして事件の当事者達の話からしかその姿を知らない少年は、信じられない気持ちで変わり果てた彼女の姿を凝視する。
アインのような例とは全く異なる、大鎌を構えて立つ本物の不死の怪物を凝視し、ゾッと背筋を震わせる。
同じく絶句し、終焉の異形に目を奪われていたリンディ、やがてある事実に思い至り、ハッと息を飲んで後ずさる。
『あなた……まさか』
「ふふ、ふふふふ…! まさか僕も思いませんでしたよ! こんな偶然が起こるだなんて! もし本当に神がいるというのなら、どうやってこんなにも滑稽な筋書きを思いつけるのでしょうね⁉︎」
慄く人間達の態度を面白がってか、インシグニアーーーアルビノジョーカーと名乗る異形はクルクルと大鎌を振り回し、弄ぶ。
弾んだ声は彼女の上機嫌さをこれでもかと示し、軽い足取りはクロノ達を挑発しているかのよう。それに苛立ちを覚えないくらいに、クロノ達はひたすらに驚愕し、言葉をなくして立ち尽くしていた。
「ですがこの偶然は……あなた方人間が引き寄せたものです。いわば自業自得の因果応報……自らが招いた滅びの運命から、逃れられると思わないでくださいね」
シャキン、と音を立て、アルビノジョーカーが大鎌の先端を突きつける。
途端に強烈な殺気が彼女から迸り、周囲にいた全ての人間達の精神をを凍りつかせる。
後ずさろうにも、逃げ出そうにも、悪鬼の形相で見つめてくるアルビノジョーカーの、そしてそれに付き従う邪神フォーティーンの眼光を前にすると、まるで足が地面に縫い付けられてしまったかのように動けなくなる。
例え今、目前に近づかれ、手にした大鎌の刃で真っ二つに切り裂かれようとも、反応一つ残せないであろうほどに、なのは達は恐怖していた。
だが、そんな窮地であっても、たった一人動く者がいた。
じゃきん、とデバイスを突きつけ、恐怖で引きつりそうになる顔をどうにか引き締めたクロノが、異形達を前になのは達をかばっていた。
「なのは! アルデブラント陸士を連れて下がってくれ!」
「クロノくん…!」
「あいつはここで足止めする…君がいては全力を放てない。だから頼む! その人を連れて逃げてくれ‼︎」
必死の声で叫ぶクロノに、ハッと我に返ったなのはは迷うそぶりを見せ、クロノとアルビノジョーカーを交互に凝視する。
険しい表情で考え込み、きつく唇を噛み締めたなのはは、ためらいを振り払うように首を横に振り、横たわったままのアインを引きずっていく。ガタガタと震えていたユーノも、待っていたと言わんばかりに大急ぎでそれを手伝い、玉座の間の出口へと向かった。
「アルフ!」
「う…わ、わかった!」
クロノは固まっていたアルフにも叫び、呆然と立ち尽くしたままのフェイトを見る。
尾が股の間に丸め込まれるほどの恐怖をあらわにしていたアルフだが、生物としての本能か、使い魔としての誇りゆえか、すぐさま主人のもとに駆け寄り、棒立ちとなっている彼女の手を引っ張る。
「行くよ、フェイト!」
「アルフ…! わかってる…だけど母さんが…母さんがあいつの中に!」
「…ごめんよ、フェイト!」
邪神に飲み込まれた母の安否を思い、対比に応じることができず渋るフェイト。逃げたいという本能よりも、プレシアに対する執着の方が強く、見捨てて逃げ出す選択肢が取れないらしい。
そんな主人の精神が流れ込んできて、アルフは苦しげに顔にしわを寄せ、一言謝ってから少女の体を担ぎ上げる。
最後に一目、殿を努めようとしている青年の後ろ姿を見やってから、アルフはきつく歯を食いしばり、走り出した。
誰もいなくなった、もはや原形をとどめていない玉座の間で、二体の異形と人間の青年が相対する。
身に宿す魔力の量、身体能力、体格差、あらゆる項目において圧倒されながらも、クロノは不退転の覚悟を決め、自身の周囲に魔力の弾丸を用意して身構える。
そんなクロノに、アルビノジョーカーはニヤニヤと恐ろしい形相で笑い続けていた。
「…人間が憎いのか、インシグニア・ジムニー。いや…アルビノジョーカー」
「フフフ…少し違いますね。嫌悪と憎悪は違うものですよ。例えていうのなら、そうですね……残飯に集るハエやゴキブリを憎みはしないでしょう?」
悪魔のような顔を、ビキビキと音を立てて歪める異形。かつてそれが美しい少女であったことなど一切想像させない、あまりに醜悪で恐ろしい顔で、アルビノジョーカーは嗤う。
生真面目そうな口調は変わらない、しかしその中に感じる人間に対する隔意は強く、口にした言葉が全て本心であることを表している。
一局員として、そして何より己の正義を徹せる確かな実力を持った者として敬意を持っていた相手の変貌。
それがたまらなく悔しくて、クロノはきつく唇を噛み締め、縋るような声で問いかけていた。
「…君にとって人類とは、そういう存在か」
「ええ……ですが、他ならぬあの人が守ろうとした種です。自分の持つ全てを犠牲にして守ろうとしたものです。それを全て消し去るのは、僕にとっても本意ではありません。…僕は、あの男とは違う」
首を振り、クロノにとって最悪の予想を否定するアルビノジョーカー。
全ての種族を滅ぼすために現れる最凶の存在ジョーカーアンデッドとは異なり、絶滅とは異なる未来を考えている様子に、クロノは警戒をさらに強める。
クロノの懸念を正解だと告げるように、アルビノジョーカーは醜悪な笑みをさらに歪め、くつくつと音を漏らして肩を揺らした。
「守ってあげますとも……いいえ、どうしようもない哀れな種族として、保護してあげますとも」
ギリ…とクロノのデバイスを持つ手に力がこもる。仲間と、味方だと信じたかった相手の最後の良心を信じ、それが砕かれたことに小さく落胆する。
もはや、自分の目の前にいるのは仲間でも、人でもない。
倒すべき、斃さなければならない、加減が自分の死に繋がりかねない、今生において最強最悪の存在であると、そう確信した。
「そう簡単に滅ぼされはしないぞ……化け物!」
「いいですね…やっぱりあなたとはやりにくいなぁ。屑のような種族の中に輝く君達のような存在を、この手で摘み取らなくちゃいけないなんて!」
ドッ!と、アルビノジョーカーが勢いよく飛び出し、クロノに向けて大鎌を振りかぶってくる。
音速に近い早さで向かってくる鋭い刃を前に、クロノは周囲に展開した魔力の弾を刃へと変換し、発射する。
せめて自分の奮闘で、少女達が逃げ延びる時間を稼げるようにと。
それによって自分が生き絶えることも、覚悟の上で。
「けど仕方ないですよねぇ……それが僕の生まれた意味なんですから‼︎」
放たれた刃が炸裂する寸前、異形の振り下ろした大鎌の刃が、クロノの首元にまっすぐ迫っていった。
―――僕は…兵器。
全ての人間を、次元世界を支配し、平和に導くために生まれた、絶対の存在……。
ごぼりごぼりと、緑色の液体に覆われた直径数十cmと高さ2mほどの狭い世界。
生まれた時から眼前に広がっている、生物という括りから断絶された、生温かく無機質な空間で、彼女は生まれ出でた。
―――僕は全ての生物の頂点にある存在。
何者も僕に勝利することは叶わず、何者にも脅かされることのない怪物…兵器。
唯一にして絶対、代わるもののないもの。
人口の羊水、全身に繋がれた無数の管。
分裂を繰り返し、徐々に変貌していく細胞に様々な薬品が投与され、内包されるエネルギーの総量と質にも変化が表れていく。
彼女を囲う世界の外では、いくつもの機械が瞬きを繰り返し、それを何人もの人間達が忙しなく確認し、記録し続ける。それを指揮するたった一人の男は、特に何かをするわけでもなく、ひたすら満足げに彼女を見つめて頷くだけ。
気づいたときには始まっていたその生活の中、彼女は退屈そうにごぼりと息を吐いた。
―――そう教えられても、何も思わなかった。
生まれた時から優れた存在である僕が、どうして下等生物を管理しなければならないのかと、常に疑問を抱いていた。
学べば学ぶほどに、人間という頭でっかちで派手好きで浪費家な、歪んだ在り方をしている種族の醜さが、ありありとよくわかる。
詰め込まれるあらゆる知識の中、その種族について教えられることだけ、億劫で仕方がなかった。
10年の時を経て、受精卵の状態から成長を促され、人の少女の姿へと変わっていき、ようやく外の世界に出されるようになってなお、彼女に自由はなかった。
来る日も来る日も、裸体にセンサーを付けられ、身体状況の検査を取られる日々。それが終われば、ホログラムでできた的を使った戦闘訓練を課され、終わればまた検査が行われる。
毎日毎日変わらない時間、一切存在しない変化と刺激。
なぜこんなにも暇を持て余さなければならないのか、なぜこんなくだらないことに付き合わなければならないのか。
その理由を彼の男に答えられてからも、虚しさとつまらなさは変わらなかった。
ある日を最後にして。
―――…だけど、こんな僕にもルーツはあった。
そしてそれは、僕にとって唯一の例外となった。
その日は、経過観察という名の、投薬も実験も何もなかった日のことだ。
一人の男に与えられた権限を使い、施設の一角にあった資料室に足を運び、なんとなく手を出してみた一部のファイル。
その中に記載されていたある名前に、彼女はなぜか興味をそそられていた。
『…アイン・K・アルデブラント』
―――見つけたのは、僕を構成する遺伝子の片方の素である、一人の女騎士。
全人類の裏切り者とされ、今もなお組織に首輪をつけられて飼われ、あらゆる戦場に送り出されている、私と同じ兵器。
ただの一度も敗北はなく、幾度も死と再生を繰り返しながら戦い続ける、現時点において最強と呼ばれる存在。
文字と写真のみで記載された情報。それは細かく分けると二種類あった。
一方は淡々と事実のみを記録した、女騎士に対する情など一切ない無機質な内容の資料。
もう一方は世間に公表するために作られた、女騎士の立場を身勝手な悪役に転じ、事件の根本的原因として悪意を持って曲解させる内容の、いわば筋書き。
それらに大した興味はない。
人間の組織が、たかが女一人を生贄に組織の信頼と地位を保持しようという目論見に、嫌悪も同情も抱くことはなかった。
興味の対象は、女騎士に対してのみだった。
『…僕と、どちらが強いでしょうか』
―――最初に思ったのはそれだけ。
人間でいう、母親の位置にあるその女騎士の名を耳にしただけでは、なんの感情も浮かばなかった。
だけど、それは少しずつ変わっていった。
彼女が自分の自由と引き換えに、ある一つの存在を守り抜こうとした経緯を知り、徐々に深い興味を抱き始めた。
まだ彼女が人間であった頃、幾度も死を目前にしながらも、それでも自分の守りたいもののために戦い続けた記録を見て、僕の中で何かが変わり始めた。
その生き様に、在り方に、ひどく惹かれ出していた。
彼女達は、自由がないという意味では似ていた。
しかし、在り方は全く異なっていた。
女騎士には始め、何もなかった。
手に入れたものをすぐ横から奪われ続け、かすかに残ったものを頼りに必死に這いずり、生き延びようとしていた。
その努力の結果得た地位も栄光も、たった一度の過ちで、女騎士を蔑み妬み恐れる者の思惑のせいで全て奪われ、首輪を付けられ尊厳まで奪われた。
対する彼女は始めからあらゆるものが与えられていた。
優れた能力に全てが揃った環境、何をすべきか選択も用意されていて、自ら思考する必要もなく、ただ言われた通りに動いていればそれだけでいい、怠惰に過ごせる生。
自らの手で何かを手に入れた経験などなく、自由がない代わりに、何にも脅かされることもなかった。
―――しかし、その憧憬は次第に、強い怒りと悲しみに変わり始めた。
なぜ彼女だけが、こうも苦しまなければならない?
そのことに気づいた瞬間、彼女はそれまでの彼女ではいられなくなった。
得ては奪われ、それを繰り返す運命に翻弄されている女騎士と、ただ与えられるままに、促されるままに存在し続けてきた彼女。
同じ遺伝子を有する者なのに、どうしてこんなにも胸糞の悪くなるような差別が生まれているのか。
なぜ、彼女にその在り方を強制した者達が、被害者のような顔をして踏ん反り返ったままなのか。
―――一度浮かんだ疑問は時とともに膨れ上がり、彼女の記録を見るたびに色濃く僕の中にこびりついていった。
災厄の遊戯を始めたのは誰だ―――人間だ。
彼女に戦士の重責を負わせたのは誰だ―――人間だ。
彼女をこんな存在にしたのは誰だ―――人間だ。
彼女を怪物に変えたのは誰だ―――人間だ。
彼女を苦しめ続けているのは誰だ―――全て、人間だ。
それに気づいたら最後、彼女の憎悪は止まらなかった。
興味のかけらもなかった種族、道端でうごめく虫けらの様に、直接的な害さえなければ機に止めることもなかった、ただの有象無象。
その認識が変わり、ただの虫けらではなく、本能的に嫌悪を抱かせる最悪の害虫へと、彼女の中の人間は評価を変えられていった。
―――人間は……この世にあるべきではない命なんだ。
ブンッ、と大鎌を振り払い、付着した大量の鮮血を除く。
足元に倒れ伏した、息も絶え絶えとなった黒髪の少年を見下ろし、アルビノジョーカーが物憂げにため息をついた。
「たった一人にこんな重荷を背負わせるような世界に……そしてそんな愚かな種族に、存在する価値はあるのですか?」
返事はない。
身体中に刻まれた傷口からどくどくと血を流し、ピクピクと痙攣を繰り返しているクロノは、もはや意識があるかも疑わしい。
滅ぼしたいほどに嫌いな種族ながら、どうしても嫌いになれない心意気を持っていた彼に、白い異形は口惜しげな表情で虚空を見つめる。
どうして殺したくない者を手にかけ、殺したい者を放置したままでなければならないのか。
そんな嘆きが、彼女の中にはあった。
「救われた過去をまるでないもののように扱う者達に…どうして罪がないのですか?」
頭上から、ガラガラと瓦礫が落下してくる。玉座の間の狭い空間で窮屈そうにしていたフォーティーンが、伸びをする様に両腕を広げはじめたのだ。
バキバキと拡張されていく空間、暴れ狂うことを待ちわびているかの様な目をしている邪神、広がっていく空間の崩壊。
それらを見上げ、アルビノジョーカーは今一度クロノに目を向け、思いため息を聞かせた。
「僕は僕の全身全霊をもって、人間を嫌悪します。憎むことのできない、優しすぎるあの人に代わって、僕のルーツを嘲笑う全ての人間に鉄槌を下します」
そう言って、アルビノジョーカーはたんっと大きく跳躍し、フォーティーンの鼻先の高さにまで飛び上がる。
すると邪神と黒い異形の体から黒い光が漏れ、互いに発せられたそれが混じり合い、影が一つとなっていく。まるで空いていた穴が埋められていく様に自然に、ズブズブと重なっていく。
その間に異形と邪神が浮かべていたのは、あまりにも幸福そうな、恍惚とした笑みだった。
「だから……今その重荷から解き放ってあげますね、母さん」
その目に狂おしいほどの愛を宿し、アルビノジョーカーは……インシグニアはニッコリと微笑み、地に堕ちた母に向けて告げた。