その夜、アスカの家からは賑やかな笑い声が響いていた。蝋燭が一本だけ照らしている一室に七人の男たちと一人の少女が輪を作り、中心の囲炉裏に置かれた鍋の中の料理をつついていた。
「ふいぃ〜、よう食ったわ! アスカちゃんは料理が上手いのう!」
「一人暮らしが長いからの。これぐらいできねば生きてはいけん」
「立派なもんやなぁ……いろんな意味で」
「おい」
ニシキの褒め言葉に自慢げに胸を張り、アスカは笑みを浮かべる。胸の立派な膨らみに目を奪われながらニシキが褒めると、その視線に気づいたトウキとカブキがニシキの頭を叩いた。その姿にキラメキがゲラゲラと笑い転げ、ハバタキがそれを諌めながら自身も笑いをこらえ、イブキとトドロキも人目を憚らずに笑い声をあげていた。
「それにしても、よかったの? オロチのせいでご飯もろくに食べられないだろうに、こんなに豪勢にしちゃって……」
「島の恩人なんじゃ。これぐらいはさせてくれ」
アスカはそう言って、ニシキのお椀に鍋の中身を注ぐ。ニシキはその甲斐甲斐しい姿に、目尻に涙をためはじめた。かなりわざとらしかったが。
「お前は……! 本当にいい子なんやからもう〜絶対幸せにするでほんまに!」
「ああ、それはいらん」
「アレェェェ⁉︎」
ざっくりと求婚を否定され、ニシキが本気で衝撃を受けた顔になる。その様があまりにおかしく、カブキたちも、寡黙なトウキまでもがゲラゲラと笑い出してしまった。
ニシキは「笑うなや!」と手近にいたイブキの首に手を回し、キラメキが場を盛り上げようと小噺まで始め、夕餉の時間があっという間に騒がしくなる。カブキやトドロキも便乗し、比較的静かなトウキとハバタキも盛大に笑い声をあげていた。
兄が死んでから会話も無くなっていた我が家に光が差したようで、アスカは心が温かくなるのを感じながらニシキとイブキをなだめる。今まで感じたことのない暖かさに、アスカの空虚だった心が満たされていくのを感じる。
救い手を探し連れてくるという重圧からようやく解放されたアスカも、久しぶりに心の底から笑うのだった。
宴のような晩餐も終わり、アスカの家には静寂が訪れていた。
狭い部屋に雑魚寝している鬼たちは、時折窮屈そうな寝言をこぼしながら深い眠りについている。誰のものかは知らないが、凄まじいいびきも響いてきていた。
そんな中、アスカはギンギンと目を開いたまま天井を見上げていた。決していびきのせいではなく、自身の内で燃える感情を持て余して眠れずにいた。
「どうした、アスカ」
そんなアスカに、隣で寝転んでいたカブキが小声で訪ねてきた。アスカは顔を向けて、暗闇で表情の見えないカブキの横顔を見つめた。
「……眠れないのか?」
「……うむ。高揚してしもうての」
カブキから視線を逸らし、アスカは答える。
思い出すのは、オロチが来る前の平和だった集落の姿。痩せた地でみんなが助け合い、生まれた故郷を大切にしながら生きていた、全てが眩しく輝いていたあの時のことを。
「皆、オロチが来てから変わってしもうた。生き残るために必死になって、心が狭うなって……優しかったみんなは、もうどこにもおらんなってしもうた」
アスカの声がしぼみ、落ち込むように小さくなっていく。
みんな、変わってしまった。少しでも他より余裕があれば羨み、妬み、醜い感情をあらわにする。そんな風に変わっていく様を、アスカは何年にもわたって見せつけられてきたのだ。
だがそれは一瞬のことで、すぐにまたアスカは明るい顔で天井を見つめ、手を伸ばした。その先にある見えない星が手に届きそうで、興奮が湧き上がって眠気を吹き飛ばしていく。こんな気持ちは、初めてのことだった。
「じゃが、もうそれも終わりじゃ……! 魔化魍さえいなくなれば、またみんなでやり直せる。昔の皆に戻れる! ……それが、楽しみでしようがないんじゃ」
取り戻せる、あの日々を。それが、楽しみで仕方がなかった。
かつての家族の姿を思い浮かべるだけで、興奮を止められなくなるのを感じていた。
「……ぬしらの、おかげじゃ」
恥ずかしがることもなく、アスカはそう言い切る。カブキの表情は見えなかったが、そのままごろりと背を向けてしまった。照れているのだろうと、アスカはクスッと笑みをこぼした。
だがふと、その表情が寂しげなものに変わる。
「……皆、オロチを倒したらどうするんじゃ?」
「……俺は、また旅に出るさ。魔化魍は、どこにでもいるからな」
「せやなぁ、俺もまたいつも通り……ってのは冗談で、またどっかで人助けでもするわ」
アスカの問いに、背を向けたままのカブキだけではなく眠りこけていたはずのニシキも答えた。やはり寝づらかったらしい、嬉々として答えてくれた。
「私も、暇ができればまた鬼の仕事をしますかね。城主の役目です」
「俺もっす!」
イブキとトドロキも、アスカの質問に律儀に答えてくれる。やはり皆寝苦しかったのだなと、アスカは狭い家で寝かせてしまったことを心苦しく思った。
「全ては御仏の命じるまま……これからもそれは変わらん」
「……俺は、家族の元に帰る。でも……また鬼の仕事もするかもな」
「皆、だいたい同じ感じかね」
「……そうか」
トウキやハバタキ、キラメキもそう答え、アスカは寂しさを感じて背を向けた。無理を言ってきてもらったのに、いざいなくなると思うとどうにも心にざわめきが生まれる。
「……お前は、って、聞くまでもないか」
「う、うむ」
戸惑いながら、アスカは頷く。
故郷のこの島が好きで、家族のことが大切で、救いを求めて意を決して旅に出たのだ。ここにいる以外の選択肢など考えられるはずもない。
だが、アスカの心には迷いが生じていた。
「じゃが正直、何をしたらいいのか全くわからん。皆の役に立てるように色々やったが、どうにもうまくいかんことばっかりじゃった。……本当にみんなのためになるんか、疑問ばっかりじゃった」
粗末な掛け布団の下から、自身の手を出して暗闇の中で見つめる。同い年の女子供にも劣る、細い手だ。こんなもので一体、今まで何をしてきて、これから何をすると言うのだろうか。
「……わしは、弱いからの」
「鍛え足りなきゃ、鍛えるだけだ」
自嘲するように呟くアスカを、カブキが叱った。
振り向けば、やはりカブキは背を向けたままで顔を見せてくれない。それはまるで、自分で答えを探せとでも言っているようだった。
「そうそう。大したことじゃないことからコツコツ始めるのが大事なことなんだよな」
「落ち込むやつはさ、成長するんだよ」
同じ経験でもあるのか、暗闇の中からキラメキやトドロキが教えてくれる。気づけば他の鬼からも視線を感じ、アスカは心が温かくなるのを感じた。
みんな、こんな不甲斐ない己を慰めてくれる、応援してくれる。それがなんとも言えず、胸が熱くなるのを感じていた。
コロリと寝返りを打ち、アスカはカブキの背中と向き合う。おびただしい傷が刻まれているであろう大きな背中を見つめていると、アスカは呼吸と鼓動が早くなるのを感じた。理由もわからず困惑していると、喉の奥から思わぬ言葉が漏れ出そうになるのを感じ、余計に戸惑う羽目になった。
「……のう、カブキよ。もしよかったらじゃが、この一件が終わったら……わしを」
慌てて自分の口を閉じ、カブキの背中から視線を外す。これ以上見つめていたらどんどんおかしくなって、変なことを口走ってしまいそうで怖くなり、アスカは無理やり自分を抑え込む他になかった。
「……いや、なんでもない」
カブキは何も言わなかったが、ややあってからおもむろに起き上がった。アスカは慌てて寝返りを打ち、熱くなった自分の頬を見られないようにする。暗闇で赤い顔も何も見えないだろうが、なぜかカブキには見られなくて隠してしまった。
「……ど、どこへ行くんじゃ?」
「ちと、小便へな」
そう言って戸を開けて出ていくカブキの足音が離れていくのを聞きながら、アスカは深いため息をつく。
未だばくばくと早鐘のように打つ胸を押さえながら、アスカは暴れだしそうな衝動に困惑、身を縮める他になかった。
(……わしも、変わったもんじゃの)
以前は鬼など、名前を聞いただけで嫌悪感を抱いていたというのに。二度と関わるものかと決めていたというのに。
「一緒に行きたい」と願うなど、考えられなかったはずなのに。
他の皆も聞こえていただろうがそれ以上問いただすことはなく、再びアスカの家には静寂が訪れることとなった。
「……おい、見たか。あいつらの戦っている様」
暗闇の中で、男たちの声がかすかに響く。鬼たちが集うアスカの家を囲うように集まった村人たちが、ヒソヒソと囁きあっているのだ。
灯りはなく、アスカの家の中は全く見えない。だが出入りは常に確認し、鬼たちは怪しげな行為をしていないかどうかを目を皿にして監視していた。
「おお、沖でやりおっておったあの時じゃろう? おっそろしいもんじゃったわ。どっちが化け物かわかったものではない」
「正直ありがたいとは思うが……本当に信用してええもんかのう」
恐れを孕んだ目で、男たちはアスカの家を見つめる。
鬼たちは確かに、魔化魍を退治してくれるだろう。だが退治したその後、あの化け物たちは一体どうするつもりなのか。それがわからず、住人たちの間には疑心暗鬼が広がっていた。
「……長のいう通りにしたが、本当にオロチに逆らってよかったんかのう」
「もし呪いなんてあったら、わしらは一体どうなるんじゃ」
オロチは恐ろしい。それをよくわかっているゆえに、本当に退治できるのかと疑ってしまう。むしろ、より恐ろしい結末が待っているのではないかという恐怖まで勝手に抱く始末。
アスカの願う人と鬼の和解は、未だはるか遠い位置にあった。
「……よく一緒に居られるぜ」
「ああ。俺たちがあの中に入ったらと思うとゾッとするな」
「もしかしたら、どっか通じるものがあるのかもしれねぇな。なんせあいつ……」
化け物と一緒にいる少女の神経を疑い、根も葉もない噂にまで発展する会話。
それは、唐突に途切れることとなった。
「た、大変だーーー‼︎」
集落の方にいた仲間の一人が、息を切らせながら男たちの元に戻ってきた。
男たちはきっと目を鋭くし、へたり込んだ男を激しく叱責する。
「大声を出すな……! 鬼どもに気取られたらどうする⁉︎」
「そ、それどころじゃねぇ‼︎」
駆け込んできた男はその叱責を払いのけ、そのまま必死の形相で見てきたものをありのままに伝えた。
最悪の情報を。
「た、田吾作が……! 田吾作が殺されてる……!」
男がそう言った瞬間、住人たちの間に衝撃が走った。
死んだ、集落仲間が、この島で。
告げられた言葉の内容を理解するのに時間がかかり、反応が起こるまでにかなりの差が生じていた。
「た、田吾作が……⁉︎ な、なんということじゃ‼︎」
一人がざわめき出し、動揺が他のものにも広がっていく。恐怖や不安、怒りが伝染し、ざわめきが重なって耳障りな騒音になり始めた。
「本当かよ……⁉︎」
「ああ……首をばっさりだ! 人間の真似じゃねぇ!」
「一体誰が……?」
魔化魍に怯え、それでも手を取り合ってきた仲間が何者かに殺されたという事実に、疑心暗鬼に陥った住人たちは互いを疑うように視線を巡らせる。身内を殺され、次は自分ではないかと焦る気持ちが、彼らからまともな思考能力を奪いっていった。
「……あいつらじゃねぇのか?」
そんな中、不意に聞こえた言葉に男たちの視線が集まった。
声を発した男は鬼たちのいる家を凝視し、憎悪のためか歯を食いしばってギリギリと鳴らしている。考えを察した他の男が、その男の肩を掴んで諌めた。
「おい、何を言い出すんだ」
「そうとしか思えねぇだろ! あいつらが来て、オロチを追い払ったと思えば仲間が殺されてる! 偶然なわけがねぇ!」
「じゃ、じゃが何のために……⁉︎」
「理由なんかあるわけねぇ‼︎ 所詮あいつらは、魔化魍と同じだ‼︎」
根拠も何もない、言いがかりのような発言。
だが疑心暗鬼に陥った男たちは、その考えがまるで正しい答えにしか思えなくなっていく。生じてしまった負の感情に押し出され、冷静な思考ができなくなっていたからだ。
「やっぱり鬼なんかを信じたのが間違いだったんだ‼︎ あいつらはやっぱり……化け物だ‼︎」
その言葉は、村人たちに衝撃を走らせ、同時に。
鬼と人の間に取り返しのつかない溝を刻む、最悪の事態を呼ぶこととなったのだった。