1.Boy meets girl
ーーー日本海沖 午前十一時五十九分
航海をするには若干肌寒くもちょうどよさげな秋の空の下、一隻のフェリーが波をかき分けて進んでいく。
ーーー黒崎一護/高校生
天気は良好。風も穏やか。海鳥までもが心地よさそうに天を舞う青空が広がり、太陽に照らされた雲が悠々と流れてゆく。
そんな快い雰囲気の中、フェリーはまばらに人を乗せてある場所へと向かっていた。
ーーー髪の色/オレンジ
瞳の色/ブラウン
都会から離れた港を出て、はや数十分。短い船旅を満喫する客の中に、彼はいた。黒崎一護という、少し変わった青年は。
ーーー特技/ーーー
「……だぁっくしょい‼︎」
盛大にくしゃみをこぼし、青年は欄干にもたれかかって海を眺める。ぼんやりとしたまま風に吹かれていたためか、少し体が冷えてしまったようだ。
「……なんで、こうなった」
誰にともなく問いかけ、答えの返ってこない虚しさに風の冷たさが混じる。
「なーに仏頂面してんだよいっちっごーーー‼︎」
通路の向こう側から、やかましい程の声音とともに疾走する靴音が聞こえて来る。他の客も驚いて道を譲る中、気色の悪い笑みを浮かべて駆け寄って来たその声の主は。
「フンッ‼︎」
「ごべっ⁉︎」
額に青筋を立たせた一護のラリアートによって、迎撃された。走る勢いはそのままに繰り出された一撃により、クラスメートの一人である浅野啓吾は後頭部から床に沈んだ。
「オメーのそのテンションの高さは一体なんなんだよ⁉︎ たまには自重しろ馬鹿野郎‼︎」
「ひ、ひどい……せっかく一護と遊ぼうと思ったのに」
「一護
気色の悪い女の子座りでさめざめとなく啓吾。そんな彼に無表情ながらも呆れた視線を向けるのは、同じクラスの小島水色。二人とも、一護とはよくツルむ仲である。
「何もそんなカリカリすることないじゃんかぁ⁉︎ どうせ一護だって暇を持て余してたくせにッ‼︎」
「うるっせぇよ‼︎ ったく……人がせっかく嫌なこと忘れようとしてたのによ」
かなりスキンシップが激しいというか、うっとうしい域に達している啓吾を黙らせるとそう言って、再び海を眺めてのんびりしようとする一護だったが。
「黒崎くん、黒崎くん‼︎ イルカだよ⁉︎ イルカがすごい近くにいるよ⁉︎」
「井上さん、とりあえず落ち着いて……」
「チャドくん見て見て‼︎ あんなにいっぱい……ってすでに食い入るように見てる⁉︎」
「…………」
右を見れば、クラスメイトの友人たちが思い思いに騒いでいらっしゃるのが見える。女子である井上織姫と、いかつい見た目に反して可愛いものに目がない茶渡泰虎が食い入るように海面を泳いでいるイルカを見つめている姿が見えた。
もう一人の学友、石田雨竜はそのテンションの上がりっぷりについていけていないようで、むしろクラスメイト以外の客からの視線に居心地悪そうにしていた。
「いーるーかーがーいーるーよーたーくーさーんーいーるーよー…♪」
適当な替え歌を歌い、イルカに釘付けになってはしゃいでいる友人達を見て一護は思う。
全然のんびりできねぇ。
「そんなかったいこと言わずにさァ、俺に構えよ我が友いちーーー」
懲りずに突進しようとする啓吾の顔面に肘鉄が当たる。この程度は日常茶飯事であるため、だんだん扱いが雑になり始めていた。
「おぶっ⁉︎」
「なんでテメーは旅先でもじっとできねーんだよ」
さっき黙らされたばかりであるのに、すぐに復活した啓吾にジト目を向ける。
普段もテンションは高いやつだが、今日のウザさは拍車がかかっていた。
「社会見学ごときではしゃぎすぎなんだっての」
「だってさぁ! 旅行には違いないじゃん⁉︎ 田舎でも旅先じゃん⁉︎ 旅館で泊まったりナンパしたりしても合法で済むじゃん⁉︎ はしゃいだっていいじゃんかよう‼︎」
「全部お前の願望だろうが」
「もぶっ⁉︎」
欲望をダダ漏れにさせる啓吾に、今度は背後から衝撃が襲いかかる。再び啓吾は白目を剥き、うつ伏せにバッタリと倒れ伏した。
「お前はどこにいてもそんなんばっかか」
強烈な踵落としを食らわせた女生徒は、フンと満足げに鼻息を漏らして腰に手を当てる。
一護は振り下ろされたかかとの持ち主、有沢たつきに気づくとよくやったと言わんばかりにサムズアップを贈った。
「おう、悪いなたつき。このバカ預けるわ」
「任せろ。悪さできないように体に教え込んでおくから」
「人目にはつくなよ。他の客の迷惑になるからな」
「分かってるって」
「いやぁぁぁヘルゥゥゥゥプ‼︎」
ほぼ一瞬で完全犯罪を目論んだ一護とたつきに、啓吾は本気で悲鳴をあげる。だがズルズルと襟首を掴まれ、引きずられていく彼に逃れるすべはあいにく存在していなかった。
たつきと啓吾が裏に消え、ようやく静かになると一護も深く息を吐いて一服する。
その隣に、石田が静かに立つ。織姫たちは別の場所で騒いでいるようだった。
「急にも程があんだろ。この時期に校外学習なんてよ」
「まぁ、ね。色々と事情があるんだろうけど、確かに少し迷惑だったかな」
そう、一護達のこの旅行は急に決定したことだった。
恒例行事でも、事前に連絡があったわけでもない。唐突にフェリーの目的地である島に社会見学に向かうことが決定したのだ。
一護が不機嫌な理由は、それだった。事前に決まっていたならまだしも、他人に急に予定を変えられることは、どうにも腹立たしく思えたのだ。
「つーかどこだよ、この夜刀神島って。聞いたことねぇだろ」
「そのための観光PRのつもりなんじゃないのか? 過疎化した島をもう一度盛り上げようとか、そういうの」
「……世知辛いな。最近は」
若い島民が都会へと渡り、島の活気が衰えて来ているのだ。それを挽回するため、若者を呼び寄せる企画を島の誰かが考えたのだろう。
考えてみると、かなり悲しい話だ。
「ま、なんにせよ来たからには楽しませてもらおうじゃないか。……たかが三日だ」
「ああ……」
石田はそう言い、自身も中に入ろうとしてか出入り口の方へと向かって行く。残された一護は、欄干に背を預けて空を仰いだ。
一護の案ずること。それはもう一つあった。それは一護達が住む街、
その役目は本来の責任者がいるのだが、若干腕に不安がある人だった。
「…ん?」
もやもやと考え込んでいた一護は、ふと視界の端で動いている小さな人影に気づいた。
まだ二、三歳の小さな男の子が置かれていた台の上によじ登り、海に向かって無邪気に手を伸ばしている。好奇心旺盛で恐れを知らない子供が、親とはぐれたのかたった一人で遊んでいた。
親は何をしているんだと思いながら、一護は危なげな子供の一人遊びに目をやりながら背筋を伸ばして、嫌な予感につい身構えた。
その姿が、ぐらりと揺れるまで。
「ーーー危ねェッ‼︎」
足を滑らせたのか、男の子の体が欄干を越えて傾いていく。
一護は血相を変えて走り出し、声も出せずに頭から落ちていく男の子に必死に手を伸ばす。あとわずかだけ、手が届かないと確信してしまっていたが、そうせずにはいられなかった。
だがそれよりも早く、一護のそばを通り過ぎる影があった。
「⁉︎」
目を見開く一護の前を影は猛スピードで駆け抜けると、欄干の手すりを台代わりに跳躍して飛び越えていった。
一瞬呆然となった一護は、すがりつくように手すりに掴みかかり真下を覗き込んだ。その時よぎった嫌な予感は、一瞬にして消え去った。
「いっ⁉︎ いだだだだだ‼︎ 掴むでない掴むでない‼︎」
「きゃはははは!」
苦痛に満ちた声と笑い声が、欄干の下から聞こえて来て、一護の目が大きく見開かれる。
一人の黒髪の少女が、フェリーの壁のわずかな凹凸に指をかけ、鷲掴みにするようにしがみついていたのだ。その上片方の手は男の子を抱えるために使っているため、自分と子供一人分の体重を五本の指に預けている状態であった。
「ちょっ、ちょっと待ってろ‼︎ 耐えろよ⁉︎ 頼むから耐えろよ⁉︎」
一瞬呆けていた一護だったが、すぐに我に返って少女と子供に手を伸ばそうとする。このままでは落ちるのも時間の問題、早く引き上げなければ。
だが、身を乗り出そうとした一護に、しがみついている少女が消え入りそうな声をかけた。
「……おい、そこのオレンジ頭の若いの」
「‼︎ あ、ああ! 待ってろ、今引き上げて……」
助けを求める声だと思った一護は、もう一度少女に向かってから手を伸ばそうとする。だがその寸前、下を向いていた少女が、顔を上げて一護に目を向けた。
「邪魔じゃ。どけ」
「…………は?」
しらっと鬱陶しそうな目を向ける少女は、慌てふためく青年に向かってそう告げた。
助けようと手を伸ばしていたところで受けた思わぬ返答に、一護が惚けた声を上げた瞬間だった。
「よっ、こい……」
壁の凹凸をつかんだ右腕が、気の抜けた掛け声とともにボゴンッ‼︎と倍近い太さにまで膨張する。鉄製の壁がアルミ箔のように掌の形にひしゃげ、間近で見ていた一護の目が点になった。
「……っしょぉ‼︎」
そして少女は、自分に片腕の力のみで子供二人分の体を浮き上がらせた。
「んなっ……」
「うおおおおおおおおお‼︎」
少女のものとは思えない野太く逞しい雄叫びをあげ、少女と子供が宙を舞う。あんぐりと口を開ける一護の頭上を軽々と飛び越え、少女はくるんと気取ったように宙返りを披露し、ズシンとガニ股で着地した。
呆然としている青年をすておき、少女は抱えた男の子を優しく下ろすとヨシヨシと頭を撫でてやる。自分に何が起きたかもわかっていない様子の男の子は、無邪気に笑いながらそれを受け入れていた。
「! こんなところにいた!」
そこへ、慌てた様子の若い夫婦が駆け足でやって来る。少女に撫でられている我が子を見つけると、半ばひったくるようにして抱き寄せた。
「もう、どこに行っていたの!」
「迷子になっておったようじゃ。今度からしかと見張っておけ」
「すみません……ご迷惑をおかけしたようで」
夫婦は少女に頭を下げると、今度は逃がさないとばかりにしっかり抱きしめてその場を後にする。どこか古風な喋り方をする少女はニコニコと笑いながら、手を振って来る子供に手を振り返す。
呆然となっていた一護はそこでようやく再起動を果たし、ぎこちなく少女を凝視して声を絞り出した。
「……お前、すごいな」
慄く一護の声に、少女はフンと鼻で笑ってみせる。
少女を改めて前にした一護は、まずその少女の小ささに驚いた。小学生高学年から中学生程度の背丈しかなく顔立ちもそれぐらい幼い。なのに、袖や裾から見える腕と脚は鍛えられているためかしなやかで、胸元もかなりの膨らみが目立った。
額を中心に左右に分けられた、おかっぱに似た髪型がさらに見た目の幼さを助長させている。とても先ほどの剛力ぶりを見せたものとは思えなかった。
少女はそのまま一護に一瞥もくれることなく、くるりと背を向けて歩き始める。
「ま、鍛えておるからのぅ」
驕るでもなく、誇るでもなく、まるでこれが当然であるかのように言いのけ、少女は一護の前から歩き去って行った。
残された一護は、少女のその背中が見えなくなるまで見送ることしかできなかった。