【完結】ToLOVEるダークネス 黒天の魔皇女帝《ヴァンパイア・エンプレス》 作:春風駘蕩
「ォォォオオオオ……!」
炎の魔王は怨嗟の声のように耳障りな咆哮を放ち、蝙蝠の牙に似た形の相貌でリトたちを見下ろしていた。
漆黒の炎が形作るその肉体は、両足で立ち上がると人間の平均身長の軽く二倍は超えており、見上げるものに凄まじい迫力を味わわせた。頭部から生えた、山羊のように湾曲した二本の角と分厚い鎧だけが物質的な質感を持っていて、暗い曇天の下でも不気味な光沢を放っていた。
「っ!」
最初に動いたのは、ヤミとメアだった。
ヤミが前に出て、無数の武器に変化させた髪を四方八方から炎の魔王に向けて振るう。剣、斧、槌、槍、あらゆる凶器が容赦なく振るわれた。
「ォォオオオオ‼︎」
凶器の嵐が炎の魔王の体を貫くが、それらは全て実体のない体をすり抜け、漆黒の炎を散らすだけでさしたる効果は見られない。
「おわあああああ⁉︎」
「きゃっ⁉︎」
しかし、それでよかった。ヤミの目的は、質量を伴った武器を並べて、リトと春奈を抱えて飛び立つメアを隠すことだった。メアは二人を抱えながら一気に加速し、天高く飛んで漆黒の炎から一刻も離れようとする。
しかし魔王の聴覚はしっかりと、ヤミの攻撃による轟音の中に混じるリト達の悲鳴を捉えてしまっていた。
「オオオオオオオオ‼︎」
「⁉」
全力で攻撃を繰り出すヤミを無視し、ズシンズシンと足音を立てさせながら魔王は炎の腕をリト達に向かって伸ばす。実体がない故か腕は異常に長く伸び、空中にいる三人をはたき落とそうと突っ込んで行った。
「うわった⁉︎」
ただでさえ二人分の体重を支えて不安定になっているメアはかろうじてそれを躱すも、抱えられている二人はただではすまない。
思いっきり振り回され、さらには風圧も加わり、危うくメアがリトをつかむ手が滑り、落下しそうになる。
「ふむっ!」
慌ててメアは無理やり空中で体勢を変え、両足をリトの首に回してキャッチする。メアの足の間に顔を押し付けられて顔を赤くするリトに、メアもちょっと体を震わせながら逃飛行を再開する。
だが、やはり不安定な体勢があだとなり、次に迫ってきた魔王の腕をよけることができなかった。
「きゃうっ!」
とっさに機械的な翼を盾にするメアだったが、空中で衝撃は殺しきれず大きくバランスを崩す。その時、ずるりとしがみついていたリトの手が離れてしまった。
「うわああああああああ‼︎」
「結城リト……! くっ!」
空中から真っ逆さまに落下し、悲鳴を上げるリト。
ヤミが救出に向かおうとするも、灼熱の業火がそれを遮り、まともに飛ぶこともできない。鳥の翼に変身しているため炎に弱く、焦げた羽が嫌なにおいを充満させていた。
「おぶっ! へぶっ!」
しかし幸運にもリトが落ちた先には、生い茂ったどこかの家の庭木が枝を伸ばしており、クッションのように受け止めてくれていた。
それでも背中からアスファルトの上に落下した痛みはかなりのもので、リトはのけぞりながら悶える羽目になった。
「いっ……てぇ‼」
目立ったけがはしてはいないが、それでもまだ動くことができない。
「オオオオオオオオオオ‼」
苦悶の表情で転がるリトを見下ろし、炎の魔王が目を光らせる。口のあたりを凶悪な形に開くと、魔王はリトに向かって勢いよく倒れこんでいった。
目を見開くリトの目の前に黒々と燃える炎の牙が迫り、悲鳴を上げる間もなく少年の体は一瞬で呑み込まれてしまった。
「そんな……結城くん……‼︎」
「せんぱい!」
炎に呑み込まれてしまった思い人を目の当たりにしてしまい、春奈もメアもヤミも悲鳴のような声を上げる。
しかし春奈はリトが死んでしまったと、ヤミとメアは想定していたうちの最悪の展開になったという認識の違いがあった。
(今はそんなことを考えている場合じゃない‼︎)
ヤミは
だが、いまだ炎の中に残っていたリトの影の中から、怪しく光る眼が闇を射抜いた。
「ぅっ……ぅぉおあああああ‼」
悲鳴のような、あるいは怒号のような、普段のリトからは想像もできない咆哮が大気をつんざき、渦巻いていた漆黒の炎が動いた。まるでリトが動かしているかのように、炎が形を持ってヤミに襲い掛かったのだ。
「⁉ あぐっ‼」
予想外の衝撃を受け、とっさにガードしたヤミが吹き飛ばされた。塀を破壊してヤミは倒れこみ、小柄な少女は「かはっ」と強くせき込んだ。
「ヤミちゃんっ! メアちゃん、離して!」
「ムチャ言わないで!」
あんな嵐みたいな場所のど真ん中に置いていけるか、とメアは春奈の無謀な言葉に戦慄する。リトと春奈を安全な場所へ連れていくはずだったのに、そのためにヤミを手伝えなくなってしまったことに歯噛みするほかになかった。
「うっ……くっ!」
思わぬダメージを追ってしまったヤミは苦悶の声を漏らしながら、痛みを訴える体に叱咤し炎に向き直る。
「ぐぅっ……ぅ……!」
炎の中から、リトの苦しげな声が聞こえてくる。まれに見える切れ目の中には、何かを抑えこもうとしている必死な顔が見え、ヤミは悲痛気に表情をゆがめた。
リトに、あの炎が食らいついている。肉体を傷つけるのではない、何かしらの力が働いて精神を侵食しているのだと、リトの様子を見て気づいた。
「待っていてください……今、私が……!」
力を振り絞り、痛みをこらえ、ヤミはリトを救い出すために立ち上がる。衣服が焼けてボロボロになり、痛々しくやけどのできた肌をさらしながら、自身の髪を武器に変化させていく。
その時だった。
「―――どけ、小娘」
聞きなれない声が聞こえたと思った瞬間、リトの姿がヤミの前から消えた。
一瞬だけ遅れて鈍い打撃音が響き、次いで塀を破壊する轟音が耳に届いた。あまりに急なことで反応できず、ヤミは目を見開いたまま硬直してしまっていた。
「……え?」
やっと再起動を果たしたヤミは慌てて辺りを見渡し、遠く離れた場所で倒れているリトの姿を見つけた。
理解が追い付かないヤミの耳に、コツコツと甲高い靴音が届いた。
「……やはり、器を探していたか。しかしよりにもよって……」
振り向いたヤミの目の前に、その少女は姿を現した。
先ほど商店街で見事なバイオリンの演奏を披露していた美しい少女が。
「なぜ、あなたが……?」
絶句するヤミが尋ねるも、少女はいまだ燃え盛る黒い炎を、正しくはそれに包まれているリトを凝視したまま、一瞥すら向けない。ただ、小さく口だけを開いた。
「離れておれ、金色の闇……あれは我が獲物ぞ」
「⁉︎」
宇宙の殺し屋としての名を知っている少女に、ヤミは警戒心を強める。
しかし少女はそんな殺気じみた視線を気にすることもなく、リトのほうへと徐々に近づいていく。
「退くがいい、魔王よ。この地に貴様が求める敵など誰もいはしない。貴様のいた時代はとうに遥か過去のものとなった、大人しく貴様の棺の中へと帰るがいい」
怒りをにじませた声で、少女は今度はリトではなく漆黒の炎を睨む。リトに向けるものとは明らかに異なる、底冷えするようなまなざしだった。
『……ファンガイアの、皇女か』
そんな声が、リトの口から漏れ出た。
リトのものではない、老人のような青年のような、寒気を感じさせるいびつな声だった。リトに取り憑いている何かがその声を発させているのだと、ヤミにも分かった。
『その血に刻まれし誇りも忘れ、脆弱な人間に迎合した愚か者の末裔よ……何の用だ』
「貴様に興味などない。あるのは……そやつじゃ」
少女の目が、リトを捉える。炎に向けるものとは異なる、執着じみた光を宿した瞳が、リトの目を射抜いていた。
「キバット!」
「よっしゃあ! キバって、いくぜ‼︎」
少女の命令で、一体の金色の何かが飛来した。
小さな翼に大きな三角の耳を持ったそれは、体のほとんどが顔という奇妙な姿をしていたが、蝙蝠に似た姿をしていた。何よりも驚きなのは、それが流暢に口をきいていたということだった。
「ガブ!」
蝙蝠は少女の差し出した左手の甲に噛みつき、鋭い牙を肌に突き立てる。すると、牙の突き立てられた部分に奇妙な模様が浮き上がっていき、腕を通って少女の顔にまで伸びていく。
ステンドグラスのようなその模様は妖しい輝きを放ちながら広がり、少女の頬に牙のような意匠を刻み込んでいく。
すると、何もなかった少女の背後の空間から鈍色の鎖が出現し、少女の腰に巻きついて絡み合っていく。一瞬、歪なガラスのように形と色を歪めたそれは砕け散り、その下から紅色のベルトを出現させた。
バックル部分の中心に魔法陣のようなものが刻まれ、上部に止まり木のようなものがついたそれは、少女の腰元で異様な威圧感を放っていた。
「―――変身」
瞳を赤く輝かせた少女は小さくつぶやき、蝙蝠はそれを合図に少女のベルトにぶら下がり、背中を預ける。
その瞬間、ベルトと蝙蝠を中心に空間に波紋が広がり、少女の姿が鏡面のように色を変える。ぐにゃりと形がゆがんだかと思うと、その表面がガラスが割れるような甲高い音とともに砕け散った。
「なっ……」
目を見開いたまま硬直するヤミの目の前で、少女の姿は一瞬にして変貌していた。
その姿は、まさに異様だった。
大きく、形よく膨らんだ胸元や引き締まった腰、すらりと長く伸びた脚を覆う、艶やかな光を反射する漆黒の皮のインナー。
バラのような黒い模様の入った、鮮血のように赤いドレスと甲冑に、鈍く光る白銀の鎧。そして、内側に眠る何かを封印するように両肩と右脚に巻き付いた太い鎖。
翼を広げたコウモリを表した髪飾りでツーサイドアップにまとめた、黄金のように見事な長髪。
月の光を凝縮したような輝きを放つ、神秘的な瞳。
この世のものとは思えない、美の全てが完璧に揃えられたかのような容貌を持て余した、名も知らぬ少女。
暗い闇の中で一人、威風堂々と立ちふさがるその姿はまるで、怪奇の物語の中から抜け出したかのような様だった。
「……吸血鬼」
メアに守られ、塀の陰に身を潜めていた春奈が呆然とつぶやく。
宇宙人や幽霊など、いろいろと非常識なことに慣れてきたと油断していた彼女の前に、本物の〝幻想世界の住人〟が姿を現していた。
「返せ。それは
赤く瞳を輝かせる少女の声が、不思議な響きを持って放たれる。その言葉に、炎があざ笑うように揺らめいた。