血界戦線 −THE LAST HOPE−   作:春風駘蕩

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6.一波乱終えて

 カラン、とグラスの中に残った氷が音を立てる。

 ジャズソングが流れるバー、異形の姿をしたマスターがカクテルを作る、いつもの愚痴り場にて。

 

 カウンター席に腰かけ、疲れ切った表情になったレオナルドとツェッドが、ぐったりと突っ伏した。

 

「……死ぬかと思いました」

「師匠との修行の日々を思い出しましたよ…!」

「悪かったっつってんじゃねぇか……ああでも言わなきゃ、旦那もババアも両方納得しなかったんだっての」

 

 引き攣った顔で呟いた二人に、グラスをぐびりと呷ったザップがうんざりした顔で告げる。

 

 やれやれと肩を竦め、目を逸らした彼に、レオナルドがカウンターに突っ伏したまま恨みがましげな目を向ける。

 この疲れの主な原因は、勝手な台詞を吐いたこの男なのだ。せめて問い質さなくては気が済まないというもの、恨みも引きはしまい。

 

「あの人、マジであんな感じなんですか…⁉ ムチャクチャ恨み買いまくってんじゃないスか」

「あなた以上……いや、騒ぎを利用してもっと多くの獲物を釣り上げようとしている分、さらにタチが悪いかもしれませんね」

「なんだかんだで、長く表にも裏にも関わってきた人だかんなぁ…」

 

 主に女性や金銭関連で騒動を引き起こす、先輩であり兄弟子である男を見つめ、レオナルドとツェッドは同時にため息をつく。

 

 性根が曲がり切っている事で有名なザップと言えど、心底しんどそうに項垂れる二人を見て居心地が悪くなったのか、未だに目を逸らしたままである。

 その姿は、適当に時間を過ごし、二人の不満が自然消滅するのを待っているようにも見えていた。

 

「組織に…いや、旦那に仇為す存在、敵になり得る存在全てを、あのババアは敵とみなす。そのためになら、テメーがどれだけ悪意の標的となろうが、構わねぇんだ。……旦那はそんな風には求めちゃいねぇけどな」

「でしょうね」

「そうじゃなきゃ、僕達を一緒に行かせるわけありませんもんね」

 

 ザップが語ると、二人とも当たり前だと言わんばかりに頷く。

 敵であろうと礼儀を失わない、あまりに正直すぎる組織の長クラウス。そんな彼が、仲間が悪意に晒されていると知って黙っているだろうか。

 答えは否である。

 

 ツェッドは自分のグラスに口をつけ、氷を揺らしながらまた小さく息をつく。

 今日一日で思い知らされた魔女の恐ろしさ、そして危険性を思い出し、眉間にしわが寄るのを堪えられなかった。

 

「……それにしたってあの人、血の気が多すぎませんか? 今日の姿を見るに、クラウスさんの敵だからって理由だけではないように思えますが…」

 

 弟弟子の呟きに、ザップは急に険しい表情になり、黙り込む。

 どことなく、嫌なものを思い出させられた、というような雰囲気が漂ってきて、ツェッドは思わず訝しげに兄弟子を見やる。

 レオナルドも、ザップが見せる妙に張り詰めた表情に首を傾げる。

 

 しばらくして、ザップの持つグラスがまたカランと音を立てた頃、重いため息とともに再び口が開かれた。

 

「…魔女狩り、って知ってるよな」

「!」

「ババアはな……ちょうどその時代を生きてたんだとよ」

 

 ギョッと、驚愕の顔で振り向く後輩達に、ザップは振り向かないまま続ける。

 

 語るにつれ、ザップの表情はどんどん険しく、虚空に向けた目つきは鋭くなっていく。話す内容がよほど気に入らないのか、苦手な女性の事にも関わらず、エヴァンジェリンに同情するような表情になっていた。

 

「今じゃ、無知な民衆や国が暴走して罪もない大勢の女が、拷問の挙句に殺されたって面が目立つが……ババアに関しちゃ、本物だからな。…何されたかなんて、わかったもんじゃねぇ」

 

 しん、と静かになったレオナルドとツェッド。

 思わぬ話で圧倒されたのだろう、とザップは鼻を鳴らし、頬杖をつくと苛立たし気に舌を打つ。

 彼の眉間に寄ったしわは、思い出すことも腹立たしいという感情がありありと表れていた。

 

「旦那と出会う前は、相当酷かったらしい。その頃のババアにとっちゃ……この世の中の人間は皆、テメーを排除しようとする敵以外いなかったからな」

 

Immobulus

 

 そこは、命の気配が消え失せた場所だった。

 枯れた大地、朽ちた草木、乾いた風、翳る空。生物の全てがそこで生きる事をあきらめ、逃げ去った後の場所である。

 

 そんな寂しい世界のど真ん中に、ボロボロになった家屋があった。屋根は抜け、壁には穴が開き、辛うじて形だけが保たれた小さな小屋。

 もはや崩壊する時を待つばかりのその小屋を、一人の大柄な男が尋ねていた。

 見上げる程の巨体に、キッチリとしたスーツ姿の彼は、一切躊躇う様子を見せず、開けっ放しとなった小屋の入り口を潜ろうとする。

 

「……それ以上近付くな」

 

 しかしその時、小屋の中から響いた冷たい声に、男の―――まだ少し若い顔のクラウスが足を止める。

 踏み出しかけた足を引っ込め、薄暗い小屋の奥を見やった彼は、眼鏡の奥の目をわずかに見開く。

 

 小屋の奥に腰を下ろし、潜んでいた一人の少女―――エヴァンジェリンは、見知らぬ訪問客であるクラウスを睨みつけ、眉間に深いしわを寄せる。

 常人ならば、腰を抜かすほどの殺気のこもった視線でクラウスを射抜き、苛立たし気に唸るような声を出す。

 

「せっかく一人になれる場所を見つけたというのに……何の用だ、小僧」

 

 ぎろり、とエヴァンジェリンの視線がさらに鋭くなる。

 クラウスに対してだけではない、この世の全てを憎み、恨み、壊したがっているような、凄まじい怒りの表情を称え、小さな魔女は吐き捨てる。

 クラウスはスッと背筋を正し、魔女を真っ直ぐ見つめたまま話しかける。

 

「失礼する、貴殿が〝指輪の魔法使い〟で間違いないだろうか?」

「だったら何だというのだ……用があるなら疾くと言え。そして疾くとここから去れ。人間の匂いがするというだけで、吐き気がして腹が立つ。死にたくないのなら…さっさといね」

「少し…話をしたくてここへ来ました。どうか、少しだけお時間を戴きたい」

 

 そう告げた直後、クラウスの顔の真横を途轍もない速度で何かが通り過ぎる。

 ゴウッ!と強烈な風切り音が響いたと思った瞬間、クラウスの背後で何かが破壊される音が響く。振り向くと、小屋の壁の一部に丸く穴が開いているのが見える。

 

 再び振り向き、エヴァンジェリンに視線を戻せば、魔女がクラウスに向けて手を突き出している姿がある。

 間違いなく彼女がクラウスに対し、害意を持って攻撃したことを示していた。

 

「聞こえなかったか? 失せろと言ったのだ」

 

 ビキビキ、とエヴァンジェリンのこめかみに太い血管が浮き出て、より一層濃密な殺気が迸る。普通なら、相手を失神させるほどの気迫である。

 

 クラウスは全身から拒絶する意思を醸し出す魔女を見つめ、何やらしばらくの間考え込む。

 小さく首を傾げ、虚空を見つめていた彼は、やがて何か納得した様子で頷き、無言のままその場に膝をき、腰を下ろした。いわゆる正座の体勢である。

 

「……なぜ正座をした? 今の状況がわかっていないのか? ふざけているのなら、ここで殺すぞ」

「失礼ながら、貴殿にその気はないと思われる。……先ほどのものは脅しではなく、威嚇でしょう?」

「……舐めているのか?」

 

 エヴァンジェリンはますます眉間にしわを寄せ、クラウスに苛立ちと呆れの混ざった視線を向ける。

 思い切り馬鹿にされている気分に陥り、ヒクヒクと頬を引き攣らせ、子供なら泣き叫ぶような殺気を放って、目の前の巨漢を睨み続ける。

 

 だが、やがてそれも面倒くさくなってくる。

 真正面から相対したクラウスの表情が、微塵も虚仮にしている様子が感じられなかったのだ。

 

「……もういい、岩に向かって話している気分だ」

 

 エヴァンジェリンは深いため息と共に、クラウスから目を逸らして肩を落とす。こうも動じない相手に威嚇を続けたところで、絶対に退きはしないと理解してしまった。

 何とも言えない、妙な相手に見つかってしまったと頭を抱え、エヴァンジェリンは頬杖を突き、クラウスを見つめ返した。

 

「何故ここに来た。私について知っているということは、私が何をしてきたか知っているのだろう、牙狩りよ」

「ええ……だからこそ、私はここに来ました」

 

 怖気付く様子もなく、しかと頷くクラウスの態度に、エヴァンジェリンはフンと鼻を鳴らす。

 

 齢数百の魔女、不老不死の化け物にして、魔女狩りの歴史を経て幾度も人間との衝突を繰り返してきた、科学文明の敵。

 俗世を嫌い、誰も来ないような僻地に引っ込んだ魔女の元にやってくる人間の目的など、総じて似たようなものだと早々に諦め、気だるげに舌を鳴らす。

 

「そして実際に貴殿に会い、語られるような方ではないと確信しました」

 

 だが、クラウスのその言葉に、エヴァンジェリンは訝しげに彼を凝視する。

 牙狩り、人界に害をなす怪物を討ち取る凄腕の狩猟者達。悠久の時を生き、人智を超えた能力を有した化け物を狩る力を研鑽させてきた者達。

 

 そんな集団の一人が、酷く甘ったれた事を抜かしたことに、エヴァンジェリンは酷く困惑させられてしまった。

 

「貴殿は優しい……私を殺そうとしていないように、誰も傷つけないために、ここに一人でいるように。自分以外の誰かのために、自分の心を抑え込もうとする慈悲深いお方だ」

 

 クラウスの評価に、エヴァンジェリンは気まずさを感じ、目を逸らす。

 言われたような慈悲を見せた覚えはない。死体を増やせば、それを自分で片付けねばならぬと面倒くささを抱いたから、威嚇に留めただけの事。

 そう言うつもりだったが、あまりにも真っ直ぐに真摯に見つめてくるため、言い返せなくなっていた。

 

「しかし私は……そんな貴殿の在り方を悲しく思う。たった一人で抱え込む在り方を、一人の人間として申し訳なく思う」

「……口では何とでも言える」

「そうですね…だからこそ、私はここへ来ました」

 

 唇を尖らせ、拗ねたように目を背けるエヴァンジェリンに、クラウスはスッと手を差し伸べてきた。

 何も仕込んでいる様子のない素手で、相変わらず真っ直ぐな眼差しをエヴァンジェリンを見つめてきている。

 

 屈託のなさすぎる、無垢なその視線に、目が合ってしまったエヴァンジェリンは、知らぬ間にキュッと息を呑んでいた。

 

「共に来ませんか。私は貴殿のことを何も知りませんが……おこがましくも、貴殿の心を救いたいと、そう思っています」

 

 強面で、いるだけですさまじい威圧感を放つクラウスを前に、エヴァンジェリンは大きく目を見開く。

 ドクン、ドクンと胸が熱く高鳴り、失いかけていた体の熱が戻って来るかのような感覚に襲われ、戸惑いと困惑に苛まれる。いつしか彼の眼差しから、目を逸らせなくなっていた。

 

「信用できないのは当たり前でしょう。ですが……私は貴殿に、人間を憎んだままでいて欲しくないのです」

 

 熱い視線を繰り続け、魔女に訴えかける大男。

 しばらくの間、エヴァンジェリンはクラウスと彼の手を何度も交互に見つめ、迷いを見せる。

 だが、しばらくしてから、おずおずと彼の手に自分の手を重ねる。

 

 彼の手のぬくもりに少し驚かされながら、エヴァンジェリンは心地よさそうに、クラウスの手を握り返していた。

 

 

 

 ―――と。

 ふと、脳裏に蘇ったかつての記憶に、エヴァンジェリンはふっと微笑みを浮かべる。

 馬鹿正直な、笑顔の恐い大柄な紳士。そんな彼が、自分の威嚇など微塵も気にすることなく、ずかずかと魔女の心に足を踏み入ってきた、忘れられない思い出。

 

 エヴァンジェリンはそれを思い出すたびに、胸にぽかぽかと温かい気持ちが溢れ、同時にキュッと締め付けられるようになっていた。

 

「……」

「何さっきからニヤニヤしてんだ?」

 

 ビルの上から虚空を見下ろし、口元を歪めるエヴァンジェリンにじとっとした目を向けてくるオーフェン。

 エヴァンジェリンはフッと笑みを消し、無表情になるとスッと彼女から目を逸らす。誤魔化しているつもりなのだろうが、オーフェンは見逃したつもりなどなく、ニヤニヤしながら魔女の顔を覗き込んだ。

 

「愛しのクラウスの旦那との馴れ初めでも思い出してたか? 恋するババアは見てて恥ずかしいねぇ」

「…何をふざけたことを」

「あーあー、いい、いい。皆まで言うな」

 

 意味深に、挑発するような声音で話しかける相棒から、鬱陶しそうに顔ごと目を逸らすエヴァンジェリン。

 オーフェンはしばらく、追及を嫌がっている様子の魔女を見つめていたが、やがてスッと真顔に戻り、呆れた様子で後頭部で腕を組み、ため息交じりに告げる。

 

「そんなに好きなら、さっさと番にでもなっちまえばいいのに。何を気にしてんだ? お前はよ」

「……小娘が」

 

 チッ、と舌打ちをこぼし、エヴァンジェリンは相棒を睨みつける。

 先ほどの暖かな微笑みなど、もうどこにも残ってはいない。感情の全てを抑え込み、冷徹な精神で覆った彼女は、夜風に髪を靡かせながら、じろりとオーフェンを睨みつける。

 

「わっちは悠久の時を歩む者……小僧に本気で焦がれるほど腑抜けてはおりんせん。茶化すのならもっと若い者にしなんし」

 

 冷え切った声でそう告げ、また目を逸らすエヴァンジェリン。

 オーフェンはまだ彼女に、面倒くさそうなものを見るような、気怠さを感じさせる眼差しを向け、彼女に聞こえないようにため息をつく。

 しっかりと聞こえていた魔女は、フンと鼻を鳴らすと、オーフェンに背を向けて歩き出した。

 

「先に寝る……ぬしもほどほどにしなんし」

 

 すたすたと、さっさとこの場を離れたいという心理がよくわかる速足で去っていく。階段を降りるのも面倒になったのか、魔女は屋上の端に移動し、バサッとコートを翻しながら空中に飛び出す。

 

 姿の見えなくなった相棒に、オーフェンはますます呆れた様子でため息をつき、肩を竦めながら首を横に振る。

 

「めんどくさいババアだな……先に逝かれるのがイヤだから、本気になれねぇって言えばいいのによ」

 

 そんな呟きは、夜の風に吹かれて霧散し、どこかへと消えてしまったのだった。


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