「……畜生どもが」
ガラガラと崩れる岩場、へし折れる木々、捲き上る砂塵。
激闘の跡が生々しい暗闇の中で、ギラリと真っ赤な血のような色が煌めく。
「この程度で我を討てると思うてか……舐められたものだな。貴様らがいかに戦おうと、我を止められるはずがなかろうが」
女の体に痛々しい傷跡を刻み、しかし以前よりも強い憎悪の炎を目に宿した蛟がうなるような声を漏らす。
全身に刻まれた裂傷や火傷はみるみるうちに修復され、砕けた鎧も端から再構築されて行く。異常な再生能力を見せ付けながら、蛟は己の体に傷をつけた矮小な存在に憎々しげに睨みつける。
その原動力は矜持か、自尊心か。
「くっ……まだ動けるのかよ」
「退け、一護よ」
全力を叩き込んだのに動いている敵に、一護が悔しげに顔を歪めるが、その肩を押しのけて明日歌が前に出た。
その目は蛟に固定されたまま、蛟と同等かそれ以上の憤怒に燃えていた。
「あれはわしの獲物じゃ」
「⁉︎ おい、待てよ!」
蛟を見据えたまま向かっていこうとする明日歌の肩を掴み、一護は表情を険しくする。
異常な力の上昇を見せた彼女ではあるが、蛟はそれ以上の力を隠している。あれほどの猛攻を受けても再生している点からも、その考えは間違ってはいないだろう。
「一人であいつに勝てるわけねぇだろ! 俺も手を……」
「いらぬ……人間の力は借りぬ」
はっきりとした拒絶の言葉に、一護は息を飲んだ。
振り返りもしない明日歌の声には、あらゆるものに冷めたような乾いた響きがあった。
無理もない。事実魔化魍の姿で味方を傷つけたとはいえそれは蛟の策略、冤罪で敵と判断されたのだから。人間に愛想をつかしてもおかしくはないだろう。
「あれはわしが……化け物は化け物の手で始末をつけるのが道理じゃ」
「……一人で死ぬつもりか」
だが、一護にはそうとは思えなかった。
全てに絶望したのなら、この場に来る必要はない。
今の彼女は、その身一つで何もかもを抱え込み、片付けようとしているようにしか見えなかった。
「……なら、どうすればいい。わしにはもう、奴を仕留めることしか剣を振るう理由など」
「そんなことのために剣を振るなんざ、バカのやることだろ」
「……何じゃと?」
眉間にしわを寄せた明日歌が振り向く。覚悟を貶され、さすがにわずかながら怒りが蘇ったのだろう。
「戦って死ぬことだけが、お前の望みかよ⁉︎ そんなことのために、お前はここに戻ってきたのか⁉︎」
二人向かい合い、睨み合う。
一護も明日歌も、互いに怒りを抱いていた。一護は自らの命を顧みずに戦おうとしていることに、明日歌は自分一人で片をつけるところを邪魔されたことに。
「違うだろ……お前は、戦うことを誇りに思ってたじゃねぇか! 俺たちを助けてくれたじゃねぇか‼︎」
最初に出会った時、明日歌の目は熱く燃えていた。鬼として戦うことに、人を守る行いに誇りを持っていた。
今の彼女にはそれがない。一人で敵に向かい、全てに終止符を打って姿を消そうとしているようにしか見えなかった。
「思い出せよ……あの時のお前は、そんな顔じゃなかっただろうが‼︎」
ズシンと蛟が一護たちの前に降り立つ。過剰な再生のせいか異様に歪んだ肩を怒らせ、鎌槍を振りかざす。
明日歌の返事も聞かないまま、一護はその隣に並び立つ。自らに生えた異形の角の存在にも気づかず、ただ共に戦った仲間を一人にしないために、隣に立つ。
「俺はお前を死なせねぇ……だから、お前は俺を死なせるな」
「……勝手にせよ」
一護をじっと見つめ、吐き捨てるようにして視線をそらす。
気持ちに変わりはない、手に備えた剣は師の仇に振り降ろすだけ、もうほかに理由などありはしない。
いずれ己の変化に気がつき、その原因である自分を責めるだろう。そんな諦めの気持ちを抱いたまま、明日歌は仇敵に視線を戻した。
「さぁ、一護や……死地に赴く準備は良いか?」
「……上等だ」
互いの霊圧が混じり合った異形になりつつある二人が、鏡合わせのように刀を構える。
背丈も性別も、その姿に違いはあれど、よく似た背中に見えた。
「最後まで付き合うぜ」
「ふん」
二人の闘気が膨れ上がる。
臨戦態勢に入った二人を前にした蛟はより憎悪を燃やし、歪に曲がった顎門を開いて咆哮を放った。
「グオオオオオオオオオオオオオオオ‼︎」
地響きを響かせながら走り出す蛟。邪魔な木々や岩を破壊しながら向かってくるその姿は、先ほどよりもひと回りは巨大化し歪んでいる。本来交わらない二つが交わった影響か、徐々にその存在そのものが異物となりつつあるようだった。
一護は蛟を見据えながら、斬月の切先を前方に向けて右腕に左手を添える。
「卍、解‼︎」
一護の霊圧が上昇し、黒い炎となって体を包み込む。
夜よりもなお濃い黒に深紅が混じり、一護の纏う死覇装の形状が変わっていく。一護の細身の体に合うようにスリムに、コートのように裾がたなびく形状に変化する。内側は鮮血のように鮮やかな赤に変わり、擦り切れたような端が風にたなびく。
斬月も以前のものよりもはるかに細く、死覇装のような漆黒に染まる。柄頭からジャラリと垂れ下がる鎖が、生者の肉体と魂をつなぐ鎖を思わせる。
これが、一護の卍解。斬魄刀を持つものが最後に到達する極地、刻まれたその名は。
「―――天鎖斬月」
斬魄刀の真の能力を解放した一護。だが、その姿はいつもと異なっていた。
額に生えた角が先ほどよりも大きくなり、顔の半分に鬼に似た装飾が張り付いている。卍解したことにより、鬼の霊圧の侵蝕が早まったのだろう、外見にそれが強く現れていた。
「……すぐに、終わらせる」
一護の変化に見て見ぬ振りをしながら、明日歌は刀を一振りする。
目前にまで迫っていた蛟が、怒りの咆哮とともに巨大化した鎌槍を振り上げた。
一護と明日歌はそれぞれで分かれて鎌槍を躱し、左右から本体に向かって炎を纏った刃を振るう。
「ぉおらあああああああ‼︎」
鎌槍を持つ腕に刃を通し、深い傷を刻む。同時に吹き出した炎が傷口を焼き、炭化させて再生能力を奪い取る。
じゅうじゅうと焦げ臭い匂いが鼻につき、蛟は苦悶の表情とともに荒れくるいながら鎌槍を振り回す。
一撃でも喰らえば致命傷となる鎌槍を一護はその敏捷性によって、明日歌は尋常ではない膂力によって弾き、躱す。そして互いに蛟の攻撃を誘い、できた隙に炎の刃を刻み込む。
みるみるうちに蛟の体には傷が増え、徐々に勢いが削がれ始めていった。
「くそがぁぁぁ‼︎」
鬱陶しくも確かに削られていく力に、蛟は憎悪と憤怒の咆哮を放つ。
しかし突如その目に鋭い光の矢が突き刺さり、一護と明日歌は目を見開いた。
「
一護と明日歌が注意を引いている間に頭上をとった石田が、蛟の片目を貫いたのだ。
片方の視界を奪われた蛟は苦悶の咆哮とともにやを掴み、引き抜こうとしながら悶え苦しむ。傷は大したことはないが、異物によって感覚の一つを奪われる不快感が蛟を苛んでいた。
敵を近づけまいと鎌槍を振り回す蛟であったが、敵の位置も把握していない力任せの攻撃は空を切るばかり。邪魔な木々や岩をはかしして弾き飛ばすも、それも一護たちとは全く関係のないところへ飛んで行く始末だった。
「
目前に迫った鎌槍を異形のものとかした腕で弾き、茶渡が懐に入った。
習得したもう一つの異形の拳の一撃が蛟の腹に入り、巨体が一瞬宙に浮いて後方に吹き飛ばされる。衝撃を逃すこともできず、蛟の内臓に決して少なくない損傷が刻み込まれた。
「オオオオアアアアア‼︎」
苦し紛れに、蛟は全てを焼き尽くさんとばかりに火炎を吐き散らす。
高温の火炎が周囲の草木に燃え移り、一護たちを焼き尽くそうと蛇のようにのたくりながら迫った。
「―――
一護と蛟の間に織姫が立ちはだかり、三角形状のオレンジ色の結界を生み出す。拒絶する力によって発動した防御の力により、前方から迫り来る凄まじい勢いの炎が押しとどめられる。
しかし蛟は辺り構わず炎を撒き散らし、前方を相手を問わずに火炎が燃え広がっていく。
味方の全てを守るやり方を、織姫はまだ知らなかった。
「うっ…………え?」
苦悶の表情とともに炎を防いでいた織姫の目が、不意に見開かれる。
荒れ狂っていた炎が、唐突に自ら方向を変えてそれていったのだ。まるで意思を持って離れようとしているかのように、集まっていく。
その中心には、音叉を額にかざした明日歌の姿があった。
蛟の炎をその身に集め、纏うようにその場に立ち尽くしている。その小さな体が見えなくなるほどの高熱の中にいながら、音叉の音を響かせて立ち続けていた。
「ふんっ!」
不意に、明日歌が身にまとっていた紅蓮の炎を振り払う。鬼になった時と全く同じやり方で炎を払いのけた彼女の姿は、またも変わっていた。
鮮やかだった紫色は、炎と同じ紅色に染まり独特の光沢を放つ。同時に、その身から空気が揺らぐほどの高温を放っていた。
「明日歌ちゃん……!」
織姫が驚きと喜びの混じった表情で見つめるのを、明日歌はフンとそっぽを向いて返す。
助けたつもりではない、とでも言いたげだったが、それでも守られたことに織姫は心が軽くなるのを感じていた。
「ぎぃぃおおおおあああああああああ‼︎」
自分の攻撃が尽く無効化され、挙げ句の果ての半端者に吸収され、怒り狂った蛟が今度は突進を開始する。
力任せに叩き潰す、しかし侮れない捨て身の猛攻を前に、一護と明日歌は並び立つと刃を構えた。
「行け、黒崎! 安達さん!」
「黒崎くん!」
「明日歌!」
声援を受け、一護と明日歌の刃に炎がまとわれる。生命の力を炎に変えて、大気をも揺らめかせる炎の刃が長く分厚く伸びていく。
異質な、そして以前よりも威力の増した必殺の斬撃が、勇ましい声とともについに放たれる。
「月牙―――天衝ォォォォォ‼︎」
「我流音撃打―――烈火剣‼︎」
業火の刃が空を裂き、突き出された鎌槍と盾を一撃で粉砕して蛟の胸に食らいつく。衝撃により蛟の巨体が吹き飛ばされ、木々を粉砕しながら押し返されていく。
その間も炎の刃は蛟の胸に深くめり込んで行き、そしてついには轟音とともに両断する。
じゅうじゅうと傷口が焼かれ、煙が立ち上ったかと思うとやがて炎が噴き出し始めた。体がみるみるうちに炭化して行き、ボロボロと端から崩れていく。負傷が再生能力を追い抜き始めていた。
「こ、これで終わると思うなぁ……貴様らは、選択を誤ったのだ」
炎をかきいだくように傷口を押さえながら、口元を歪めた蛟が憎悪と憤怒に満ちた目を向ける。
織姫が怯えたように後ずさり、一護たちは油断なく蛟を睨みつける。炎が徐々に身体中に広がっていくが、人間への憎悪から立ち続けている蛟はまだ倒れる様子はない。凄まじい執念であった。
「我を倒したところで、この世から魔化魍が絶えるわけではない……我という将を失った奴らは、より大きな災いを呼ぶだろう……‼︎」
蛟は嗤う。魔化魍の支配を受け入れた、戦いのない世はもう来ないのだと。
人間は、鬼は今後も果てのない戦いに身を置く他にないのだと。次を担う鬼が減りつつある、魔化魍の脅威を忘れた今の人間たちに、滅びの未来は避けられないのだと。
負け惜しみには思えない。蛟から見た人間の未来を、はっきりと告げていた。
「未来永劫呪われるがいい、人間どもがぁぁぁぁぁぁ……‼︎」
ぐらりと、咆哮を上げた蛟の体が傾いで行く。
炎に包まれた巨体が草木の影の中に消え、やがて凄まじい爆炎となって、夜の闇の中に消えていったのだった。