「ふんっ‼︎」
猫又の顔面に向けて、渾身のフルスイングをお見舞いする明日歌。凄まじい怪力により放たれた一撃で猫又の顔面は陥没し、くぐもった悲鳴をこぼしてひっくり返る。
仰向けに倒れた猫又を踏みつけると、明日歌はその胸に向けて大きく振り上げた音撃棒を叩き込んだ。
「うおらあああああああ‼︎」
ドオン! と地面に亀裂が入るほどの威力を伴った一撃により、猫又は大の字に両手足を伸ばして痙攣し、直後に土くれへと変化して爆散した。
ようやく逃げ続けていた魔化魍を倒し、荒く息をつく明日歌。さすがの彼女も疲労が溜まっているのか、若干覚束ない足取りで立ち尽くし、大量に吹き出す汗を腕で拭う。
「くそ……なんなんじゃこの数の多さは……⁉︎」
つい森深くまで魔化魍を追いかけてきてしまったが、向こうにはまだ数多くの敵が残っているはずだ。早くみんなの元に戻らねばならないが、最初から飛ばしすぎたせいかなかなか呼吸も動悸も落ち着かない。
樹々の向こうからはまだ、轟鬼たちの音撃がかすかに聞こえてくる。随分遠くまで来てしまったようで、時折見える稲光と音がずれて聞こえて来ていた。
「……ここまでの規模で魔化魍が現れるなど、やはり普通ではないぞ」
前例がないわけではない。本土では稀に、魔化魍が異常なほど大量発生する〝オロチ〟と呼ばれる現象が起こることがある。
しかし、それはあくまで本土での話。面積も小さく人口も少ないこの島で、ここまで大量の魔化魍が現れるいわれはないはずだった。食らう獲物が行き渡らなくなるからだ。
もしや、一護たち学生が大勢この島に来たことが関係しているのか。そんな考えが一瞬よぎったが、まさかと思って自ら否定する。
「こんな時に師匠はどこへ行ったんじゃ⁉︎ 島の一大事じゃというのに……‼︎」
しばらく前から姿を全く見せない師のことを思いながら、思い切り顔をしかめて暗闇を睨む。
もうだいぶ呼吸も落ち着いて来た。早く皆のところに戻らなければと歩き出した時だった。
「グルルルルルル……」
不意に聞こえた、獣の唸り声に似た声。暗闇の中から聞こえて来たそれに、明日歌は表情を変えて身構える。
「⁉︎ なんじゃ……⁉︎」
その気配は突如現れた。何かが近づくそぶりなど微塵も感じなかったというのに、いつのまにかすぐ近くにまで接近し、周囲からこちらを伺う視線を向けて来ている。感知に長けているわけではないが、己に向けられた敵意といったものには敏感なことを自負していた明日歌にとって、それは屈辱的な気分に陥らされた。
音撃棒を前方に突きつけ、油断なく気配を探って辺りに視線を這わせる。気配はあちこちから漂って来ている。複数なのか単体なのか、濃い気配に邪魔をされて察知することができなかった。
そしてやがて、明日歌を暗闇の中から観察し続けていた存在は、明日歌の前に姿を表した。
「おぎゃああああああああああああ‼︎」
樹々の枝を押しのけ、白い巨体が起き上がった。バキバキとへし折られ散らばる木の枝を撒き散らし、真っ白な毛皮に包まれたその獣が赤ん坊のような咆哮を発し、大気をビリビリと震わせる。
大木のように太い足が地面を踏みつけて揺らし、真っ赤な血に染まった両の目がギョロギョロと辺りを見渡す。ナイフをそのまま生やしたような爪を立て、同じく小刀を並べたような鋭い牙の間からダラダラと涎を垂らし、目前にいる小さな少女を睥睨する。
首の周りには標縄に似た突起を生やし、勾玉のような玉を吊っている。時折脈動するように点滅し、人魂に似た怪しい光を暗闇に浮かび上がらせていた。
その臀部から生えているのは、蛇のようにのたうち回り、うねうねと蠢く九本の尾だった。
「まさかこやつは……九尾か⁉︎ 中国に棲む魔化魍のはず……まさか、海を超えてきたというのか⁉︎」
日本に発生例など聞いたことのない大物魔化魍の登場に、明日歌の表情がこわばる。明日歌が単体で挑むには実力も装備も足りず、そもそも普通の鬼ですら単身では戦うことすら無謀と言われるほど凶悪な相手だ。
九尾はニヤリと笑うように口の端を歪め、巨大な片足を明日歌の頭上へと振り上げていく。
「むおっ⁉︎」
我に返った明日歌は、間一髪その場から飛び退いた。直後に振り下ろされた前足が地面を陥没させる光景に、ヒクッと頬を引きつらせて慌てて距離をとった。
ゴロゴロと地面を自ら転がり、瓦礫が飛び散る中から脱出する。途中で右足を突き出してつっかえにして無理矢理停止し、すぐさま九尾に向かって音撃棒を携えて突進した。
「せいっ‼︎」
威嚇の芳香を放つ九尾の攻撃をくぐり抜けて真下に潜り込むと、相手の肘の関節に向けて音撃棒を振るう。
キュウビギツネは巨体に似合わぬ敏捷さで明日歌の打撃をかわし、逆に間合いに入り込んできた獲物を踏みつぶそうと何度も前足を叩きつける。明日歌もまたそれを紙一重でかわし、時に音撃棒で弾いていなしながら反撃の一矢を狙った。
しかし、なかなか決定打を与えられない。次第に明日歌の息が上がり始め、必死に九尾の猛攻をかわして距離をとった。執拗に追いかけてくる九尾に、明日歌は険しい表情で唸った。
「ヌゥ……やはり手強いのぉ」
やはり、一人ではこの大物は倒せない。救援を待つか、しばらく逃げ回るか、とにかくまともに相手をしない選択肢を取る他にないようだった。
だが、九尾も簡単にはそれを許してくれない。明日歌が背を向けることを許さず、地面を踏みつけた衝撃波で明日歌を足止めし、同時に強烈な追撃を与え始めた。
「ぐあっ⁉︎ うぐっ‼︎ あぐっ⁉︎」
吹き飛ばされて明日歌は何度も地面を跳ね、土まみれになりながら転がっていく。
九尾はそんな様をニヤニヤと笑うような顔で見下ろし、ゆっくりと距離を詰めていく。それはまるで、明日歌をわざと嬲り殺しにするかのような嗜虐的な態度で、九尾の持つ残忍な性質を顕著に表していた。
「ぬあああああ‼︎ なめるな畜生めが‼︎」
そんな目に怒りを覚えた明日歌は雄叫びと共に立ち上がり、音撃棒を手に雄々しく構える。九尾が完全に舐めきった様子で近づいてくる前で、全身の気を音撃棒の先端に集中させていく。
すると、音撃棒の先端からボッ‼︎と青い火炎が吹き出し、松明のように煌々とあたりを照らし出した。
「食らうがええ‼︎ せいやあああああああ‼︎」
明日歌は燃え盛る音撃棒を振りかぶり、九尾の顔面に向けて振り下ろす。その瞬間、音撃棒の先端の炎が弾け、火矢のように高速で九尾の元に飛んで行く。放たれた炎は油断していたキュウビギツネの顔面で爆ぜ、強力な熱と光で白い毛皮を焼いていく。
途端に九尾は怒りの咆哮を放ち、めちゃくちゃに尻尾を振り回して暴れ始めた。先ほどのように弄ぶのではない、本気で明日歌を潰すために暴れ狂っていた。
「うわあああ⁉︎」
明日歌は間一髪直撃を免れるも、余波でまた空高く吹き飛ばされてしまった。木々の枝に引っかかって勢いを削がれ、大した落下の衝撃を受けることはなかったが、すでに明日歌は疲労困憊の体を晒していた。
「はぁ……はぁ…………うっ」
息も絶え絶えに、未だ暴れ狂っている九尾の尾を力なく見上げた。
「……ぬかったわ」
どうにか残った力を振り絞り、九尾の視界から逃れられる場所に移動する。
先ほど出した炎が残った力をほとんど消費させてしまったようで、もはや動くことすらまともにできなくなっていた。
「うぬ……思ったより、きついのう……これは、後で師匠に怒られてしまうの」
ズルズルと負傷した足を引きずり、大樹の陰に身をひそめる。このまま身を隠し、態勢を立て直さなければあの化け物には勝てないだろう。どうにか気配を殺し、怒るあの怪物をやり過ごさなければ。
幸いこの場所にいることには気づいていないようで、九尾は先ほどから唸り声をあげながらあちこちを鼻と耳で探っている。風の向きや地形が幸いし、明日歌が身をひそめるのに役立っているようだ。
「ハァッ……ハァッ……ぐっ、ぬぅう……‼︎」
全身の激痛に歯を食いしばり、声が出ないように必死に耐え続ける明日歌。プライドを捨て、このまま乗り切ろうとしていたその時だった。
「いやぁぁぁぁ‼︎ た、助けて‼︎ 誰か助けて‼︎」
不意に聞こえた悲鳴に、キュウビギツネがバッと顔を向けた。
明日歌もまたはっと表情を変え、この森に紛れ込んだ悲鳴の主を目で追いかけた。
樹々の拓けた空間に、一人の女性がへたり込んでいる。恐怖に引きつったその顔は、一護たちを案内していた蛇園とかいうガイドの女性だった。
「あやつは確か……! 何故こんな……いや、そんな場合ではない‼︎」
私服らしい格好から見るに、プライベートの時間に森に入って迷い込んでしまったのだろう。島の住民であろうに無謀な真似をしている蛇園に怒りを覚えながら、明日歌は痛む体に叱咤して走り出した。
蛇園の悲鳴に気づいた九尾が、標的を見つけ得たとばかりに高々と咆哮を上げて襲いかかっていく。明日歌は疾風のごとき速さで駆け抜け、今まさに蛇園に食らいつこうとしている九尾の横顔に突進していった。
「離れろおおおお‼︎ でやあああああああ‼︎」
残った全力を込め、九尾の横っ面を殴りつける。完全に予想外であったためか、大きく顎門を開いていた九尾の顔面はその一撃により歪み、巨体がゆっくりと傾いでいった。
ズズンと倒れた九尾をよそに、明日歌はへたり込んでいる蛇園の手を掴んで引っ張り上げ、無理やり立ち上がらせる。
「こっちじゃ! 早う!」
明日歌は涙でぐちゃぐちゃになっている蛇園の手を引き、森の中に逃げ込む。今度こそ忿怒に染まった咆哮を放つ九尾に見つからないように、連れ込んだ蛇園をせり出した木の根の間の陰に押し込んだ。
「ここに隠れておれ‼︎」
「ヒィッ⁉︎ う、うん⁉︎」
混乱していても、怒鳴りつけているのが一度顔を見た明日歌だと気づいたのか、蛇園はこくこくと泣きじゃくりながら頷き、声を抑える。
「いいか、良いと言うまでここから絶対に動くな‼︎ 動いたらわしが直々に殺してやるからな‼︎」
なんども蛇園に忠告してから、明日歌は再び九尾の前に立ちはだかる。
これで、逃げるという手段は失われた。民間人の女を連れて逃げ回ることも、彼女をどこかに隠したまま救援を求めるという手段も使えない。今の明日歌に、そこまでの余裕も時間もなかった。
後に残っている手段は、もう一つだけだった。
「わしに使えるか……いや、使ってみせる!」
懐に手を入れ、音叉を手にする明日歌。師から渡され、未だ使うことを禁じられている道具だ。
未熟ゆえに反動や失敗があることを見越して使用を封じられていたが、今のこの状況を打開できるのは、これを使う以外になかった。
「師匠……すまん! 勝手に使わせてもらうぞ‼︎」
遠慮のない人間の少女の犯行を恐れてか、警戒して距離をとっている九尾の前で、明日歌は音叉の角を伸ばして指で弾いた。
リーン、と清らかな音が響き、明日歌はそれをゆっくりと自身のひたいの前にかざし始めた。音叉の音は波紋を生じ、明日歌の周りの空気を揺らめかせる。
不意に、明日歌のひたいに鬼の顔が浮かび、ついで明日歌の全身を青い炎が包み込んだ。ゴウゴウパチパチと火花を散らし、小さな少女が炎に飲み込まれる。
異様な光景の中、青い炎の中で明日歌の姿が徐々に変わっていくのが見えた。細い腕と足は強靭な太く長い四肢に、ふくよかだった胸は固く分厚い胸板に、顔は面影も見えないほど厚く炎に包まれ、ひたいからは二本の角が生えて見えた。。
「ぁぁぁぁあああああーーーハァァァァァッ‼︎」
雄叫びと共に、明日歌は腕を横に払って炎を散らせた。
露わになったのは、鍛え上げられた白い筋肉の鎧に包まれた、青い角を持つ異形の戦士だった。のっぺりとした顔に、荊のような複雑な突起が生えそれが顔のように見えた。
明日歌のたゆまぬ努力が、ついに形となったのだ。
「できた……ついにできた……! フッ‼︎」
変貌した己の体を興奮気味に見つめた明日歌は、腰に手を回して音撃棒を構える。
威嚇の方向をあげる九尾に、明日歌は挑発するように勇ましい構えをとった。
「そら……どうした化け物。ビビっておらんと、かかってこんか‼︎」
その挑発の言葉がきっかけか、ひときわ大きな咆哮を放った九尾は走り出し、明日歌を噛みちぎろうと大きく顎門を開いて襲いかかる。
「ぬうらああああああ‼︎」
だが、鬼の力を得た明日歌にとって、ただぶつかってくるだけの九尾は相手にならなかった。
凄まじい雄叫びと共に振るわれた音撃棒が、向かってきた九尾の鼻先にめり込み、ぐちゃぐちゃに叩き潰してしまったのだ。
「でやあああああ‼︎」
衝撃で空中で静止した九尾に向けて、明日歌が容赦無く追撃を加える。顎下に向けて音撃棒を振り上げると、九尾の巨体を跳ね上げさせる。鼻と顎を潰された九尾はズシンと仰向けに倒れ、無防備に腹を晒して動きを止めた。
明日歌は跳躍し、九尾の腹の上に飛び乗ると、腰の前に装着された丸い円盤状の道具を真下に押し付ける。すると円盤は回転しながら巨大化し、三巴模様の浮かぶ半透明な太鼓の鼓面へと変貌した。
「音撃打、火炎連打の型‼︎」
凛、と音撃棒を打ち鳴らし、明日歌は鼓面に向けて渾身の打撃を連打する。強烈な打撃が衝撃波を放ち、音となって大気を揺らしまくる。
地面をも揺らす振動が九尾の体に伝導し、化け狐はビクンビクンと体を痙攣させて身悶える。
「まだまだぁぁぁ‼︎」
しかし明日歌は容赦なく九尾を攻め続け、清めの音を叩き込み続ける。汗が滲もうと、足がすべろうと、今ここでたそすべく九尾の腹部に全力を注ぎ続けた。
「ちぇすとぉおおおお‼︎」
最後の一撃を、両手で同時に叩き込む。
途端に九尾はより大きく体を震わせ、ピンと手足を伸ばして完全に動きを止めた。かと思えば腹部が異様に膨らみ始め、やがてドォンと凄まじい轟音を放って粉微塵に千切れ飛んだ。
「……ハッ、ハァッ……やった、か」
ハラハラと木の葉が舞い散る中に着地し、明日歌は呆然と立ち尽くす。もはや動く気力は起きそうにない、全力を振り絞って戦い抜いたため、立つことすら億劫なくらいだ。
しかし明日歌は今にも折れそうな膝を懸命に支え、ふらつく体のまま歩き始めた。まだ終わりではない、身を隠させたあの女を送り届けなければ。
「……よし、魔化魍は倒した、安心せよ。ここはわしに任せて、おぬしは早く街にもど……」
蛇園が隠れているはずの木の影を覗き込む明日歌だったが、その言葉は途中で途切れた。
身を潜め、震えているはずの彼女の姿がどこにもなかったからだ。
「…ん? どこへ行ったんじゃ?」
姿の見えなくなった女性を探し、明日歌はキョロキョロと辺りを見渡す。戦闘の音が恐ろしくて、より深いところに逃げてしまったのだろうか。だとしたらさっさと探してやらねばならないなと、疲労困憊の明日歌はふらふらのまま考えた。
「お〜い、もうええぞ! 魔化魍は斃した! 案内してやるから今のうちに逃げーーー」
呼びかけ、さっさと戻りたいと嘆く明日歌。
もう今日は帰りたい。いつのまにか他の場所からの戦闘音も止まっていて、向こうも決着がついたのだと察する。ならば今日の仕事は完了したのだ、さっさと帰って飯を食って眠りたい。
だが、そんなことを考えていた明日歌のうなじに、奇妙な熱が走った。
「ーーーえ?」
呆けた声をあげて、熱を感じたうなじを触る明日歌。何かたちの悪い虫にでも噛まれたかと思ったが、鬼の体に普通の虫が刺したぐらいでどうにかなるはずもない。
と、次の瞬間。
「ぐぅっ⁉︎」
凄まじい熱が全身を襲い、それは痛みとなって明日歌の中で暴れ狂い始めた。
まるでドロドロに溶けた鉄が胸の中に流し込まれたかのような感覚が、明日歌の中で急速に膨れ上がっていった。
「ぅ、あ、あああああ……⁉︎ なん、じゃ、これはぁぁああ⁉︎」
熱い、熱い熱い熱い。
何かが己の中で暴れまわっている、中で己の体を食い散らかしている。肉が溶け、骨が燃え、内臓が焼けるような激痛が明日歌の中で膨張し、明日歌を際限なく苦しめていく。逃げ場のない炎が胸の中で荒れ狂い、明日歌は胸をかきむしるようにして悶え苦しむが、何をしてもそれを抑え込むことができなかった。
「う、うぁあ……うああああああああああああ‼︎」
その熱が、己の中から暴発するのを感じ。
明日歌の意識は、真っ白に染め上げられていった。
海を超えてきたというのか!?
もののけ姫見て取り入れたセリフです。乙事主様……。