【完結】魔法少女リリカルなのは ーThe Ace Chronicleー 作:春風駘蕩
その報せは、突然だった。
取り戻した日常、家族との温かい時間、親友達との楽しいひと時を堪能し、しばらく経ってからのこと。あの戦いの日々が、遠い夢か何かだったのではないかと、ふと思うようになっていた矢先であった。
就寝前、自室のベッドに横になっていたなのはの携帯電話に、一着の電話がかかってきた。
こんな夜中に誰からだろうか、となのはは訝しげに携帯電話を開き、どこの誰からのものかを確認してみる。
そこにあった文に、なのはの思考は一瞬硬直し、すぐさま驚愕で目を見開いた。
「……? え…えええっ⁉︎」
そこにはこうあった、『時空管理局』と。
なのはは慌てて通話ボタンを押し、耳に当てる。そに際の彼女はなぜか、ビシッと背筋を伸ばして正座になっていた。
「はい、もしもしっ!」
『ああ、なのはさん。ごめんなさいね、朝早くに』
「いえっ!」
自分がやや引きつった、驚愕と戸惑いがごちゃまぜになった声で応えると、もはや懐かしいとさえ思える女性の声が聞こえてくる。
なのはの驚愕する様を想像してか、向こう側からくすくすと笑う声が聞こえる。驚かす事に成功し、達成感でも味わっているのだろうか、実に楽しげな笑い声である。
そんなリンディのいたずら心も、慌てるなのはは気づいていない。ひたすらに、久しぶりの会話に驚いていた。
『フェイトさんとプレシアさんの裁判の日程……来週から本局行き…って決まったわ』
「はい」
『でね? その前に少しだけなんだけど…』
何だろうか、と首をかしげるなのはに、リンディはもったいぶってから語り出す。
電話の向こうではきっと、いたずらっぽい笑みを浮かべて、なのはの反応がどんなものかと想像し楽しんでいるのだろう。語る声は、常に上機嫌に聞こえていた。
なのははじっと耳を澄まし、リンディの言葉に耳を傾ける。
そしてやがて、顔全体で喜びをあらわにし始めた。
「……はい…はい、はいっ! すぐ行きます…はいっ!」
何度も力強く頷き、弾んだ声で答える。リンディがもたらしたもう一つのサプライズ、自分が待ち望んでいた日がきたのだと知り、なのはは目を輝かせた。
少しして、リンディからの電話は切れ、なのははしばらくの間放心する。
心底嬉しそうな笑顔で天井を仰ぎ、携帯電話を握りしめる彼女に、ユーノが訝しげな表情をしながら問いかける。
「なのは……どうしたの?」
「フェイトちゃんと、少しだけど会えるんだって!」
「そうなんだ⁉︎」
「私に会いたいって…言ってくれてるんだって…!」
思いもよらない申し出に、なのははもう思考がうまく働かない。
もう一度、たった一度でいいから会いたいと思っていた、友達になりたいと思っていた少女との再会に。
なのははしばらくの間、興奮で眠れなくなってしまうのだった。
そして、その日は来た。
場所は、以前最後の勝負を行なった海浜公園。何度も痛い思いをしたが、それ以上にあの少女と心を近づけることができた、思い出深い場所。
落ち着かない気持ちのまま、急ぎ足でその場を訪れたなのは。
もう来ているのか、まだ来ていないのかと辺りを見渡し、数週間振りの再会を待ち望む。
するとやがて、なのはは自身の元へ近づく人影に気づく。
緑色の髪の女性、黒髪の少年、狼の耳を生やした女性に連れられてやってくる、どこか不安げな表情をした、金色の髪の少女。
再会を待ちわびていたフェイトが、なのはの前に歩み寄った。
「フェイトちゃん…」
「ん…」
二人は互いに見つめ合い、ややぎこちなく微笑み合う。
もう二度と会えないのだろうか、声を聞くこともできないのだろうかと不安がっていた時、不意に機会に恵まれたせいか、どう顔を見せればいいのかわからなくなる。
無言で見つめ合う二人に気を使い、クロノ達が背を向け、その場を離れ出した。
「僕達は向こうにいるから」
「あ…うん、ありがとう…」
「ありがとう」
リンディとユーノもクロノの後を追い、なのはとフェイトを二人きりにする。他の者の目があると、気安く話すこともできないと判断したのだろう。
そのおかげか、なのはもフェイトも少し緊張がほぐされ、自然な表情を浮かべることができた。
ほっと安堵し、見つめ合うなのはとフェイト。
しばらくしてなのはが、クスッと苦笑を浮かべて肩をすくめる。
「あはは…いっぱい話したいことあったのに、ヘンだね。フェイトちゃんの顔見たら忘れちゃった」
「私は……そうだね、私も上手く…言葉に出来ない…」
困ったような顔で、二人とも頬を染める。
会えない間ずっと考えていた言葉は、いざとなるとうまく形になってくれない。しっかり考えていたはずなのに、感情が先に来てうまく頭が働かなくなる。
それはお互い様だったのだと気づくと、より一層自分自身へのおかしさがこみ上げてきた。
「だけど…うれしかった。まっすぐに向き合ってくれて…」
「…うん、友達に…なれたらいいなって思ったの」
ようやく素直な気持ちを口にできて、フェイトもなのはも感動でもが震える。
片や、自分の居場所に悩み、本気で物事に取り組むことができずにいた少女。片や、母からの重い圧力に苦しみ、自分の居場所を見失いかけていた少女。
どうあるべきかに悩み、苦しんでいた少女達は、偶然出会った相手に影響され、徐々に異なる自分に変わっていった。
誰にも恥じない自分自身に、知らない間に変わっていたのだ。
「でも……今日、もうこれから出かけちゃうんだよね」
「そうだね…少し長い旅になる」
「また…会えるんだよね?」
心配そうになのはが問うと、フェイトは頷き、少し寂しそうな笑みを浮かべる。
フェイトの戦いはまだ終わっていない。アルフもプレシアも、自分の行いを今一度顧み、犯した罪を償う大事な役目が待っている。
それがいつまでかかるかはわからない。しかしフェイトは、しっかりと自分の意思で向き合おうと決意していた。
今この瞬間、なのはと再会したことに関しても。
「少し悲しいけど…やっと、ほんとの自分をはじめられるから。来てもらったのは……返事をするため。君が言ってくれた言葉……友達になりたい…って」
「あ……うん、うん!」
「わたしにできるなら…わたしでいいならって、だけどわたし、どうしていいかわからない…だから、教えてほしいんだ。どうしたら友達になれるのか」
不安げに俯き、フェイトは目を泳がせる。
ずっと母の命令を聞き続け、アルフや育ての親であるとある山猫以外の誰とも関わりを持ってこなかった少女にとって、それは全くの初めてに挑戦である。
どうしたら正解なのか、何が間違っていないのか、そんなことばかりを考え、不安に苛まれていた。
そんな彼女を見て、目を丸くしたなのはは、やがてフッと微笑みながら語りかけた。
「友達になるの…簡単だよ、すごく簡単。名前を呼んで……はじめはそれだけでいいの」
なのはの言葉に、今度はフェイトが目を丸くする。身構えていたところに教えられた、あまりに簡単すぎる正解に、しばらくの間固まる。
反応が止まってしまったフェイトに促すように、なのはは自分の胸に手を当て、フェイトを見つめて名乗ってみせた。
「わたし、高町なのは!」
「……なのは」
恐る恐る、フェイトは目の前にいる少女の名を呼ぶと、なのはは心の底から嬉しそうに笑う。リンゴのように頬を染めながら、紡がれた自身の名をしっかりと鼓膜に刻みつける。
それからフェイトは何度も、何度もなのはの名を呼ぶ。二度と忘れないように、自分の心に刻みつけようとするように。
二人はさらに歩み寄り、手のひらを重ねて握りしめる。ようやくゼロになった二人の距離を噛み締めながら、二人の少女達はただ、喜びを共有し合う。
「ありがとう……なのは」
思わず溢れたフェイトのつぶやきに、なのはは何度も頷き返す。
そんな美しい少女達の姿を、物陰から様子を伺っていたクロノ達も、微笑ましそうに見やり、目を細める。
必死に泣く声を我慢するアルフに苦笑しつつ、大人達は少女達を優しく見守り続けていたのだった。
しかしふと、なのはは物足りなさのようなものを感じ、あたりに視線を巡らせる。
どうしたのか、と見つめてくるフェイトに、なのはは慌てて申し訳なさそうに俯いた。
「えっと…あの、あの人もいるかなって思ったんだけど……ごめんね、急に」
「ううん…私も会いたいって思ってたから、一緒だよ」
フェイトは納得し、苦笑をこぼすと同じように目を伏せる。
二人の脳裏には全く同じ記憶が、時の庭園で一人奮闘していたアインの姿が蘇っていた。
高位の魔導師であるプレシアとの一騎打ち、それも彼女の本音を引き出す為にひたすら加減をしたままという無謀な挑戦。それが終わったと思えば、背後から裏切りの一撃に襲われ、続いて現れた邪神に瀕死の重傷を負わされる。
守る為に、意地を通し為に立ち向かい続けたアインの最後に見た姿、その痛々しさに、なのはもフェイトも悲痛げに顔を歪めらた。
「まだ怪我が治ってないのかな……それとも向こうで大変なのかな」
「わからない…あの人についての情報は、全然届かなかったから。リンディさんやクロノも、わからないって言っていたし……」
首を振り、自分への情けなさに肩を落とすフェイト。
重要参考人である今の立場では、無理に詳しく情報を入手することなどできない。いつもたらされるかわからない情報を、待つ他にないことがとてつもなく歯がゆい。
元気な姿を見ることも、声を聞くこともできないのかもしれないと思うと、なのはとフェイトの胸はきつく締め付けられるようだった。
「このまま…お別れなんてやだな」
そう、思わずなのはが呟いた時だった。
「ーーー嬉しいことを言ってくれるじゃないか」
不意に届いた、今まさにもう二度と聞けないかもしれないと案じていた声に、なのはとフェイトはハッと目を見開く。
近づいてくる足音に、二人して勢いよく振り向き、声の主の姿を目の当たりにして息を呑む。
そこにいたのは、ずっと会いたいと思っていた女騎士ーーーアインだった。
包帯も何もつけておらず、最初に出会った時と全く同じ五体満足な姿で、アインはなのは達の元に歩み寄る。
浮かんでいる微笑に、二人は安堵と歓喜で目を潤ませる。
「アインさん……!」
「アイン……!」
慌ててアインの元に駆け寄り、勢い余って彼女の腰にぶつかる。
二人の少女達の突進をしかと受け止めたアインは、クスクスと笑い声をこぼし、二人の背丈に合わせてその場にしゃがみこむ。
「少しだけ時間を作れてな…最期に顔を見にきた」
「け、怪我は⁉︎ 体は大丈夫なんですか⁉︎」
「見ての通り、ピンピンしている。お前たちのことだ……せっかく話す機会を得たのに、どうせ私のことで重苦しい雰囲気になっているだろうと思ってな」
なのはとフェイト、二人の視線に合わせ、優しい笑みとともに語るアイン。
思わず振り向き、クロノ達が一時立ち去った方を見てみれば、クロノはやや居心地悪そうにそっぽを向き、リンディは悪戯が成功したようににこやかに笑い、なのは達を見つめているのが見える。
思わぬサプライズプレゼントがもう一つ贈られた事で、なのはももとてつもなくこそばゆい気持ちになる。
しかしすぐに我に返ると、まるで謁見するようになのは達に跪くアインに、しっかりと真正面から向き直った。
「…あの、えっと……これだけはちゃんと言っておかなくちゃと思いまして!」
「うん、私も…! アイン…色々迷惑かけて、心配かけて……それでも見捨てずに、ずっと助けてくれて」
「本当に…本当にありがーーー」
出会って数日、恩ばかりを受けてきた少女達は、これまでの想いの全てを込めるつもりで、深々と頭を下げようとする。
命を救われた、存在を認めてくれた、導いてくれた大恩に少しでも報いたいと、感謝の言葉を差し出そうとする。
しかし、それらは途中で遮られてしまった。
アインがなのは達を抱き寄せ、豊満な胸元に押し付け、きつく腕を回してきたからだ。
「礼を言うのは……私の方だ」
「アインさん…?」
一体何が起こっているのか、自分達は何をされているのか。
唐突に抱きしめられ、戸惑いと恥ずかしさで目を白黒させるなのはとフェイト。頬は赤くなり、顔中に熱が溜まって思考が全く定まらなくなる。
混乱の渦に放り込まれ、あわあわと慌てふためく二人に苦笑しながら、アインは囁くように小さな声で語りかけた。
「お前たちには、一つだけ大切なことを教えてあげよう……アインというのは、私の本当の名前ではない」
「え……?」
「……かつて戦いに身を捧げた時から、私は一度自分を捨てた。弱い自分を殺して、強い自分になろうと思ってな」
驚きの言葉で、正気に戻るなのは達。言い慣れた名前が、本来のものではないという衝撃の事実に、混乱が止まらなくなる。
困惑の視線を向ける少女達を見下ろしながら、アインは今にも泣きそうな表情で、彼女達を抱きしめる力を強める。
ふらふらと、自分をなくして彷徨っていた自分の目を覚まさせてくれた、救ってくれたのだと、心からの感謝を込めて少女達を胸元に抱き寄せる。
「だが、それは間違いだったと気づいたよ。どんなに自分を偽ったって、私は私でしかないんだって……何年もかかって、ようやくわかった」
やる事なす事、全てが裏目に出てしまう呪われた忌々しい人生。
他人のためであろうと自分のためであろうと、決して幸福というものと縁を結べなかった長い時間の中で、やっと得られた結末。
何一つ守れなかった不甲斐な自分が、ついに守り通すことができた尊い命が、自分の手の中にある。それが、たまらなく嬉しかった。
「だが、それでいいんだとわかった。誰もが同じで、弱い自分を持っているんだって気づいたから。だから私は、大切な人には本当の私を知ってもらおうと思ったんだ」
ふと、目尻に何か熱いものが伝わる感触がする。
ずっと凍り付いていた自分の感情が、ここにきてようやく溶け始めたのだと気づき、アインはおかしさにふっと笑みをこぼす。
アインはもう一度二人を抱き寄せ、耳元に自分の口を寄せる。
「私の本当の名前は…………〝アイシス〟。アイシス・ケンザキ・アルデブラントだ」
「アイシス…さん……」
「私の……二人の母からもらった大切な名だ。知っているのは、本当にわずかな人間だけなんだぞ?」
もう、片手で数えるほどにしかいなくなってしまった、自分が愛した大切な者達。もう二度と会うことの叶わない数人に託した、本当の自分。
それをアインは、己が初めて守り抜いた少女達、掛け替えのない宝物達に託した。
やがてアインはぐいっと乱暴に目元をぬぐい、立ち上がるとなのは達に背を向けた。
「そろそろ時間だ。クロノが口を挟んで微妙な空気になる前に、私はさっさと行かせてもらうよ」
「アイン…!」
「あ、はい…あの、アインさん! 本当に……」
女騎士がその場を去ろうとしていることに気づき、慌てて姿勢を正し、一度でもいいから例の言葉を口にしようとするなのは。
しかし、最後にもう一度だけ振り向いたアインの表情をーーー寂しさに満ちた儚げな微笑を目の当たりにし、二人はその場に縫い付けられたように動けなくなってしまった。
「さよならだ……なのは、フェイト」
消え入りそうなか細い言葉でそう告げ、無言のまま歩き去っていくアイン。
彼女のその言葉は、なぜか正真正銘、彼女が口にする最後の挨拶のように思えた。