「のう、カブキとやら。お主、なぜわしを助けてくれたんじゃ?」
人通りの多い港町を、アスカとカブキが並んで歩く。例も受け取らずに去ろうとしたカブキに、アスカが半ば無理やりついて行ったのだ。
「理由がいるのかい?」
「少なくとも、信用はできる」
「カーッ! 最近の世の中は世知辛いねぇ! こんな子供まで疑ぐり深くなっちまうなんざ!」
「わしを子供扱いせんでくれぃ。こう見えても大人じゃ」
「へっ、そうかい。だが疑り深いのは確かだろ」
カブキは小馬鹿にしたようにというか、どこか格好つけた物言いでアスカと話す。少し過ごしてわかったが、この男は大人に対してはずいぶん辛辣な態度をとるが、アスカのような子供には親身になってくれるようだった。
「なんてことはねぇさ。お前をあのまま見捨てて行くのは俺のプライドに関わる。そんだけさ」
「ぷらいど?」
「矜持ってことだ。要するに、俺の魂がそれをゆるさねぇってことだな」
恥ずかしげもなくそう言ってのけるカブキに、アスカはあっけにとられたようになっていたが、やがてその顔に笑みを浮かべた。
こんな男には、今まで会ったことがない。
「……本当にお人好しじゃの、おぬしは」
「なんとでもいいやがれ!」
「じゃが……助かった。ありがとう」
改めて、アスカは恩人に深く頭をさげる。カブキはアスカの方を見ようともせず、ひらひらと手を振ってその感謝を適当に流す。謙虚と言うかなんというか、難儀な男に思えた。
だがその時、歩いていたカブキが急にその場で立ち止まった。すぐ後ろを歩いていたアスカはぶつかりそうになり、カブキに抗議の目を向けようとするが、横から見えたカブキの表情に訝しげな表情になった。
「…………」
「? おい、どうし……」
アスカが尋ねようとした時だった。
ドンッ! と凄まじい音がして、アスカたちの後ろの建物の一つが吹き飛んだ。人が瓦礫とともに宙に巻きあげられ、悲鳴が辺りに響き渡る。
はっと振り向いたアスカと目を細めるカブキの前で、吹き飛んだ建物から上がっている粉塵の中から、それは現れた。
「あ、あれは……‼︎」
木片を踏み砕き、陽の下に姿を晒したのは、真っ赤な鎧武者。火炎のような意匠の甲冑を纏った巨漢がーーー火焔大将と呼ばれる魔化魍の一体が、いびつな形状の刀を振り回しながら我が物顔で人々の前に姿を現したのだ。
予期せぬ怪物の登場に、その街にいた人々は一気に恐怖に顔を染め上げた。
「ま、ま、魔化魍……! 魔化魍だ‼︎」
「ヒィイイ‼︎」
認識するが早いか、人々は我先にと魔化魍から逃げ出そうと走り出した。後ろから追ってこないか何度も振り返りながら、他の者を押し出したり転んだりしながら、蜘蛛の子を散らすように逃げ出していく。醜い本性が現れ、誰もが畜生の如き醜態を晒し、そこは地獄のような有様と化していた。
火焔大将はその様を眺めながら、わざと焦らすようにゆっくりと歩き出した。獲物をいたぶるように、一定の距離を保ちながら人々を追い立て始めた。
アスカは戦慄の表情を浮かべ、人々を恐怖のどん底に叩き落としている魔物を凝視した。まさか魔化魍を倒すために鬼を探しに来たのに、先に魔化魍と遭遇する羽目になるとは。
「こんなところにまで……⁉︎」
「おい、ここから動くなよ」
「カブキ⁉︎」
短くアスカに告げるが早いか、カブキは火焔大将に向かって走り出していく。無謀とも言える行動に、アスカが目を見開いて手を伸ばすが、引き止めることは叶わなかった。
「なんだって魔化魍がこんなところに出てきやがるんだよぉ⁉︎」
逃げ惑う人々の中でそう情けない声を上げているのは、先ほどアスカを脅していたゴロツキの男だ。今はもう強面の顔を涙や鼻水でぐちゃぐちゃにし、みっともないことこの上ない醜態をさらしている。
その声が聞こえたのか、火焔大将はぎょろりと兜の下の目をゴロツキたちの方へ蠢かした。
「ひっ、ひぃいいいいい‼︎」
「あ⁉︎ お、おい! てめぇ俺を置いて行くんじゃねぇよ‼︎」
盗人の男が情けない悲鳴をあげたかと思うと、ゴロツキの男を置いて逃げ出していく。無駄に膨張した筋肉の塊であるゴロツキはすぐには動けず、盗人の男の背中を目で追うしかできない。
そのすぐそばで、ガンっと硬い金属を突き立てる音が響き、ゴロツキの男は凍りついた。
ぎこちなく振り向き、ゴロツキは眼の前で仁王立ちしている化け物の姿を目にした。身の丈はありそうな巨大な刀がゆっくりと振り上げられている光景に、ずるずると壁に背を預けてへたり込んだ。
「た、助け……ぎゃああああ‼︎」
火焔大将の刀が振り下ろされ、ゴロツキが悲鳴をあげて目を瞑る。
しかし、その刃は当たることはなかった。
刀がゴロツキに当たる直前で、間に割り込んだカブキが刀に蹴りを叩き込んだからだ。軌道がずれ、火焔大将の刀はゴロツキの傍にめり込むだけで済んだ。
「あ、あ、あ、あ……」
「邪魔だ。どっかいってろ」
短く悲鳴を漏らすしかないゴロツキに向けて、カブキは冷たく言い放つ。
這う這うの体で逃げ出していくゴロツキをよそに、カブキは火焔大将と向かい合った。獲物を奪われたことに苛立っているのか、火焔大将の兜の下の目が憎々しげに歪められているのが目に入った。
「……まさか、こんなところで獲物にお目にかかるたぁ思わなかったぜ」
そう言って、カブキは懐から何かを取り出した。金色に輝く、折りたたまれたそれを振って長く伸ばすと、それが音叉であることがわかった。
鬼の顔を模したそれを握り、カブキは鬼の角に当たる金属部分を自分の靴に軽く当てる。
キーン と甲高い音が響き渡り、音叉を中心に黒い波紋が広がっていく。カブキはそれを持ち上げ、自身の額にかざす。
「ーーー歌舞鬼」
小さな声で、そう呟く。すると、カブキの周りに桜吹雪が吹き荒れ、カブキの体を包み込んでいった。
「……‼︎ あれは⁉︎」
アスカが目を見開く先で、カブキは桜吹雪の白い光の中に完全に隠れてしまう。火焔大将も警戒しているのか、刀を構えて距離を取っている前で、桜吹雪の中で影が動いた。
桜吹雪が舞い散り、再びカブキの姿を晒す。だが、その姿は先ほどまでとは明らかに違っていた。
全身はしなやかながら隆々とした筋肉の鎧に守られ、その上に緑と赤に彩られた鎧が纏われている。両肩には鬼の顔を模した装甲が付き、全身が派手な色彩に彩られている。
顔は右が緑、左が赤という非対称な貌に変わり、左右で長さの違う角が生える。
その姿は、まさに鬼。
「まさか……カブキが、鬼⁉︎」
カブキが変貌する様を目の当たりにしていたアスカが、呆然と呟く。アスカが憎み、そして求めていた存在が、目の前にいた。
カブキは大きく腕を振り回し、まるで歌舞伎役者のような構えをとったかと思うと、異形の貌で火焔大将を睨みつける。そして腰に回し、供えてあった二本の棍棒、否、撥を手に取り、火焔大将に猛然と挑みかかった。
「おおおおお‼︎」
雄叫びをあげ、歌舞鬼となった戦士が撥を火焔大将に叩きつける。火焔大将はそれを刀で受け止め、両者は互いに火花を散らせる。
火焔大将が刀を振り回すも、歌舞鬼は二本の撥でそれを巧みに流し、火焔大将の鎧に連撃を加え続ける。負けじと火焔大将も歌舞鬼の猛攻をかわし、刀を振り回す。余波があたりのものを破壊し、街の一角は見るも無残なことになっていった。
一進一退の攻防が繰り広げられ、民家や店先が巻き込まれて木片や陶器があちこちに散乱した。
「ウォオオオオオ‼︎」
「でりゃああああ‼︎」
雄叫びをあげる両者。その均衡が、不意に崩れた。
火焔大将の攻撃をかいくぐった歌舞鬼の撥が、火焔大将のまとう鎧の隙間にめり込んだのだ。一瞬の油断に受けた痛手に、火焔大将の動きが一瞬だけ止まった。
「喰らいやがれぇえええ‼︎」
致命的な隙を見逃さず、カブキの渾身の一撃が火焔大将の顔面に直撃する。火焔大将の巨体はその衝撃で大きく吹き飛び、民家を巻き込みながら瓦礫の中に埋もれていく。
直後、凄まじい轟音とともに火焔大将は爆炎に包まれ、瓦礫とともに跡形もなく吹き飛んだ。熱風が吹き荒れ、バラバラと瓦礫の破片が降り注ぐ中、撥を腰に戻した歌舞鬼が決めの構えを取っていた。
アスカは思わず笑顔を浮かべ、拳を握って喜びをあらわにしそうになる。だが、不意に聞こえてきた声に冷や水を浴びせかけられた気分になった。
「鬼……」
「鬼だぜ……」
「なんだってこんなところに……」
人々は皆蔑んだような声を漏らし、汚らわしいものを見るような目でカブキを睨んでいる。人の姿へと戻ったカブキはそれを鬱陶しそうに一瞥し、同じような目で睨み返した。
「……相変わらず、胸糞の悪い奴らだぜ。おかげでまた住むところがなくなっちまった」
鼻息荒く街の者たちを一瞥し、カブキは苛立たしげに舌打ちする。そして、もう顔も見たくないと言わんばかりに、乱暴な足取りで街に背を向けて歩き始めていった。
その後を、アスカは慌てて追いかけた。呆けている場合ではないと一瞬あってから我に返ったのだ。
街をしばらく離れた、草地にまで移動してようやくアスカはカブキに追いついた。よほどあそこにいるのが嫌だったのか、前を歩くカブキは予想以上に速かったためだ。
「おっ……おい! ……おぬし、鬼、じゃったのか」
「おう。驚かせちまったみたいだな、悪い悪い」
朗らかに笑うカブキからは、先ほどまでの凄まじい殺気は感じられない。まるで別人のようにも感じられ、それゆえにアスカはわからなくなっていた。
カブキのおかげで、街の住人は救われた。大したけが人が出ることも、犠牲者が出ることもなかった。
だが、それが彼のおかげだとは、誰も思ってはいなかった。化け物が化け物を倒した、ただそれだけのようにしか思っていないようにしか見えなかった。それでは、彼が何のために戦ったのか全くわからなかった。
「……何故、戦うのじゃ? おぬしに感謝しているものなど……一人も……」
「何言ってやがんだ」
そんなアスカの疑問を、カブキは一蹴する。
「どんな奴でも助けんのが、俺たち鬼の使命だろ!」
カブキがそう言った瞬間、アスカの胸にドクンと大きな衝撃が走った。
衝動のままに地面に手をつき、深々と頭を下げる。目を見開くカブキに気づかないふりをして、アスカはひたいを地面にこすりつけた。
「恥を忍んでお頼み申す! どうか、どうかわしの故郷を救ってはくださらぬか⁉︎」
「お前、何を……」
「わしの島は、強力な魔化魍に襲われ、苦しめられておる! 毎月生贄を差し出さねば、村の仲間が惨たらしく殺される……頼れるのは、もう鬼しかおらぬのじゃ!」
恥も全て捨てて、アスカはカブキに懇願し続ける。これで断られれば、もうアスカにあとはない。己の矜持などという不確かなもので自分を助けてくれた、慈悲深いこの人に断られでもすれば、心が折れてしまう気もしていた。
そんな不安を感じ取ったのか、カブキはじっとアスカを見つめて言葉を返した。
「……その魔化魍、なんて呼ばれてる?」
「……オロチ、と」
「……!」
アスカがその名を口にした瞬間、カブキの表情が変わった。あれだけ恐ろしい魔化魍に不敵な笑顔で立ち向かった男が、明らかに驚愕していた。
眉間にしわを寄せ、カブキは考え込んでしまった。
「……そいつはちょいと厄介だな。少なくとも、俺が行っただけじゃどうにもならねぇ」
「なっ……!」
信じられない気持ちで、アスカは声をあげた。先ほどの強さを誇る鬼でも、オロチには勝てないというのか。
「オロチってのは、ただの魔化魍じゃねぇ。そこらの魔化魍なら簡単に従えられる、魔化魍の王みたいなもんだ。そんな奴を敵に回しちまえば、半端な鬼じゃ相手にもならねぇ」
「そんな……!」
「まぁ、聞け」
絶望の表情になるアスカに、カブキは肩を叩いて落ち着かせる。その顔には先ほどとは異なる、アスカを安心させようとするような笑みを浮かべていた。
「俺一人じゃ無理だが……他の鬼の力も借りりゃ、なんとかなるかもしれねぇ」
「他の、鬼じゃと」
繰り返すように呟くアスカに、カブキは「ああ」としっかりと頷いた。
「鬼はどこにでもいる。普段は人には素性を隠し、俗世から関係を絶ってひっそりと暮らしている。そいつらを訪ねて味方につけりゃ、オロチにも対抗できるかもしれねぇ」
カブキはそう言って、自信を見上げてくるアスカを見つめ返した。
少女の目には何かを期待するような光が宿っている。だがそれを自分から言う勇気がないようで、きつく唇をかみしめてそこに立ち尽くしている。
仕方なくカブキは、助け舟を出すことにした。
「ーーー付いてくるか?」
「……ああ。何処へでも行くぞ!」
挑発するようなカブキのにやけ面に、アスカは不敵な笑みを浮かべて答えた。