「…………ん?」
一護はふと、クラスメイトたちがざわついていることに気がついた。
「おい、どうした?」
手っ取り早く、近くにいたたつきに事情を尋ねると、珍しく彼女も表情を険しくした様子で振り返った。
「あ、ああ……うちのクラスの子が二人いなくなったらしくってさ。いま先生たちが必死に探してるんだって」
「マジかよ……この歳で迷子か? 仕方ねぇな」
「見つかるまでしばらく待機だってさ。小学生じゃねーんだから……」
「そうか……悪いな」
軽く礼を言うと、一護はじっと資料館の裏の方向に目を向けた。
やや古い建物の向こう側に広がっている森は、鬱蒼と生い茂っていてやや暗く見える。自ら行きたいとは全く思えなかったが、一護にはどうにもその生徒がそこにいるような気がしてならなかった。
一護は眉をひそめると、不満げな表情を浮かべていたたつきの肩を軽く叩いて走り出した。
「たつき、悪いけど後頼む」
「えっ、あ! 待って、黒崎くん!」
走り出した一護を、織姫が慌てて追いかける。
「先生! すんませんけど便所行って来るっス‼︎」
「あ? 黒崎お前らまで消えるつもりか! ……って、もう行っちまった」
途中にいた担任教師の越智に報告するが早いか、一護と織姫はビュンと猛スピードで走り去ってしまう。止める間もなく、越智は二人を見送る他になかった。
「どんだけ腹いたいんだよあいつら……。って、おい、石田と茶渡までどこに行った?」
「あ、はい先生! 便所だそうです!」
「あいつらもか⁉︎」
生徒の一人の報告に、越智はじっと一護たちが消えた方を見つめて佇む。どうにも、トイレがある方向とは違う方へ走っていったようにも思えたが、もう姿も見えないために確認するすべはなかった。
「ま、いいか」
(いいのか⁉︎)
基本放任主義の彼女は細かいことには、あまり頓着しない教師であった。
足元の悪い獣道を、一護と織姫、石田と茶渡が駆け抜けていく。だが一護は、後ろから追いついてきた石田に思いっきり渋い表情を向けていた。
「ったく、なんでてめーらまで来るんだよ!」
「君に言われたくはないね!」
「! いたぞ、こっちだ!」
走りながら喧嘩するという器用な真似をしている二人をよそに、茶渡が進む先に何かを見つけた。
再び前方を向いた一護たちは、木の陰に白く細い何かが転がっているのを発見する。よく近づいて見てみれば、それは真っ直ぐに投げ出された人間の、それも二人の少女の足であることがわかった。
そばに駆け寄った一護たちは少女たちの格好から、自分たちと同じ空座町高校の制服であることを確認する。
「面倒かけやがって……ってなんだこりゃ⁉︎」
クラスメイトのそばに駆け寄った一護は、彼女たちに絡まっている白い糸を目にして声をあげた。蜘蛛の糸のように粘着性を持つ糸が、奇妙な繭を作るように何重にも重なっていたのだ。
石田は彼女たちの奇妙な状態に目を見張りながら、冷静に状況を分析しようと頭を回らせる。
「なんだってこんなところに……⁉︎」
「何だこれは……蜘蛛の糸か?」
茶渡は少女たちの体についている糸を探り、手にくっつく粘着性を見てそう感想を漏らす。なぜそんなものがくっついているのかは全くわからなかったが、とにかくこのままではいけないと男子の手で少女たちにまとわりついた糸をどうにか外していった。
「チャド、井上。こいつら連れて先に戻ってくれ」
「う……うん」
「……わかった。無理はするな」
一護に頼まれ、剛力を有する茶渡といざという時の回復能力を有する織姫が頷く。織姫としてはここに一護たちを置いていくのは気が引けたが、少女たちの容体も気になるために従う他になかった。
少女たちを背負い、駆け足で元の道を抜けていく茶渡と織姫を見送ると、一護と石田は反対側へと目を向けた。
さっきから、奇妙な気配が一護と石田の周囲に漂ってきている。薄暗い霧の中に紛れている、明らかに生物の放つものではない、背筋が凍るような嫌な気配が。
とある理由で、そう言った負の気配には敏感になっている二人は、あたりを油断なく見渡しながら感覚を研ぎ澄ませる。いつ、何が起こっても対処できるように。
「黒崎……本体はどうする気だ?」
「大丈夫だ。……ちゃんとこいつがいる」
そう言って、一護がリュックからズボッとコンを取り出すと、石田が「うおっ」と引きつった声を漏らした。
「なぜ、こんな、ところに」
「勝手に潜り込んでやがった」
「オイ‼︎ なんだその言い草は⁉︎ 俺様の力がどうせ必要だろうと思って来てやったってのによ‼︎」
引っ張り出されたコンが、一護に対して抗議の声を上げる。
一言言ってやりたいが、この状況ではこいつの言うことが正しい部分もある。一護は険しい表情で根を睨みつけながら、ギリギリと拳を握りしめた。
「ったく、今回限りはお咎め無しにしてやるよ。おら」
「げふっ⁉︎」
容赦無くコンの腹を殴り、ぬいぐるみの中の小さな粒ーーーコンの魂である
何かの液体がくっついているそれをばっちそうに拭うと、一護はそれを飲み込んだ。
「ーーー‼︎」
その瞬間、一護の体から黒い着物をまとったもう一人の一護が現れ、枯葉の上に降り立った。身の丈ほどもある巨大な刀を背負った一護は、長く白い布に封じられたそれを抜き放って構える。
そしてその隣で、石田も懐から取り出した白い器物を操り、青白く光る弓矢を顕現させた。
彼らこそ、生の理から外れた霊の変異した存在・
「さっさと離れてろよ、コン」
「うっす! 任せたぜ!」
一護に変わって一護の体に入ったコンが、砕けた敬礼を見せながらその場を離れる。これは、帰るべき一護の肉体を守るための処置だ。
「気をつけろ、黒崎……何か、得体の知れない気配を感じる」
「ああ…。さっきからイヤってほど伝わってくる」
戦闘準備を整えた一護と石田が、ざわめく暗い森に視線を向ける。気配は、先ほどよりもより近くなっている、だがどこにいるのか皆目見当もつかない。
緊張感が高まり、冷や汗が二人の頬を伝った、その時。
「何かご用ですか…………?」
一護と石田の背後から、抑揚の乏しくか細い女の声が聞こえ、二人の動きがピタリと止まった。
暗い霧の中に、髪の長い着物の女性がぽつんと一人で立ち尽くしていたのだ。
「うおわああああ⁉︎」
なんの前触れもなく背後に立たれ、一護は大きな声を上げて、石田は表情を引きつらせながら飛び退いた。まさかこんなところで、ホラー映画のような展開が待っているとは思わなかった。
至近距離で大声を上げられたにもかかわらず、突如現れた女性はただ無言で一護と石田の方を見つめて佇んでいる。妙に不気味だった。
「なっ、なんだあんた⁉︎ いつの間に背後にいた⁉︎」
一護は自分の刀ーーー斬魄刀を構えて女性を問い詰めながら、そのよく見れば非常に整った顔立ちの女性の奇妙な格好を観察した。
一見すれば霊に見えたが全く違う。人間に限らず生き物は、魂魄と肉体が因果の鎖によって繋がれていて、これが切れると死者になってしまう。因果の鎖が本人の未練の対象などに絡みつくと、地縛霊などになる。そして、縛られた魂魄は数ヶ月、数年の歳月を経ると胸に孔が開き始め、完全に穴が開くと他の魂魄を襲う〝
だが、この女性にはそれがない。鎖も見えず、孔もない。のだが。
「何かご用ですか…………?」
「なんだお前ら……虚じゃねぇのは確かみたいだが……」
それを抜きにしても、この女性はあまりにも不気味すぎた。生者にしては気配が薄く、目もどこか虚だ。生きたまま霊になったような、そんな印象を抱かせる姿だった。
「何かご用ですか…………?」
「⁉︎」
女性を凝視していた一護と石田の背後から、今度は男性の声がかけられる。女性と全く同じトーンで、同じように古びた着物をまとった、顔立ちの整った男性が虚な目で一護と石田を見つめながらたずねる。当然、鎖も孔も見えない。
「何かご用ですか…………?」「何かご用ですか…………?」
「
男性と女性はなんども同じ言葉を繰り返しながら、徐々に一護と石田の方へと近づいてくる。カサカサと落ち葉を踏みながら、地面を滑るように私鉄かづいてくる姿はあまりにも不気味だった。
「……! こいつら……!」
一護と石田は背中を合わせ、それぞれで奇妙な男女を相手取るように身構えた。正体もわからない上、対抗できるのかしていいのか判断もできない以上、まずすべきはそれ以上近づかないように敵意を見せることだけだった。
だがその時、何かに気づいた石田がはっと顔を上げて背後の一護に向けて声を張り上げた。
「⁉︎ 離れろ黒崎‼︎」
「あ? …ってうおわあああ⁉︎」
訝しげに振り向いた一護が、次の瞬間には情けない声を上げて石田とともに左右に飛び退いた。
直後、二人が今まで立っていた場所に何か鋭く太いものが振り下ろされ、落ち葉や枯れ枝を巻き上げて深々と突き刺さったのだ。
二人は大きく跳躍して距離を取り、武器を構えながら振り下ろされたものの正体を見定めようと視線を上げる。そして、大きく目を見開いて凍りついた。
「……なん、だ、あれは」
目をみはる石田のメガネに映るのは、黒い艶を見せる長い脚。いくつかの節に分かれた長く鋭い脚が、何本もワシャワシャと蠢きながら一護と石田の間を移動する。8本のその足の上にあるのは、輝く六つの真っ赤な丸い目と風船のような大きな腹。黄色い虎のような模様があるその姿はまさに。
「蜘蛛⁉︎」
虚ではないにせよ、同等の危険性を見せる怪物の登場に、石田と一護は驚愕の表情を浮かべる。
長く太い足の上から一護たちを睥睨した巨大蜘蛛は、その口らしき牙の間から虎のような咆哮を響かせて再び動き出した。八本ある蜘蛛の足のうち数本を持ち上げ、二人を突き刺そうと振り下ろし始めたのだ。
「デカすぎだろうが‼︎ なんの映画だよこれ⁉︎」
巨大蜘蛛の足をかわして再び跳躍した一護は、低級なパニック映画のような展開に思わず抗議じみた声をあげる。見れば先ほどの男女が巨大蜘蛛の真下にたち、虚ろな目で一護たちを見つめている。
かと思えば突如その姿が歪み、みるみるうちに異形のものへと変わっていく。体は昆虫の光沢を帯びた皮膚に変わり、腕には巨大蜘蛛と同じ虎柄の繊毛が生える。綺麗だった顔はいびつに歪み、蜘蛛の特徴を持ったような顔面に変貌する。それだけで、あの男女が巨大蜘蛛と深く関わりのある存在であることは理解できた。
「オイ、あれ虚じゃねぇよな⁉︎」
「見ればわかるだろう⁉︎」
つい喧嘩口調になってしまうのも無理はない。あまりにも急な展開に、脳の理解が追いついていないのだ。
しかしそんな間にも、巨大蜘蛛は足を振り下ろし、恐ろしげな咆哮を浴びせかけてくる。それだけではなく、今度は異形へと化した男女まで一護たちに襲いかかってくるのだ。
「うお⁉︎」
首をかすった異形の爪に戦慄しながら、一護は斬魄刀を用いて攻撃を躱し続ける。しかし蜘蛛の足も異形の腕も硬く、初見の敵を相手に一護も石田も苦戦を強いられていた。
しかも、巨大蜘蛛や異形は口から糸を吐き、一護の動きを阻害しようとしてくる。相手の見た目がまんま蜘蛛であったためその攻撃を予想していた一護はなんとかそれを躱しつつ、決定打を与えられない状況に歯噛みしていた。
「くそっ!」
「ぎゃああああ‼︎」
途中、不意に聞こえた聞き覚えのある声に、一護の表情が引きつった。
見ると、先ほど巨大蜘蛛が排他らしき糸がそこかしこにくっついて、いびつな蜘蛛の巣のようになっている。その中に、隠れているように言っておいたコンがなぜか巻き込まれていた。
「一護ーーー‼︎ 助けてくれーーー‼︎」
「何してんだよオメーは‼︎」
蜘蛛の糸にがんじがらめにされているコンに、一護は額に血管を浮き立たせながら怒鳴る。このクソピンチな状況で何を手間をかけてくれているのだろうか、こいつは。
状況は不利であった。虚ではない未知の敵、死神を視認し追いついてくる能力の高さ、そして何より、木々が頭上にまで生い茂りうまく動くことのできないという有様。初めて訪れた島の森という環境が、全て一護たちの枷となっていた。
決死の覚悟を決めねばならないと、一護が表情を険しくする、その時だった。
「…………やれやれ、仕方のない奴らじゃの」
不意に、その声は聞こえた。
まだ見ぬ異形に苦戦する一護と石田は、頭上から聞こえてきたその声に思わず視線を上げる。
張り出した太い木の上に、一人の少女が腰かけていた。袖のない黒い胴着のような着物を纏い、白い袴をはいた小柄な少女が、肩に茜色の小さな鳥を乗せてこちらを見下ろしていたのだ。
一護はその少女を目にし、大きく目を見開いた。
「お、お前」
その顔は確かに、船で一度、港でもう一度出会った少女のものであった。
突如介入した少女を前に、二体の異形はキチキチと牙を鳴らしながら両目を蠢かした。
「……鬼?」
「鬼? ……でも違う」
「ああそうじゃ。わしは鬼ではない……
目下の異形をものともしていない不敵な笑みを浮かべ、少女は目下の異形たちを見据えてみせた。
「どら、ちぃとばかしわしが相手になってやるかのぅ」