【完結】ToLOVEるダークネス 黒天の魔皇女帝《ヴァンパイア・エンプレス》   作:春風駘蕩

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2.Night-mare 〜悪夢の夜〜

 そこは、闇の中だった。

 街の光どころか、星や月の光すら無くしたらこうなるんじゃないか、そう思わせるほどに深く重い闇の中に、リトは一人立ち尽くしていた。

 光源など皆無だというのに、ぼんやりと自分の手足は見える。不思議な気分だった。

 

 ―――……ここ、どこだ?

 

 声の響きも不思議な感じだった。洞窟の中で反射しているような、もしくは出した声が頭の中で反響しているような、空気が振動して伝わっているわけではないのは確かだった。

 

 ―――夢、かな……。

 

 そう思うのだが、何となく違う気がする。

 いつだったか、メアと何度かこういった経験をしている。精神に侵入できるメアの力によって夢の中に干渉されたり、別の人の夢の中に入ったりした時とよく似た感覚だった。

 その時の感覚は現実とほぼ同じ質感があったのに対して、今は何も感じないというのが違いのようだが。まるで、感覚器官が引きはがされているようだった。

 

 ―――まいったな……早く起きないと美柑に叱られちまうのに。

 

 もしかしたら起きたらまたモモが布団の中に潜り込んでいて、自分の寝相とやらのせいで凄いことになってるかもしれない。何度も繰り返してきたために、想像するのは容易だった。

 しかしそこで、あることに気づく。

 眠りにつく前の自分は、いったい何をやっていただろうか、と。

 

 ―――ん?

 

 ふと、リトの視界の内に変化が現れた。

 陽炎のような空間の揺らぎが真正面に起こったかと思うと、徐々にそれが大きく広がっていく。真っ黒い空間の中に、それと同じだけ黒い炎の塊が生じ、急速な勢いで膨れ上がって形を成し始めたのだ。

 

 ―――な、なんだこれ……⁉

 

 リトは目の前で起こっている現象に戦慄し、炎から離れようともがく。しかし自身の体は空中に浮いているかのようで、その場から1ミリも動くことができなかった。

 膨張する炎は轟々と唸りながら広がり、二本の湾曲した角を生やした悪魔の形相を形作り始めた。口にあたる部分がカッと開き、ブラックホールのような黒い渦の入り口をリトに見せつけてきた。

 

 ―――うわああああああああ‼

 

 悲鳴を上げ、迫りくる巨大な穴に恐怖の形相を向けてしまう。抗うすべはなく、近づいてくる口を前におののくほかにないリトが、思わず固く目を閉じたときだった。

 

 

 ―――……大丈夫、大丈夫だよ。

 

 

 不意に、声が聞こえた。

 ふわりと白い手がリトの肩を抱き、力強く引っ張り上げていく。怒りの咆哮を放つ悪魔から引きはがすように、華奢な手がリトを救い上げていった。

 背後から、まばゆい光が照らしてくる。一体だれかとリトが振り向こうとするも、光はそれがだれかすらわからないほど強く輪郭程度しかわからない。

 ただ、聞こえてきたその声は。

 聞き覚えのある、優しい声だった。

 

 

 瞼を照らす本物の光が、リトの意識を勢いよく呼び戻す。

 妙に重く、鈍い痛みが走る体は動かず、仕方なく首だけを動かしてリトは辺りを見渡す。

 全く見覚えがない部屋だ。自分の部屋よりも10倍くらいは広く、一人で十分だったはずのベッドもやたらでかい。しかも異常なほどに柔らかくふかふかしている。そしてなぜか屋根がついている。

 

「…ここ、どこだ。ん?」

 

 血が回りきっていない頭で理解しようとするリトだったが、ふと顔に感じる妙な圧迫感に気が付いた。

 何度か感じたことのある、その中でもトップクラスの柔らかさと温もりを持ったそれは、むにゅりと優しくリトの横顔を包み込み、ほのかな甘い匂いを漂わせている。

 わずかに顔にかかる蜂蜜色の糸の束の中に覗く、浮世離れした少女の美貌を見て、ようやくリトの脳は覚醒した。

 無論少女は、乳房や臀部など隠す衣類は、何も身に着けていなかった。

 

「ほあああああ⁉︎」

 

 リトは悲鳴を上げて後ずさり、天蓋付きのベッドから転げ落ちた。違和感があると思ったら、自分も全く衣服を身にまとっていなかった。

 

「……ん、んぅ」

 

 リトの騒がしさで目が覚めたのか、眉間にややしわを寄せた少女が体を起こした。くせ一つない長い髪が白磁のような肌を流れ、色のコントラストに思わず息をのむ。ごしごしとこする眼から覗く鮮血のような赤い瞳には、蠱惑的な魅力を感じて背筋が震えた。

 

「な、ななな、なな、な」

「……おお、目覚めたか。なかなかにうなされておったゆえに案じたぞ」

「だ、だっだっ、だれ、ですか⁉︎」

 

 古手川並の巨乳やカモシカのようなしなやかな足を隠す気配は一切なく、寝ぼけ眼のまま少女はリトをじっと見つめる。

 なぜかその目は、寂しげに見えた。

 

「……覚えておらんのか」

「え?」

「……まぁよい」

 

 顔にかかった金髪をかきあげ、少女はリトに向き直る。全裸だというのに全く恥ずかしがらず、堂々とした態度はある種の気迫を感じさせた。

 ララもよく裸でうろつくが、少女の場合は見えない鎧でもきているかのようだ。

 

「我が名は琴音・K・ヴラド。ファンガイアの皇女じゃ」

「ふぁ、ふぁんがいあ?」

「うむ。吸血鬼のようなものじゃ。生憎とハーフゆえに継承権はないがの」

 

 いきなり凄い単語が返ってきたが、不思議な人間には慣れていたので聞き流す。この程度で驚いていては、宇宙人や幽霊とはやっていけまい。

 

「ご、ご丁寧に。俺は……」

「結城リト、じゃろう?」

 

 名乗る前に語られて、リトは驚きで目を見開く。一方で少女、琴音はいたずらが成功したかのような満足げな笑みを浮かべていた。

 

「な、なんで俺のこと……」

「なぜも何も……妾は何でも知っておるぞ。ぬしにかかわること、すべてを」

 

 意味深な色っぽい流し目を送り、琴音はリトをじっと見つめる。

 胸の内を覗き込まれそうな眼差しに、リトは思わずたじろぎ、後ずさる。なんだか落ち着かない相手だと感じていた。

 

「そ、それでその……オレはなんでこんなところに?」

「覚えておらんのか。―――ぬしはつい先日、肉体を奪われ精神を食い潰されそうになったというのに」

「……えっと、どういうこと?」

 

 物騒な言葉を聞き、リトは冷や汗をかきながら尋ね返す。

 少女はあきれた様子で、じとっとした視線をリトに向けた。

 

「言った通りじゃ。ぬしの中には今、我らの中で魔王と呼ばれる存在が巣食っておる。妾が封じねば、ぬしは今ごろ掻き消されておっただろうな」

「お、オレが、消される……⁉︎」

 

 ぶわっとリトの背中を大量の汗が伝った。さっき変な夢を見た余韻が残っているせいか、嫌な予感がして仕方がない。覚えのない痛みや疲労感もそのせいであろうか。

 

「アークめが何を考えておるのかは知らんが、ぬしを器として選んだ。奴の力は強大じゃ。今は妾が押さえ込んでおるが、いずれ奴の力に飲まれ消滅するじゃろう」

「ちょ……ちょっと待ってくれよ! さっきからわけわかんないことばかりで、もっとわかりやすくいってくれないか⁉︎」

「……ぬし、本当に覚えてないのか?」

 

 あきれを通り越し、逆に心配そうな視線を向けられ、リトは戸惑いながらも記憶を辿る。

 すると、稲光のように脳裏に記憶が蘇った。自身にまとわりつく黒い炎、救い出そうと戦いに繰り出すヤミとメア、自分に手を伸ばす春菜の泣きそうな顔。

 矢継ぎ早に、その記憶が蘇ってきた。

 

「思い出したようじゃの。ぬしに何があったのか…」

「さ、西蓮寺は⁉︎ ヤミとメアは無事なのか⁉︎」

「金色の闇は多少傷を負っておったが、命に別状はなかろう。他も同じじゃ」

「よ、よかった……」

 

 ほっと胸をなでおろすリト。力の奔流に抗うのに必死で、彼女らの無事がわからなかったことが気がかりだったのだ。

 

「これで分かったじゃろう。今のぬしは不発弾のようなもの、迂闊に外へは出せんのじゃ」

「……話はわかったけど、みんな心配してるだろうし……悪いけどここで」

 

 琴音がリトを連れ出した理由もわかった。だが自分の目で春菜たちの無事を確かめたい気持ちも強く、このままさらわれたままというのも情けない気がした。

 じっと見つめてくる琴音に会釈し、リトは申し訳なさそうに頭をかきながら膝を立てた、が。

 

「―――ならん」

 

 立ち上がろうとしたリトの手首が、華奢な手からは想像もできない剛力で捕まれ、カーペットの上に押さえつけられる。

 仰向けに倒されたリトの目の前に、昏く目を濁らせた琴音がずいと覆いかぶさった。

 

「ここから逃げ出すことは許さん。どこかへゆくことも、姿を消すことも許さん……我の前からいなくなるなど、絶対に許さん」

「え、と、あの……でも」

「今の主は妾のものじゃ……ぬしの生は、今は妾が握っておる」

 

 光の消えた両の目がリトの目を射抜き、その闇の深さに背筋が震えた。底のない深い井戸を覗き込んだかのような恐怖感が、リトの中でこびりついていった。

 青ざめるリトの表情を見た琴音の口元が、ニヤリと三日月のように歪んだ。

 

「そう怯えるな―――我慢できなくなったらどうする」

 

 サディスティックな笑みを浮かべた琴音の顔が、徐々にリトの方へと近づいていく。歪められた唇の中に覗く、鋭い二本の牙を目の当たりにした時、リトの心臓は早鐘のように響き始めた。

 少女の艶めかしい唇が、あと数ミリでリトに触れる……。

 

「おーい、琴音。朝食できたから少年と一緒に……」

 

 その瞬間、ノックと同時に開かれた扉の奥から現れた金色の蝙蝠の声が割って入り、琴音はピタリと動きを止めた。

 一方の蝙蝠も二人の姿を目にした瞬間動きを止め、しばらくその場でホバリングしていたかと思うと、何も言わずに扉を閉め始めた。

 

「……お邪魔しました~」

「ちょっ! ほったらかしにしないで!」

「お、お前らー! 琴音が、琴音がついに大人の階段を―――‼」

 

 リトの制止を聞く間も無く、ものすごい勢いで飛び立った蝙蝠が誰かに向かって叫びまくっている。

 誤解を解けなかったリトは言葉を失い、このあと起こるであろう騒ぎに戦慄する。

 

「……興が醒めたわ」

 

 ポリポリと頭をかいた琴音は舌打ちしながらのき、キバットが使った扉とは違う扉の方に向かった。

 その隙にリトは、ベッドからシーツをひったくって体に巻きつけ、すぐ近くにあった窓に手をかける。何が何だかわからないが、逃げたほうがいいのは確かだった。

 そこへ、扉をくぐった琴音が振り向いてきた。

 

「ああ。逃げようなどとは思うなよ? 今のぬしの体は、ぬしの采配でどうにかなるものではないからのう……もっとも」

 

 ギィ、とドアが閉まる直前に、蠱惑的な微笑を浮かべて告げる。その様はどこか、罠の中に捕らえた獲物をいたぶる肉食獣を思わせた。

 

「ここからどこへ、いったいどうやって逃げるつもりなのか。できるものなら見てみたいものじゃがの」

 

 扉が完全に閉まった瞬間、リトは勢いよく部屋の窓を開く。

 その瞬間凄まじい風によってカーテンが捲り上げられ、バサバサとはためいた。

 

「……うっそぉ」

 

 窓の外を目にしたリトは、呆然と声を漏らす。

 窓の下に、地面などなかった。二階や三階どころではない、雲よりも高い空の上に、リトはいたのだ。

 そして自分がいる部屋は、上空1万メートルを飛行している巨大なドラゴンの体の中だと気づいたのは、しばらくして我に返ってからだった。


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