【完結】ToLOVEるダークネス 黒天の魔皇女帝《ヴァンパイア・エンプレス》 作:春風駘蕩
「あ-……ひどい目にあった」
頬に大きな紅葉マークができたリトは、涙目でつぶやきながらスーパーの中を歩く。
怒り心頭のナナをモモの助けを借りながらなだめた後、何とか洗濯物を取り込んだ美柑から買い物を頼まれたのだが、その時送られたのは「またかこのバカ兄貴」とでもいうような乾いたまなざしだった。
妹からそんな視線を向けられるのは、普通に怒られるよりダメージが大きい気がした。
「さて、頼まれてたものは買ったし、そろそろ帰るか」
悲しい気持ちを押しのけ、さっさと役目を果たそうと買い物カゴの中身を確認したリトは、レジへ向かおうと踵を返す。その際、通路の途中に置かれている特設棚に目が止まった。
並べられているのは、ハロウィンに際して発売された新作のお菓子で、オレンジと黒のコントラストが目立っていた。
するとリトの脳裏に、今朝のララの表情が蘇った。
「少しぐらいなら、買って帰ってやるか」
もうとうにイタズラされた身だが、このぐらいの楽しみぐらいはあってもいいだろう。というか、コスプレするよりは誰かにお菓子をあげる立場に回ってみるのも面白いかもしれない。
「あいつ、こういうイベントとか好きそうだもんな」
いつも元気で、地球のお祭りやイベントには必ず参加したがるララの笑顔を思い浮かべたリトは、レジ台にカゴを置く前に、目についたお菓子の袋を吟味し、気に入った一つを手に取った。
会計を終えてスーパーの外に出たリトは、頭上の空を覆う黒々とした雲の分厚さに顔をしかめさせた。
「うわ……これ、早く帰らないと降ってきそうだな。傘持ってきとけばよかったかな」
しかし、今日は一日晴れの予報で、ついさっきまで雨が降る様子などなかったはずなのだが。
困り顔で天を仰ぐリト。その肩に、ちょんちょんと叩かれる感触があった。
「リ~ト~く~ん」
驚いたリトが振り向くと、そこには帽子を深くかぶり、サングラスでおしゃれな変装をした一人の少女の姿が。
「る、ルン⁉︎ なんでここに⁉︎」
「お仕事でね、今回のライブでコラボする人と打ち合わせに来たの! そしたらリトくんを見つけたってわけ!」
今をときめくアイドルが一人でこんなところにいることに驚き、つい大きな声で反応してしまうが、幸い周りに気づいた者はいないらしい。
「で……その、コラボの相手ってのは?」
「う~ん、この辺で待ち合わせってことになってたんだけどね~。リト君を見つけてついフラフラ~、と」
「いや、そんな蝶みたいに……」
「やだ♡ リト君たら私を蝶みたいだなんて♪」
「お、おう」
頬に手を当てていやんいやんと照れるルンのポジティブシンキングに、リトは返す言葉が見つからない。まぁ、モチベーションの上昇に役立ったならいいが。
「じゃあね、リト君。今度のライブ、よかったら来てね♡」
「あ、ああ。頑張れよ」
会話できて満足したのか、ルンはとびきりのスマイルをリトに送ってから歩き去っていった。
残されたリトは苦笑し、ライブの日程はいつだったかな、などと考えながらスーパーを後にした。
そしてしばらく歩き続け、帰路の途中にある商店街に入った時だった。
その音色が聞こえてきたのは。
「あれ……なんだろ、この音」
風に乗って流れてくる、絃を弾く音。リトの足は思わず、音のするほうへと流されて行っていた。
商店街の住人も、そして買い物客たちもその音に囚われたかのように足を止め、フラフラと一か所に集まっていく。まるで、香りに惹かれる蝶のように。
商店街の半ばには、イベントなどでストリートミュージシャンや芸人が使用するステージがあった。ただ台が用意されているだけの簡素なものだったが、そこにあった存在を目にした瞬間、そんな感想は跡形もなく消え去った。
そこには、女神がいた。
蜂蜜色に輝く金色の髪をツーサイドアップにし、鮮血の色の髪留めで止めた長身の美少女。
陽光を反射し、眩しい輝きを放つ髪の下にあるのは、その輝きに負けないくらいに整った顔立ち。柳のような眉にスッと伸びた鼻、ぷるんとみずみずしい唇と、ララ達とはまた別次元の美しさ。
フリルのついたドレスを纏うのは、モデルも羨むであろう程のグラマラスな肢体で、わずかにのぞいている肌は白く、艶めかしい魅力にあふれている。
そのたおやかな指先は一変して躍動的に動き、寸分の狂いもなく絃を操っている。長い睫毛が縁取る瞳は閉じられ、彼女の耳だけが完全に音色を捉え、把握していた。
「……スッゲェ」
語彙も何もない、ただただ惚けた表情で溢れたつぶやき。それこそが、この場にいた全員が真っ先に心に抱いた感想であり、もっともその音を言い表すのに適したものだった。
リトや人々は知らないが、この曲は
どんな言葉も陳腐な褒め言葉や幼稚な絶賛にしかならず、ただ聴き届けることがその旋律への最大限の礼儀だと、誰もが心で理解していた。
「ああ……なんと心地いい音色か」
ほかの人々に交じり、その音楽に酔いしれていたリトだったが、不意に隣から聞こえてきた覚えのある声にぎょっと目を見開き、我に帰った。
「美女の気配をかぎつけ、馳せ参じてみたが……これ程の曲の前ではどんな称賛も
狸のように丸々とした体に、丸い黒サングラスをかけた特徴的な髪形の男、リトが通う彩南高校の校長が、まるで悟りを開いたかのような微笑とともにはらはらと涙を流しながら演奏を耳にしていたのだ。
普段からパンツ一丁の姿で大はしゃぎしている姿しか見ないために、リトは一瞬だれかわからなかった。
(校長がなんか聖人みたいな雰囲気を醸し出してる‼ セフィさんが来たときみたいに‼)
「長生きはするものですなぁ……まるで天にも昇る心地だ……」
かわいい女の子や美女があらば一瞬でケダモノのような変態へと変貌してしまうはずなのに、おとなしく、というか別人のように穏やかにたたずんでいる。はっきり言って気持ち悪くて仕方がなかった。
微妙な不快感を覚えてしまったリトだったが、急に周囲から万雷の喝采が聞こえてきて目を丸くする。そして、いつの間にか音楽が止まってしまったことに気が付き愕然となった。
「あ……終わっちゃったのか……」
いらないことに気を取られたせいで、せっかくの演奏を聞き逃してしまってがっかりするリトだったが、ふと視線を感じて振り向いた。
旋律を奏でていた少女が、リトに向かって柔らかく微笑んでいたのだ。
「!」
それを見た瞬間、リトはまるで自分の心臓が握り締められるかのような錯覚を覚えた。どきどきと心臓がうるさく鼓動し、顔の温度が異常に上昇していく。
だが、リトが硬直した一瞬の間に少女の周囲に人が集まり始め、かと思えば示し合わせたかのようにバラバラに散っていってしまう。校長までもが恍惚とした表情のまま何処かへと去っていく中、気が付いた時には、少女の姿はステージの上から跡形もなく消えてしまっていた。
「え……? あ、あれ?」
見間違いか、と思いもう一度人をかき分けて少女の姿を探すが、先ほどまで圧倒的な存在感を放っていた少女の姿はどこにも見えない。
辺りを見渡しても、ぞろぞろとどこかおぼつかない足取りで散っていく人々の姿しか見えず、まるで幻でも見ていたかのような錯覚まで覚える。
「あの子……どこ行っちゃったんだ?」
あいまいな精神のまま、リトがなおも少女の姿を探そうと一歩を踏み出したとき、リトの足がもつれて大きくバランスを崩した。
「おわっ⁉」
「っ!」
顔面から倒れかけたリト。その鼻先に、何か柔らかいものに包まれた。
一緒に倒れこんだそれから聞こえてきた小さな悲鳴に、リトははっと目を見開いて硬直した。
自分が顔を突っ込んでいるのは、かわいらしい誰かの下着。倒れこんだ際に大きく足が広がってしまい、特殊素材のスカートがまくれあがっている。
そのうえリトの左手はささやかながら柔らかいふくらみをつかんでしまい、一部分が固くなっているのを感じ取ってしまう。
がたがたと震えながら真っ青な顔を上げたリトは、自分が押し倒してしまった女の子、ヤミの鋭い目を凝視した。
「結城リト……あなたはまたしても……」
「や、ヤミ……‼︎」
真っ赤な顔で自分の尻をつかんでいるリトを睨みつけ、わなわなと拳を掲げていくヤミ。そして、彼女の長い金髪がざわざわとうごめきだし、その毛先が収束して無数の刃や凶器へと変貌していった。
宇宙に名を馳せる殺し屋「金色の闇」。
「殺します」
「だから事故だって―――‼︎」
即座に逃げ出したリトに向けて、ヤミの髪からくり出される凶器の嵐が襲い掛かる。何十回繰り返されてきたか知らないが、そのたびに逃走劇が人外じみたものになりつつあった。
ビュン、と普段から続く攻防によって鍛えられた健脚により、ヤミの怒りから逃れようと走り続けるリト。
その進行方向に、一人の女子生徒が通りかかった。
古手川唯。リトのクラスメイトで、彩南高校の風紀委員として生活を取り締まっている、黒髪でグラマラスな女の子だ。
「えっ? 結城くん⁉︎」
「うぇ⁉︎ 古手川、そこどいてくれぇぇぇ‼︎」
「きゃああああ⁉︎」
目を丸くして立ち止まってしまった彼女を前にして、リトは今更止まることができない。その上小石に蹴つまずき、リトは古手川の方へ顔面からダイブする羽目になった。
倒れ込んだ二人は、いつものごとくあり得ない体勢で絡み合ってしまう。パンツが脱げるわ胸を揉んでしまうわ、公衆の面前でとんでもないことになってしまった。
「は、ハレンチな‼︎」
「ご、ごめん古手川! いやあの、本当にわざとじゃなくて……‼︎」
風紀に厳しい彼女にしてみれば、リトのこの体質には困ったものだ。無自覚ながら思いを寄せているならなおさら。
いつものように凄まじい剣幕で怒られ、どもりながら真っ赤な顔で謝り倒すリトだったが、今はそんな場合ではなかった。
「ハッ!」
「ようやく、止まりましたね……?」
ゆらりと、我に返ったリトを冷たい殺気が襲う。
ちゃきりと整列した無数の刃に取り囲まれ、尋常ではない量の冷や汗が背中を伝った。
「のわあああああああ‼︎」
「きゃあああああああ‼︎」
再び猛攻にさらされ、リトは涙目で悲鳴をあげながら逃走を再開した。
一応近くにいた古手川には当たらないようにされてはいたが、目の前で凶器が荒れ狂っているのはやっぱりちょっと怖かった。
せっかくの演奏の余韻が、一瞬で吹っ飛んで騒がしくなってしまう。コレもまた、彩南町の日常の一コマであった。
「ヤミお姉ちゃん、相変わらず素直じゃないなぁ」
その様子を、大好きなぺろぺろキャンディーをなめながら眺める赤紫色の髪の少女が一人。ヤミと同じく変身能力を持ち、ヤミには妹として扱われている少女、黒崎
「せ〜っかく頑張って告白までしたのに、これは
この星で人と関わってきたことで、ヤミのあの反応が照れ隠しであることを知っているメアは、なかなか素直になれない姉に困った子を見る目を向ける。もう少しぐらい、リトのあの体質に寛容になってやれればいいものを、と。
「ネメちゃんもそう思うでしょ?」
そう、隣に立っていた黒い肌の少女に尋ねる。だが長い黒髪の少女・ネメシスは団子の串をくわえながら、リトとヤミの乱闘騒ぎとは別の方向を見つめていた。
その表情は何かを考えこんでいるらしく、そして少しの剣呑さをにじませていた。
「……そうだな」
帰ってきた返事がどこかうつろ気なことに気づいたメアは、訝し気にネメシスの顔を覗き込む。無邪気というか、破天荒な性格の彼女がそんな表情を浮かべているのは初めて見るため、尋ねる声にも若干の緊張が混ざっていた。
「……どうしたの? 怖い顔しちゃって」
「いや……今日はやけに空気がざわついているなと思ってな」
そうつぶやき、ネメシスが見上げる空は、先ほどよりも黒々とした雲が覆っていた。
まるで、水面に黒い雫が落ち、広がっていくかのような不穏さをにじませて。