「はーい! 空座第一高校から来たみなさーん! こちらに集合してくださーい!」
それから数十分後、フェリーはようやく目的地である夜刀神島の港に到着した。窮屈な船の中から解放された生徒達は、案内に訪れた女性の声も聞かずにそれぞれではしゃいでいた。
「ここからの案内は私、蛇園が担当いたします。皆さん、よろしくお願いします!」
大きな声で自己紹介する蛇園だが、残念ながらまともに聞いている者はあまりいなかった。皆それぞれでグループを組んでは、ざわざわと騒ぎ合っているばかりだ。
しかし蛇園はへこたれず、パタパタと旗を振って生徒達を港に近い建物の方へと導いていく。
どんなに無視されようと、常に笑顔をキープしている様がどうにも気味が悪く、一護は過疎化した地域で働く大人の闇を見ている気分になった。
「ではまず、私の方からこの島の歴史をざざざっと説明してまいりますので、資料館の方へ移動していただきまーす!」
ニコニコと過剰なほどに笑う蛇園にどこか薄ら寒い気配を感じながら、一護はあたりの景色を見渡してため息をつく。
その時だった。
「何でぃあのねーちゃん。美人なのになんかお近づきになりたくねーな」
自身のリュックの中から、聞こえるはずのない声が聞こえてきたのは。
一護はすぐさま集団から離れると、近くにあったベンチの陰にしゃがみ込んでリュックの口を開く。そしてその中で窮屈そうに押し込められていた〝奴〟をギロリと睨みつけた。
「お前、何、してんだ?」
「何とはなんだコノヤロー! いざって時のために俺様が随伴してやったんだろうがブフッ⁉︎」
ふてぶてしくも文句を言うソレ、どう言うわけか口を聞いて動き回るライオンのぬいぐるみのコンの顔面をガッと掴み、いちごは他の誰かに聞かれないように押し殺した声を発した。
何をしているのだこの無機物もどきは。
「いらねーんだよんな気遣いはよ……旅先にぬいぐるみ持って来てる高校生ってなんなんだよ……⁉︎」
確かに、必要になる時はあるかもしれない。だが時と場合を考えろ、と一護は血走った目でコンを睨みつける。
ただでさえ不名誉な噂が囁かれていると言うのに、こんな旅先にまで厄介ごとを起こされるのは真っ平御免だった。
「大人しくしてろよ。頼むから!」
「わーってるって! いやしっかし……びっくりするほどなんもねぇな」
「……確かにな」
不安要素を背負いつつ、一人グループから離れて港や他の場所を見渡す一護。港にあるのは一護達が乗ってきたフェリーと数隻の漁船のみ、他は何もない殺風景な場所だった。
石田の言っていたことが事実かもしれないなと思い、逆にこんな有様では余計に人が離れて行くのではないかと心配になっていた。
「寂れるのも時間の問題なんじゃねーか?」
「そりゃそうじゃ。大した名産もないからの」
そんなことを考えていた一護の後ろで、ガチャンと大きな金属音が響いた。振り向いた一護の目の前を、宙に浮いた巨大なリュックが遮る。一護は慌てて背中のリュックの口を押さえつけ、コンの姿を隠した。
視線を横にずらすことで、それが大きな荷物を背負い直した一人の少女であることに気づいた。そしてそれが、先ほどの怪力っぷりを見せた少女であることに。
「! お前、さっきの」
「おう、さっきの若いの。高校生じゃったか。青春を謳歌しているようで何よりじゃ」
相変わらずの見た目と釣り合わない口調に、一護は知り合いの黒猫のことを思い出す。
というか、見た目と実年齢の差が激しい連中と良く付き合っているからか、この見た目が明らかに中学生、あるいは小学生の少女が一体いくつなのか判断がつかなかった。
「…………」
「ん? なんじゃ?」
思わずじっと見つめてしまっていた一護に、少女は訝しげな視線を返した。
「……いや、年上か年下か、今はとりあえずそれだけ聞かせてくれねぇか?」
「しばくぞ」
一瞬で一護の考えを読み取ったらしい少女が、こめかみに血管を浮き立たせて低い声で脅した。見た目に関してはやはりタブーだったらしい。
「わしは花の17じゃぞ⁉︎ もっと気を遣わんか戯けが‼︎」
「わ……悪りぃ。じゃなくてすんません」
一護は素直に謝り、拳を握りしめて一歩踏み出してくる少女から距離をとった。自分の体重よりも重そうなリュックを軽々と背負っているこの少女に逆らうのは、どう考えても良策ではないというのは明らかだった。
若干ビビっている一護の態度を反省と捉えたのか、少女は拳を引いて苛立たしげに腕を組んだ。
「ったく失礼なガキじゃのぅ……まぁ良いわ。観光なら忠告しておこうと思っての」
「は?」
不意に雰囲気を変えた少女に、今度は一護が訝しげな声をあげた。
半目で見つめる一護に、少女は睨みつけ、戒めるような視線を向けて口を開いた。
「……つまらんからといって、森の奥へは入るなよ」
有無を言わせぬ強い口調に、一護は眉を寄せながら既視感を覚えていた。少女の纏う雰囲気は、一護の友人達に通じるものがある。
規律を重んじる組織である彼らと似た感覚が、少女からは感じられた。
「何言って……」
「ではの。忠告はしたぞ」
少女は一護の返答は聞かなかった。必ず従わねば許さないというような空気を残して、少女は一護を置いてその場から歩き去って行った。
「これが島が誇る最長老の杉、夜刀神大杉です」
蛇園の案内で、生徒達は若干窮屈な資料館の一室をクラスごとに見学することとなる。
その一室の壁には大きな写真が飾ってあり、大きく育った杉の樹が写っていた。一緒に写っている島の職員らしき人との対比から、その巨大さがよくわかった。
「ほー、こりゃ確かに立派だな」
「推定樹齢は500年。いわゆる戦国時代からこの島を見守り続けてきた、島の人からは守り神と呼ばれている大樹ですよ」
「……現物は見れないの?」
啓吾が杉の大きさに感心したように声をあげるも、蛇園は申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「申し訳ありません……観光地化される前に訪れた旅行者のマナーの悪さが原因で、大杉の近くも荒らされてしまいまして。現在一般公開はされていないんです」
「なんでぇ、つまんねぇな」
啓吾がぼやくが、それは周りも同じことだった。見られないなら最初から紹介するなよ、とい言いたげな雰囲気が漂い、その場にいた全員のテンションが著しく低下し始めた。
それでも蛇園はへこたれず、旗を振って全員の注目を集めると再び貼り付けたような笑顔を浮かべて誘導を始めた。
「はいみなさん! お次は役所の方を見学します! しっかり将来の職場を見ておいてくださいねー!」
「……うわー、絶対嫌だー」
さらに啓吾たちのテンションが下がり始めた。それでもついていかねば予定が進まないため、心底嫌そうな表情になりながらついて行く他にない。
だが、ある二人の女生徒はもうそんな気分にもなれなかったようだった。
「あーん、もうだるいー」
「今時社会科見学とかまじしんどいしー」
見るからに、というほどではないが、今時のギャルっぽい着崩した格好の女子生徒二人が、ぞろぞろと歩いて行く生徒たちの列を見ながらぼやく。高校生にもなって、みんなで一緒に行動するなどという行為に意味を抱けなかった。
「このままバックレる?」
「いいじゃん、行こ行こ」
クラスメイトの注意が自分たちに向いていないことをいいことに、二人はそっと資料館から抜け出した。
そんな二人に、気付くものは一人もいなかった。
「へー……変な資料館とかよりこっちの方が断然気持ちいいじゃん?」
「ほんとほんと! なんだろ、マイナスイオン満喫してるって感じ?」
「そうそう。たまにはいいかもねー、こういうとこに来んのも」
「これだけは感謝かもねー」
資料館を抜け出した女子生徒二人は、歩いてすぐの森の中にいた。裏口から出てみれば、すぐ目の前に森が広がっており、少女たちの向けて大きな口を開けているように見えた。
「でもこんなところで働くとかまじ勘弁ー」
「あはっ、言えてる!」
人の足が全く入っていない獣道を進んでいく二人は、滅多に堪能できない清純な空気を肺いっぱいに吸い込み、大きく伸びをする。
都会では決して味わえない感覚を、堪能していた時だった、が。
「やっぱさー、あたしたちには田舎暮らしとか考えられなーーー」
片方の少女の声が、不意に途切れた。まるでテレビの電源が急に切れたかのように不意に、何の前触れもなく。
「……あみ? ちょっと、どこ行ったのよ?」
声も気配も消えた友人に一拍おいて気づいたもう一人が、立ち止まって辺りを見渡す。
道は一本道だ。よほどの方向音痴かバカでもない限り逸れるはずもないし、まだあたりは昼近くで明るい。逸れれば、間違いなく気づくはずだった。
「やだ……変な冗談やめてよね」
悪ふざけで姿を消したんじゃないか、と考えるも、徐々に体に走る寒気は強くなっていた。
友人の姿を探して、おぼつかなくなり始めた足でゆっくりと歩きだす。さっきまで視界はクリアだったはずなのに、いつのまにか白く濃厚な霧が辺りに立ち込め始めている。
すると女性とは、足元に落ちている桜色の布に気づき、しゃがみこんで拾い上げた。ふわふわとした素材でできたそれは、友人がいつも右手首に巻きつけていたお気に入りのもののはずだった。
「これ、あみのシュシュ……うそ」
女生徒の表情が、徐々に青く染まり始めた。
ここにいてはいけない、危険だ、内なる自分が警鐘を鳴らし、震える足で元来た道へつま先を向ける。
だが、カタカタと震える足で走り出そうとした瞬間、己の首にしろ何かが巻きついた。女性とは「ひっ」と声を漏らし、半ばパニックになりながらそれを引き剥がそうとした瞬間。
「キャァァァッーーー」
女生徒があげたその悲鳴はくぐもったものへと変わり、やがて消えた。
「ーーーじゃからの? 仕方がないじゃろう。師匠が頑なに行かせてくれんのじゃから」
島に唯一存在する、電話ボックスの中の古びた公衆電話を耳にかけながら、大荷物を背負った少女は困った顔で受話器の向こう側の人物に返答していた。
見るからに飽き飽きしているとわかる表情の少女の耳に、今度は受話器から不満げな声が届いた。
『それで明日ちゃんが参加できないって言うのはひどいじゃない! 大丈夫よ、文句言う人たちは私がしばいとくから!』
「やめとくれ。むしろより居心地が悪ぅなるわ」
本気で嫌がる表情になった少女が抗議するように返した。電話越しで分かるまいが、相手にじとっとした目を向けて睨みつけるほどだ。
「構いやせんよ。こっちの仕事もまだ片付かん。今年も慰労会は不参加ということでこの話は終わりじゃ」
『でもぉ〜。それじゃ明日ちゃんに慰労してあげられないし〜……可愛がれないし〜』
「それが目的、じゃと……⁉︎」
知人が思った以上にしょうもない目的を持っていたことに、戦慄する少女。やたらとボディタッチが激しいとは思っていたが、まさかただ愛でるために近づいてきていたのかと愕然となる。
『そもそも師匠だからって女の子の行動を制限する権利なんてないわよ! アスちゃん、悪いことは言わないからあんな人とはもう縁切っちゃいなさいよ! 明日ちゃんはまだこれからがあるんだから、なんなら別の師匠を紹介するわよ!』
「……と、言われてもの。わし、弦も管も使えんし」
『……あー』
少女が照れ臭そうに頭を掻いていると、相手は納得したように抜けた声をあげた。
それで理解されるのは複雑な心境だ、と少女は自分自身に呆れたようにため息をついた。
「基本的に音痴じゃしの」
『……それって致命傷じゃない?』
「言わんでくれ」
自分で言っておいてなんだが本当に面目無い。
だがすぐに切り替えると、少女はフッと笑みを浮かべながら、腰に手を当てて胸を張った。
「ま、そんなわけじゃしの。太鼓を教える師匠がそもそもおらんのじゃ。何よりわしには、響鬼流の流れを組む歌舞鬼流が最もよく合っておる」
『もー頑固なんだかーーー』
電話の向こうで呆れた声が聞こえたと思ったら、唐突にその声が途切れた。ツーツーという音がなり、それ行こうなんの返答もなくなってしまった。
「…ん? もしもし? おい、もしも……あ、切れとる」
小銭が切れたとようやくわかった少女は「あちゃー」と額を手で押さえ、自分の財布を確認してみる。
だが入っているのは数枚のお札とわずかな小銭だけで、通話を再開できるほどの金額は残っていなかった。
「土産を何にするか、聞きそびれたの。……まぁ、適当で良いか」
お札を崩すのも面倒と、少女は受話器を戻して電話ボックスの中から出る。
電話ボックスの隣に大荷物を下ろすと、ぎゅうぎゅうに詰め込まれた中から工具箱と何かの道具を取り出した。
「さて、仕事をせねばの」
少女はつぶやくと、取り出した道具ーーー角が折りたたまれた、金色の鬼の顔を模した装飾がほどこされた、音叉を取り出した。
工具箱のロックを外し、蓋を開く。その中にびっしりと収められていた薄い円盤の中から一枚を取り出すと、手に持った音叉の角を伸ばして円盤に軽くぶつける。
リーン、と心地よい音が響いたと思うと、音の振動が円盤に伝わっていく。振動が伝わった部分から、複雑な模様の入った円盤が鮮やかな茜色に染まっていった。
すると次の瞬間、少女の手の中から円盤がひとりでに跳ね上がり、一瞬で展開する。小さな茜色の鷹のような姿になった円盤は、少女に目を向けながら甲高く鳴いて見せた。
「ほれ、ゆけ」
少女が命じ、円盤の小さなタカーーーアカネタカは、ざわざわと不気味な声が響く森に向かって飛び立っていった。