【完結】魔法少女リリカルなのは ーThe Ace Chronicleー   作:春風駘蕩

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5.さらば愛しき友よ

 指定の場所までの道を、アインはリンディと並んで歩く。

 アインはいつも通りの、リンディは暗い表情で、他に誰もいない道を黙々と歩く。会話もなく、ただ無言で歩き続ける。

 

 クロノは先に行った。母を友人と一緒にいさせてやろうとでも配慮したのだろう。

 しばらくの間、二人は並んで歩き、やがて転移の指定位置まで辿り着く。そこで初めて、アインがリンディに話しかけた。

 

「……礼を言う。時間をくれて」

「いらないわよ、そんなの…」

「だが、私のわがままを通すために随分無茶をしたと聞いている……最期まで、苦労をかけてすまないな、リンディ」

 

 アインが口にした、もう聴き慣れた謝罪の言葉に、リンディはふんっと鼻を鳴らしてそっぽを向く。

 

 アインが何かをするたび、暴れるたびに起こしてきた被害の数々。そのフォローに回り、時に巻き込まれることも多々あったリンディに、アインはよくこうして謝っていた。

 価値が軽く思えるほどたくさん耳にし、本気で謝る気があるのかといぶかしむこともあったそれらが今は、ひたすらに重く聞こえていた。

 

「さっさと、どこへでも行っちゃいなさいよ……バカ」

「……すまん」

 

 吐き捨てるように告げられ、アインは寂しげに微笑みながら歩き出す。

 転移の陣は二つ用意されている。一方はアースラに、もう一方は別の時空航行船にーーーアインの拘束具が用意された艦につながるもの。

 アインとリンディは、ここから別々の陣に足を踏み入れることになる。

 

 アインはふと、頭上に青々と広がる空を見上げ、ため息をこぼす。

 永久封印が決定されたアインにとっては、今生に最後に見られる青空だ。もう二度と拝めないものと覚悟し、しっかりと目に焼き付ける。

 そうして、満足げに目を伏せ、もう一つの船に乗り込むため、歩き出した時だ。

 

「行かないでよ……アイシス」

 

 キュッ、と、アインの服の裾が引かれ、弱々しい声が耳に届く。

 ハッと息を飲んだアインは、背後でうつむき、いまにも泣き出しそうな声で懇願してくるリンディの前で、固まってしまう。

 立ち止まった親友に、リンディは声を震わせながら語りかけた。

 

「どうして…どうしてあなたが最期まで泥を被らなければならないのよ⁉︎ 誰より傷ついて、大勢の人を救ってみせたあなたが……これ以上ない功績を挙げてきたあなたが、なぜ罪人として扱われなければならないの⁉︎」

 

 悲痛な消えでそう叫び、リンディは涙を流す。

 もう二度と会うことのできない、子供の頃からともに戦ってきた親友。誰よりも優しく、誰よりも強く、誰よりも多くに人々を救ってきた自慢の友達が、理不尽な命令により、遠く手の届かない場所に連れて行かれようとしている。

 それが、リンディには我慢がならなかった。どうやったって、納得できるはずがなかった。

 

「リンディ…これは、決まったことなんだ。世界に私は……必要ない」

「そんなの…別のだれかが勝手に決めたことでしょ! そんなことを言うくそったれに、従う必要なんてないわよ!」

 

 アインは振り向くことなく、ふっと微笑む。

 そこでふと、クロノがこの場にいない理由が、母の泣きじゃくる姿を見たくないがゆえなのではないかと推測する。

 それとも、自分がなく姿を他人に見られたくないからだろうか。口では厳しくしつつも、優しい心を持った彼ならば、そうなったっておかしくない。

 

 温かい気持ちにあふれたアインは、深くため息をこぼす。

 これ以上ない満足感に、感想も何も出て来ず、頭上に広がる青空を見上げ肩の力を抜く。

 

「充分だ……もう充分なんだよ」

 

 そう言い、アインはその場から歩き出す。

 リンディの手が服から離れ、伸ばされた彼女の手が宙を彷徨う。

 

 すがるような、いますぐにでも大声で呼び止めたがっているような、必死な顔で凝視してくるリンディに。

 アインは、最高の笑顔で振り向いた。

 

「さらばだ……愛おしき、我が友よ」

 

 それを最後に、アインの姿が光とともに消える。

 リンディはそれを、顔中を涙で濡らしたまま、見送ることしかできないでいた。

 

 

 

「……お前は、こっちだ」

「ああ、わかった」

 

 最後に訪れることのできた地球を離れ、数十分。

 時空間を進み、あとは本局までじっくりと航行するだけの時間が流れる。

 

 アースラとは異なる時空航行船の通路を、アインは前に歩く局員に従い、黙々と進む。

 

 艦内に転送された直後姿を見せた、連行役だと語った男は、なぜか帽子を目深にかぶっていた。

 それを訝しく思いながらも、アインはさっさと歩き出した男の後を追う。

 途中、何度か他の局員たちとすれ違うこともなく、異様に静かな空間を二人だけで進んでいると、どうにも奇妙な心地になってくる。

 

 やがて案内役の男は、ある一つの部屋の前で立ち止まり、入口の端にある機械にカードをかざし、扉を開く。

 無言で入室する男についていくアインだが、中を見た途端困惑をあらわにする。

 

「…………? おい、ここは整備室だろう。場所を間違っているんじゃないのか」

 

 男が入ったのは、数々の備品が保管されたやや埃っぽい空間。

 デバイスや機体の修理に使用される道具に、修繕のための部品など、狭っ苦しく薄暗い空間である。

 

 とても、罪人を収監しておくような部屋ではない。

 拘束具もなく、完全に出入りを封じる強固な鍵もない。カードによる認証だけで、出ようと思えば力尽くで出られる頼りない入口だ。

 

 なぜ、本局で封印措置を行われる予定の自分が、このような場所に案内されたのか。アインは首をかしげる。

 

「……いや、ここでいいんだ」

 

 アインの問いの声に、男は静かにそう答える。

 そして懐に手を伸ばすと、一丁の銃ーーーダイヤの衣装が目立つ赤い銃・ギャレンライザーを、銃口をアインに向けて構えた。

 

「……⁉︎」

 

 目の前に突きつけられる銃口、平局員に姿を偽った戦友サクソが構えるそれに、アインは驚愕で目を見開く。

 呆然と、何が起こっているのかまるで分かっておらず、立ち尽くす彼女に向けて、サクソは銃の引き金を引く。

 

 放たれた銃弾はアインの顔のすぐ横を通り過ぎ、整備室の壁に炸裂し、大きな爆発を起こす。

 爆音と衝撃で我に返ったアインは、壁にあいた大穴に気づき、より一層の混乱で目を泳がせる。

 

「なっ……わっ⁉︎」

 

 すると次の瞬間、ふわりとアインの体が浮き、壁にあいた大穴に吸い寄せられていく。

 時空間と艦内、環境の異なる二つの空間を分ける壁が壊されたことで、生じた気圧の差が気流を生み、アインを艦の外へと吹き飛ばしたのだ。

 

 アインは必死に手を伸ばし、大穴の縁にしがみつき耐える。そして、一人だけ艦内の支柱を掴み、気流に耐えていたサクソを睨みつけた。

 

「……! なんの……つもりっ、ですかっ……マンダリン陸尉⁉︎」

「……『アイン・K・アルデブラントは本局護送の際、爆発事故により生じた乱流に巻き込まれ、時空間に放出される。それ以降、行方知れずとなる』」

 

 ぎろり、と若干の殺意も込めて凄むアインに、サクソは平然と答える。

 危うく自分も吹き飛ばされていたかもしれない危険な行為を、何の躊躇いもなく行った男は、艦の外で気流に揺さぶられる元部下にそう告げる。

 

 しかしアインには、サクソの言っていることがまるでわからない。彼が何をしようとしているのか、その答えに気づくことが恐ろしくて、脳が理解を拒んでいる。

 絶句するアインに向けて、サクソは帽子を脱ぎ捨て、ふっと不敵に笑ってみせる

 

「これが俺達の用意したシナリオだ」

「なっ……何を、言って……⁉︎」

 

 サクソの不敵な意味が、いきなりのこの暴挙が、アインをある可能性に導く。

 先ほどの謎の筋書きをもとに考えてみると、サクソが、そして彼に協力する者達がアインをどうしたいのかが見えてきてしまう。

 

 しかし、それは非常に危うい道である。

 事故を装い、それを名目に罪人を逃がし、事件を未解決のまま終わらせようと試みているのだ。

 そんな嘘がバレれば、彼は、彼らは重く罰せられることになる。

 

「まさか……何をやっているんですか⁉︎ そんなことをしたら、あなたの立場が……‼︎」

「どうでもいいことだ……部下を見捨て、地位にしがみついて何の意味がある。ムーヴも、同じ考えだ。覚悟ぐらいできている…!」

「もう……もういいんですよ‼︎ 私にはもう、生きる理由などない‼︎ 私の存在は、望まれないものなんです‼︎」

 

 サクソの身を案じ、悲痛な消えで拒絶しようとするアインに、サクソは笑ったまま何も返さない。

 

 アインはきつく歯を食いしばり、眉間にしわを寄せて項垂れる。

 これ以上誰も巻き込まないように、自分がこれ以上何も壊さないように、全てを捨てて封じられる道を選んだというのに。

 どうして、自ら傷つきに来てしまうのかと、アインはひたすらに嘆いた。

 

「もう……私を眠らせてください……‼︎」

 

 自分の覚悟を無駄にしないでくれ、もうこれ以上自分を苦しめないでくれ。そんな想いを胸に、アインは必死に艦内に戻ろうと踏ん張る。

 

 だが、そんな悲痛に泣き叫ぶアインに、サクソはぎりっと歯を食いしばり、しがみつくアインの手を拳で殴りつけた。

 

「……言いたいことはそれだけか」

「っ…!」

「お前は一人で生きてきたつもりか。馬鹿を言うな、お前は散々誰かを巻き込み、頼り、支えられて生きてきたはずだ。そんなお前が、今更全て捨てて眠りにつくだと……ふざけるな‼︎」

 

 怒号をあげ、見たこともないほどに鋭い目で、サクソはアインを見据える。

 アインの手を押し潰そうとするように、叩きつけられた拳にはは力がこもり、血管が浮き出る。挙句、爪が皮膚を裂いて血が滲み出す。

 

 アインは息を呑み、呆然とサクソを凝視する。

 怒られたからではない、元上司の見たことのない姿を見たからでもない。

 

 彼が口にした言葉に、心臓を無数の刃で貫かれた時と、全く同じ強烈な痛みが走ったからだ。

 

「お前の命はもう、お前一人のものじゃない‼︎ お前に生きて欲しいと望む者がいる、お前の幸せを願う者がいる‼︎ そんな者達の想いを踏み躙る権利など、お前にはない‼︎」

 

 ギリギリと、アインが艦体にしがみつく手が、穴の淵に食い込んで血が滲む緑の地で手が滑り、気を抜けばあっという間に吹き飛ばされそうになる。

 

 苦痛に慣れたアインには、どうということもない痛み。

 今のアインは、それをはるかに超える胸の痛みに苛まれ、地震が傷を追っていることにすら気づいていない。

 ただじっと、泣き出しそうな顔で吠えるサクソを見つめるばかりだった。

 

「失ったことを後悔しているなら、奪ったことを償いたいなら、逃げることなど考えるな‼︎ 諦めず、運命と戦い続けろ‼︎」

「私は…………私は……」

 

 まっすぐに見下ろしてくるサクソをの顔を見ていられず、目を背けるアイン。

 ぶつけられる言葉は全て正論で、一切否定することができない。自分の過ちの全てを突きつけられ、針のむしろに立たされているような気分になる。

 

 しかしそれでも、サクソの策を受け入れられない。

 さらなる罪を犯すかもしれない自分が、ここで逃げて生き延びるという選択肢を、どうしても選ぶことができない。

 

 アインがもう一度、首を横に振ろうとしたその時だ。

 

『この……バカッ‼︎』

 

 整備室の放送から、涙に濡れた女の悲鳴じみた叫びが響く。

 アインはハッと、唸り声と啜り泣く音が聞こえる箇所に目を向け、目を潤ませる。

 

 つい数分前、別れたばかりの親友の悲痛な声に、アインはぐっと息を詰まらせ、痛々しく顔を歪める。

 彼女もまた、この嘘に関わるつもりでいるのだと気づき、胸が張り裂けた時と同じように凄まじく痛んだ。

 

「リンディ…」

『あんたっていっつもそう! 勝手に決めて勝手にどっか行って勝手に傷ついて……おいていかれる私たちのことは見向きもしない‼︎ 勝手すぎるのよ、昔から‼︎』

 

 ぎゃーぎゃーとぶつけられる、これまで抑えていた分も合わせた不平不満の数々。

 目に余る女ど自分を大切にしない親友を、付き合っていられないと何度も見限ろうとし、結局そうできずにずっと続いてきた仲。

 

 リンディはやはり、大好きな親友が手の届かない場所に行くことに、耐えられなくなったようだ。

 

『だから私だって勝手にするわよ‼︎ あんたの意思なんか聞いてやらないっ……私たちの思いを全部背負って、それでも生きなさいよ⁉︎ 頑張ってみなさいよ‼︎ ……お願いだから、生きてよ……‼︎』

 

 泣きながら叫ぶ、リンディの声。

 彼女の声に混じって聞こえるのは、おそらくはアースラのクルー達の声だろう。全員で泥を被り、アインを見送るつもりなのだ。

 

 いつしか、アインの目尻からボロボロと涙が溢れる。

 長い間一人で戦い続け、すっかり壊れてしまった涙腺が、アインの本音をこれでもかと溢れさせているらしい。

 もう君値を表に出すことはあるまいと思っていたのに、みっともなく顔中をぐしゃぐしゃにしてしまっている。

 何と情けない話であろうか、とアインは思わず自嘲する。

 

 気づけばアインは、艦体から手を離していた。

 次元間に生身で放り出され、目に見えない流れに翻弄されながら、次元航行船からあっという間に引き離されていく。

 

 それを見て、アインは小さくため息をつき、胸元から下がるスペードの形のペンダントを睨んだ。

 

「…………ブルースペイダー、お前もグルか」

【……Sorry, sir.】

 

 やや皮肉げに、相棒がボソリと答える。

 生身ではまず突破できない次元の狭間を、手ぶらで放り出すなど正気を疑う行いだ。

 

 しかし不死身であるアインなら、普通ではないデバイスを有する女騎士ならば、生き延びられる可能性は格段に跳ね上がる。

 そのために、本来没収されるべき相棒も、手元に残されたままなのだろう。

 

 きっと、最後にこうして地球に来る許可が降りる前から、こうすることを考えていたのだろう。

 

「ひどい奴らだ……お前たちは。こんな私に、まだ生きろというのか……ああ、全く」

 

 アインはフッと微笑み、ブルースペイダーを握りしめる。

 小さく、相棒の力を解き放つ呪文を口ずさみ、光とともにその身に青き鎧を身に纏う。

 

 流れ行く先は、一体どこであろうか。

 人の住めない不毛の地か、弱き生物を殺す修羅の世界か、はたまた陸地の存在しない無の世界か、どこかはまるでわからない。

 ただ何処であろうとも、この不死の体は生き延びてしまうのだろう。

 

「本当に重い、罰だ」

 

 罪を背負ったまま、何をしたいかもどうなりたいのかも不明な、あてのない旅を延々と続ける。

 それはなんと、残酷な罰なのだろうか。

 

 生きろと願われることが、こんなにも苦しくて切ないことだったのかと、アインはふっと皮肉げに笑みを浮かべた。

 

「まだ何もない……だが、そうだな。探してみるとしようか」

 

 極彩色の空間を、青の女騎士が揺蕩っていく。

 流れに逆らうことも、進むこともせず、アインという名の女は、自分も知らないどこかへと消えていくのだった。


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