曇り空が広がる、ある島の中の集落。土地は痩せ、寂れたその集落に、一組の集団が足を踏み入れていた。
「……まさか、ここまで酷いとは……!」
バラバラになった小舟の残骸を使ってなんとか荒波を越えて泳ぎ続け、アスカはカブキたちとともに久方ぶりに故郷の島にたどり着いた。
見た所、集落に変わりはないように見える。だが人々は以前よりも明らかにやせ細り、衰弱していることが目に見えてわかった。大した期間ではなかったはずだが、それでも仲間がここまで苦しむまで時間がかかってしまったことに、アスカは己の不甲斐なさに歯をくいしばる他になかった。
「長! 無事か!」
だが、己を責めている場合ではないと、アスカは駆け足で集落の間を抜け、長のいる建物へと駆け込んだ。
集落の中で最も大きい家屋。その中で、以前よりもはるかに痩せ細った長がアスカを待っていた。
「アスカ……戻ったか」
「遅うなってすまん。沖で魔化魍に襲われておったんじゃ」
長の前に膝をつき、アスカは深々と頭を下げる。長の顔に一瞬だけ悲痛の歪みが生じるが、すぐに消される。いらぬ動揺を生まないためであろう。
「よく無事で戻った……肝が冷えたぞ」
「……すまぬ」
遅れたことを詫び、アスカはまた深く頭を下げる。長はその肩を叩き、何よりも無事に帰ってきた娘の努力をねぎらった。その気遣いに、アスカは目頭が熱くなるのを止められなかった。
すると、外で待っていたカブキが簾を上げて入室し、アスカはハッと我に帰った。
「おお、紹介せねばの。ここにおるのが、駆けつけてくれたカブキ殿じゃ」
「……!」
長は今度こそ目を見開いて表情を変え、アスカの隣に腰を下ろしたカブキを凝視した。次にアスカの方を向き、信じられないといった様子で少女の顔を凝視した。見た目は年端もいかない子供だというのに、立派に役目を成し遂げたのだから、当然であった。
「まさか、本当に鬼を見つけて連れてくるとは……」
「ああ。安心せよ、これでもう安心じゃ‼︎」
心の底から満足げに笑うアスカをよそに、長はカブキの前まで歩み出て膝をつき、深々と頭を下げた。
「……遠いところを、わざわざ申し訳ない」
「なぁに、俺達ゃ鬼の役目を果たすだけだぜ」
互いに挨拶を交わす長とカブキを見やりながら、アスカはそっと席を外した。そして、長の家の前で待っている他の鬼たちを囲んでいる集落の住人たちの前に進み出て、きっと強い眼差しで睥睨して見せた。
「ぬしら! この者らはわしらを救ってくれる大事な方らじゃ‼︎ 無礼な真似は許さんぞ‼︎」
どすの利いた声で、恐れを孕んだ目で鬼たちを観察している住人たちを一喝する。ただそこにいるだけで怖がり、蔑むような目線を送っている礼儀知らずにビシッと叱りつける様は、そこらの大人よりも立派に見えた。
だが、住人たちの態度はさして変わらなかった。アスカの叱責に首をすくめながらも、やはり恐怖感をぬぐいきれずに他の者たちとヒソヒソと囁きあっている。中には、あからさまに侮蔑の表情を向けるものもいて、もろに聞こえるささやき声で罵っている者さえいた。
「……よくいうぜ。あいつが一番鬼のこと嫌ってるくせによ」
「しっ。聞こえるぞ」
不意に聞こえた、アスカに対する言葉にキッと鋭い視線が向けられる。声を漏らした男はバツが悪そうに視線を逸らし、その場を離れようとしたがアスカは決して見逃さなかった。
「黙れ‼︎ 無礼は許さんと言ったはずじゃ‼︎ だいたい何じゃ貴様らは! こうしてわざわざ来てくれた恩人に向かって……」
ずんずんと男の方へ歩み寄り、説教を始めるアスカ。男は居心地悪そうにしながら、冷や汗を流して縮こまっていた。周りのものもバツが悪そうに目をそらし、そのうち見ているこっちが辛くなるほど情けない顔をするようになっていった。
そんな、肝っ玉の大きい少女の姿を見ながら、鬼たちは苦笑を浮かべていた。
「……あいつは、きっといい女になるな」
「ええ、そうですね」
故郷のため、己の気持ちを押し殺してたった一人で旅に出た少女。魔化魍に襲われても、人間に襲われても、それでも諦めることなく歩き続け、役目を果たそうとした彼女の背中は、誰よりも大きく見えた。
その時だった、住人たちを叱りつけているアスカの元に、新たな声が届いたのは。
「……すまない、その話、俺も加えてもらえないだろうか」
「これからは……ん? な、なんじゃ?」
振り向いた先には、見覚えのない二人の男が佇んでいた。
「俺はハバタキ。古き友の誘いを受け、この島に助っ人として来させてもらった。……俺にも、戦わせてほしい」
真剣な表情で、片方の男がアスカを見つめる。他のものよりもどこか角の取れた雰囲気を持っているように見えるが、ただ者ではない雰囲気を放っていることはわかった。
「……その、古き友とは、もしや……?」
「ああ。ヒビキのことだ」
その名を聞き、アスカの表情に歪みが生じる。キラメキのことと同じで、自分は行かずに他の鬼を活かせていることに、アスカは理由がわからずに苛立ちを感じてしまった。
こんなことで自分の許しを得たいと思っているわけでもあるまい、と考え込んでいると、アスカの内心に気づいたのかハバタキは悲痛な表情を浮かべていた。
「君があいつに、嫌な感情を持っているのはわかっている。その紹介できた俺に、正直力なんて借りたくないかもしれない。でも俺は、困っている誰かのためにもう一度戦うと誓ってきたんだ。……俺に、その約束を果たさせてくれ」
「……ハバタキ殿」
ハバタキの目に、嘘偽りはないとアスカは直感した。そして同時に、アスカが拒否感を抱くことを承知で、ヒビキの誘いを受けたというこの男に、アスカは苛立ちをぶつけてしまったことを深く恥じた。
思わずグッと息を飲み、涙をこぼしそうになるアスカだったが、その手が不意に何者かにがっしりと掴まれた。ぎょっとして振り向くと、もう一人の男がアスカの手を握りしめていた。
「君がアスカちゃんっすね⁉︎」
「お、おう⁉︎ お、おぬしは……?」
「俺はトドロキ! 話はみんな煌鬼さんから聞いてたっす!」
人のいい笑顔を浮かべたトドロキがキラメキの方へ視線を向ける。
アスカは唖然とした様子で、得意げな顔をしているキラメキを凝視した。
「いつの間に……」
「頼れるものには、話を通しておくもんだからな」
手際の良さにアスカは感心する。戦うだけではない、他の鬼にも助力を超える繋がりを持っていることに驚きながら、それができるキラメキの手腕を褒めたたえたくなった。
「な、な、泣けるっす!」
「うお⁉︎」
感心していたアスカが、突如聞こえてきた泣き声に現実に引き戻される。見れば、涙を滂沱として流す等々力がアスカを凝視している。若干血走っていて恐ろしい形相になっていたため、アスカはそっと距離を取ろうとしたが、逆に距離を詰められたため叶わなかった。
「故郷のみんなのために、憎い気持ちを押し殺して頭を下げる‼︎ なんて健気な子なんですか⁉︎ わかりました、任せてください! 俺も一緒に戦います‼︎」
「……そ、そうか」
ブンブンと手を振られ、トドロキの熱いまなざしに頬を引きつらせる。鬼は皆癖の強い奴ばかりかとわかってはいたが、この男は別の方面で個性の強い奴だと戸惑っていた。
「やってやる……やってやりますよ俺は! 絶対に俺が、この島のみんなを守ってみせる‼︎ 斬鬼さーん! 見ててくださぁぁぁい‼︎」
気迫の強さと言うか、暑苦しさにポカンとする他にない。突如海に向かって吠えるトドロキの先に、親指を立てる一本角の鬼の幻影が見えた気がしたが、気のせいだと思いたかった。
「……ま、まぁ、やる気があるならありがたいがの」
「俺も話は聞かせてもらったで」
後ずさるアスカの背後に、ぽすんと何かが当たる。目を見開いて振り返れば、見覚えのある派手な衣装を身にまとった一人の男が立っていた。
「! おぬしは……」
「俺はニシキ。堺の鬼や」
「……あの、泥棒をやっておった?」
「そ! そんで嬢ちゃんに救われて、恩を返しにやってきたってわけよ」
ニヤリと不敵な笑みを浮かべる男・ニシキは、確かに堺で姿を見た、役人に捕らえられていた盗人に間違いなかった。ニシキの言う音というのは、アスカがあの場で起こした騒ぎのことだろう。些細なことのつもりだったが、気づいていたことは大きな驚きだった。
「じゃ、じゃが……それでも信じられん。あんなことのために……こんな」
「これでも鬼の端くれや。人のために戦うゆうんなら、なんぼでも体はったるわ。……それにの」
困惑するアスカの頭に手を乗せ、ニシキは満面の笑みを浮かべて見せた。
「女の涙には弱いんやで」
その言葉に、つい返事に詰まってしまう。女扱いされることなど慣れていないし、そんな綺麗事のために命をかけてくれるなど考えられなかった。
振り向けば、島に集ってくれた鬼たちが皆、ニシキと同じような笑みを浮かべてアスカを見下ろしている。
アスカの苦悩を、願いを知っている男たちが。その願いを足蹴にすることなく、これまでついてきてくれた男たちが、慈愛の笑みを浮かべて少女を見守ってくれていた。
「おぬしら……」
優しさに、胸が熱くなる。言葉が出ない、言わなければいけない大切なことがあるのに、体が言うことを聞いてくれない。心が勝手に震えて言うことを聞いてくれない。
そんなアスカに、ニシキが頭を撫でて助け舟を出してくれた。
「今まで、よう頑張ったの」
「……! すまぬ……すまぬ‼︎ この恩は、この恩は必ず返す‼︎ ありがとう……!」
報酬など、たいしたものは用意できない。だが、この鬼たちはただアスカが助けを求めたからという、それだけの理由で戦ってくれるという。
その心の広さに、慈悲深さに、アスカは溢れ出る涙を止めることができない。ぽろぽろと涙をこぼし、何度も頭を下げることぐらいしかできずにいた。
だが、そのように感情を正の方面に表しているのは、アスカだけ。鬼たちとアスカを遠くから見つめていた集落の住人の目には、前よりもはるかに大きな畏怖と嫌悪の色がありありと現れていた。
集落の住人との間には、大きな温度差が現れていた。
「ここはわしの家じゃ。狭いが、好きなようにくつろいでおってくれ」
七人の鬼たちを、アスカは意気揚々と自分の家に案内する。
久しぶりに戻ってきたが、相変わらず小汚いのに埃などは積もっていない。おそらく、彩姫あたりが掃除してくれていたのだろう。あとで礼を言っておかねばなるまい。
「……一人なのか?」
「ああ。……わしは、拾われた子じゃからの」
なんとなしに行ったアスカの一言に、全員の表情が意外なことを聞いたものに変わった。
そういえば言っていなかったと苦笑し、アスカは照れ臭そうな笑みを浮かべた。
「乳飲み子の頃に、ここへ流れ着いたらしくての。昔のことはよう覚えとらん。じゃが皆、わしのことを可愛がってくれたんじゃ。何もかも助けられてばっかりじゃ」
恥ずかしそうにしながら、その表情はどこか誇らしげで。鬼たちは言葉を失いながら、そんな血の繋がりがないにも関わらず命がけで旅立った少女に尊敬の眼差しを送る。
アスカはますます照れ臭そうに笑い、視線を合わせまいと背中を向けた。
だが、不意にその表情は曇り、下げられた手に力がこもった。
「……皆、わしの家族がすまんかった」
気落ちした声で告げられた言葉に、カブキたちは他の住人たちの視線を思い出す。あの視線は、これまでの旅でも度々向けられて来たもので、アスカはそれを見るたびに苦しそうな表情を浮かべていたものだった。
「せっかく来てくれた恩人に対して、あのような態度をとるなど……わしは、家族として恥ずかしくて仕方がない。……本当に、すまん」
「謝るな」
唇を噛み、拳を握り締めるアスカにトウキが言い放つ。はっと振り返るアスカの目尻に涙が滲んでいるのを見ながら、穏やかな表情を浮かべた僧はアスカを見つめたまま説き伏せる。
「正しく生きていても、傷つけられたり、踏みにじられたりする。だが、俺たちの人生は俺たちのものなのだ。もし今辛いと思うなら、これからは辛くならないようにすればよい……生きていれば、何度も転んでそのたびに傷を作り、あざを作ったりすることだろう。……だがそんな時」
じっと見つめてくるアスカに、トウキは己がたどり着いた答えを告げた。
「心だけは強く鍛えておかねば、自分に負けてしまうだろう」
心に、その言葉が響いた。
わずかながらも、救われた心地になったアスカは、今度こそ安堵の表情をカブキたちに見せ、肩の荷が下りたような笑みをみせた。
「わしは、長とこれからのことを話合うてくる。わしの家でゆっくりくつろいでいてくれ」
カブキたちにそう言い残したアスカは、そのまま軽い足取りで簾を開けて飛び出していく。年相応にはしゃいでいるようなその姿に、カブキたちは安堵のためか破顔していった。
「……ほんと、いい女になるよ、あいつは」
「……ああ」
いつも重圧を背負い、張り詰めたような表情を浮かべていた少女が、ようやく心から安堵の笑顔を浮かべている。
せめてあの笑顔が曇らないように自分たちは死力を尽くそうと、鬼たちは決意を新たにするのだった。
もう一度長に会おうと、集落の中をかけていくアスカ。その途中、心配そうに眉を寄せた彩姫がアスカを呼び止めた。
「アスカ……」
送り出してくれた時よりもはるかに痩せて見える姉貴分の姿に表情を歪めながら、アスカはすがりつくように向き直った。
「彩姫! 聞いてくれ、あやつらは……」
「わかってる」
アスカの言葉を遮り、彩姫は何度も頷く。見送ってくれた時と同じく、慈愛の笑みを浮かべてアスカを見つめていた。
「…あなたが信じた連中だもの。わたしも、信じたいよ」
「……! ありがとう……!」
細くなってしまった彩姫の体を抱きしめてから、アスカは再び走り出した。背中を見送ってくれる姉貴分の視線を受けながら、温かい気持ちで長の家を目指した。
ーーーなぁ、アスカ。
お前は鬼を怖がっているけどな、そりゃお門違いってやつだ。
走り続けるアスカふと、兄が生前に言い残した言葉のことを思い出していた。
あの一件から鬼を嫌い、憎み、思い出すことを拒絶していた兄の言葉が、今になってアスカの脳裏に蘇ってきていた。
ーーーあの人はな、本当にすごい人なんだ。
苦しむ人を救いたいって、ただそれだけの願いのために苦しい修行を諦めずに続けて、鬼になったんだ。
俺はな、そんなあの人の力になりたいんだよ。
(兄者……おぬしのいうとおりじゃった)
誇らしげに語る兄の笑顔が蘇る中、アスカは当時の自分を憐れみたい気分だった。兄が危険な目に遭っているのではないかと、鬼が兄をどこか遠くへ連れて行ってしまうのではないかと、そんなことばかりを考えて怯えてばかりいた自分に、教えてあげたい気分に陥っていた。
(兄者を見殺しにしたヒビキはまだ許せん。じゃが……わしに力を貸してくれる奴がこんなにもおった。兄者のいうとおり、鬼は本当にすごい奴らじゃ!)
にやける口元を抑えることもできず、アスカはただ走り続ける他にない。