陽も陰り始めた頃、岩肌が目立つ海岸に何隻かのボートが到着した。
船から降りたものたちは、大荷物を抱えながら波打ち際を越えて島に降り立つ。
「明日歌〜! ひさしぶり〜‼︎」
その中の一人、キャップをかぶった中学生くらいの少女が明日歌の元へと駆け寄り、がっしりと抱きついた。抱きつかれた明日歌は複雑な表情になりながら、少女の抱擁を受け入れていた。というか、諦めているようだった。
「元気だった? 仕事以外で連絡くれないから心配だったんだよ〜!」
「やめい、わしわしせんでくれい。年下にそういうことをされるのが一番くるんじゃ」
実家にいる犬への扱いのようにワシワシと頭を撫でられ、さすがに明日歌も抗議の声をあげた。
二人並ぶとどう見ても少女の方が年上に見えるが、何度もいうようだが明日歌は17歳である。年下の子供どころか人間扱いさえされていないようで、明日歌は非常に虚しくなった。
「アキラよ、まさかおぬしが来るとは思わなんだわ。修行の方はどうじゃ?」
「当然、良好だよ! 先輩として恥ずかしいところは見せられないからね」
胸を張る少女・あきらだが、残念ながら明日歌ほどの揺れはなかった。逆に腕を組む明日歌の胸元が激しく自己主張している姿を見て、ヨヨヨと涙を流す羽目になる。身長は勝っているのに、女としては完全に負けていた。
「久しぶりだね、明日歌ちゃん。元気そうでよかった」
「久しぶり! ちょっと背が伸びた?」
「イブキ、トドロキ。関東支部からよう来てくれた。助かるぞ」
涙に暮れているアキラをよそに、到着した他の鬼たちが明日歌に挨拶をしにくる。アスカは笑顔を浮かべ、手を差し出す男たちと固く握手を交わしていった。
そんな光景を、一護は少し離れたところから眺めていた。服の上からでもわかる鍛えた体を持つ男たちと対等に話している明日歌の姿に、不思議な感覚を覚えていた。
「……普通の人間と変わんねぇもんだな、鬼ってのは」
昨日見た、明日歌の戦う姿。明日歌から聞いた、差別と偏見に満ちていた時代を生きていた戦士たち。
他がその実態は、普通の人間と大して変わらずに見えた。異形の力を持つとは思えない、人と関わりを取っていた存在とは思えなかった。
「……で、この子は誰?」
ふと、明日歌と話していた男の一人でトドロキと呼ばれていた男が、一護の方を向いて尋ねた。
彼の向いた方を振り向いた明日歌が、忘れていたとばかりに「あ」と声を漏らした。
「地元の子かな? でも見たことない……っていうか、なんか嫌な気配を感じるんだけど」
「おお、言っておかねばの」
ぽりぽりと頭をかいた明日歌が、若干言葉を選びながらどう言おうかと考える。しかし結局、余計なことを言うことはやめたようだった。
「死神代行の黒崎一護じゃ」
その瞬間、ざざざざっと凄まじい勢いで鬼たちが退行し、一護から距離をとった。
「ちょっ……待って待って! とりあえずあんまこっちこないで‼︎」
「ごめん! 気味が悪くないのはわかってるんだけど、もう少し距離を開けてくれると助かるかな⁉︎」
「その反応はもうええわい‼︎」
「……こっちでもこんな感じかよ」
今朝のルキア達がこんな感じだったなと思いながら、両者が出会ったらとんでも無いことになりそうだと唇を締めてにやけ顔を隠す。
すると笑いを噛みしめていることに気づいたのか、あきらが明日歌を抱き寄せて一護から必死に距離をとった。
「明日歌ダメだよ‼︎ その男から離れて‼︎ 穢される‼︎」
「人を雑菌扱いすんじゃねーよ‼︎」
まるで変質者に対する保護者のように、明日歌を抱き寄せて睨みつけるあきらに、さすがの一護もキレる。死神と鬼の掟は聞いたばかりだが、さすがにここまであからさまな反応をされるのは我慢ならなかった。だからと言って明日歌のようにからかうつもりなどないが。
「な、なんだってこんな島にまで死神が……?」
「あくまで代行らしいぞ? それに、こやつの本業は学生じゃ。社会科見学だのなんだので、この島に来ておるらしい」
「くっ……そう言うことなら、納得するしかないけど……!」
出て行け、と強く言うことができず、あきらは臍を噛む。そして代わりに、半目で見つめてくる一護をキッと睨み返し、ビシッと人差し指を突き出した。
「いいこと? あんまり私の明日歌に近づくんじゃないよ!」
「へいへい……」
「おい、いつからわしはぬしのものになった」
今もなお腕の中でもがいている明日歌は抗議の声をあげると、手を解いてあきらの元から離れ、一護をかばうように前に立った。
「あまり邪険にせんでやってくれ。こやつはいい男じゃ、わしのことも気遣ってくれるしの」
「……そう」
後輩がいうなら、とあきらは渋々矛を収め(まだ一護を睨んでいたが)、唇を尖らせながらトドロキたちのいる方へと戻っていった。
明日歌は一護の方に振り向くと、申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「悪いが一護、しばし席を外してくれんか? やはりこやつらには慣れぬようじゃ」
「ああ。悪い、邪魔したな」
一護は素直に従い、明日歌たちに背を向けてその場を離れる。もともと無理に鬼たちを見に来たのだ、これ以上居座って迷惑をかけるわけにはいかない。
岩場を歩いていく一護の背を見送り、明日歌はフゥとため息をついた。
「やれやれ」
「……ねぇ、明日歌」
「ん、なんじゃ?」
そんな彼女の背中に、船の近くに戻っていたあきらがまた声をかける。今度は明日歌を甘やかす猫なで声ではなく、どこか不安げな雰囲気を帯びたか細い声だった。少しの間、口元に出かかった言葉をためらうようなそぶりを見せてから、まっすぐに明日歌を見つめて尋ねた。
「本土に、戻ってくる気はない?」
「ないぞ」
「……即答かぁ」
予想よりも早く答えた明日歌に、あきらは半ばわかっていたように苦笑を浮かべた。何度も繰り返し、同じ答えを受け取った質問なのだろう、あまり残念そうには思えなかった。
「でもね、明日歌にとって、この島は狭すぎると思うんだ。明日歌には十分実力があると思うし、もっといろんな場所でいろんな経験を積むことだって……」
「……すまんがの、やはりわしは師匠についていきたい。師匠の元で学びたい」
ぽりぽりと頭をかき、明日歌はあきらに詫びる。岩場に立つ二人の間にはわずかながらも距離があり、それは明日歌があきらの申し出を決して受けることがないという暗示にも思えた。
「わしに戦い方を教えてくれたのは師匠じゃ。じゃからもう、わしが学びたい相手は師匠だけとしか思えんのじゃよ」
誇らしげに微笑み、明日歌はあきらに胸を張る。その笑顔は本当に眩しくて、彼女の見た目と相応な無邪気なものに見えた。
後輩の意志が決して変わらないことを察したあきらは苦笑し、呆れたように肩をすくめた。
「あーもう……頑固なんだからさ」
「惚れた弱みという奴じゃ。許せ」
「わかったわかった。もう言わないよ」
パタパタと手を振り、やってられないとばかりに首を振る。
あきらは自分も似たようなものかと思い直し、イブキたちが荷物を降ろす作業を手伝う。氏の元で長く学びたいと思うのは誰しも思うことだ、自分が変えられない思いを他のものに変えさせるのはまず無理だろう。
まぁ、またこの島に来た時に同じことを尋ねるかもしれないが。
くすっと笑った明日歌は、あきらたちに背を向けて森の方に歩き始めた。
「ではわしは、しばし見回りをしてくる」
「大丈夫なの?」
「案ずるな、少し見てくるだけじゃ。……最近、森が妙にざわつくのでの」
顔を上げて訪ねたあきらに答えてから、明日歌は一瞬だけ鋭い視線を森に向けた。相変わらず森は妙な生暖かい風が吹き、明日歌の髪を揺らしている。最近になって感じ始めるようになった嫌な気配に警戒心を強めながら、あきらたちの見送りを背に受けて歩き出す。
「待たせたの」
森に入る前に、場を離れてもらった一護の元へ立ち寄る。しばらく放置されていた一護は暇そうにしていたが、明日歌が声をかけるとじとっとした半目で彼女を見つめた。
思わず訝しげな表情を浮かべる明日歌に、一護は口を開いた。
「……なんでそこまで、あの師匠に肩入れすんだ」
「む。なんじゃ、聞いておったのか」
先ほどのあきらとのやりとりを聞かれたのだ、とわかった明日歌は若干頬を染めながら視線をそらす。
聞き様によってはカブキへの告白を他人に聞かれたようで、気恥ずかしくもなりながら気丈に振る舞う。勝手に会話を聞いていたことを咎めようかと思ったが、あまりまともに一護の視線と向き合えないためそれも断念した。
「……わしはの、師匠に拾われたんじゃ」
しばらくしてから、明日歌は虚空を見上げながらポツリとつぶやいた。
驚きの表情を浮かべる一護に、苦笑を交えながら詳しく語り始めた。
「何があったかは知らん。じゃがわしは、気づいたらこの島に流れ着いておった。記憶も、身寄りも、なーんも残っておらなんだ」
何も言わずに耳を傾ける一護をありがたく思いながら、明日歌は語る。下手に同情されても、親の顔もまともに覚えていない自分にとっては、捨てられた悲しみや憎しみなど無いに等しいため困るだけだ。
だがそれでも、一人きりだったならば今の自分はいなかっただろうと、苦笑まじりに語った。
「師匠はそんなわしを救い、ここまで育ててくれた。空っぽじゃったわしに世界を教えてくれた……感謝してもしきれん」
何もなかった己に多くのものをくれた師を、明日歌は誇りに思う。憧憬や尊敬を超えて、恋慕に似た感情を抱くまでに。
「じゃからわしは、師匠のために鬼になると決めた。師匠の代わりに戦うと決めた。……じゃから、これでいいんじゃ」
そう言って、ニカッと笑う明日歌に一護は何も言えない。あまりにも純粋な想いに、言葉にできる感想を持ち合わせていなかったのだ。
やがて一護は、誇らしげに笑う明日歌に呆れたような笑みを向けた。
「……お前も物好きだけど、師匠も大概な気がするな」
「確かにの! 師匠もよくわしを放り出さんかったもんじゃ!」
かっかっか!と老獪に笑う明日歌。一途に一人の師を追いかける女に、身よりも何も無い子供を拾って育て上げた男、確かにどちらも物好きで似た者同士だ。
ケラケラと笑っていた明日歌は、ふとあること思い出して宙に視線を彷徨わせた。
「……そういえば、なぜわしをそばに置いてくれたのか一度だけ聞いたかの」
腕を組み、明日歌はその時のことを必死に思い出そうとする。
「なんだって?」
「いや……いつじゃったか、師匠がしこたま飲んで酔っ払った時に聞いたことじゃったが……」
ウンウンと唸り、頭をひねり、明日歌はようやくその時のことを思い出す。
いつも森の小屋にこもり、魔化魍退治にばかり明け暮れながら明日歌を鍛えていた頃。珍しく溜まったストレスを発散させようとしたのか、酒瓶を大量に開けて飲んだことがあったのだ。
酔いのためか、全く自分のことを語らないカブキが口を軽くし、アスカの質問に少しだけ答えてくれたのだった。
「なんでも、昔わしとそっくりな奴とであったらしくての。ーーー其奴のことがチラつくのじゃと」
実に不思議そうな表情で、当時のことを思い出した明日歌は答えるのだった。
ごうごうと風が吹き、海は荒れ狂う。
何物をも飲み込もうとしているかのような波のうねりの中を、一艘の小舟が突き進んでいく。備わっているのは櫂だけで、転覆することを巧みに避けて荒波の中を迷うことなく進んでいく。
だが、その上に乗っているものたちにとって、船の上は地獄だった。
「お、おおお……こ、この揺れはさすがに……‼︎」
口を手で押さえたカブキが、真っ青になりながら小舟の端にしがみつく。歴戦の猛者が船の揺れに圧倒されていると言うのは、なかなか滑稽な姿であった。
「大丈夫かえ⁉︎ もうじきわしの島じゃ、しばし耐えよ‼︎」
櫂を操るアスカに全く動じた様子はなく、風と波の音に負けじと大きく声を張り上げる。
その勇ましい様子に、同じく真っ青になっていたイブキが信じられないものを見る目でアスカを凝視する。まるで化け物を見るような目だ。
「うっぷ……君、よくこんな荒れた海を一人で越えられたね……⁉︎」
「海の女じゃからの。なんじゃ、ぬしら鬼のくせに酔いにはめっぽう弱いの。意外じゃったわ」
「酒に酔うのと船酔いは違うだろっ……」
「これほどの揺れは……予想外……うぶっ⁉︎」
話しているうちにまた吐き気を催してきたのか、カブキとともに口元を抑えるイブキ。その隣には一見平気そうな顔をしているトウキがいるが、さっきから目を閉じたまま一向に動こうとしない。明らかに我慢していた。
思わぬところで、人と変わらぬ親しみを感じて苦笑するアスカだったが、ふとその表情が曇る。荒れ狂う海と、雲が立ち込める空を眺め、違和感に目を細めた。
「じゃが、確かにこの揺れはいつもより……⁉︎」
声に出して思案した時、波の動きが異様な動きを見せ始めた。慌てて櫂を操り、転覆しないように抑え込んでいると、小舟の前方で海面が盛り上がっていくのを目にした。
「な、なんじゃ⁉︎」
アスカは驚愕に目を見開き、櫂を波に取られないように必死に抑え込む。ギシギシと小舟が嫌な音を立てて揺れる前で、海面を突き上げて急上昇し、それは激しい水しぶきを伴って姿を現した。
獅子のごとくたなびく鬣、鹿のように伸びた角、鰐のように伸びた顔と並んだ鋭い牙、
それこそが、アスカの故郷の島を恐怖のどん底に陥れた存在にして、最強の魔化魍。
オロチだった。