山道を歩きながら、先導するカブキについていくアスカ。周りを見渡してみればあたりは木々に囲まれていて、鬼どころか人の気配も感じられない。
「…………本当にこんなところにお主と同じ鬼がおるのか?」
アスカは激しく不安になり、安易にこの男についてきたことを後悔し始めた。
そんな質問に、カブキはアスカの方を見ないまま、ぶっきらぼうに答えた。
「人は鬼を嫌っているだろ?」
「……まぁ、そうじゃな」
「ま、そういうことだ」
「……わかりたくはないが、わかった」
街で見た、カブキに対する人々の差別的な視線は覚えている。体を張って助けたというのに、返って来たのは礼ではなく侮蔑の言葉。しかも、真っ向から言うのではなく陰口のようであrながら聞こえるようにつぶやくと言う意地の悪さ。
おそらくカブキが言いたいのは、鬼もまたそんな人間たちに関わり合いたくなくて、こんなところにひっそりと暮らしているのだ、と言うことだろう。
アスカはカブキの後についていきながら、本当はこの男も自分に力を貸すことを疎ましく思っているのかもしれないと感じ始めていた。いつ、断られやしないか。そんなことばかり考えているうちに、二人は山の中腹に建てられた一軒の小屋にたどり着いた。
「……ここだ」
扉の前に着くと、アスカはふと鉄の匂いを感じた。それと、激しく燃える焦げ臭い匂いが漂ってくる。耳をすませば、山道を登っていた時から聞こえていた金属音の出どころだということもわかった。その匂いと音には、覚えがあった。
「ここにいるのは、どんなやつなんじゃ?」
「引退した鬼だ。今は刀鍛冶をしていると聞く」
刀鍛冶、と言う言葉に、思わずアスカの表情が険しくなる。嫌なことを思い出しかけたが、まさかと思って頭を振る。
アスカの様子の変化に気づかず、カブキは戸を開けて中を覗き込んだ。
「おーい、邪魔するぜ。
だがカブキがその名を呼んだ時、アスカの予感は現実のものとなった。
「ーーー‼︎」
息を飲むアスカの前で、金床の前に跪き、一心不乱に槌を振っていた男がその手を止めた。槌を傍に置き、めんどくさそうな表情で振り向くと、深いため息をついた。
「……カブキか。前にも言ったが、俺はもう……」
「ーーーなぜお前がここにいる……‼︎」
ヒビキと呼ばれた男が答えるよりも前に、アスカの怒りを押し殺した声がさえぎった。
カブキが驚いてみてみれば、憤怒の形相へと変貌したアスカが今にも殺しにかかりそうな怒気を放っている。手のひらに食い込む程爪を突き立て、かろうじてそれを抑え込もうとしているのが見えて、カブキはますます困惑した表情を見せた。
「答えろ、ヒビキ‼︎」
ヒビキはじっとアスカを見つめ、何かを思案するように目を細める。
やがて目をそらすと、興奮しているアスカではなく落ち着いているカブキの方を向いた。
「……アスカ、か。なんかようか?」
「おお、ちょうどいいな。この娘っ子の故郷が魔化魍に襲われてるらしくてよ、鬼の力を借りたいんだそうだ」
「やめよ!」
早速とでも言うようにカブキが本題に入ろうとするが、アスカは怒り狂ったままそれを阻む。
「其奴なぞに……頼りとうない!」
ヒビキをにらんだまま、アスカははっきりと拒絶する。
ヒビキもそう言われることをわかっていたように何も言わず、深い深いため息をついた。熱を帯びたままの鉄を持ち直し、再び槌を振り下ろす作業を再開する。
「言っただろ、カブキ。俺はもう鬼の仕事辞めたんだから、他を当たれよ」
「当たり前じゃ。貴様に頼むなぞ死んでもごめんじゃ……」
無理やりアスカとの会話をしないようにしているような響きに、アスカも憎悪を隠そうともせずに罵る。さすがに見過ごせなかったカブキが止めようとした時、アスカはキッとヒビキを睨みつけて叫んだ。
「兄者を見殺しにした貴様にはな‼︎」
その言葉に、ヒビキの手が止まった。
「……アスカ? 兄者……って、なんのことだ?」
「……兄者は……こやつの弟子じゃった」
アスカの放った衝撃の一言に、カブキは目を見開いてヒビキを凝視する。
ヒビキは否定も肯定もせず、ただアスカの人を殺せそうな視線を背中で受け止める。それが頭皮に見えて、アスカの憎悪をさらに燃え上がらせた。
「こやつは兄者を救えなかった……いや! 救わなかった! そばにいたはずなのに! 救えたはずなのに‼︎」
覚えている。駆けつけた時には、すでに冷たくなっていた兄の体を抱きしめた感覚を。
降り注ぐ雨の中で、自分の心までもが冷たく凍っていくときの感覚を。
怒りとともに、悲痛な表情を浮かべているアスカに背を向けていたヒビキは、やがて背を向けると立ち上がり、棚に置いてあった竹片の束を取り出し、カブキに差し出した。
「……力にはなれねぇが、他の鬼がいるところには心当たりがある。行ってみるといい」
「……ああ。わかった」
カブキはそれを受けとり、自分の懐にしまう。
ふと振り返ると、何も言わずに小屋の外へと出ていくアスカの背中が見え、カブキの表情も険しくなる。再び作業に戻るヒビキの背中を一瞥すると、カブキも出口へと向かった。
「……邪魔したな」
鉄はもう、冷えきっていた。
アスカとカブキは、ヒビキの住む山を降りてまた別の道を行く。二人の間にほとんど会話はなく、居心地の悪い沈黙が降りていた。
「……悪いな。そんな因縁があるなんざしらなかったんだ」
「良い。……言わなかったわしが悪いんじゃ」
そんな感じで一言二言交わしてはまた沈黙してしまい、二人の足取りはさらに重くなるのだった。
「気を取り直していこうぜ。あいつのくれた情報もあるんだからな」
「……すまぬ」
カブキが気分を切り替えさせようとするも、激昂したことをアスカが必要以上に気にしているのかそれ以上会話が続くこともなかった。
しばらくして、二人は目的の場所へとたどり着いた。少しさびれた雰囲気のある、小さな寺院だ。
「よし、ここが、あいつが言っていた鬼がいるところだな」
「……寺?」
二人は門をくぐり、ひっそりと立っているお堂に向かって近づいていく。きちんと掃除がされているのか、多少さびれていてもその荘厳さを失わずにいるお堂の扉を、カブキが先に叩いた。
「トウキとやら、いるか⁉︎」
カブキが入り口の前からそう呼びかけると、ぬぅんと軒下を潜り、トウキと呼ばれた男が顔を出した。
その瞬間、アスカは言葉を失ってトウキを凝視した。
(デカ⁉︎)
アスカは目を見開いて硬直し、あんぐりと口を開いて呆然となる。
現れた男は、身の丈六尺五寸(約197センチメートル)もの巨体を持つ僧侶。浅黒い肌を法衣で包んだ巨漢が、彫りの深い顔でアスカとカブキを睥睨し、厚い唇を開いた。
「お前がトウキか?」
「…………俺に、何の用だ」
「ひっそり過ごしてるところ悪いが、こいつからお前に頼みがある。聞いてやっちゃあくれねぇか?
「……奥へ来い。詳しい話を聞こう」
未だに固まっているアスカを置いて、カブキとトウキはさっさとお堂の中へ入っていってしまう。少ししてようやく我に返ったアスカは、慌てて二人の後を追ってお堂の中へ入っていった。
「ーーーというわけだ。このガキは故郷を救うため、大嫌いな鬼にわざわざ頭を下げに来たわけだ」
仏の像が見守る室内にて、トウキと向かい合ったカブキが隣に座ったアスカの事情を簡潔に説明する。
トウキはただ黙って話を聞き、相槌を打つこともなくじっと佇んでいた。
「久しく鬼として戦っていないと聞くが、どうだ? もう一度人肌脱いでは見ないか?」
カブキが誘うと、トウキはじっと黙ったままアスカを見つめる。無言の圧力を受けながら、アスカも負けじとトウキの視線を受け止め、強い眼差しで見つめ返す。
「……お前に、問いたい」
「何じゃ」
やがて口を開いたトウキに、アスカは内心冷や汗を流しながら返す。
やはり世間との関わりを絶って暮らしているくらいだ、断られるかもしれないと覚悟しながら、トウキの問いがなんなのかじっと待った。
「なぜ、嫌っているものに乞うほど必死になれる。お前にとってその者たちは、何だ?」
「…………そんなもの」
なんだそんなことか、とアスカは肩から力を抜く。
「家族を守るのに、理由がいるのか」
「ム……」
まごうことなき、アスカの本音であった。
拾ってくれたことへの恩ではない、育ててくれたことへの礼ではない。ただそばにいてくれたこと、共にいてくれたことが、ただ嬉しくて仕方がないのだ。
そんなアスカの答えを聞いたトウキはしばし黙り、やがてカブキに視線を戻した。
「…………しばし、そこで待っていろ」
「……本当に来てくれるのかの……しばらく一人にしてくれと言われたが」
「さてな。そればっかりは、あの男次第だ」
トウキとの邂逅を終えたアスカとカブキは、お堂の外にいた。
扉の隙間から覗き込んで見れば、仏像に向かって一心不乱に何か祈っている。もう何十分も石のように動かず、さすがにアスカとカブキも心配になり始めていた。
やがて、目を開いたトウキが目を開き、立ち上がる姿を見て慌てて扉から離れる。
トウキはお堂の扉を開くと、待っていた二人を見下ろして口を開いた。
「……仏の御言葉を聞いた。俺も行こう」
トウキの言葉に、アスカはパァッと表情を明るくして詰め寄った。
「……! 本当かの⁉︎」
「嘘は言わん。相応の働きを見せよう」
「あ……ありがたい!」
トウキが加わってくれたことに、アスカは地面にひたいを擦り付けるほど頭を下げることで感謝をあらわにする。
涙を流しながら感謝し続けるアスカを見下ろしながら、トウキは初めてその顔に笑みを浮かべるのだった。
「……ここは」
さっきまで喜びに満ちていたアスカの表情が、今や恐怖と緊張の混じった微妙な表情で固まっている。泳ぎに泳いだその目が、自分がこの場にいる違和感への恐怖を表していた。
それもそのはず、今一行がいるのは過剰なほど広い一面上質な畳の一室。部屋の隅には豪奢な鎧兜や掛け軸、槍や刀が飾られ、明らかに上級の身分の者が住む場所という風格が漂っていた。
「なんだ? 見ての通り城だろ?」
「城は城でも、だ、大名の城ではないか……! 響鬼め、何を考えておるのじゃ! こんなところに鬼がいるわけが……」
全く物怖じしている様子のないカブキやトウキに戦慄しながら、何か粗相でもしはしないかと恐々となるアスカ。貧乏な村の出身故、こういった高級な空間にいることは居心地が悪すぎるのだ。
「失礼します」
「わひゃいっ⁉︎」
その時、内心狼狽しているアスカの背後に一人の女中が声をかけた。突然のことで驚いたアスカは可愛らしい悲鳴をあげ、ワタワタと慌てながら顔を赤くする。
女中はさして気にする様子もなく、全員に平等に丁寧に頭を下げていた。
「もうじきに、城主が参られます。ご無礼のなきように」
女中は短くそういい、再びぺこりと頭を下げてから退室していく。
残されたアスカは、聞こえないように細心の注意を払ってからカブキたちの方に身を乗り出した。
「か、歌舞鬼よ? わ、わし、なんだかものすごく居心地が悪いんじゃが……ああいかん。お腹痛い」
「そうか? 気楽に待ってりゃいいんじゃねぇの?」
「む」
「それはおぬしらだけじゃ……‼︎」
今だけはこいつらの顔の面の厚さが羨ましい、と身を震わせていると、部屋の奥、上座の方の戸がスッと開いた。
開かれた襖から、一人の青年が顔を出した。甘い顔立ちに切れ長のまつげ、すっと高い鼻という、万人が美しいと評する顔立ちを備えた、美少年と言っても良い青年だった。
アスカは慌てて姿勢を正し、現れた青年に無礼がないように気を配る。身に纏う豪奢な着物や雰囲気から一目でこの城で最も偉いものだと見抜き、ガタガタと震えながら首を垂れた。
そんな彼女に、青年は朗らかで柔和な笑みを見せるのだった。
「よくぞいらしました。僕はイブキ。この城の主にして、鬼の一人です」
「…………は?」
思わぬ返答に、アスカは礼儀も忘れて素で反応を返してしまった。
「なるほど……故郷を救うために遥々本土へ……」
カブキから事情を聞いたイブキは、同情の混じった目でアスカを見つめる。細い手足や痩せた体を見て、暮らしの悲惨さを悟ったのだろう。
うんと頷き、アスカを安心させるような笑みを浮かべた。
「大変だったね。女の子がそんなに苦労して」
「…………は?」
慰めの言葉をかけるイブキに、今度はカブキが声をあげた。
バッとアスカの方を振り向き、ジロジロとその体を隅から隅まで凝視する。少し顔を赤らめるアスカに向けて、カブキは信じられないといった様子で口を開いた。
「……女だったの?」
「気づいておらんかったんか貴様ぁ!」
まさかの事実に、アスカの目に涙がにじむ。確かに体つきは貧相で背も低く、一見すれば男の子に見えても仕方がないとは思う。だが、こんなに長く一緒にいるのに微塵も気づかないというのはあんまりではないだろうか、とアスカは憤慨しながら涙に暮れていた。
「ええいそんなことはどうでもよい! どうかイブキ殿、わしの故郷を助けてはくださらぬか⁉︎」
ブルブルと頭を振ったアスカはイブキに向き直り、無礼を承知でずいと詰め寄る。
「礼は……大したことはできん。じゃが、わしには主らに頼る他にない! どうか、どうかお頼みもう……」
「それ以上は必要ないよ」
ひたいを床に擦り付ける勢いで平伏しそうになったアスカを、イブキは優しくなだめる。その目には、まるで仏のような慈悲深い色が見て取れた。
「ぼくら鬼の使命は、人を魔化魍から救うこと。その願いを無下にすることなど、ありえないよ」
「イブキ殿……‼︎」
心の広いイブキの言葉に、アスカは今度は感涙の涙をにじませる。ぐしぐしと目をぬぐい、今度は感謝の気持ちを込めて平伏するのだった。
だが、そこまで話が綺麗に終わるわけがなかった。
「いやぁ、本当にいいところに来てくれた。実際城主なんてのは暇なことも多くてね、息が詰まりそうだったんだ」
「……大人の汚さを見た気がする」
あっはっはと気楽に笑うイブキに、アスカは心底疲れた表情で頭を抱える。
豪華な着物から簡素な衣服に着替えたイブキは、先ほどとは全く異なる親しげな様子でアスカの肩を叩いた。どうにも城を抜け出す口実を運良く手にし、利用されただけのように身思えた。
喜んで本当に良かったのかの、と自問しながら、アスカは不穏になった前途を憂うのだった。
「……それで、次はどこに行く」
陰鬱な表情で俯くアスカをよそに、トウキがカブキに尋ねる。ヒビキの渡した竹簡を覗いていたカブキは、顔を上げて答えた。
「堺だ」
戦国時代のヒビキの見た目は一護を黒髪にしたバージョン、トウキは茶渡、イブキは石田になっております。