響鬼は一人、刀と撥を構えたままその場に佇む。
目前に倒れ伏している男を見下ろし、言いようのない無力感に声もなく立ち尽くしていた。
「……カブキ」
そのそばに寄ったアスカも、カブキに苦しげな表情を向けたまま言葉を失う。
カブキの言葉は、響鬼だけに向けたものではない。全ての人間に向けて放たれた言葉であった。
人間を救うために異形の力を手に入れ、守るために振るったのに、理解の足らなさから受け入れられない理不尽への怒り、悲しみ、絶望。それらが彼らの戦いの最中から、ひしひしと伝わってきた。
響鬼はただじっと、彼を見下ろす。
これは自分だ。大義を見失い、道を踏み外した自分だ、と。
決してこの姿を忘れてはならないと、目に焼き付けようとしていた時だった。
「……役立たずが」
不意に聞こえてきた言葉に、響鬼はアスカを背にかばいながら振り向き、構える。
いつのまにか、響鬼とアスカを囲むように集まっていた魔化魍の集団に、アスカは言葉を失った。例の少女だけではない、オロチに仕えていた童子と姫、それにカブキとともにいた火焔大将までもが立ち並び、いやらしい笑みを浮かべていたのだ。
「相打つどころか一匹も仕留められんとはな……所詮雑魚は雑魚か」
心底落胆した様子でそう呟く少女に、アスカは頭に血がのぼるのを感じた。
こいつらにとって、カブキは仲間どころか都合のいい道具でしかなかったのだろう。響鬼をうまく排除できればよし、使い物にならなくなれば、オロチの餌にでもするつもりだったのだろう。
男の怒りを、嘆きを、踏みにじるしかできない醜悪な存在に、アスカは無力ながらも怒りの炎を燃やした。
アスカの睨みも気にせず、少女は気だるげに鞠を傍らに捨て、踏み潰した。
「もうよいわ……我が自ら喰うてくれる」
ニヤリと耳まで裂けるような獰猛な笑みを浮かべた少女の姿が、一瞬で変わっていく。
小柄な体はみるみる大きくなり、西洋の鎧のような鋼が覆っていく。頭から生えた長い白髪と、死神のような黒い外套がはためき、骸骨のような顔の眼窩に灯った赤い眼が光る。
巨大な槍と盾を備えたその正体は、二口女とも称される魔化魍の一体、ヒトツミ。
「ーーー我の胃袋の中で、仲良く溶け合うがいいわ」
そういうと同時に、ヒトツミから放たれる凄まじい圧に、響鬼とアスカはビリビリと大気が震えるのを感じる。島の外から渡ってきた強大な魔化魍を目の前にし、本能が最大級に警鐘を鳴らしていた。
黒子のような忍のような、黒ずくめの格好をした魔化魍の手下達が徐々に距離を詰めてくる中、響鬼が再び猛の刀を構えた時だった。
「どおりゃあああああああああ‼︎」
「⁉︎」
突如聞こえてきた野太い怒号と共に、集まっていた手下達の一部が一斉に吹き飛ばされた。
かと思えばまた別の場所で爆裂が生じ、魔化魍達が悲鳴を上げて吹き飛ばされる。何が起こっているのか、砂埃が立ち上がって確認することができず、魔化魍達はやられるがままとなっていた。
いきなりのことで、魔化魍どころか響鬼達まで呆然となり、言葉を失っていた。
「ぬぐおおおお⁉︎」
爆発の余波を受け、砂を被ったヒトツミが忌々しげな声を上げる。姫や童子、火焔大将らはすぐさまその場から距離を取る。
響鬼達からも離れているところを見るに、この状況は相当予想外であることのようだ。
そこへ届いたのは、思いもよらない声だった。
「響鬼ぃ! 大丈夫かぁ⁉︎」
たんっ、と身軽にその場に現れたのは、爆ぜ玉を両手に持つ浪速の男。泥棒稼業で鍛えた足で跳ね回る、軽薄ながらも一本の芯を持った鬼の一人だった。
「……に、ニシキか⁉︎」
あまりの驚愕に、アスカは思わず上ずった声を上げる。
その衝撃はヒトツミも同じようで、初めて狼狽した様子でニシキの方を凝視していた。
「なぜ奴が……⁉︎」
「ーーー⁉︎」
硬直するヒトツミのそばを、何者かに蹴り飛ばされた手下が突き抜けてゆく。
砂浜に墜落した手下たちを一瞥すると、ヒトツミは手下が飛ばされてきた方向を睨みつけ、そこにいた着物の青年に怒気を強めた。
「イブキ⁉︎」
驚くアスカだが、現れたのはそれだけではない。
背の高い僧侶が、農夫の格好をした丈夫が、派手な格好をした二枚目が、次々に魔化魍たちを飛び越えてアスカの元へ馳せ参じてきたのだ。別れ際の感情など、みじんも感じさせない穏やかな表情で。
「……ぬしら、なぜ……?」
「あのあと色々考えてな、最後まで付き合おうと思ったんや。今度こそごっつ暴れたるでぇ‼︎」
「そ、そういう意味ではない‼︎」
もう、見放されてしまったと思った。救う価値などないと見限られて、もう二度と手を差し伸べてはくれないのだと思っていた。
なのに、彼らは再びここへ集まってきてくれた。
「主ら……なぜ、また人間を助けてくれるというんじゃ」
それが、自分自身が目にしても未だに信じられない。
困惑したままのアスカに、イブキが苦笑しながら歩み寄った。
「頼まれてしまったからね、か弱い老人と美女に、それと他のみんなに。土下座までされてはね」
「……長が、彩姫が……?」
集落の者たちとは違い、鬼に対して悪い感情は抱いていなかった二人だ。まさかあの二人が、集落の者たちを説得してくれたのだろうか。
だとしても、よくそれに応じてくれたものだ。厚意を裏切り、踏みにじったというのに。
しかしハバタキは、気まずそうに頭を書きながらそれに首を振った。
「……ここで逃げたら、寝覚めが悪いからよ」
「全ては、御仏の心に従うまで」
「ま、やってやろうじゃん?」
「盛大な祭りだ、面白ェじゃねぇか!」
「トウキ……ハバタキ……キラメキ……」
もはや、それ以上の言葉も出せない。己の中の何かが決壊してしまいそうで、アスカは震える唇を閉じきるしかできないでいた。
そのすぐ近くに、凄まじい落雷が轟いた。
「どぉりゃあああああ‼︎」
アスカが振り向けば、案の定鬼の中でも最も熱い男が弦楽器を振り回して暴れまわっている姿が目に入る。最後まで渋っていた彼が来ないはずなど、なかったのだ。
「色々悩んだっすけど……やっぱ、見捨てらんねぇっす‼︎ 俺も一緒に戦うっす‼︎」
「トドロキ……!」
息を切らせて駆け寄ってくるトドロキを前にして、ジワリとアスカの目がにじむ。まっすぐな思いをぶつけてきてくれる彼の言葉に、不覚にも涙腺が限界を迎えそうになっていた。
「こうなったらとことん付き合うぜ、嬢ちゃん‼︎」
「もう一度、力を振るおう‼︎ 何処かの誰かのためではない、君のために‼︎」
頼もしい、仲間の言葉。
彼らだけが、アスカを対等に見てくれていた。
「みんな……」
誇らしげな表情で、鬼達はアスカを見つめてくる。
荒波を越え、たった一人大切なものを守るために尽力したか弱き少女。否定されようと、見捨てられようと、決して自らが投げ出すことはしなかった、高潔な魂の持ち主である彼女を、彼らは誇りに思っていた。
アスカの頬を、熱い何かが伝っていく。胸が熱く燃え滾る。
何もかも無くして、捨てられたと思っていたアスカは気づく。まだ、残っているものはあったのだと。
自分はもう、一人ではないのだと。
「ーーーああ、皆、頼む‼︎」
七人の構える音叉の音が、響き渡る。心を洗い流す、清純なる音色が島に響き渡り、大気を震わせる。
勇ましく立ち並ぶ男たちにまとわれる風が、雷が、羽毛が、衣が、吹雪が、金色が彼らを屈強な戦士の姿へと変えていく。
「おっしゃぁぁぁぁぁぁ‼︎」
それを払いのけ、変貌した我が身を魔化魍に晒す鬼戦士たち。艶やかに輝く、隆々とした筋肉の鎧、雄々しくのびた角、それらを携え、鬼たちは少女を守るように頼もしく立ちはだかる。
七人の戦鬼が、今再びこの地に揃ったのだ。
面白くないのは、せっかく邪魔者を排除したヒトツミたち魔化魍。その目が、轟々と憎悪の炎で燃えていた。
「鬼どもが‼︎ また性懲りも無く邪魔をしおって……‼︎」
「我らは鬼。魔化魍を討つ存在‼︎」
「相手が誰であろうと、ここからは一歩たりとも引かねぇぜ‼︎」
無数の敵を前にしながら、鬼たちは一歩たりとも引かない。
その後は、圧倒的であった。
「ふっ!」
「どりゃああああ‼︎」
威吹鬼は音撃管の引き金を引き、群がってくる魔化魍たちを片っ端から撃ち抜いていく。間合いに入ってきたものには強烈な蹴りを加え、砂浜まで蹴り飛ばす。
轟鬼は果敢に魔化魍に躍りかかり、音撃弦を剣のように振り回して次々になぎ倒していく。激しい火花をちらせながら魔化魍たちは吹き飛ばされ、断末魔の悲鳴とともに次々に海に叩き落とされていく。
「せいやぁ‼︎」
「ぬぅあああ‼︎」
西鬼は手甲から生やした爪を振るい、虎のように野性味溢れる戦い方で翻弄する。魔化魍の首を両足で挟むと、両手のみで全力疾走して引き摺り回し、木の幹に叩きつけるという芸当をお見舞いしていた。
凍鬼はその凄まじい膂力で魔化魍の頭部を掴み、振り回して同士討ちをさせるという荒技を見せる。ただ殴りつけるだけで、ほとんどの魔化魍は一撃で戦闘不能にされ、木端と化していた。
「ハァッ‼︎」
「ぜぁぁ‼︎」
羽撃鬼は腕から生えた翼で空を舞い、空中から魔化魍たちに膝蹴りを食らわせる。音撃
煌鬼は自ら水中へと挑み、おびき出されてきた魔化魍たちを迎え撃った。両肩に装着されていた音撃
歴戦の鬼たちを前に、魔化魍たちは全くと言っていいほど相手にならない。姫も童子も、火焔大将までもが次々に討ち取られ、みるみるうちに数を減らしていった。
響鬼は、一人ヒトツミと相対していた。猛の刀を振るい、猛然とヒトツミに挑んでいく。
しかしヒトツミは手強く、間合いの違いから響鬼の方が追い込まれてしまっていた。長く分厚いヒトツミの槍の勢いは凄まじく、硬い盾は容易に突破できない強度を誇っている。武器の違いだけではなく、膂力の差もあらわとなりつつあった。
「往ね‼︎ 鬼が‼︎」
「くっ……‼︎」
ヒトツミの一撃が、ついに響鬼の手から猛の刀を弾き飛ばす。激しい火花を散らし、くるくると宙を舞った刀は響鬼の元から遠く離れ、海の中へと沈んでいった。
獲物を失った響鬼に、ヒトツミはニヤリと笑みを深める。
だが、次の瞬間その笑みが凍りついた。
「音撃射・疾風一閃!」
羽撃鬼の奏でる音撃吹道・烈風が、美しい旋律を叩きつけたのだ。背後から放たれた音の奔流がヒトツミをその場に縛り付け、力を奪っていく。
魔化魍にとって毒とも言える清めの音を直接喰らい、ヒトツミは忌々しげに歯を食いしばりながらじりじりと離れようとする。
その横腹に、音撃弦・烈雷が突き刺さり、トドロキの腰の帯から外された尾錠が取り付けられた。
「音撃斬・雷電激震! うおりゃああああ‼︎」
烈雷を突き刺したまま、轟鬼が弦をかき鳴らす。雷鳴のような轟音が大気を震わせ、ヒトツミの体にまで振動を伝える。
ヒトツミは不快気に目を光らせ、多少手こずりながら烈雷を無理やり引き抜き、轟鬼ごと放り出すと森の中に逃げ込んで行く。
しかしその目の前に、巨大な三つ巴模様が浮き上がった。
「音撃殴・一撃怒涛! おおおおおおおおお‼︎」
巨大な棍棒、音撃坊・烈凍を振りかざした凍鬼が鼓面に向かって叩きつける。大気に刻まれた波紋がヒトツミをも包み、音の牢獄の中に閉じ込め、清めの音を刻み込む。
わずかに苦悶の声を漏らしたヒトツミは大きく槍を振るって清めの音を振り払い、凍鬼から距離をとる。
だがその先には、両肩の音撃震張・烈盤を構えた煌鬼がいた。
「音撃拍・軽佻訃爆! ッハァ‼︎」
円盤が叩き合わされ、凄まじい金属音が襲いかかる。大気に響き渡る音撃が刃のように刻み込まれ、ヒトツミはさすがに苦し気に呻き声をもらす。
「音撃響・偉羅射威! イラッシャイ! イラッシャイ! イラッシャイ!」
そこへすかさず、音撃三角・烈節を組み立てた西鬼が、音叉を叩きつけて音をかき鳴らす。腹の底まで届く甲高い音が檻のようにヒトツミを囲い込むと、ヒトツミは目に見えて苦し気に暴れ始めた。
「音撃奏・旋風一閃! フッ‼︎」
さらに、音撃吹道・烈空を吹き鳴らし、美しい音色が弓矢のように突き刺さる。体の奥にまで届く精巧な音により、ヒトツミもたまらず武器を取り落として悶え始めた。
「お……おの、れぇええ……‼︎」
連続で、六人の鬼に音撃を喰らい続けるヒトツミ。そもそもそこまでの連撃を受けてまだ耐えているヒトツミの方が異常なのだが、その頑強さを抜きにしても鬼たちの猛攻は凄まじかった。
清めの音を真っ向から喰らい、弱り始めた胴体に響鬼が肉薄する。腰の尾錠から取り外した円盤をヒトツミの腹部に押し付けることにより、巨大な鼓面を作り出した。
「音撃打・爆裂強打の型!」
そして放たれる、とどめの一撃。
己の、アスカの、そしてすべての者たちの想いを乗せた、渾身の音撃がヒトツミの腹に叩き込まれ、待機だけでなく地面までグラグラと揺れる。
隙間なく繰り出される怒涛の連撃によって、ヒトツミは逃げることもできずに振動に体内を食い散らかされていく。
「おおおおおおおおおおおおおお‼︎」
最後に放たれた一撃により、ヒトツミの体が宙に吹き飛ぶ。倒れることはなかったが、よろよろと限界を迎えた魔化魍は憎悪のこもった目で響鬼を、鬼たちを睨みつけ、口から体液をこぼして後ずさった。
「鬼どもが……‼︎」
腹を抑える手に、巨大な三つ巴模様が浮かび上がる。空気が揺らぐほどの熱を放ち、回転を始めるそれがヒトツミを熱の中に閉じ込め、その身を焼き始めていた。
「これで終わりと思うな‼︎ 貴様らの絶望は……今始まったばかりなのだ‼︎ ぅううおおおおおおおおおお‼︎」
獣のような咆哮を放ち、ゆっくりと仰向けに倒れていくヒトツミ。
その体が地面に着いた瞬間、その巨体は爆炎に包まれ、文字通り木っ端微塵に弾け飛んだ。
轟音と閃光があたりに走り、ヒトツミを跡形もなく焼き尽くしていく炎の前で鬼たちが構えを取る。島の陸地に上がっていた魔化魍は、すべて撮り逃しなく仕留め終わった。残っているのは。
「グオオオオオオオオオオオオオオオ‼︎」
その時、すぐ近くの海面が盛り上がり、激しい水飛沫とともに巨大な蛇が姿を現した。島に着いた時に煮え湯を飲まされた、片目を失ったオロチだ。
「あれは……ついにきたか!」
「へっ! 親玉が出やがったな!」
ついに現れた、島を恐怖に陥れた根元にして、魔化魍たちの王の登場に鬼たちは闘気を漲らせる。あれを仕留めればこの島は、アスカは救われるのだ。この戦いを、終わらせることができるのだ。
「だったらこいつらの出番だ‼︎」
鬼たちが、腰に下げられた円盤をオロチに向かって投げる。
弧を描いて中を飛ぶ円盤は細かく展開し、それぞれが獣の形を取り始めると同時に、見る見るうちに巨大化し始めた。
「ウォン‼︎ ウォン‼︎」
「グゥオオオオ‼︎」
「ピィイイイ‼︎」
大理石のような豪腕を持つ
「グオオオオオオオオオオオオオオオ‼︎」
シロネリオオザルの剛拳を食らい、岩紅獅子に切りつけられ、茜鷹に食いつかれる。
同程度の巨体を誇る三体の登場に、オロチは怒り狂いながら迎え撃つ。巨体でのしかかり、口から火焔を吐きながら三方からの攻撃に反撃を与え始めた。
オロチの注意は三体の鋼の獣に向いている。獣たちの援護の間に、鬼たちは再度各々の武器を構えた。
「皆、行くぞ‼︎」
「オオ‼︎」
勇ましく吠える響きに、答える六人の鬼たち。
その背後に控えるアスカに見守られながら、鬼たちはオロチの元へと突進を始めた。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお‼︎」
雄々しい咆哮が、波のようにオロチの元へ向かっていく。
この時より、オロチと鬼の歴史の裏舞台に刻まれる戦いが、火蓋を切った。