ごぼりごぼりと、邪神の一撃を受けた二人が水の中へと沈んでいく。
肌が大きく灼け爛れ、わずかに炭化するまでに至った二人は意識を取り戻すことも叶わず、闇の中へと引きずり込まれていく。
しかしその時、なぜか明日歌の脳裏には、かつて師に言われた言葉が蘇っていた。
ーーーのう、師匠。
今よりも幼い、と言っても少しだけ背の低い明日歌が、音撃武器の整備を行なっているカブキをじっと見つめる。今よりも大きく見えるその背中を見つめ、明日歌は問いかけた。
ーーー何故師匠は、鬼になろうと思ったのかの?
言ってはあれじゃが、きついじゃろ?
カブキの修行は、明日歌の幼さなど顧みないほど厳しいものだった。しかしそれは他人にただ課すだけのものではなく、自らにも課すことでより強さを求めるものであった。
カブキは明日歌の方を見ず、音撃棒を磨きながら口を開いた。
ーーー俺は、いろんなものを失くした。
家族も、友も、故郷も、大事なものは全て。
だが心だけは、折られるわけにはいかなかった。
……完全に敗北するなど、認めたくはなかったからな。
今思えば、それは自らが人でも鬼でもなくなったことも言っていたのであろう。
人に絶望し、それでも見捨てきれず、どっちつかずのまがい物になった自分を最後まで支えていたのが、己の中で抱えている信念だったのだ。
だからだろう。その言葉には、確かな重みがあった。
当時には今ひとつ分からなかったその重さが、今なら痛いほどに伝わってきた。
ーーー心だけは強く鍛えておかねぇと、自分に負けちまうだろう。
ーーーじゃが……わしはそう上手くできるとは。
ーーー自分のやりたいこと、できることをやればいい。
少しずつな。
うまく音撃を扱えなかった当時の明日歌に、カブキは珍しく、笑みを見せた。
ただ安心させるだけではない。明日歌の中に眠る力を信じて自らが安心しているような、そんな優しい笑みであった。
ーーーそれが強さになるんだ。
「…………!」
ゴボッ!と気泡を吐きながら明日歌の意識が覚醒する。
ざぶんっ、と勢いよく一護と明日歌は水中から飛び出し、隣に並び立って空中に降り立つ。
歩法まで習得し始めていることに、他の死神たちは目を見開いた。
だが、明日歌はもはやそんなことにまで気を配ってはいなかった。再び装甲声刃を腰元から抜くと、片手を刃の峰に添えるように、鐔を口の前に重なるように構える。
目を閉じると、内なる力をより引き出そうと集中を深める。そして。
「響鬼、装甲」
そのつぶやきがこぼれた、瞬間だった。
明日歌の体が、再び紅蓮の炎に包まれる。紅に変化した時よりも凄まじい炎により、衣装が変化していく。その炎は一護にまで燃え移り、彼の体にまで変化を及ぼしていく。
と同時に、島から飛来した無数のディスクアニマル達が、自身を欠片に変えて一護と明日歌の全身に張り付いていく。腕に、肩に、腿に、脛に、胸に宿り、真紅の光沢を放つ鎧に変化する。
明日歌の額から生える角が噴き出した炎とともに四本に増え、鬼の顔に「甲」の字の装飾が施される。
一護の死覇装は元の形を取り戻し、袴の端には紅蓮の炎の模様があしらわれる。逆に明日歌の黒い着物は真っ白に染まり、広い袖を持つ巫女の衣装を思わせるものに変化した。
「
熱が、大気を陽炎のように揺らめかせる。
チラチラと舞い上がる火花を花びらのように纏い、再誕した一護と明日歌は装甲声刃を構える。
その様は、まるで死神の卍解を思わせるもの。死神の死覇装と斬魄刀、鬼の四肢と角。相反する二つを兼ね備えた、異形の戦巫女。
その姿は、まさに鬼神であった。
「ギャアアアアアアアアアア‼︎」
明らかに、先ほどよりも力を増し始めている二人の存在を前に、ヤマタノオロチは焦ったように咆哮を放ち、火炎を吐いて襲いかかる。
しかし先ほど二人を苦しめた業火は、明日歌の振るった刃により容易く両断された。
「……紛い物、半端者、好きに呼ぶがいいわ。ぬしになんと呼ばれようと、わしの意志は……わしの魂は、誰にも否定させん」
一度は道を見失い、迷い続け、辿り着いた先に見つけたこの場所。
もう、逃げるつもりはない。
己の魂を肯定し続け、戦い続けることを選んだ。
「
紅蓮の炎をまとい、二人の鬼神が突撃する。大気をも灼く炎のヤイバを携え、ヤマタノオロチに向けて躍り掛かった。
巨大な邪神は耳障りな咆哮を放ち、思い巨体を引きずって大きく首を伸ばし、その口から火炎を吐き散らす。魔化魍たちがぼたぼたと余波を食らって墜落し、燃え尽きていくのにもかまわず、邪悪な蛇竜は大きく顎門を開く。
「そら、起きろ!」
八つの首からの猛攻を躱しながら装甲声刃を構えた明日歌が、鐔の拡声器越しに鋭く呼びかける。
する突如、ヤマタノオロチの真横にあった小山が震えだし、その中から巨大な影が飛び出した。
「ウォン! ウォン!」
それは、かつての鬼たちが使役していた巨大な白い大猿。役目を終え、いつか必要とされる時まで眠りについていたシロネリオオザルは、明日歌の呼びかけに反応し目を覚ました。
そしてそれは、かつて封じたオロチへの闘志を、忘れてはいなかった。
「ウォン!」
「ギィアアアアアアア‼︎」
大猿の拳がヤマタノオロチの顔面を殴りつけ、首を地面に叩きつける。数百年生きた大猿の霊魂が封じ込められたその力は、現代においても健在であった。
しかし、かつてのオロチとは力の桁が違った。以前よりも頑丈になったオロチはすぐに巻き返し、シロネリオオザルを逆に絞め殺そうと太く長い首を巻きつかせていく。力を増した蛇竜に押し返され、シロネリオオザルは窮地に追い込まれ始める。
「おおおおおらあああああああ‼︎」
全身に炎を纏った明日歌が、シロネリオオザルに巻きついている首に拳を叩き込む。鱗をやすやすと貫く威力により、太い首が半分ほど抉られ、そして焼かれた。
激痛からかヤマタノオロチの力が抜け、戒めから解かれたシロネリオオザルが反撃とばかりに再び殴打を再開する。弱ったところへの追撃に、ヤマタノオロチはたまらずねじ伏せられた。
「ギィアアアアアアアアアア‼︎」
耳障りな咆哮をくぐり抜け、火炎を躱し、一護がヤマタノオロチの至近距離に接近し、その刃を突き立てると火炎とともに斬り裂いていく。傷口を灼きながら、巨大な首を開くように刃を通していくと、炭化した肉が血のように噴き出された。
明日歌のふるった刃が太い首を両断し、巨大な顔が地面へと落下して木の葉に変わる。断面が焼かれ、徐々に体に向かって炭化が進んでいき、ボロボロと崩れていく。そこへシロネリオオザルの拳が突き刺さり、巨体は徐々に削られてボロボロになっていった。
どんなに力を得ようと、奪って我が物にしようと、今の二人には届かない。
死神と虚、鬼と魔化魍、狩る者と狩られる者。
その絶対的な関係は、存在が歪もうと、混ざり合おうと揺らぐことはなかった。
「月牙ーーー天衝‼︎」
「音撃斬・鬼神覚声‼︎」
二人並び立ち、放たれた赤黒い爆炎の斬撃がヤマタノオロチの胴体に喰らい付き、大きな裂傷を刻み込む。ぶすぶすと煙が立ち上り、炭化した傷口が崩れ落ちて地に還っていく。いくつもの刀傷と火傷を負い、ヤマタノオロチのすべての首から力が抜け始めていた。
しかし致命傷にも等しい傷を受けながら、ヤマタノオロチは未だに健在であった。仮にも神と呼ばれるまでの力を持つ存在。異常なほどの不死性が、邪神を生きながらえさせていた。
「でやあ‼︎」
苦悶の咆哮を放つヤマタノオロチの背面に向けて、明日歌は腰のバックルを取り外すと思い切り投擲する。
円盤はヤマタノオロチの背中に張り付くと、回転しながら巨大化していく。まるで、巨大な邪神の背を土台にした鼓面のように。
「一護、使え!」
「おう!」
明日歌が一護に、一組の音撃棒を手渡す。緑色の結晶を削り出して作られたそれは、彼女の師が使っていたものだ。
自身も赤い音撃棒・烈火を携えると、二人で鼓面を囲うようにヤマタノオロチの背中に降り立った。
炎を纏う音撃鼓・火炎鼓を前に、二人の鬼神が音撃棒を構える。
今宵、魂を鎮める、演奏が始まる。
ーーー‼︎
大気が爆ぜるような、凄まじい轟音が響き渡る。特殊なリズムと音を刻み、音撃がヤマタノオロチに襲い掛かった。
邪悪な魂を清め、世界に還す聖なる音が奏でられる。
「ギャアアアアアア‼︎」
逃れるすべなどありはしない。天敵による、自身にとっての毒とも言える音が、大気だけではなく全身を伝って響き渡ってくるのだ。
その音に、新たに重なる音があった。
雷のように大気を切り裂く、言による清めの音がヤマタノオロチに突き刺さり、浸透していく。轟鬼が一護と明日歌に合わせ、列雷による音の斬撃を突き立てているのだ。
そこへ、風のように大気を震わせ、ラッパの音が重なる。ヤマタノオロチの体内に鬼意志を打ち込んだ威吹鬼による音の銃撃が、邪神の体内で暴れまわる。
突如出来上がった、鬼と死神による音撃のセッション。三つの音が響きあい、強大な音撃となってヤマタノオロチに炸裂する。バラバラのままでは成立しない、同じ意志が合わさったことにより完成した三重奏が巨大な蛇竜に襲いかかっていた。
「……これは」
その光景を、呆然と見つめていた織姫が気づく。石田も茶渡も、そしてこの場に集った死神たちも、ハッとした様子で辺りを見渡していた。三つだけではない、様々な音が音撃に重なっていた。
風が、波が、草木が、そして自分たちの鼓動が、音撃に重なっていた。生きとしいけるすべてのものたちが奏でる音が、清めの音となって無意識の内に一護たちに力を貸していた。
「ウォン! ウォン!」
突如、音撃を見守っていたシロネリオオザルが鳴き始め、かと思うと自ら円盤へと戻る。そしてその場で回転し始めたかと思うと、自らの体から音を響かせ始めた。
それは、かつての鬼たちが奏でた音撃。オロチを封じた際、その音を後世の者たちに託すために封じ込めた、七人の戦鬼による合奏の記録だった。
火炎連打、疾風一閃、雷電激震、一撃怒涛、軽佻訃爆、偉羅射威、旋風一閃。
戦国時代の鬼たちが力を合わせた証が、蘇っていた。
ふと、明日歌の耳にもう一つの音が届く。それは、もう聞くことはないと思っていた人の奏でる音。自分を置いて逝ってしまった人が奏でていた、音撃。
ーーー師匠……‼︎
一護と自分の間に割り込むようにして、もう一人の鬼が奏でていた。左右非対称の、派手な格好をした鬼が。
夢か幻に違いない。だが明日歌には、かの男が今もこの場にいるようにしか思えなかった。
目に、熱い何かがにじむ。それを知らないふりをし、明日歌は雄叫びとともに奏で続ける。今の自分の姿を見てもらうために、安心してもらうために。
鍛えた心、鍛えた技、鍛えた体。全てを一つにし、魂で響かせる。
それが、彼女が学んだ音撃。
ヤマタノオロチは今、世界の全てを敵に回していた。命ある全てをないがしろにしようとしていた邪神は、その報いを一身に受け続けていた。
「ハァァァァーーーハァッ‼︎」
最後の一撃が、ヤマタノオロチの背中に叩き込まれた。
渾身の一撃が振動として全身に伝わり、ヤマタノオロチの体にヒビが入っていく。バキバキと石化するように色を失い、固く強靭な体がボロボロと崩れ去っていく。
それが全身にまで到達した瞬間、ヤマタノオロチであったものは自重によりその形を崩れさせ、土塊と化して世界に還っていった。先ほどまで狂ったように暴れまわっていたなどとは思えないほど、あっさりと、静かに。
崩れ落ちていくヤマタノオロチの背中から、鬼神はゆっくりと降り立つ。
圧倒的な熱量を放っていたその姿からボロボロと鎧が崩れ落ち、元のディスクアニマルへと戻っていく。
一護の額から生えていた角もボロボロと崩れ、鬼の名残が消えていく。異常なほどの霊圧も鳴りを潜め、ただの死神代行へと戻っていた。
二人は徐々に明るさを取り戻していく空と海を眺め、眩しさに目を細めながら穏やかな表情を浮かべる。
戦いの後は、痛々しく残っている。しかし命を食らっていた邪悪な存在は跡形もなく消え去り、穏やかな風とさざ波の音が聞こえてくるだけである。
世界の命運を賭けた戦いは、今この時をもって、終結したのだ。
擬・斬魄刀:
「音」を操る斬魄刀に似て非なる剣。空気の振動を操るため発火させてそれを操ることも可能。
真骨頂は周囲の霊圧の波長を共鳴させることにより、
天鎖斬月・
鬼・明日歌の霊圧が混ざったことにより生じた、天鎖斬月の派生形態。
普段の死神の力が増大するだけではなく、鬼の音撃の力も使用できるようになった。いわゆる劇場版限定モード。